↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クソボケ激メロ術師の現代伝奇バトルでハーレム構築スローライフ希求譚  作者: 所羅門ヒトリモン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/37

第17話「青墨夏乃は激怒した」



 青墨夏乃は激怒した。

 必ず、かの不埒者どもにお灸を据えてやらねばならぬと決意した。


 夏乃にはキスが分からぬ。

 ファーストキスは幼い時に兄に捧げたが、幼なすぎたし家族なのでノーカウントである。


 だが学校の友人たちにはそれとなく経験済みだと匂わせ、密かにモテ女を装っている。


 夏乃には健全な男女の適切な距離感での交際関係が、どれくらい節度を保ったものであるべきか分からない。


 知識はすべて少女漫画(バイブル)由来である。つまり完全なるフィクション頼りだ。


 血の繋がった実の兄の、生々しいあれやこれやにも興味が無い。


 というか想像をしたくない。


 夏乃は秋水が大好きである。

 妹として、兄が好きである。

 家族愛と兄妹愛。

 これは疑いようのない純粋な愛情である。


 なので、いくらブラコンを自認している夏乃であっても、家族のそういう生々しい部分に関しては普通に目を逸らしておきたかった。


 夏乃のなかで形作られた〝お兄様像〟は完璧であり、無敵かつ最強でなければならない。


 背後には常に薔薇を咲かせ、お耽美に乙女を惑わすのだ。

 そして純潔を保ちつつも、男性として絶えず女性をリードしてくれる、優しいドスケベボディ・ジェントルマンでなければならない。


 だから夏乃は、その聖性を穢される恐れのある自分にとって不都合な現実とやらは、極力、己が海馬に刻みつけたくなかった。


 間違っても、長期記憶として脳全体に定着させたりはせず。


 たとえ術式を使ってでも、己が大脳皮質を鉄壁の防御で守護(しゅご)る所存であった。


 然れども。


「ただいま。帰ったぞ」

「おかえりなさいませ、お兄様……」

「ああ。今日も大事なかったか?」

「え、ええ……わたくしは何も問題ございませんわ……」

「? そうか。それは良かった」


 キ ス マ ー ク が ッ !

 増 え て い る ッ !


