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第九話 ルイーザの恋心



 ヘイゲンはしばらく牢屋に入れられる事になったと、ルイーザらが屋敷に到着してからほどなくして帰宅した父は言った。


「なんて馬鹿な真似をするのかしら。おとなしくしていれば、いずれ他の方とのご縁もあったでしょうに、大勢の前でルイーザに迫るなんて」

 母には帰宅してすぐに学院での事の顛末を説明してあったが、大変お怒りだ。


「婚約者は他の男に取られて、その婚約者のために耐えていた一族の中での冷遇にいよいよ嫌気がさしたらしいが、自業自得だと言っておいたよ。

 それにしても、セドロセン侯爵家とは完全に縁を切らなければならないね。息子一人監視しておけないのでは先が思いやられる」

 父も珍しく苛立った様子で言った。


 ルイーザは元婚約者への思い入れは全くなかったが、流石にセドロセン侯爵家全体に影響が及ぶのは気の毒だと思った。侯爵家に対する貴族社会の対応は変わるだろう。ルイーザの父親を怒らせるというのはそういう事だ。


 父は「今日はもう仕事をしたくない」と言い出して、魔法省の長官である事を示す刺繍が襟元に施された、くるぶしまでの長さがあるローブを脱いで執事に押し付けた。


「レオン。付き合ってくれ。体を動かしたい」

「閣下、私は試験勉強をしなければならないので、誰か他の人を連れて来てください」

「無理だよ。彼らに仕事を丸投げして来たんだから」


 レオンは抵抗もむなしく父に連れて行かれた。庭のどこかで剣を打ち合わせる二人の姿が目に浮かんだ。


「まったく、仕方のない人。ルイーザ、あなたも試験勉強をしなければならないのでしょう?」


 今日受けられなかった授業内容については明日にでも確認しなければならないが、他の科目の試験勉強には影響がないため、すぐにでも図書室に行って勉強をするつもりでいた。

 ルイーザがそう言うと、母は頷いた。母は学院に通った事が無いから、「試験なんて大変そうよね。適当なところでレオンを解放するようにあの人に言いに行った方がいいのかしら」と首を傾げる。


 ルイーザの父親は一年で全課程を修了して学院を早々に卒業してしまったらしいが、試験の大変さは分かっているはずだ。だからレオンにも無理はさせないだろうと思ったが、そんな父にとっては試験は特に大変なものではなかったかもしれないとルイーザは気づいた。


「是非とも、声をかけてお父様を止めて下さい」

「分かったわ」


 ルイーザは席を立とうとして、そういえば、と思った。

 母は働く必要のない人ではあったが、何か夢を持った事はあったのだろうか。そう聞くと母は「まったく無かったわね」と言った。


「でも勧誘がしつこくて」

「勧誘ですか?」

「ええ。外交官にならないかとね。私はあなたと違って魅了の力を持っている事を隠していなかったから。

 でも、私程度の力で出来るのは他国へ嫁いで間者になるという事くらいだったの。もっと強い力を持っていれば違うのでしょうけれど。そんな事をするのは嫌だったから、父を通して何度も断ったわ。

 そうこうしているうちにあなたのお父様と結婚してしまったから。あなたの歳では、もうあなたを産んでいたし」


 魅了の力は確かにそのような任務にはうってつけだろうと思いながら、ルイーザは母に挨拶し、一度自分の部屋に立ち寄って教科書を手に持つと図書室へ向かった。


 その途中、窓の多い回廊を歩いている時にレオンの叫び声を聞いた。外を見ると、レオンが父に付き合わされて剣を振るっているところだった。

 昔はよく目にした光景だが、レオンが騎士団に出向くようになってからは見た記憶がない。回廊のある二階から窓越しにその様子を見るために彼女は立ち止まった。


 どうやらレオンが劣勢のようで、何度も挑みかかってはかわされて、大きな声で悪態をつく。


 父は魔法使いのくせに剣術の腕も立つのだとレオンは一時期よく口にしていた。父は「本職に比べたら全然だよ」と言うのだが、レオンは魔法禁止の練習試合でも一度も父に勝てた事がないらしい。


 レオンは今では父と背の高さが変わらないし、肩幅などはレオンの方が広いように見える。

 レオンが剣を振る姿に目が吸い寄せられていると、父がほとんど動いていない事に気がついた。防御魔法でも使っているのかと思った。だが、流石の父でも術の発動には多少の動作が必要だ。だがそのようなそぶりはない。

 何度目かの撃ち合いの最中、地面に倒れたレオンが起き上がりざまに大声で悪態をつきながら上着脱いだ。


 その瞬間、昨夜、彼が服を脱いでいた場面を思い出し、ルイーザは一人赤面した。掴まった背中もとても硬かった。その感触が手の平に蘇った。

 心臓がおかしかった。先ほど学院から戻るために転移魔法を使った時に彼の手に触れた時もそうだった。

 痛みとも甘さとも取れるような波動のようなものが心臓を駆け巡っているかのようだった……。


 そう思った所で唐突に、友人であると思っていた頃のソフィアが話していた事を思い出して、急いで図書室に向かった。


 彼女は司書が不思議そうな顔をするのにも気づかずに、これまでほとんど読んだ事のない恋愛小説を手に取った。

 ソフィアは恋愛を扱った本が好きで、よくそれらの本について語っていた。「胸が高鳴る」だとか「ドキドキする」のだとか言っていた。

 ルイーザはそれを聞いても、その気持ちがよく分からず、曖昧に頷くしかなかったのだが。


 ルイーザは小説をめくり、その文言を見つけた。その小説の主人公が慕う相手に二度目に会った瞬間に「彼女の心臓が早鐘と打った」と書かれていた。主人公はそのお相手に恋をしているのだという。


 ではルイーザが先ほどレオンを見ていた時に心臓に異常を感じたのは、恋をしているから起こった事なのだろうか。自分はレオンに恋をしているのだろうか。


 あまりに突然の思い付きにどうして良いかは分からず、とりあえずその小説を持って自分の定位置であるテーブルに向かった。お気に入りのクッションが置かれている椅子に腰かける。


 ルイーザはいずれこの家を継ぐ。跡継ぎを残すために釣り合いの取れる身分の男性と結婚しなければならない。

 だから、レオンに対して感じる気持ちが恋だったとしても、その気持ちには蓋をしなければならない。

 ルイーザは気持ちを隠す事に慣れていた。心を乱さないために自分の感情を押し隠すのが当然だと思っている。むしろそうしなければ恐ろしい目に会うと、恐怖心を植え付けられる出来事に、幼い頃から何度となく遭遇してきた。


 ルイーザはきつく目を閉じると、思わず持ってきてしまった恋愛小説を机の隅に追いやって、勉強に没頭したのだった。



つづく……

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