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地下闘技場での戦い

 王都ロベリア。

 ここはその南西地区。

 かつては教会の地下大聖堂であった場所。

 古は聖なる賛美歌が連日、響き渡っていたであろうこの場所も、時の流れと共に移り変わり、人間の欲望渦巻く賭場となり果てていた。

 ロベリア第三闘技場。それが今日の、この場所の呼び名。

 建物自体は、それが造られた千年前と等しく芸術的な美の集大成。シンメトリに配置された大理石の柱が印象的な空間。

 だが、そこで行われているのは人間の欲望渦巻く賭争。賭争を用いた貴族の為の賭場。


 そこの闘技場に二人の人間が馬車に揺られて現れた。

 全身が真っ黒な男と、全身が真っ白な娘。

 男の名前はクロード。娘の名前はシロナ。

 シロナがクロードの手を引いて、クロードはただ引かれるがままについて行く。

「ここが例の闘技場か?」

「ええ。そうよ。ここでは日夜、賭争が行われているの」

「へぇ」

 その光景を見たクロードは漆黒のフードの奥に隠されたその瞳を少し見開いて、掠れた声を発した。

 円形の闘技台の上で、複数の人間が殺し合いを――賭争をしている。

 それはクロードにとって信じがたい光景だった。

 本当に日夜賭争が行われているとするならば、地上の街は賭争に負けて地位も名誉も失った人間で溢れかえっているはず――

「俺は、ここで戦うのか?」

「ええ。あなたはこの場所でなら最強だから大丈夫よ」

 シロナは確信と共に言いきった。

「あなたは、どんな心術の影響も受けないはずだから」


 心術。

 それがこの術の名前。

 シロナがクロードにした説明を要約すると、この力は心の力に影響する力であるらしい。

 心の力なんて実にあやふやなもの。曖昧で形の無いもの。だが、シロナの大剣を見る限り、そんな力が確かに存在するらしい。

 クロードは思う。

 もし、心の力なるものが存在したとして、自分が強いとは思えない。

 とてもじゃないが思えない。

 クロードは、自分の弱さを自覚していた。

 これと言って望みもない。未来もない。そんな自分には心の力など皆無だろう。

 シロナにそう告げると「だからこそよ」と返ってきた。

 心術による衝撃は心に影響する。かぎりなく心が無に近い人間には効かない筈。と、シロナは自慢気に語った。

 不完全な人間。無感情人間。ただ惰性で生きているのみの自分。

 そんな自分がある一点においては最強と称される。

 その言葉が本当か嘘かは分からないが、クロードにとって、その言葉は、ほんの少しだけ心地良かった。

「この闘技場には二対二の戦いもあるの。そこで戦いましょう」

 シロナは慣れた様子で闘技場の受付へと進んでいく。

「俺は、何をすればいいんだ?」

「私の前に立っていてちょうだい。今はそれで十分だから」

 クロードは思った。戦うはずにも係わらず、立っているだけで十分とは異なことを。

 しかし、俺は請われてここにいる。頼まれたことを果たせばそれでいいだろう。

「分かった。俺は立っている」


 二人は手早く手続きを済ませ、順番を待った。

 この闘技場は、名前を登録しておくと勝手に賭争が組まれて、戦って勝つと相手の財産を貰えるという簡単な仕組み。賭争法によって、財産を全て奪うことは出来ない。よって全財産を賭けて負ければ、賭争者個人の所有する財の内、生活に最低限必要とされる財以外は全てが勝者に与えられる。

 けれどそんな保証はわずかなもの。自立して生きて行くには全然足りない。

 敗者は、金も家も名誉も何も失って、貴族のお抱えの賭争者にでもなるしかなくなる。もしそうなれば、家畜のように貴族の娯楽として死ぬまで戦うしかない。

 この闘技場の賭争者も殆ど貴族の持ち駒。

 貴族の持ち駒となった賭争者が全てを賭けて戦った場合でも、賭争者個人はそもそも富を持っていない。

 むしろ、負けた時のリスクを考えて、賭争者名義の財は何もないようにするのが常だ。

 圧倒的に貴族有利の契約。しかし、そんな契約に縋ってでも生きなければならない賭争者がこの街には溢れている。


 そんな賭争者の中に、異質の賭争者が存在していた。それこそが心術使い。

 普通の賭争者に出来ることは、ただただ殴り合うのみ。そういった連中は程度の低い『下の区画』に分けられて賭争をする。シロナは、そういった普通の人間を倒し続けて、この『上の区画』に立っていた。

