第十五話 エピローグ
ルイーザはその部屋の中心にいた。文字通り、座っている席も、その場の空気を支配しているという意味でも、彼女無くしてはその空間が成り立たない状況だった。
その部屋は隣国の王宮の一室だった。
彼女は胸の辺りで両手の指を数本合わせながら、彼女の左右に分かれて座っている第一王子を中心とする現王家側と、その王家に盾突こうとしていた有力貴族の筆頭である若者を、微笑みを浮かべて見渡した。
「ではこの内容で手を打つという事でよろしいですね。それぞれ署名と魔法での契約印を」
彼らは、対面している相手との関係性からすると不自然なほど穏やかな表情で彼女の指示に従った。
「皆様のご尽力により、平和のうちに解決出来ました事、大変喜ばしく思います。では殿下。私たちは用が済みましたら国へ帰ります。国王陛下によろしくお伝えくださいませ」
ルイーザは立ち上がると同僚の外交官と護衛の魔法騎士たちと共にその部屋を後にした。
しばらく城内を案内もなく歩く。
その場所はすでに第一王子から聞き出してあったため、地下牢にたどり着くのは簡単だった。何の前触れもなく現れたルイーザを警戒した兵士たちも、彼女が両手の指先を触れ合わせると、彼らの表情はどこか幸せそうに緩む。
「ごきげんよう。ソフィア嬢とお約束がありますの。案内してくださる?」
彼らは言われるがままにルイーザを案内した。彼女はその牢の前で鍵が開けられるのを待った。扉が開くと、その部屋は地下にあるにしては採光用の窓もあり明るかった。一通りの家具も揃っているし、リネン類も清潔に見える。
ルイーザが足を踏み入れると、彼女と護衛の騎士二人を残して後ろで扉が閉じられた。その瞬間、すぐ横にいた騎士が防音魔法をかけた。
「お久しぶりね。ソフィア」
彼女が声をかけた先にいたのは、学院の制服と遜色ない品質の服を着たソフィアだった。驚いた顔で、椅子から半分腰を上げている。
以前よりも髪の艶が無くなり、表情が暗いように感じだが、特別やつれた様子もなく、ごく健康そうに見えた。
さすが魅了の力の持ち主だ。おそらく当番の兵士らの好意を得て、明らかに一般の囚人とは違った待遇で暮らしているのだろう。
彼女を捕らえている第一王子は彼女を憎んでいる様子すらあったから、彼の指図とは思われない。
そのソフィアは訳が分からないと言うように、目を見開いてルイーザを見つめてきた。
だが、彼女の第一声は「助けに来てくれたのね!」というものだった。彼女はまだルイーザが彼女を友人だと思っていると考えているらしい。
ルイーザは彼女に分かるように状況を説明した。
「私は外交官として、あなたの行動を発端として起きかけていた、この国の内乱を未然に防ぐために国境を越えてやって来たの。あなたを助けに来たのかと言われれば、違うとお答えするしかないわね」
これがルイーザの外交官としての初めての任務だった。
彼女は自国からこの国への国境を、もちろん許可を得て越えたわけだが、王都へ向かう途中で王家へ反旗を翻す準備を整えていた貴族らの陣営に乗り込んだ。そして、その代表者らを引き連れて彼女らがこの王宮に到着すると、すぐに事態は急転した。
非常に強力な魅了の力で操られた両勢力は彼女らが提示した妥協案に「納得」し、「喜んで」それに署名した。
それを聞いている間、ソフィアは信じられないものでも見るような目でルイーザを見つめていた。
ルイーザは大勢の敵対している者同士を同じテーブルに着かせ、彼らが本心で望んでいたわけではない行動をとらせた。そんな事は、ソフィアの持つ魅了の力ではどう足掻いても出来ない事だ。
「私は? じゃあ、私はどうなるの? ねえ、国に連れ帰ってくれるんでしょう?!」
必死に言いつのる彼女の言葉にルイーザは困ったように微笑んだ。
「ソフィア、貴方が私を裏切った事はもう恨んでいないのだけど、それは出来ないの」
ソフィアは怪訝な顔をして、そして目を見開くと、ルイーザに大声で「あんたが仕組んだのね!」と喚きだした。
「あの力、わざと弱めたのね!!」
「あの力と言うのは、私があなたにお貸しした魅了の力の事かしら? 弱めてはいないわ。貸したものは返ってくるものなの。違うかしら」
「わざとやったのね! 私はヘイゲン様をあんたみたいなつまらない女との生活から解放してあげただけなのに!」
