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後日、傘を返しに美術室を訪れると、すぐに中へ引っ張り込まれた。
「わざわざ傘返しに来てくれたんだ?ありがとう。あ、この前はごめんね?あれ気分だったから気にしないでな」
コイツ、やはり自分の思うままに行動している。
少し呆れながら、変人男子の顔を正面から見る。
──真っ先に『残念な奴』という感想が浮かんだ。
変人男子はやはり爽やかなイケメンだった。
その性格であることが悔やまれる位に。
もったいねぇ……。
美術室には現在変人男子と光しかいない。
今日は部活が休みなのだという。
……それなのに居て大丈夫なのか?
「大丈夫大丈夫。やる気あるなら好きにどーぞ、って感じだから」
そうか。
こういう奴を抱えてる部活なだけに、ルーズなのか。
そんな勝手なオチをつけながら、傍の机に目を落とした。
何枚か紙が散らばっている中で、一番上に英文の新聞記事が置いてある。
コピーしたのだろうか。
A4サイズの紙の中に、B5サイズぐらいで載っている。
一体何の記事なのか。
何気無く紙を持ち上げて、ふと気づいた。
新聞記事回りの白い余白部分が、うっすらと灰色にくすんでいる。
それに、消しゴムの細かいカスも散っていた。
……ん?
もしかして。
ある可能性が頭を過る。
すると、不思議なことにどんどん見えてくる、記事の僅かな色のムラ。
インクにしては柔らかい質感。
「興味ある?」
変人男子が声を掛けてきた。
「……これ、まさか描いたのか?」
「うん」
特に自慢げな様子も無く、コクリと頷いた変人男子。
……驚愕の事実である。
それは新聞をモデルにしたデッサンだったのだ。
そのまま目から紙に印刷したかと思う位、精緻さを追い求めた作風だ。
ミリ単位の世界で一文字一文字を正確に描き写したのだと思うと……その執念さに空恐ろしいものを覚える。
信じられない。
「……ホントに?」
「ちょっと薄いけどね〜、色が。ちゃんと墨とか絵の具使ったらマシになると思うけど」
新聞記事の他にも、消しゴムや植物の葉、スポンジなどの様々なデッサンが無造作に重ねられている。
どれも『存在』のほんの僅かな影や光も逃さずレンズに捉えたモノクロ写真の如き、出来映えだ。
大げさな表現ではない。
そして事実を裏付けるかのように、傍に何本かそれぞれ濃さの違う鉛筆が転がっていた。
……そういえば、アーティストには変わった性格の人間が多いと聞いた様な。
そうか。
だからこんな神業みたいな代物を描けるのか、変人男子。
妙に納得してしまった。
「ねぇ」
変人男子の声に顔を上げると、彼は光の手を見下ろしていた。
──何故か嫌な予感がした。
変人男子は視線を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「手、描かせてよ。さっきから器用そうな形してるよなぁって、思ってさ」
言いながら、光の手を取る変人男子。
どのポーズが良いか、光の手を勝手に動かし始めた。
やめろ、と振り払おうとしたが、光の脳裏に言葉がかすめる。
まぁ、いいんじゃないか。と。
結局デッサンのモデルに付き合ってやることにした。
まぁ要は……彼の才能に惚れてしまった訳である。
あの神業的なデッサンを見てしまったら、そりゃあ見る目も変わるし、尊敬する。
いかに変人でも、才能さえあれば変な部分は「個性」として受け止められるのかもしれない。
そこから始まった彼との付き合いは、3年生になった現在でも続いている。
変人男子の名は、賢翁と言った。
──ところで、しばらくした頃に「となりのトトロ」の件も聞いてみると、やはりそういうことであった。