 心術使い。

 彼らの戦いは通常の戦いとは一線を画す。

 なにもない所から、唐突に武器を取り出して敵を打ち倒す。この闘技場のルールでは武器の持ち込みは禁止。厳重に警戒されているにも係わらず、戦っている人間は、何かしら武器のようなものを持っている。

 操っている。

 普通の人間には絶対に立ち入れない領域。

 この闘技場で一定の戦果を残した賭争者は低い区画での賭争を禁じられる。

 貴族は強者が弱者を延々と嬲る姿にうんざりしていたからだ。

 闘技場の出資者たちは戦いに、実力の近い者同士のヒリつくような緊張感を求めていた。

 『上の区画』で戦う賭争者は『下の区画』では戦えない。シロナはつい先日、『上の区画』に上がったばかりだった。

 シロナは自分が『上の区画』で勝ち残れるか不安だった。

 私の力は本物だ。私の決意は本物だ。彼女は確かにそう信じている。

 下の区画にも少数はいる心術使いとも戦い、そして勝ち抜いた。生き抜いた。

 けれど、もし相手の力も本物だったなら。

 そんな不安が彼女の脳裏に渦巻く。負ける要素は極力排除しなければならない。

 どうすれば勝てる? どうすれば生き残れる? どうすれば願いに近づける?

 そんな苦悩の日々の中でシロナは見つけた。心術使いの賭争において最強となるであろう、この男を。


「今の内にひとまずは、どんな戦いが行われているか、見てみましょう」

 クロードは首だけで頷く。

 二人は自分たちの戦いが始まるまでの空いた時間に、他の賭争の様子も見てみることにした。

 四角形の闘技台。その周囲は金網の囲いで覆われていて、決して逃げることなど叶わない。それも当然。ここ貴族の娯楽のための施設。賭争者が逃げ出して、それで終わりなど興がそがれる。

 四角形の角一点とその対角にこれから戦うのであろう人物が二人ずつ待機している。

 クロードとシロナが立っているのは、赤く塗られた柱の傍だった。

 奥に対となる青い柱も見える。

 それぞれの二人ずつの人間が柱の傍から歩み出て、四角形の中心で向き合った。

 見届け人と思しき男によって賭争の文書が読みあげられる。

 お互いの全てを賭けた戦い。

 両組とも有名な賭争者らしく、まだ仕合いが始まっていないと言うのに闘技場は異様な熱気と盛り上がりを見せていた。

 この戦いの勝敗にも貴族によって大金が賭けられているのだろうか。


 戦闘が始まった。

 歓声が辺りを埋め尽くし、耳が割れるほどの騒音を作りだす。

 赤い柱の傍には長いローブを纏った人間。男だろうか。目深にフードを被っている所為で判然としない。その赤側ローブが前に出た。もう一人の、黒い長髪の女はその場から動こうともしない。赤側ローブが仕掛けるつもりのようだ。

 その両手にはいつの間にやらナイフが握られている。

 それに応じて青側の短髪の男が進み出た。

 赤側ローブがナイフで切りかかる。瞬く間に、何度も何度も腕を振る。

 クロードには、『何度か切りつけている』という事実はわかっても、ほとんどその動きが見えなかった。

 速すぎる。

 その全てを青側青年は絡め取るように受けきる。やはりいつの間にか、青側青年の手にも武器が握られていた。

「あれは……鉤爪か?」クロードは目を細めた。

 その時、赤い柱の傍から動こうとしなかった黒髪の女が両手を上げた。指先へと、黒い糸のようなものが伸びて、まるで意思を持っているかのようにうねり、青側青年に絡みつこうと伸びる。

 動きに対応して、青側の少女……と言っていいのだろうか。年頃は良くわからない。

 子供の着るような、繊細に飾り刺繍の施された洋服姿の年若い女性。彼女が小さく動いた。青側の少女が何をしているのか、クロードには到底わからない。

 ただ、赤側黒髪女の糸が中空で爆ぜ、のたうちまわって青側の少女には届かない。それだけは事実のようだった。

 赤側の組みの戦略。

 それは、青側の組みに攻撃を仕掛けさせ、一対一で受けることによって戦力を分断することにあるようだ。青側がコンビネーションを重要視した戦術を得意とするので、分断しようとでも考えているのだろうか。