 家に帰ってきた秋水を出迎え、健気で愛らしい最高妹として鞄なんかまで受け取って。

 夏乃は普段と変わらないニコニコ笑顔で平静を装ったが。


 ボケボケした兄が玄関から廊下へ進み、リビングを通り抜けて洗面所へ向かう後ろ姿に〝ギ リ ィ ッ〟と歯軋りを堪えきれなかった。


「うっ、いけませんわ……」


 苛立ちのあまり、頭に血が上りクラクラ。

 ふらっと壁なんかにも、もたれかかってしまう。

 そこを、心配した式神──ヒナギクが霊体化を解いて支えてくれた。


 地獄のような黒と、地獄のような赤。


 和風ゴシックな衣装をまとった人ならざる美女が、惚れ惚れするような所作で夏乃の肩に両手を添える。


「大丈夫? 夏乃」

「ファック」

「またそれなの!?」


 ヒナギクが愕然とした。

 目隠し布で顔は半分近く隠されているが、この頃この式神は夏乃の口の悪さに衝撃を隠し切れないようだった。


 でも、しょうがない。ファックったらファックなのだ。おファック。


「ああ、もう……ほんとうに、おファックですわ!」

「〝お〟をつければ丁寧になるワケじゃないわよ!?」

「シャラップですわ」

「……ああ、どうしてこう……異国の汚らしい言葉ばかり使うようになってしまったのかしら……昔はあんなに純粋で佳い子だったのに」


 何やら主人に対して、思うところのありそうな嘆きだったが、夏乃は「ハン」と鼻を鳴らして無視する。

 今はそれどころではない。


「どうしてもこうしても、見ましたわよね? あれ!」

「なんのことよ」

「お兄様の首筋ですわよーッ!」


 歯と歯の隙間から、夏乃は囁くようにして叫ぶ。

 すると、ヒナギクは得心がいったのか「ああ」と納得の色を見せた。


「口吸いの痕のコトを言ってるの」

「事情は理解していますわ! でも! どうして! 首筋なんかに痕がつくんですのよ!?」

「……お可愛いこと」


 顔を真っ赤にして呻く夏乃に、ヒナギクは途端に慈愛に満ちた顔色を作り上げた。

 そこには男女間のあれやこれやに関して、絶大な経験値差が如実に空気感として顕れていた。

 夏乃はキレた。


「は? ブチ殺しますわよ?」

「こわっ! ちょっとッ、キレすぎよ?」

「わたくしをお子様と憐れみましたわね?」

「事実そうなんだから、そこを認めないのは余計にお子様でしかないんじゃない?」

「ぐぬぬ……」


 正論だったので夏乃はハンカチを取り出し、噛んだ。

 ヒナギクは「今日日、ほんとうにハンカチを噛む人間ってどれだけいるのかしら……」と困惑していた。

 だが、夏乃がハンカチをガジガジして涎まみれにし続けていると、


「……まぁ、あれよ」

なんですの(ふぁんれふお)?」

「盛り上がってくると、そういう事もあるものなのよ」


 ヒナギクはどこか母親のような口調で、嘆息混じりに諭してきた。

 盛り上がってくると、そういう事もある。


 言うまでもなく、それは秋水と鳶瀬山家との例の件を示唆していた。


 夏乃は半目になってヒナギクを睨んだ。

 ハンカチから口を離し、あまりに強く噛みすぎたせいでべちょべちょに尖ったそれを、ビシィ! と式神の顔面に突きつけながら。


 少しだけ冷静さを取り戻して、声のトーンを下げる。

 ハァン? と下から睨みつけるようにもして。


「無論、わたくしとて分かっていますわ」

「汚いのだけど……」

「汚くありません。さっきハミガキしましたから、ミントの香りがするはずですわ」

「だとしても嗅ぎたくないわよ!」


 時刻は深夜の十一時。

 普段ならとっくに寝床についている時間だったが、今日は秋水がA.N.O.M.A.L.Y.退治に出動する必要があった。


 詳細は省くが要するに、さっきまで夏乃の兄は鳶瀬山家と一緒に、仲睦まじく現代伝奇活劇とラブコメディを演じてきたというワケだ。


 汐坐市内の二段階目到達者は、すでに秋水だけではなくなっている。

 彼女たちは秋水をメンターとしながら、北嶺区以外のあちこちでも〝筆頭の補佐〟として働きながら、順調に活躍の芽を伸ばしていた。


 それ自体は、素晴らしい事だ。


 人類視点で、A.N.O.M.A.L.Y.の脅威に対抗できる人間が増え、夏乃視点としても行く行くは兄の負担や安全面に期待が持てる。


 けれども?


「ッスぅぅ〜〜」


 何だろう。

 何となく、ないがしろにされていないだろうか?


 秋水にとって掛け値なしに最高妹であるはずの夏乃が、今夜もこうして、ひとり寂しく家で兄の安全をゲボ吐きそうになりながら祈っていたというのに?


