平民に憧れる男爵令嬢、婚約者からの溺愛には勝てません。【2000文字】
「市井に降りた〜い!」
「到底婚約者の前でいうセリフとは思えないね、アステリア」
「男爵令嬢なんて平民の皆さんと、大して変わらないと思わない?」
「我が伯爵家と婚約している時点でだいぶ違うな」
「そんな家格の高いところと婚約している方が不思議よ」
「僕も連れて行ってくれるなら、平民になってもいいよ?」
「…まだ命は惜しいわ、伯爵家に殺されたくない」
「そんな物騒なことはしないさ」
婚約者であるセオドアは、ケタケタ笑って紅茶を飲んだ。
今日はセオドアがお茶をしに来る日。
相変わらず私の平民になる夢は諦められず、セオドアに愚痴を零している。
こんなことを言って笑って流してくれるのだから、セオドアは相当変だし、かなりいい人だ。
「セオドアならもっといいお嫁さんがもらえるじゃない」
「アステリア、それは怒るよ?」
「…うっ」
「僕が望んだ婚約なんだ。アステリア以外、有り得ない」
10歳の時に、歳の近い貴族の令息令嬢が集まる大規模なお茶会があった。
セオドアとはその時出会った。
私はもうその頃から家を抜け出しては街に行って、花売りの手伝いをしたり、食堂のゴミ捨て当番をしたりと、じっとすることなく平民への憧れを行動に移していたから、あまりにも退屈な時間だった。
そして抜け出そうとしていたところを、セオドアに見つかった。
「何をしているの?」
「逃げ出すのよ」
「どうして?」
「こんなところにいたら干からびちゃうからよ!」
意味がわからないといった顔で、セオドアが大笑いしたのはよく覚えている。
そのあとすぐに縁談の話が来て、両親がそれに応じたのはまさに疾きこと風の如く。
そりゃあそうだ、よくて同じ男爵か、裕福な商家に嫁ぐかが関の山だったのだから。
「…セオドアってやっぱり変」
「君といたら一生退屈しなさそうだと思った12歳の僕は慧眼だったろう?」
三日月の目が私を逃さないように見つめてくる。
この目は昔からちょっと苦手だ。
セオドアから本当に逃げられない気がするから。
「アステリア、君にプレゼントがあるんだ」
いつにも増してニヤニヤしたセオドアが、私を連れ出して街に出た。
「セオドア、どこまで行く気なの?」
「まあまあ、もう着くよ」
平民街をずっと奥まで進んでいくけど、詳細は教えてくれない。
あ〜あ、いいなぁ…、私も住んでみたいなぁ。
「さあ、着いたよ」
そう言って、セオドアはこぢんまりとした家を手で指した。
小さな庭付きの家族3人が暮らせるほどの家だ。
セオドアが何を言っているのかよくわからなくて首を傾げた。
ニコニコしながらセオドアは、私の手を引いた。
「この家を買ったんだ」
「…えっ!?」
「アステリアが好きそうな雰囲気だろ?」
セオドアは鍵を開けると、躊躇うことなく家の中に入った。
私も連れられるままに、なんの気持ちの準備もなく入っていく。
カントリー調の落ち着いたトーンでまとまった、素朴な家だった。
「平民にはしてあげられないからね。せめてものプレゼントだよ」
「…プレゼントの域を超えているわ」
「アステリアのためなら、これくらいプレゼントの範囲さ」
私の頭を撫でて、満足そうにしている。
「…ここに住んでいいの?」
「毎日は無理だけど、結婚したら週末はここで過ごそう」
「隣近所の奥様たちと交流してもいい?」
「いいよ」
「どこかに働きに行くのは?」
「うーん、それはしばらく様子を見てから考えさせて。前向きには検討するよ」
「セオドアって、やっぱり変」
「喜んでもらえたのかな、婚約者様?」
セオドアは後ろから私を抱き締めて、腕の中に閉じ込めた。
そのあたたかさと、安心する匂いに、私の方こそこの人から離れられないんだろうなと思わされる。
…本当はわかっていたんだと思う。
セオドアのように私の貴族らしからぬところを一緒に楽しんでくれる人はいないし、セオドアの用意してくれる自由の中を泳いでいることにも。
今でも街に出て行って叱られないのは、セオドアが守ってくれるからだ。
この腕の中を窮屈に思ったことは一度もない。
そのことに、私が心底安堵していることにも。
「今まで貰ったものの中で一番うれしい…!」
「その笑顔が見られるならいくらでも頑張れるね」
「セオドアは私に甘いよね」
「好きな人を甘やかすのは、男の特権だろう?」
ぎゅっと力が込められて、私も背中をセオドアに預ける。
憧れているだけで、それになる覚悟はなかったんだろうな…。
私、セオドアの隣がいいな。
「ちなみにだけど、アステリア」
「ん?」
「平民になるなら、婚前に関係を持ってもいいってことになるね?」
「…え」
「貞操を気にするのは貴族だけだからね。僕が今から君の全てを貰っても、何も問題ないわけだ」
「え、っと」
あの三日月の目が私を見据えていて、少しだけ身震いした。
やっぱりこの目は、逃がしてくれないと刻み込んでくる。
「そ、それはまだダメ…!」
真っ赤になって慌てると、瞼へのキスが落ちてきた。
「残念、今すぐにでも平民になれたらよかったな」
了
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