 と、そのとき。

 急に青側青年の動きが鈍くなった。出血などの外傷は無い。

 だが、確実に、赤側ローブの攻撃が青側青年の身を蝕んだように見えた。

 それを勝機と見たのだろうか。

 赤側黒髪が前に歩み出る。

 青側少女も青側青年を壁に、敵の死角に隠れるようにして前に進み、青側青年の後ろにぴったりとついた。

 瞬間。ナイフで切り結んでいた赤側ローブが背後に吹き飛ばされた。

 青側少女の仕業だろうか。

 クロードには分からないことが多すぎる。

 青側の男が間合いを詰め、鉤爪を振りかぶる。その腕が赤側黒髪の糸によって絡め取られ止まる。隙に赤側ローブが立ちあがる。

 赤側黒髪が何かに足を掬われるように身体ごと宙を舞い、倒れた。

 青側青年が間合いを詰めて鉤爪で薙ぐ。

 その手を食い止めようと、赤側ローブが立ち塞がった。


 直後。

 赤側ローブの身体が、走る馬車に引き跳ばされたかのように、横へと吹き飛び――

 ――勝負が決した。


「驚いたわ」シロナが素直な感想を漏らした。

「どうしてだ?」クロードが問う。

「こちらの赤側の女性。彼女はこの闘技場で最強に近いと言われていたから」

 シロナは妙に遠回しな言い方をした。それを疑問に思って、クロードがさらに聞く。

「最強に『近い』と言うのは?」

「この闘技場で一番強かった人が最近現れなくなっただけ。どこか別の街に移ったのか、それとも負けて全てを失ったのかはわからないけれど」

「で、俺はこの二人と戦うのか?」

「近い内に、戦う事になるかもしれないわね。あなたの力が本物なら」

「無責任なんだな」

「そうでもないわ。あなたが偽物なら――もしも、私の目が狂ってたのなら、私も一緒に死ぬだけだから」

 一蓮托生、と言う奴か。

 クロードにはその言葉が少し、くすぐったく感じた。

 そして彼は誰にも聞こえないように小さく呟いた。

「悪くない」


「さあ、もうすぐ私たちの番よ。準備はいい?」

「準備なんて何もない」

 先ほどの戦闘。

 その根源へと向かう。

 常人であるなら、恐怖で打ち震えるであろう戦闘。

 その光景を目の当たりにしながらも、クロードは事もなげに言った。

 クロードには、なにもない。


 恐怖も、怯えも、嘆きも、虚栄も、奢りも、不安も、なにもない。


「さあ、行きましょう」

「ああ」

 係りに呼ばれて二人は舞台に上がる。賭けるものは二人とも己の全て。

 文書に簡単なサインをする。

 そして、先ほど死闘が行われていた舞台へと歩みを進める。

 シロナは小声で自分に大丈夫と言い聞かせた。

 シロナにはある。


 恐怖も、怯えも、嘆きも、虚栄も、奢りも、不安も、全部ある。


 それはまっとうな人間であれば当然のこと。

 だからこそ、求め、戦い、必要とする。

 唇が渇く緊張感。

 金網の戸を開けて、一歩ずつゆっくりと舞台へ――赤い柱の傍へと立つ。

 おそらく、この舞台に上がった者はみな感じたであろう圧迫的な緊張感をシロナも等しく感じていた。

 例外はクロードのみ。

 真の意味で人生が決まる戦い。勝てば富を負ければ破滅を意味する戦い。

 その恐怖の中ですら、クロードは泰然自若としている。

 シロナは改めてクロードのことを凄いと感じた。

 彼ならば――

 彼と一緒ならば――

 わたしは願いを叶えられる――


 対となる青い柱の傍にも『敵』が現れた。髭を生やした初老の男。樫の杖を持ち、茶色いローブを着ている。

 その後ろには、金色に光り輝く豪奢なドレスを着た女。戦いに赴く姿だとはとても思えないような出で立ち。

「へぇ。あんな格好で戦うのか」クロードはそう呟くも思いなおす。

 頭の上から足の先まで真っ黒なローブの自分。頭の上から足の先まで真っ白なドレスのシロナ。

 自分たちの格好も人のことは言えない。こんな所で戦おうという輩は、頭がおかしい奴らばかりらしい。それも、納得出来る。

 審判人らしき男が、賭争の文書を読みあげている。

 もうすぐ、戦いが始まる。

 ――とはいっても、結論から言えばそれは戦いと言うにはあまりにお粗末だった。