 秋水はこれまでなら、A.N.O.M.A.L.Y.を退治すれば真っ直ぐ夏乃のもとに帰ってきたところを、大変不埒な時間を挟んでから帰ってくるようになった。


 ──この怒り、分からないか。


「うるさい女ですわね……その目隠しとこのハンカチ、交換させますわよ?」

「やめて」


 絶対服従であるヒナギクが、「なんて恐ろしい子……!」とたちまち震え上がった。

 自身の目隠し布を両手で押さえ、白魚のような指先が綺麗にこめかみの上で並ぶ。


 その怯えように、夏乃は「う〜ん♪」と喉を鳴らして少しだけ溜飲を下げ、ハンカチの位置を維持してやることにした。

 ヒナギクは殊勝にも、態度を一変させた。


「そうよね、分かっているわよね?」


 猫撫で声だった。


「ええ、もちろんですわ。そう言ってくださると、信じていました」

「私は貴方の式神だもの。当然よ」


 麗しい主従愛が、ここにある。

 恐怖だ。

 やはり恐怖こそ、最大のぱわー。

 夏乃はうんうん、と頷きを繰り返した。


「男女が時に熱くなりすぎると、いろいろ歯止めが効かなくなってしまうものなのは分かっていますわ。わたくしこう見えて、たまに少女漫画だけでなくレディコミにも手を出しますの」

