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光は無表情で見下ろしている。
とはいえ光のデフォルトが無表情なので、余程親しくしていないと彼の機嫌は見分けられない。
付き合いの長い賢翁はすぐに察知して、そっと窺うように聞いた。
「え……と、ごめん。もしかして、」
「もしかしなくとも後ろにずっと居たし、呼んだ」
「うっそ!呼んでたの!?」
「こちとらこの猛暑の中汗水垂らして来てやったのに呼んでも無視とはどーゆー了見だコラ」
「うわーごめん!気づかなかっ……ちょ、やめ、痛い痛いっ」
やっぱりそうだったか。
もちろんこれが無視するはずもない、と分かり切っているものの、じゃあ許すというのも何だか腹が立つので、もう3、4回蹴りを入れてやった。
「ごめんって!本当に気づかなかったんだって!」
「前にも何回か似た事あったよな。今からそれじゃヤバいって何回言った?」
「いや……はい、数えきれない程」
「そうじゃない、直せっつってんだ」
「……あい」
賢翁は気まずい顔で目を逸らしてしまった。
……朝から何でコイツに怒ってんだろう、と光は遠い目をした。
賢翁の行く末が心配でならないのはそうだが、コイツの母親か俺は。
その他言い足りない文句は小さな吐息1つに収め、光は賢翁の隣りに腰を下ろした。
「……で、何描いてたんだ?」
「ん─……分かんない。雑草?」
賢翁は子供っぽい口調で答える。
普段からこんな感じだし、性格もそれを裏切らず若干幼いというか……。
いや、幼いということはない。
苦労だけはしているから。
純粋なのだ。
彼の置かれている状況を考えると、本当に不思議なくらい……
「よく生えてるよな」
「そうそう。花がキツネノテブクロみたいな形だけど……あれとは違うんだろなぁ」
光はモデルの雑草とスケッチを交互に見た。
道ばたや空き地に密集して生えているのを見かけることが多い草で、丸っぽい葉を沢山、杉の木のように付けている。
そこに今は、キツネノテブクロに似た形のとても小さな花を幾つも咲かせていた。
花は淡いピンク色をしていて、雑草で終わらせるにはちょっともったいない可憐さがある。
「もう少し描いてていい?」
「5分だけなら。それ以上は無理。暑い」
「先に美術室行っててもいいよ」
「いい」
涼しいだろうが、1人で行っても退屈だ。
「こういう雑草ってネットとかで調べられんの?」
「質問と写真を投稿出来るトコがあるから……今やってみるか?」
「やってやって!」
賢翁が目を輝かせて、嬉しそうに言った。
今の高校生には珍しく、彼は携帯を持っていない。
スマホのカメラモードを起動させると、隣りから覗き込んで来る。
「寄るな暑い」
「えー……」
「黙って描け」
追い払った。
このクソ暑い時に近づくんじゃない。
賢翁はちょっと不満げに光を見たが、言われた通りスケッチに向かった。
間もなく、鉛筆が紙の上を滑る音が聞こえて来た。
……5分と言ったが、どうせオーバーするだろう。
寄られるのは勘弁だが、賢翁がスケッチを終わらせるまでなら5分でも10分でも待ってやれる。
絵を描く賢翁こそが、好きなのだから。
賢翁の鉛筆により、除々に質感と光影を帯びていく紙の中の雑草。
──ふと、光は2年前の賢翁を思い出した。
初めて会った時は、その変わりっぷりと彼の描く絵に強烈な印象を覚えたものである。