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「………」
階段を上がって自室のドアを荒々しく閉めるまで、光は義兄への視線を外さなかった。
「胸糞悪ィ……アイツがクソだろ」
見届けてそう呟く光の目は義兄が消えても未だ険しい。
「──……ごめん」
今にも消え入りそうな声が聞こえた。
賢翁は硬く強張っていて──でも、分かる。
本当は、今にも泣き出してしまいそうなのだ。
「……お前、いつもやり返さないのか」
何で殴られるのを分かってて、あの時避けようとしなかったのか。
何故あの男を殴り返そうとしないのか、不思議でならなかった。
光でさえ、正直あと数秒去るのが遅かったら殴っていた自信がある。
「アイツに怪我させたら、多分俺殺される……」
「……ここの親はお前が怪我してても何とも思わないのか」
「ごめん、その……とりあえず、外出ていい?」
遮るようにして、賢翁はそう言った。
そういうことなのだと、暗に言っているようなものだった。
──今までに感じたことも無いような猛烈な不快感が腹の底を吹き荒れた。
何だそれ。
自分の息子が人に怪我させてても、何も思わないだって?
そんなふざけた話があるか。
一体何を考えている。
「ねぇ、光……」
賢翁の懇願に近い声に、光は賢翁を見た。
そして、不穏にザワつく心を一旦静めた。
……少し頭を冷やそう。
さっさとこんな所、出て行かなくては。
──────
逃げるように家を出た途端、鋭い照光をまともに見て光は目が眩んだ。
「あっつ……」
思わず声が零れる。
……すぐに辺りは静まり返った。
汗がじわりと背中で滲む。
「なぁ、」
「ごめん……」
「………」
力無く返された「ごめん」に、光は口を閉ざした。
今はこれ以上掘り返さないで欲しいというメッセージが、そう叫ばれる以上に強く籠もっていたから。
「……どっか、涼しい所行くか」
「……うん」
そうだ。
俺が今の出来事をほじくり返してどうする。
俺に全て解決出来るとでも?
……そんなはずない。
どれだけ一緒に居て、一緒に体験したとしても関係無い。
たった数秒の出来事に光は呑まれたのだ。
あんなクズみたいな男相手に、それでも何1つまともな対処法を思いつけない。
自分の非力さを突きつけられたのである。
……それでも。
光はそっと唇を開いた。
何か、声は掛けてやりたい。
やられっぱなしではあんまりだから。
でも、何て声を掛けてやったらいい?
俺みたいな、あくまで第三者でしかない俺から掛けられる言葉は……一体何だ。
──────
あの日、賢翁に声を掛けてやることはついに出来なかった。
賢翁自身、どうにか頭から消し去ろうとしていたのは光にも分かっていた。
だからその後も、何事も無かったように振る舞うことしか出来なかった。
……結局。
賢翁が何も言わなかったから、それに甘えて何も言えなかったのだ。