「笑止」

「あ?」

「造詣が深いのね。感服するわ」

「そうでしょうそうでしょう」


 レディコミ。

 レディースコミック。

 ちょっと大人向けの漫画。

 対象年齢が低めの少女漫画でさえ、なんでかは知らないもののエッチな濡れ場シーンは結構あるのだ。


 昔、まだ小学生だった秋水が夏乃の蔵書を「あ、悪魔の書物だ……」と。

 まるで中世の敬虔な神父のごとくショックを受けていたのが思い出深いが、まったくもってとんでもない話である。


 夏乃は読ませた張本人だからこそ断言できるが、これがどれだけ優れた教養本かは、もはや感無量すぎて筆舌に尽くし難い程だった。


 なお、たまに結構エグめのものもあるので、そういうのを間違って買ってしまった時は、夏乃は自室の〝もっと大人になったら読む用〟の本棚に大切にしまっている。


 出会い方が悪かっただけ。


 心の準備ができていなかった。


 だから決して、捨てたりはしない。

 それが夏乃の創作物全般に対するリスペクト精神。


「思考がズレてるわよ」

「プライバシーも何もあったものじゃないですわね」


 少し内面に埋没し過ぎたためか、ヒナギクに注意を受けてしまった。

 コホン、と咳払いを挟んで夏乃は目にかかった前髪をはらう。


 思考の共有や念話の類いが、鳶瀬山家だけの専売特許だと思ったら大間違いなのだった。


 式神と真に絆を深めた伝奇術師は、この程度は余裕でやる。

 まして、『紅の伝奇姫』とも呼ばれる夏乃とヒナギクであれば、こうした対面での会話もほんとうは必要ない。


 それでも互いの顔を突き合わせて舌を動かし話すのは、やはり人間、そっちのほうが楽しいからだった。


 もっとも、ヒナギクは人間ではないけれど。

 人間らしい姿形をし、人格も持ったA.N.O.M.A.L.Y.なので結局は同様である。


 これは余談だが、意思の疎通が図れるA.N.O.M.A.L.Y.は、なにかと会話好きが多い。


 それはやはり、A.N.O.M.A.L.Y.が根底に持つ『物語』としての本能から来る習性なのかもしれない。


 何にしても、夏乃はヒナギクとの会話が好きだった。

 生まれた時から一緒なのだから、夏乃が愛しているのは一に秋水で、二がヒナギク。


 祖父も愛してはいたが、その順番は彼が存命だった時から実は変わっていない。


 不思議な話だった。

 かつては殺されかけた仲だというのに、ふたりはいま、姉妹のようにじゃれ合っている。


「夏乃」

「分かってますわ」


 まだ思考が、埋没から戻り切っていなかったからだろう。

 今度は名前を呼ばれて、意識を引っ張り上げられる。

 夏乃はとことん、自分は妹気質だと思い知らされながら、頭を振って話を元に戻した。


「ええ。要するに、わたくしが言いたいのは一つでしてよ」

「なによ?」

「お ま え が 諸 悪 の 根 源 で す わ」

「きゃぁぁぁああああ!?」


 濡れそぼったハンカチの先っぽを、ヒナギクのほっぺたに押し付けた。

 するとヒナギクは高い悲鳴をあげて、顔をのけぞらせた。

 上等そうな布の袖で、式神は咄嗟に顔を拭おうとする。


 しかし、着物への愛着が高いため、ヒナギクは夏乃の胸元に顔を突っ込みゴシゴシと頬を動かした。


「あっ! こらっ! なにをしますの!?」

「ばっちぃ! それに、わびしいわ!」

「──胸のことを言いまして?」

「それ以外の何があるのよこの薬味おろし!」

「キィィィィィィィィィィッ!」


 まさか、自身の胸の発育具合を削り系の調理器具に喩えて揶揄(やゆ)されるとは思わず、夏乃は発狂した。


「よりにもよって薬味おろし!? 失礼ですわね! ちゃんとあるでしょう! 慎ましくも上品でエレガンスな膨らみが!」

「無いわ! この国の消費税が下がることと同じくらい、無いわ!」

「なんですって……!?」


 酷すぎる。

 いくらなんでも、いまのは言い過ぎだ。


「わたくしBはありますわ! AAAならまだしも、なんてことを言いますの! それに将来のことはまだ、分かりませんでしょう!?」 

「消費税の話!? 胸の話!?」

「ど、どっちもですわよ……!」


 日本の一般国民として、一応、夏乃は消費税が下がる可能性も捨てがたかった。

 にしてもこのA.N.O.M.A.L.Y.……さては時々、近所のスーパーにお使いに行かせていることを根に持っているに違いない。


 夏乃は少し反省した。


 ヒナギクは見た目だけなら、ほとんど人間と変わらないため、変装さえさせてしまえばA.N.O.M.A.L.Y.とは気づかれない。

 だが、本来なら調伏済みのA.N.O.M.A.L.Y.であっても、一般人の目に晒すことは御法度だった。


 秋水に知られたら、割と厳しく叱られてしまう。


「っていうか、なんで私が諸悪の根源なのよ! 私が何かした!?」

「どの口で言ってますの!? ペナルティに一日一回のキス!? ああ、いやですわいやらしい! この破廉恥妖怪口吸いお化け!」

「破廉恥妖怪口吸いお化け!?」


 ヒナギクが「んなッ!?」と、今度は純然たるショックから顔をのけぞらせる。

