into the シャッフル
2人きりの時にだけ幕が上がる、小さなマジックショー。
旅行計画が一段落ついて、光は箱からトランプカードを取り出した。
彼の端正な横顔に、窓からの差し込んだ光の欠片が時折映る。
「……もったいないなぁ」
「何が」
「俺だけじゃなくて他の人にも見せたらいいのに」
「……お前だから見せれるんだよ」
自嘲気味に笑って片方だけ吊り上がる赤い唇、スッと鼻梁の通った鼻筋、時折キツイ光を宿す二重のハッキリした双眸……夜遅くまでのバイトを1年生の頃から続けてるせいで少しクマが目立つ。
容姿が整っていて、それこそテレビドラマなんかでクールな二枚目をしてそう。
歳の割に世の世知辛さを味わっているのが、ほんの一瞬だけ顔に浮かぶ苦味だったり、妙に落ち着いているというか冷めた態度だったりに滲み出ている。
そういうところが大人っぽくてミステリアス、って女の子には人気なんだって。
まぁ顔もカッコいいもんね。
流石は光です。
「ホントにずっと見せないの?」
「……気が向いたらな」
「もったいない……」
この前の合同授業の時である。
賢翁と光は隣同士のクラスで、体育やリーディング、選択授業の美術で一緒になるのだが、よく光は後ろの席に座る。
前の人の背に隠れるようにして、彼は掌でコインを小さく飛ばしていた。
この前はペン回しならぬコイン回しを延々していたけど……。
退屈で弄んでるのかと思ったら、マジックの練習をしていたと答えられた。
彼の手は暇さえあれば何かしら持ってて、ペン回しはお手の物、カードや時には輪ゴムを扱っていることもある。
本当にマジックで頭が一杯なんだろうな。
「今日は何が見たい?」
「えーっと……うーん……光にお任せしまーす」
「お任せって言われるとな……」
困った様子で光は少しの間考え込んだが、やがて「分かった」と頷くと、トランプをそのまま置いて、撫でるようにサァッと美しい一文字に広げてしまった。
全て赤い裏地である。
光の指が一番端の1枚をそのまま表に返す。
一列に並んだカードは、丸で浜に押し寄せる小さな波の如く、滑らかに全てひっくり返った。
初めて見た時はこれだけで歓声ものだった。
「好きなの選んで」
光はそう言うと後ろを向いた。
賢翁はじっくりと柄を見ていく。
眩しい白地に黒い字と赤い字の表面。
順番は全部バラバラみたいだ。
賢翁は右から6、7番目位のカードを選んだ。
ダイヤの4である。
「カードの柄、覚えたら裏返しのまま置いて」
「……光ってさぁ」
「何?」
「もしかしてカードの順番も全部覚えてたりするの?」
「馬鹿。んな訳あるか」
そんなに気になるなら、そこのカード1つにまとめて置けよ。
光にそう言われたので、賢翁はその通りにまとめて、裏返しておいた。
これで、何の柄を選んだのかは本当に分からなくなる。
この時点でのタネは無い訳だ。
「……いいか?」
「うん」
向き直った光は1枚だけ別に置いてある賢翁のカードを取って、束の真ん中に斜めから切るように差し込んだ。
「ちゃんと入ってるからな」
「うん」
いろいろな角度でカードがしっかり挟まってることを確認すると、ダイヤの4は今度こそ束の中に消えた。
いつ見ても、光のマジックには心躍る。
光の長い指が、淀みない動きでカードを切り混ぜた。
立ったままカードを扱う光。
椅子に座っている賢翁は下から見上げている。
引き抜かれては束に引き込まれるカードの絵。
スペードの3、ハートの10、ダイヤのQ……。
……カッコいいなぁ、と思った。
鮮やかにカードを操っていく指がとても綺麗に見えるのだ。
「このカードの混ぜ方の名前知ってるか」
「カルタ切りじゃないの?」
「ヒンズーシャッフル」
「ヒンズー?え、インド!?」
「東洋ではこれがポピュラーな混ぜ方で、アメリカとかヨーロッパなら真横にシャッフルしてる。こんな風に」
縦に切っていたものを、真横に変える。
おお、そうやって見るとなんだか新鮮!
「へぇ〜……何でやらないの?」
「別にどっちでもいいんだけどな。東洋人って基本手ェ小さいだろ?だからカルタ切りの方がやり易いんだと思う」
「そうなんだ」
ちょっとした豆知識も交えてる内にカードがしっかり混ざった。
光は束を2つに分けると片方を表に返し、2つともさっきみたいな一文字に綺麗に伸ばす。
整然と数字が並んだ真っ白の列と、渋みのある赤色の列が落ち着いたコントラストを生み出す。
「これで表と裏が出来ただろ?」
賢翁に確認させてからそれぞれを束に戻すと、2つを突き合わせる。
両方の端を曲げて上げて、そのまま弾くようにバラバラとお互い噛み合わせるように重ねていった。
リフルシャッフルという混ぜ方だ。
「え!?表と裏混ぜちゃうの!?」
「そういうマジックだから」
「え〜……」
どんな展開になるんだろう……。
再び1つにまとまったトランプの束を2、3度開いては見せられる。
「全部バラバラだろ?」
スペードのK、裏地、ハートの7、クラブの3、……確かに表裏がバラバラだ。
更に光の手は適当にカードを6つの山に分けて、それも表裏バラバラになってるのを見せながら、流れる様な動作でまた回収して1つの山にしていった。
「トライアンフって言って、これが1番初めに見たマジックなんだ。小学生の頃の話なのに、未だにあの時の高揚感っていうのが忘れられなくて……まぁ、出来る様になってしまったから、今更これを見た所で感動は無いんだけど」
普段、無愛想で表情の乏しい光だが、マジックをする時は表情が生き生きしていた。
自信に満ち溢れて、笑みもよく浮かべて、楽しそうに話してくれる。
──それはきっと、光自身がマジックに魅了されているから。
「でも、俺のを見て同んなじ様に感動してくれる人が出来たら嬉しいよな。やっぱ。俺は、まだまだだけど」
呼吸をする様にマジックのことばかり考えて練習して、時々披露して。
何だかんだ見せないとか言って、人に見せて喜ばせることが活力になってるんじゃないかな、と思う。
それは賢翁も同じこと。
描くだけでも充分楽しいけど、やっぱり人に見て貰って評価して貰えるのは嬉しいから。
「絵を描く賢翁が好き」と言ってくれる光と同様、賢翁もまたマジックをする光が好きだった。
話す内に、綺麗に整えられたトランプの山。
賢翁の選んだカードも、何処にあるのかもう分からない。
この時点で一番上は裏地。
その下は言うまでもなく。
光は、カードを混ぜただけのそんな状態にも関わらず、
口元に笑みすら浮かべて、
パチンッ
と指を鳴らした。
えっ、と思った時には、光は次の動きに出ていた。
指先一つで、丸で花が綻ぶようにカードが扇状に開かれた。
「あれっ!?」
……全部バラバラだったはずなのに。
そこには優美な弧を描いた、"赤い"扇が出来上がっていた。
柄が綺麗に揃っていた。
最初から何も無かったかのように。
魔法みたいに。
──いや、真ん中に一枚だけ、表になったカードが隙間から覗いていた。
その僅かな白が赤い扇の中で、鮮烈なまでの存在感を放つ。
光はそのカードを人差し指で、賢翁の前まで押し出した。
……それは紛れもなく、賢翁が選んだダイヤの4だった。