星の海に立つ
困ったことがあった。
それは、風呂を上がって宿のおばさんに何時まで出ていいか確認した時に発覚した。
「私たち9時には寝てしまうからねぇ……、出来れば9時までにお願いできるかしら」
「あ……わ、かりました」
迂闊だった。
ここは人里離れた田舎の村。
そりゃあ街のホテルの様にはいかないに決まってるし、加えておばあちゃんが居るのだから、余計時間に制限があるのも当たり前だった。
どうするかな……
9時以降に玄関からの出るのは勿論アウトである。
色々考えてはみたものの──
「……賢翁」
「何?」
「窓から出るぞ」
「えっ!?」
結局、そういうことになった。
幸いにして部屋は1階にある。
その先の塀も、よじ登って越えられそうだ。
後は、地域の目さえ用心したら大丈夫だろう。
「何時に出ようか?」
「そうだな……もう鍵閉めて大丈夫って言っといたから、寝たのを見計らって行くか」
「分かった。それまでこれ描いとく」
賢翁は机に広げたスケッチブックに目を戻して、また鉛筆を動かし始めた。
今はおばあちゃんに手を加えている。
その様子を見ながら「さて何をしようか」と光が考えていると、ポケットのスマホが着信音を鳴らした。
マスターからのメッセージだった。
『こんばんは。星は無事に見れているかな?今日は玉尾君と乾さんがステージに立っています』
メッセージには写真が添えられていた。
ライトを当てられた先輩マジシャン2人が笑顔で、ステージに立っている。
トークがとても面白い玉尾さんもコイン・マジックの申し子みたいな乾さんも、尊敬する人達だ。
そうか、今日は2人で一緒にやってるのか。
見たかったな。
『帰ってきたら、話を聞かせて下さいね』
最後はそう締めくくられていた。
よくメールと実際に喋るとでは、丸で人格が変わる様な人がいるが、その点マスターは全く変わらない。
本当に穏やかで紳士然としている。
果たしてマスターと同じ歳になった時、自分はあそこまで大人になれてるだろうか。
考えさせられてしまう。
マスターに返事を書いて送ると、光の手は今度は迷う事なくリュックからトランプのケースを取り出していた。
写真を撮って見たら、頑張らなくてはと思えてきた。
賢翁も絵に取り組んでいるのだ。
時間が来るまで、マスターに教えて貰ったフラリッシュの技を幾つか練習しよう。
光の長い指が箱を開けて、中からトランプの束を滑り出させた。
──────
9時に宿のおばさん達は就寝したみたいで、トイレに寄った時にいびきが聞こえた。
なんだかんだと準備を進めて、10時近くを回った頃。
村の道路には光と賢翁の歩く姿があった。
こっそりこっそり出てきた2人は、塀も無事乗り越えて、村の誰にも見つかることなく道路に出てくることができた。
周りの家屋は何処も電気を消していて、等間隔にぽつぽつと並ぶ街灯しか灯りは無い。
「しかし、寝るのが早いな皆」
「お年寄りだからね」
「まぁな」
「Cartorolle」だったら、まだまだ稼ぎ時である。
俺も最後はゆっくり過ごしたいな、と光は辺りを眺めながら思った。
……隣で、賢翁が擽ったそうに笑った。
「悪いコトしてる気分」
「何で」
「窓からコソコソ出て塀よじ登るとかさ、泥棒みたいじゃん」
「あー……」
まぁ、言われてみればそうである。
光はメッセンジャーバックからポケットサイズの虫除けスプレーを取り出して、賢翁に手渡した。
「……ん、虫除け」
「サンキュー」
「懐中電灯って虫集まるよな。……掛けたら流石にダメか」
「身体だけでいいんじゃない?勿体無いし」
自分に掛け終わった賢翁からスプレーを受け取ると、光も自分の腕とスニーカー付近にも掛けた。
ツンとした薬品の匂いが鼻を突いた。
「熊とかって、大丈夫かな」
「………」
「……えっ、そこで無言はやめようよ!」
「こっちだ」
道路から田んぼの畦道に進路を変えた。
この先は林の中である。
もちろん街灯なんて気の利いたものがある訳無いから、ここから懐中電灯が必要になる。
「……あそこに大きな影が」
「ひぃいい」
「何てな」




