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髪を洗って、全身を洗って泡を湯で流して落とす。
そんな時だった。
「──ごめん」
いきなり、詫びを入れらたのは。
本当に出し抜けだったから、危うく水の音と一緒に聞き流してしまう所だった。
「……今ごめんって言ったか?」
「うん」
「なんだ急に」
旅費を立て替えたことを言ってるのだろうか。
シャワーを止めて聞くと「それもあるけど……」と返ってきた。
長くなりそうな予感がした光は「分かった。その前に交代していいか」と場所を交代して貰った。
「光には良くして貰ってばっかだね」
「そんなに何もしてない。……気にすんなよ」
「光が居なかったら絵はとっくにやめてた」
その言葉に光は息が詰まるような衝撃を覚えた。
思わず賢翁を凝視したが、こちらを見ていない賢翁に冗談を言ってる雰囲気はなかった。
……そういえば1年前にも同じことを言っていた。
その時はおどけた調子で言っていたけど、もしかしたら。
「去年賞取ったときにさ」
賢翁は何処か自嘲するような表情で言う。
「当然、あの人たちにも報告したんだ。結構大きい賞だったし、これなら認めて貰えるかもしれないって思って。……駄目だった。『それで飯が食える訳が無いだろ』って一蹴されて終わった。ふざけんなよって話だよね、その癖賞金だけは当然みたくぶん取ってってさ。……嗤われた。それからはしょっちゅう『お前みたいなのがなれるはずない』だの『とっとと絵なんかやめろ』って……ホント苦痛だった。俺には絵描く以外に拠り所が無いから。今は流石に、あの人達が俺に才能があろうが無かろうととにかく”俺”を潰そうとしてるだけなんだって分かるんだけどさ。ならいっそ見返すつもりでいようと思うけど、なんかもうそんな次元でも無い気がするし。でも、やめるとか向こうの思う壺じゃん。……だからね、」
賢翁はここで、やっと光を見た。
控えめに笑った。
「光がずっと励ましてくれたり絵を真剣に見てくれたりしたから、続ける勇気を持てた」
たったそんなことで……。
自分がやったことなんて、小さなことばかりだ。
光は驚いて……それから少し悲しくなった。
「俺、本当に大したことしてないって」
「ううん。光に救われたのは本当だし、光のお陰でここまで頑張ってこれたのも本当だから」
その時、賢翁の瞳が悲しげに潤んで、揺らいだように見えた。
……気のせいだろうか。
「……ごめん。言ってもどうしようも無いこと話した。……何でこのタイミングに喋っちゃったんだろ」
賢翁は気恥ずかしそうに俯いてしまった。
「ごめんね光。忘れて下さい」
そう言ってシャワーの湯を出した賢翁は、両手に湯を掬って無造作に顔を洗った。
不自然が丸分かりの行動である。
光は賢翁から視線を外すと、湯気がもうもうと立ち込める天井を仰いだ。
「や……安心した」
吐息のように、言葉が零れた。
賢翁が目を丸くして顔を上げた。
やっぱり、目が赤い。
「俺本当に大したことをしてる訳じゃないからさ……正直、話を聞いた所で解決出来ないの分かってたから、どうしたらお前のこと助けれるかずっと考えてた。あんなのでいいなら俺幾らでもするし。……心配してた。話してくれて良かった」
俺は、本当は賢翁のことなど何も分かっちゃいないのかもしれない。
そう思う光の顔は、知らず知らず途方に暮れた顔になっていた。
何だか、悲しい。
──まもなく光は湯船から上がった。
すぐに湯当たりを起こしてしまうから、早めに浴室から出ることにする。
「……光、」
「見てるよ」
「え……」
「見てるから。お前のこと。俺は……ちゃんと見てるから」
それだけ言って、その場を後にした。