 ふたりは廊下で距離を取って睨み合った。

 そこに秋水がリビングから顔を出した。


「こら。近所迷惑だぞ」

「「ごめんなさぁい……」」


 ふたりが可愛らしくシュンと謝ると、秋水は「分かればいいんだ」と相好を崩して顔を戻した。


 が、秋水の視線が無くなった途端、廊下にズゥゥン……と重厚な緊張状態が戻る。


 長い黒髪の女たちは、無言のままバチバチと火花を散らした。


「フン、どうやら私たち、久しぶりに喧嘩をする必要があるみたいね?」

「ッは〜〜、しっかたありませんわね〜、そんなにご主人様にかまってほしいんでちゅの〜?」

「このガキ……!」


 ピキピキ。

 残念ながら煽り性能は、令和の深層系Webに親しみのある現役JK夏乃に軍配が上がった。


 信じられないだろうが、こう見えてふたりとも、外では百人が百人振り返るクール系の日本美人で大和撫子である。


 ふたりの雰囲気を擬音で例えれば、どちらも"しゃららん……"だ。


 なので秋水さえ関わらなければ、ふたりがこんなふうになる事は一切ない。

 ふたりの名誉のため、それは念のため明言しておこうと思う。


 とはいえ、先に大人になったのはヒナギクだった。


「……まぁ、たしかに問題かもしれないわね」

「んみゅ?」

「可哀想な子たちだったから、ついこれまで優しく見過ごしてきちゃったけれど、最近はちょっと調子に乗っているかもしれないかしら?」

「あら。やっと分かったんですの?」

「さっき、顔だけ出した秋水を見たら、たしかに目立っていたから」


 首から上だけ視界に入れた際に、ヒナギクは思いのほか、鳶瀬山家が秋水につけた〝マーキング〟を鬱陶しく感じたらしい。

 艶やかな着こなしの和装から、豊満な乳房の谷間を大胆に露出しているのに、両腕を胸の下で組んでさらに強調するような体勢を作った。

 本人は遺憾の意を表明しているつもりらしい。


 とても、重たそうな、おっぱいだった。


「……」


 夏乃はイラっとしたものの、式神が自分の意見に賛同しそうなところなので、懸命にグッと唇を引き結ぶ。

 そうしていると、ヒナギクは次第に矢を継ぐように口を開いた。


「だいたい、千歳と言ったかしら? 特にあの子、秋水の一番目気取りで佳い人気取りが、たまに鼻につくのよねぇ……そうは思わない?」

「仕方ありませんわよ。お兄様は罪なお方ですもの……現代では、彼女ヅラと言うんですわよ?」

「あら、へぇ? そう。彼女ヅラ? 言い得て妙ね……」

「けど、お兄様の一番というなら、それはわたくしたちの、どちらかでしか有り得ませんわ」

「いいえ、それは違うわ」

「え?」

「秋水が一番に愛しているのは、妹である夏乃。次が私」

「……あ、あら」


 てっきり、同意が返ってくるものと思っていた夏乃は、思わぬ返答に数瞬、言葉を見失う。

 しかし、ヒナギクは特におかしな事を言ったつもりは無いのか、自身を一番じゃないと認めつつも平然と言葉を続けた。


 ヒナギクもまた、秋水には並々ならぬ想いを抱えているはず。

 だが、青墨家兄妹の間には何人(なんぴと)も立ち入れないと、まるで常識のように認識しているようだ。


 秋水と夏乃。


 ふたりは何処まで行っても兄妹の関係なので、事実上の一番目はヒナギクだから、というナチュラル傲慢的な考え方なのかもしれない。

 が、だとしても夏乃は頬が緩んでしまった。


「っていうか、あの子たち夏乃に挨拶もまだなのよねぇ……どうしたものかしら?」


 しかも、ちゃんと夏乃自身を(おもんばか)った言葉までかけてくれる。


 やだ、好き。


 言葉が実際、喉から飛び出る寸前まで行った。

 もちろん、バレたら恥ずかしいので巧妙に思考封印を行い、夏乃はヒナギクには悟られないよう完璧に感情を誤魔化した。


 幸い、それは上手く行ったようだ。


 ヒナギクは鳶瀬山家への嫉妬に集中していた。


「接吻くらいで大騒ぎするつもりは無いわよ。でも、出会った順番で言ったら私が先よ? 好きになったのも私が先。あの子たちには、誰のおかげで今の幸福があるのか……思い知らせてあげる必要があるわね……」

「まったくですわ」


 夏乃はもっともらしい顔を浮かべて、合いの手を打った。

 と同時に、ちょっぴり心臓を掴まれたような気分になる。


 式神の横顔。

 そこに照明の角度か、偶然にも深く入り込んだ陰影。


 ……ヒナギクのA.N.O.M.A.L.Y.としての名前は、封印されている。


 しかし、もちろん封印される前の名前を識っている夏乃は、主人の身であっても時折り薄ら寒いものを思い出してしまう。


 忘れてはいけないし、忘れられる事実でもないが。


 目の前にいるA.N.O.M.A.L.Y.は、正真正銘の化け物なのだ。

 先ごろ調伏された姦姦蛇螺に、ハルミという名前があったように。

 ヒナギクという名前も、この化け物が数多の〝畏れ〟を被る前に持っていた〝語られざる〟四文字でしかない。


 今でこそ、式神として完全に夏乃や秋水に絶対服従しているが、調伏される前はほんとうに大変だった。


 先代筆頭、青墨秋蔵亡きいま、果たして誰が知っていようか?