 クロードは舞台の真中まで歩いて後、一歩も動かない。

 しめたとばかりに、クロードを攻撃する初老の男。

 初老の男が振るった樫の棒は、クロードの黒い領域に触れると共に、消滅した。

 困惑し、漫然と同じ攻撃を繰り返す初老の男。

 クロードは何もしない。

 にも係わらず、初老の男の手の中の棒は現れては消え、現れては消え、するだけで、クロードにダメージを与えるに至らない。

 初老の男は狼狽している。その額から、じわりと脂汗が滲み出している。

 後詰めとしてその様子を観察していた、豪奢な女が業を煮やして宝石を飛ばした。

 過剰な装飾。それこそが彼女の武器。

 宝石たちは中空でお互いにぶつかりあって細かな破片となってゆく。

 鋭利な破片と化したその宝石たちは崩れゆく憂愁の美を湛えながらクロードへと迫る。

 クロードは目の前に脅威が迫るにも係わらず、ただ、呆然と考えていた。

 武器の持ち込みは、禁止されているはずなのに。これはアリなのか――と。

 弾丸と化した凶刃。

 しかし、それすらも、クロードに触れる前に失速。

 クロードの黒い服に阻まれてキラキラと細かな欠片は地へとただ落ちてゆく。彼を傷つけるには至らない。

 二人の敵に驚愕の表情が浮かぶ。

 ただただそこに佇むだけの男に、『敵』は心の底から恐怖していた。

「ねぇ、お二方。もしよろしければ、降参して頂けませんか?」シロナはにこやかに話しかけた。

「誰が降参なんて――」毒づく女。そんな女へとシロナは冷徹に告げる。

「なら、クロード。二人とも殺して下さい」

 クロードは動かない。

 戦闘前には、何かをしろとは言われていなかったからだ。

 初老の男と豪奢な女は、未知の恐怖に怯え全身全霊を持ってクロードを攻撃した。巨大な樫の棒と煌びやかな宝石の渦がクロードの視界を埋め尽くした。

 尚も佇むクロード。

 主催者がアリだと言って、賭争を止められないのだから、あれはアリなんだろうな。

 宝石に関してクロードがそう結論づけた時、二人の敵は力を使い果たしてぐったりと崩れ落ちた。

 戦いが終わった。


「――これは本当に賭争なのか」クロードはそう呟いていた。

 クロードにはそれが賭争とはとても思えなかった。

 自分は本当に何もしていない。相手の攻撃が何故か効かない。結局、俺は生きている。

 シロナの見る目とやらは確かだったようだ。


「御苦労さま」シロナはとても嬉しそうに笑った。

「ああ」たった五分ばかりで、あと十年は暮らしていけるほどの大金が手に入った。

「やっぱり、大丈夫だったでしょう」

「ああ」クロードは実感が湧かぬと言った面持ちで答えた。


 この場で行われているのは心を摘む戦い。

 クロードにはまるで実感出来なかったが本来ならば心術による攻撃は心に響く。人の負の感情を狩りたてる。過去の忌まわしき記憶を呼び起こす。

 シロナはその恐ろしさを心の底から熟知していた。

 心術の威力を支えるのは、術者の自信。勝ち抜いてきた自負。

 絶対の自信をもつ技を掻き消され、敗北を意識した人間に勝利は訪れない。


 それから二人は、地下闘技場を制覇した。

 綿密な知略を持って挑むシロナと、心術に対して最強とも言うべき特性を持つクロード。

 心術の効かぬクロードに恐れをなして、逃げまどい敗れる者。

 勝利を確信し開始直後に全身全霊をもって、クロードを叩きつぶそうとした者。

 クロードを無視してシロナを集中狙いしようとするも、クロードを盾にされ返り討ちにあう者。

 二人は多くの者と戦った。

 けれど、二人は只の一度も敗北を覚えなかった。

 二対二の頂点となって挑戦者を待つ日々。その中で莫大な富を手に入れていた。

 シロナは自らが着実にその目的へと近づいていると実感していた。


 その日々の中。クロードを包む黒い衣。その闇が以前よりもより深くなっていることに、二人はまだ気づいていない。

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