画家志望の決断
今日も美術室で、時間を潰した。
昨日光から弁当を貰ったので、今日は間違っても飢え死にすることはないだろう。
大丈夫、まだ立って生きてる。
そう自分に言い聞かせながら、家に帰った。
毎度ノブに手を掛ける度、ふと鍵を掛けられているのではと頭に過る。
以前本当にされたから、嫌でも思い出すのだ(その時は窓から侵入した)。
でも今日は鍵を掛けられていなかった。
無言で家に入った。
電気のついた廊下。
少しドアが開いて、隙間から黄色味を帯びた光が射し込んでくるリビング。
そこに用は無い。
まっすぐ自室へ向かうため階段へ……足を止めた。
……何か、聞こえる。
乾いた音だ。
ビリリ……ビリ……
紙を破る音だ。
まさか──
冷たい予感が心臓を突き刺して、次の瞬間には階段を駆け上がっていた。
まさか、まさか、まさか。
自室のドアを勢いのまま開け放つ。
明るい室内で義兄が独り立っていた。
「───」
言葉が、出なかった。
声も……呼吸も。
目の前でデッサンが破かれていた。
既に何枚かが滅茶苦茶に裂かれて、無惨に床で散らばっていた。
ビリビリッ……
また義兄がデッサンを新たに1枚、引き破った。
無表情に、見せつける様に。
ぐしゃっと握り潰されて、引き千切られた。
フフ、と義兄が忍び笑う。
「これさ……大人になってもやる気だった?」
こんな金にもならない事。
──目の前の景色が遠ざかった。
嗤った顔。引き裂かれたデッサンの残骸。乱暴に閉められるドア。払い除けられる手。突き除けられ壁にぶつかる身体。
痛い
「もっと金になること考えたらどうなんだ?ん?」義父の声。「とっとと絵描きやめれば?」義母の声。
止められない
誰も止めてくれない
「消えてしまえ!」「アンタんトコの親が死ぬから引き取る羽目になったのよ」「寄るな」「穀潰し」
嗤い…嗤い…嗤い、嗤、嗤、嗤。
頭の中が真っ赤に染まって、次の瞬間にはもう殴り掛かっていた。
咄嗟に義兄は一歩下がったらしいが、ゴッと頬骨かどこかに当たる。
そんな感触も遠くに感じていた。
殺したいとか、そこまで明確な思いは無かった。
ただ、抑えきれなくなってしまった衝動に身を任せていた。
義兄が叫んで喚いている気がしたが、襟首を掴んでもう一発、二発殴ってやる。
義兄の表情は恐怖で引き攣っていた。
身体を捻って藻掻いて、逃れようとしている。
またその憎たらしい顔に拳を叩き込もうと振り上げたが──突然背中を熱水が襲った。
「あ゛っ……つ、ぅ!」
灼けつく様な鋭い痛みが賢翁の背中を無数に刺した。
痛い、痛い──!
咄嗟に衣服を肌から離そうと手が背に回ったその隙に、熱水を掛けた人物が透かさず賢翁を押し倒した。
「お前、明人に何してる!!」
うつ伏せに身体を叩きつけられた痛みを感じる間もなく、物凄い力でひっくり返される。
激昂の余り、目を剥いて歯をも剥き出しにした、義母の顔が目の前にあった。
「何してるっ!!」
二の腕を掴まれたまま、身体をがくがく揺さぶられた。
烈火の如く怒り狂った義母は、熱水を掛けただけでは飽き足らずに手を振り上げる。
呆然と眺める賢翁の目に、白いマグカップが写った──




