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真っ黒いフレームでくっきりと縁取られた中、そこだけが全くの別世界だった。
空が輝いていた。
無数の星がぬばたまの闇夜を埋め尽くすように、そこら中で光りさざめいている。
星で出来た海のようであった。
街に居たらせいぜい1つの視界に5、6個写るくらいがイイところなのに。
この空には、場所が無くて重なって見える星々もあるくらい、星で満ち溢れている。
視界一杯に広がるこの星の海に飛び込めたら、どんなに美しい世界が広がっていることだろう。
壮大だった。
……光はくらくらした浮遊感みたいなものに襲われる。
足は地面にしっかり着いていて、そんな事が起きる訳ないのに──
でも、見ているだけで本当に吸い込まれてしまいそうだ。
──突然賢翁が大声を上げた。
「あ!やっぱオリオン座あるじゃん!」
「はっ!?」
「ほらあれ!ジグザグに5つ星あるやつ!」
「……お前それ、」
カシオペア座だっての。
はぁー。
……何だろう。
感動が少し薄っぺらくなってしまった。
「あれはカシオペア座。オリオン座は砂時計みたいな形してんだよ。……ほら、あの赤い星見えるか?あそこから右に辿っていくとさそり座。南に行ったら、そこにかに座」
「へぇー……スゲぇ。光って色んなこと知ってるね」
「お前が知らなさ過ぎなんだ」
冬になったら、今度はオリオン座やおおいぬ座を教えてやらねばなるまい。
オリオン座を知らないというのは、余りに事件だった。
……思えば、この星1つ1つがこの地球みたいに、世界を持っているのである。
向こうの星にしたらこの地球も、無数の輝くちいさな星の一つに過ぎない訳で。
俺たちって至極ちっぽけな存在な訳で──
「……こうやってると、俺たちって凄く小さいね」
賢翁も同じことを思ったようだ。
光は賢翁を見た。
暗闇に慣れて彼の輪郭は辛うじて確認できる。
すっかり魅了されたようで、空を見上げたまま全く顔が動かない。
「あぁ……」
光も返事をして、再び輝く星空を見上げた。
「何かこう……難しいことを考えるつもりじゃないけど、俺たちって一体何してんだろうなって思う」
「色々考え改めさせられるよな……とか言って、再構築出来る訳じゃないけど」
俺たちが何をしていようが、笑っていようが、泣いていようが。
地球は何も変わらないリズムで動くし、誰が生きようが死のうが、そんなことは関係無くこの世界は進んでいくのだ。
それだけのちっぽけな存在なのだ、人間なんて。
それなら悲しむ時間は勿体無いな、と光は漠然と思う。
どうせちっぽけで、どうせ死ぬんだから、沢山笑って、沢山楽しい時間を過ごさなくては損してしまう。
そして死んだその先は……
死んだ先には、この星空みたいな世界があるんだろうか。
天国や地獄なんていうあの世のことは余り考えたことがないが、行くならこんな美しい世界に行きたい。
「一生ここに居たいなぁ……忘れたくない」
「また何回でも来れる。その気になればな」
「あ、そうだ!カメラカメラ……」
賢翁は首に下げていたカメラを起動させ、レンズを真上に向けた。
しかし画面には真っ暗な空間しか映らない。
それを見て、賢翁は残念そうに言った。
「……駄目だ、ナイトモードでも真っ暗」
「ピント暗いとこに合わせてみてもか?」
「うーん……」
ピッピッ、と操作をしてシャッターを押した賢翁は、写真を確認して「駄目でした」とカメラの電源を落とした。
「残念だったな」
「目に焼き付けるしか無いかぁ。まぁ、目で見た方が一番綺麗だけどね」
──それから、どれぐらいの時間が過ぎただろうか。
暑さも虫も熊も忘れて、アホみたいに空を見上げ続けた。
全然飽きない。
不思議だ。
でも……光は段々首が痛くなってきて、途中で見るのをやめた。
賢翁はずっと同じ姿勢で見上げている。
手持ち無沙汰に、光はスマホで時刻を確認した。
驚いた、もう0時半を過ぎていた。
……そろそろ帰らないと。
賢翁には悪いが、これ以上は明日に響くし……それにずっと忘れていたがいつ熊が出てくるかも分からないし。
「賢翁。そろそろ帰ろう」
「………」
賢翁から反応は無かった。
5秒くらい待ってもう一度口を開きかけたら、漸く「……うん」と返事が返ってきた。
脳に到達するまでどんだけ掛かってんだ。
「もう1時になる」
「えっ、もう!?」
「早いな、時間経つの」
「あー……もう、そんななんだ」
賢翁は名残惜しそうに呟いて、やがて夜空から目を離した。
帰ろっか。
賢翁が念そうに笑った気配があった。
──────
「どうしよう。凄く描きたい」
帰る道中、高揚した様子で賢翁は何度も空を見上げながら言った。
「色々思いついてきた」
「そうか」
なら良かった。
連れてきて正解だったみたいだ。
「……ああ。そっか。お揃いか、お揃お揃」
「?」
不意に賢翁がそんなことを言う。
首を傾げて光が見返すと、
「光とお揃の思い出持ったんだなぁって」
「お揃って……お前女子か」
言われると、何か小っ恥ずかしい。
でも、言われてみればそうか。
同じ時間に同じ星空を見上げて、似た思いを抱いて。
そっくりの記憶を持ったのだ。
賢翁が横でくすぐったそうに笑った。
その笑い声を聞きながら、”忘れたくない”と素直に思った。




