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今から3週間前の話。


放課後、隣の教室の賢翁を呼びに行ったが、姿が無かった。

出入り口から教室を見渡していると、2人組の女子に声を掛けられた。

「飯島君だー!」と親しげな風に来たが、どちらの顔も見覚えがない。


「浅井君探してんの?」

「ああ……知ってる?」

「HR終わってすぐ出てったよ」


美術室に居るんじゃない?と親切に教えてくれた2人に礼を言って行こうとする、と──


「待って待って」

「?」

「メアド交換しよー?」


うわ出た、と内心呻き声を上げる光。

入学した当初から、こういう申し出が多い。

光は特にメールが好きではないし、自分の時間をメールでいちいち邪魔されたくない、と悉く(ことごとく)断ってきている。


「あたしもあたしも!」


女子2人は光に迫る。

いつの間にかスマホもスタンバイしている。


「や、ちょっと……」

「え?駄目ぇ?」

「携帯、忘れた」

「LINEとかしてないのー?」

「やってない」


とにかく躱すと、「じゃあこれ」とメアドを書かれた細長いメモを持たされた。

なんて用意周到な……。

あの手この手とは正にこのこと。


「またメールしてね?」


小首を可愛らしく傾げつつ、目でしっかり念を押して、女子2人はきゃっきゃ騒ぎながら帰って行った。


「………」


さて、どうしたものかと光は手の中のメモを見下ろす。

いい加減こういうのは返すべきなんだろうか。

いや、後々面倒そうだ。

やめとこう。


結局、メモは見つからないように家で”ごめんなさい”することにした。

少し罪悪感もあるが、まぁ……いつものことである。

メモをスラックスのポケットに突っ込むと、光は踵を返して階段に向かった。



──────



紙を破る音だ。


そう気づいたのは、美術室の一歩手前まできた時である。

さっき4階に上がった時から、この乾いた音は微かに耳に届いていた。

間違いない。

美術室から聞こえる。


何してんだ……?


引き戸の小さな窓から覗くが、人の姿が見えない。

ゆっくり戸を開け、窓から見えなかった前側の奥をそっと窺った。


「あ──」


光は愕然として声を漏らす。

壁際の窓近くに居た賢翁がびくりと顔を上げた。

足下の腰丈のゴミ箱に降っていく引き千切られた大量の紙。

力任せに破ってくしゃくしゃになった残骸が、賢翁の手に残っている。


「何やってんだよ!!」


光は飛び掛かって、紙をひったくった。

紙の正体は、彼の描いたデッサンだった。

賢翁なら絶対するはずのない、有り得ない光景だった。

余程ラフなものでない限り、彼は描いたものを残す。

それにこんな、乱暴に、激情に任せたような捨て方はしない。


「なぁ!どうしたんだ……」


賢翁は茫然とした顔で突っ立っている。


「……だ」

「何……」


賢翁が何か呟いた。

聞き返すと、賢翁は何か耐える様に目をぎゅっと瞑り、かぶりを振った。

彼の身体は力が抜けた様に膝から落ちていく。


「賢翁!」


光は咄嗟に倒れない様に肩を掴み、一緒に膝をついた。

賢翁の顔に無力感と疲労が色濃く浮かんでいる。


「ごめ……もう、嫌になってきて」


睫毛も唇も、その小さな声さえ震えているのに、泣くに泣けない。

酷く悲痛な表情。


「……何があった」


光は賢翁の背中をあやす様にさする。

それしか、落ち着かせる方法を思いつけなかった。


「あの人達に何か言われたか?」


賢翁は答えない。

だが、恐らくそれだろう。

賢翁に自分の作品を壊させるまで追い詰めるとしたら、あの"家族"しかいない。


──ここ最近、"家族"から賢翁への風当たりが強くなってきたという。

家族、といっても彼の実の両親はいない。

母親の姉夫婦とその息子家族に4年前引き取られ、暮らしている。

この3人が賢翁を酷く煙たく思っているのだ。

以前、光も目撃したが、よく彼の性格が曲がらなかったと思うほど、辛く当たる。


「描いてて良いのかな……こんな、」

「あの人達の言うことなんか気にするな。俺もウチの母親も、お前の絵好きだから」

「………」


ああ、これは……

駄目だ。

完全に自信喪失してる。


あの3人は美術に関心が無いというか、人から評価される賢翁の才能が気に食わない。

特に母親は息子を猫可愛がりしているし、息子は偏差値の高い大学に入ったものの特に目立つこともないから、余計目の敵にされる。

幾ら他人から認められるといっても──このままでは、賢翁の才能が潰されてしまう。


「あと1年も無いから、もう少し待てよ。高校卒業したら、自由になるだろ」

「……うん」


どうしたらいいだろう。

これでは、見るに忍びない。

光は知らず知らず自らの唇を噛んでいた。

気休めの、無責任な言葉しか掛けられない自分が歯がゆい。


「………」

「………」


時間は過ぎて行く。

2人共、何も言葉が浮かばず黙り込む。

それでも、時間が経って落ち着いてきたのか、賢翁の背中の震えが止まった。


「……ごめん」

「気にするなよ」

「……ありがと」


コイツを少しでも元気付けられること……。

何がある?

賢翁の好きなもの……マジック。

それは延々見せる訳にはいかないし、ネタに限界がある。

とすれば、美術関係しか浮かばない。

本当にそれしかなかったか?

興味が湧いてくれるならそれでもいい。

興味……絵の題材になりそうな……


心を動かせそうな──


「……賢翁」

「うん」

「星、見に行くか」

「……星?」


いつだっただろう。

光が母親の知り合いへ会いに隣の県を訪れた時だ。

ほとんどが田んぼと林しか見えない田舎町で、光達は夜に林へ入って行った。

そこで見上げたのだ。

今でも鮮明に思い出せる。

丸で海の様にさざめいて輝く、満天の星空を。

美しかった。

それしか言葉が見つからなかった。

自分が、自分を取り巻く世界がいかにちっぽけな存在か思い知らされた。

純粋な驚きと、闇と仄かな光に包み込まれるあの浮遊感。


きっと、あれなら──


「少し遠いけど、物凄く綺麗に星が見える場所がある」


その知り合いは引っ越してしまい、時も経ったが、道は覚えている。


「星、かぁ……」

「行こう、絶対」

「うん……」


この際旅費は俺が持つ。

どうせバイトしてるし、金も工夫してなるべく使わないようにすればいい。

とりあえず、コイツが絵を描く気になってくれたら、それでいいのだ。


こうして光は勢い半分に約束を取り付け、段取りもその数日後には大方つけてしまった。

しかし一方で、賢翁は口約束と思っていたらしい。

「泊まるとこなんだけど」と相談しに行ったら、大いに慌てふためいた。


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