到着
「わー……リアルとなりのトトロ」
8月15日 午後1時。
降りた電車が通り過ぎると、見晴らしの良い駅からは村を広く見渡せた。
背後には鬱蒼とした針葉樹林が広がっており、枯れた杉の葉やら朽ち掛けの小枝とも言えぬ欠片がここまで散らばって来ている。
そんな閑散とした駅に降りたのは、賢翁と光、そして腰が若干曲がりつつあるおばあさんだけだった。
「この近辺の人かな……。ちょっと聞いて来るわ」
賢翁は光から地図を取り、「すいませーん!」とおばあさんの所へ走った。
「あ、はい。すみません呼び止めてしまって。この辺に『隈元』っていう宿、知りませんか?」
少し首を屈めた姿勢で賢翁はおばあさんに地図を見せる。
……こうしてれば、賢翁はとても爽やかな『普通』の好青年である。
地図を見ていたおばあさんが賢翁に何事か話しかける。
すると、賢翁から「本当ですか!良かった~」と喜びの声が上がった。
「ありがとうございます、助かります!」
頭をペコペコ下げていた賢翁はやがて振り返ると、頭上で腕一杯に作ったOKサインを送った。
───────
親切なおばあさんは道を教えてくれるだけでなく、途中まで案内してくれた。
2人は、別れ際に教えられた通りに歩いていた。
「星見に来たって言ったら、『そんなもの見に来たの?』ってスゲーびっくりされた。星がよく見えるのが当たり前ってことなのかね。……羨ましい」
道中、賢翁とおばあさんとそれはもう朗らかにお喋りをして歩いていた。
光も挨拶はしたが、後の会話は全て賢翁に任せきりにした。
自分は曲がり角や分かれ道がある度に、首に下げたカメラで背後の景色を収めて、地図にルートを書き込んだ。
駅へ帰る時、迷わないようにするためである。
「確か2つ目の角曲がれば分かってるって」
「そうそう。多分ここを曲がって──あった!」
おばあさんが言った通り、縦に長い看板が近くに立っていた。
『隈元』と書かれている。
民家より1周り大きいが、外装は先ほど見て来た民家と然程変わりなかった。
この看板が無ければ、「ココ!」とは自信を持って言えなかっただろう。
軒先にはレトロな鉄の風鈴がぶら下がっていた。
「夏だねぇ〜……」
賢翁が手を伸ばして揺らすとリィーン……と澄んだ美しい音が鳴った。
「……意外に綺麗」
「もっと重い音だと思った」
「光さん、誕生日にこれ買って」
「……こういうのって何処に売ってるもんなんだ?」
「え?」
「いや……ホントに欲しいなら買うけど」
「……え?ホントに?」
冗談のつもりが光のマジレスが返ってきて賢翁は思わず言葉を詰まらせた。
う、嬉しいけど……何か、ごめん。
光はガラガラと引き戸を開けた。
ちなみにインターホンは見当たらなかったので、光が「すみませーん!」と大きな声を飛ばすしか無かった。
程なくしてやって来たオバさんは、2人を見て「あら!」と目を輝かせた。
「えっと、予約の飯島さん?」
「こんにちは。お世話になります」
「いいえ。こちらこそ!こんな狭い宿ですけど、ゆっくりしていって頂戴」
2人分の宿泊料を支払って、名簿に名前と住所・連絡先を記入すると上がらせて貰えた。
ホテル未経験の2人は、これがチェック・インだったことに後から気づくことになる。
「何だか2人共ジャニーズに居そうねぇ」
部屋を案内するオバさんが嬉しそうに言った。
「珍しいこともあるのねぇ、若い人は中々来ないのよ?ここにはどうして?」
「星を見に来たんです」
「星……?」
賢翁の言葉にオバさんは目を丸くした。
「そんなものを見に来たの?わざわざ?」
「俺達の住んでるトコは余り星が見えないんですよ」
先ほどのおばあさんと全く同じ会話を交わしている。
顔には出さなかったが、光はちょっと可笑くて笑そうになった。
「へぇー。星、ねぇ」
「隣のこの人が誘ってくれたんです」
あ、俺に話題が振られた。
「ところであなた達って幾つなの?」
「俺は17で光って……もう18だよね?」
「ああ」
「あら!じゃあ高校生!?しっかりしてるわね〜!」
「俺よりも、この人の方がお母さんみたくしっかりしてますよ。……あ、そう!この人スゴいマジック出来るんです!」
「んなっ……!」
おい!
まさかの発言に光は仰天し、慌てて賢翁を止めようとした。
が、
「そうなの!?見たいわぁ!あたしマジックとか大好きなのよぉ。見たいわぁ」
「え……っと、」
おばさんもノリノリで話に乗ってしまった。
あぁ、どうしよう……何て断ったら。
「良かったらおばあちゃんにも見せてくれないかしら?きっと喜ぶと思うの!」
「光〜、見せたら?」
賢翁もニコニコと突っついてくる。
このっ……お前良かれと思ってやってるだろ!?
……えぇ。
いやもう、これは……後戻り出来ないぞ。
結局、了承してしまった。
時間は夕食前の5時頃。
素泊まりと言っていたが、光がマジックを見せてくれるなら、と2人の夕食も特別に一緒に作ってくれるそうだ。
すごくありがたい話だった。
が、しかし。
「お前なぁっ……!」
「あ〜ごめん!でもそんな怒ること!?」
「いきなり人に見せる約束されたら驚くに決まってるだろ!」
案内された八畳一間の客室で、声のボリュームを抑えつつも光は賢翁に怒った。
心臓が止まるかと思ったわバカ!
「でもまぁ、晩御飯食べれるんだしいいじゃん。俺スッゴイ楽しみ」
しかし、無邪気に笑う賢翁を見て、つい「う……」と文句を飲み込んでしまった。
そうなのである。
賢翁が嫌な思いせずに晩御飯にありつけるのって今日ぐらいなんじゃないかって思ってたから……それを言われてしまうと、もう何も言えない。
「………」
光は険しい顔をしていたが、やがて小さな溜息を1つ零して、眉間の皺を解いた。
まぁ、いいか。
「あ、あのね。俺も何かやろうと思って」
「やるって何を?」
「似顔絵!」
「あ」
なるほど。
賢翁なら充分その手もありだ。
「色つけるのか?」
「ううん。鉛筆だけ」
「それじゃあ寂しくないか?」
「そんなこともないと思うけど……うーん」
どっちの方がいいのかなぁ、と賢翁はぶつぶつ呟きながら、畳に置いた自分のリュックサックの中身を漁る。
スケッチブックと鉛筆と色鉛筆の入ったケースを取り出して、賢翁はスケッチブックの中身と色鉛筆を見比べた。
「……やっぱ鉛筆だなぁ」
そんな独り言を漏らして賢翁は、う〜んと伸びをした。
そして、開きっぱなしのスケッチブックも色鉛筆もそのままに大の字に寝転んだ。
「はぁ〜、畳いい匂い〜」
幸せそうに口元を緩ませている。
よかった。
光は密かに安堵した。
絵に繋がればと思って来た訳だが、いっそあの家を忘れられるだけでもいい。
こいつさえ楽しいなら、それで……
小さめのテーブルとテレビと古いエアコンだけの、特に何もない部屋。
窓から陽が差し込んだ眩しい光が、賢翁の髪を輝かせた。
一瞬暑そうだなと思ったが、エアコンで涼しくなってきたので、そんなに気にならないかと思い直す。
陽の当たらない所を選んで、光も賢翁の隣に寝転んだ。