 十年前、汐坐市は日本地図から、永遠にその名前を消される寸前まで行ったのだ。


 だから、夏乃とヒナギクが手を組んで肩を並べ合い、鳶瀬山家の面々を蛇のように睨んで圧をかけてやれば……不埒者どもめ、さぞや震え上がるに違いない……!


「スゥゥ……やれやれ。お兄様はお忘れのようですが、わたくしたちはまだ学生の身空でもありますし?」

「そうね。人間なら、少しは人間らしい節度を保って生活してもらわなくちゃ」

「では、やるんですのね?」

「ええ。やるわ。格付けは早めにつけておくに越したコトはないもの」


 主人と式神は見つめ合い、同時に頷いた。


「それではいざ! 『小姑(こじゅうと)大作戦』明日からさっそく開始ですわーッ!」

「えっ、ちょっと! そのネーミングセンスには異議ありよ!?」


 ヒナギクは小姑を自称するのを、心底嫌そうに拒否した。

 夏乃は「そりゃ、そうですわね」とケラケラ笑った。


「はぁーっ、まっ、そうと決まれば善は急げ。明後日はたしか、お兄様が()()()()の予定でしたわね?」

「私は小姑じゃなくて正室」

「なら、『側室いびり大作戦』というのはどうですの?」

「……それなら、まぁ」

「では決まりで。ほんとうに、ちょうどいいですわね」


 廊下にかけられたカレンダー。

 夏乃はそれに、明後日の予定を確認する。


 ──『第七次中央山域魔境化抑制作戦』


 そこには、真っ赤な太字で書き殴られた忌々しい作戦名が記されていた。


 日本の各都市・各伝奇術師協会に籍を置く筆頭術師には、定期的に市外任務への要請がかかる。


 明後日の場合は通称、中央道掃討戦。


 選ばれし術師だけが動員される、極めて危険な任務だ。

 秋水はそこで、汐坐の外にいる筆頭術師と協働的にA.N.O.M.A.L.Y.の討伐に当たる。


 汐坐の外だと、大結界のせいで夏乃ヒナギクの霊視も届かない。


 よって、市外任務当日は協会の観測局に足を運び、モニター越しに兄の安全を祈るしかない。


「鳶瀬山家の方たちにも、明後日は来てもらいましょう」


 真面目な話。

 秋水がいなければ、夏乃たちの人生は総じて暗いものでしかないのだから。

 夏乃は強がって、薄い胸を「フンっ」と張った。


「現実を突きつけて、いびっていびっていびり倒してやりますわーッ!」

「うーわ」


 ヒナギクはボソッと、「小姑一人は鬼千匹に向かう、ね」と肩をすくめた。

 地獄の官女らしい失礼極まることわざチョイスだった。




 ────────────────────


 tips


 ◆ヒナギク|脅威レベル8

 青墨夏乃の術式として顕現したA.N.O.M.A.L.Y.そのもの。

 分霊ではなく本体だが、いろいろあって多少弱体化はしている。


 黒と赤を基調にした上等な着物を、艶やかなゴシックロリータ風に(こしら)え着こなし、両目を目隠し布で覆っている。


 A.N.O.M.A.L.Y.としての本領発揮時には、手には曼荼羅を内包した和傘を携え、周囲に赤燐の揚羽蝶、血吸いの彼岸花、天蓋に浮かぶ巨大な糸車などを出現させる。


 外見は古き良き黒髪の日本美人。

 色白でたおやか。小さな桜色の唇。

 しかして妖艶。高貴かつ可憐な妖しい美少女。


 地獄の官位を持つようだ。


 十年前、汐坐市内にて青墨秋水の手で調伏された。

 以来、青墨家兄妹を主人として絶対服従状態にある。

 秋水と夏乃が大好きで、その死後も貰い受ける予定。


「ずっと一緒よ」


 ややヤンデレ。


 術師殺害率:99% 

 ※術師殺害率とは、基本そのA.N.O.M.A.L.Y.が無害化等されていない状態で、伝奇術師と野生遭遇した際におけるパーセンテージです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。