ルイーザは首をかしげた。ソフィアと学院でおしゃべりをしていた時とは違い、ルイーザの秀麗な顔には微笑が浮かんでいる。
「心の中で何を思うかは貴方の自由でしょうけれど、せっかくやってきた母国の人間には愛想良くした方が良いのではなくて?」
ソフィアは押し黙って顔色を悪くした。
何を言われても、ルイーザは今さら彼女に失望したりはしない。ある意味では感謝しているくらいだ。
「そのような顔をなさらなくても大丈夫よ、ソフィア。私は貴方が裏切ってくださったおかげで、本当に好きな人と結ばれたし、自分の弱さにも気づけたの」
ソフィアは悔しそうな顔をしたが、何としてもルイーザの助けを得なければいけないのは確かなので、何やら考えを巡らせているようだった。
だからルイーザは、内緒話でもするように声を落として言った。
「この国であなたの利用価値はもうなくなってしまったの。どのような待遇をされるか分からないわ。私の前に二度と姿を現さないのであれば、お救いする事も出来ますけれど」
「ほ、本当に!? 私もう、こんな所うんざりなのよ!」
「ここから、ご自分の足で出たいとお思いなのね」
ソフィアはまた顔をこわばらせる。自分の足で出られない、という状況に思い当たったのだろう。それは一般的には、何らかの刑に、最悪の場合死刑に処される事を連想させる言葉だった。
顔を青ざめさせているソフィアに、ルイーザはまた静かに語りかけた。
「私を裏切った貴方に、またこの力をお貸しするわ」
ルイーザは彼女の手を取って魅了の力を分けて与えた。
「力が消え去る前に、上手くお使いになってね?」
ソフィアは呆然としながらも、自分の手を見ながら、それを握ったり開いたりしていた。また大きな魅了の力を得た事は感じ取っているはずだ。
やがてソフィアは、ややおぼつかない足取りで歩き出した。そして、ルイーザによって開けられた牢の入り口に立つ。
彼女はそうしても誰からも止められない事に不思議そうな顔をしたが、何かを思い出したように慌てて走って行った。
彼女は一時期、第一王子の妃としてこの王宮で暮らしていた。門の位置などは知っているだろうから、そちらに向かったのだろう。ルイーザから渡された力があれば門番を操る事などは容易いはずだ。
彼女を見送ると、ルイーザらを目撃した兵士たちからこの間の記憶を奪った。彼らはその場に座り込み宙を見つめているが、じきに何事もなかったように行動し始めるはずである。
それが済むとルイーザは手袋をはめた。
彼女は幼い頃から魅了の力を押さえ込む訓練ばかりしていた。
しかし、今後使っていくのなら発動条件を決めるべきという、同じく魅了の力を持つ母の助言に従って、ルイーザは魅了の力を発揮する時に使う仕草を決めた。
逆に言うと、素肌で指先同士を触れ合わせなければ、その力を発揮しないように訓練したのだ。そして念の為、必要時以外、彼女は手袋をはめている。
ルイーザはそれに慣れると、自分の持つ力への恐怖心がやわらいだように感じた。
もちろんこれまで通り魔力での制御も続けなければならないが、それはもう慣れ切っているので特に負担ではない。
牢を出た後、一緒に交渉を行っていた年配の先輩外交官が口を開く。もちろん防音魔法がかけられている。
この交渉はルイーザの力あっての物だったが、契約書面などの作成はルイーザにはまだ完璧には出来ない。国益を最大限にするために一言一句に気が抜けないのだから、それはまさに職人技であるとルイーザは先輩方の仕事を見て思ったものだった。
「彼女はあのまま待っていれば、例の貴族が迎えに来るはずでしたね」
「はい」
「迎えに来たのに、彼女が逃げ出していたら、さてあの貴族は彼女を思い続けた気持ちをどのように変化させますかな」
「諦めてくだされば良いのですけれど」
「追いかけて捕まえられたりしたら面倒ですからな」
ソフィアにはもちろん隠していたわけだが、彼女の処遇は決まっていた。
第一王子と敵対していた貴族が彼女の身柄を欲しがったのでそれが認められていたのだ。
だが、ルイーザの母国の為政者たちは、隣に位置するこの国の中で強い権力を持つ人物の側に、中途半端な魅了の力を持ったソフィアがいる事を良しとしなかった。
ルイーザらは、その自国の上層部の判断に従っている。彼女を逃がしたのもそのためだ。
「我が国王陛下のご命令通り、彼女には追跡魔法を仕掛けておきましたから、何か動きがあればその時の対処は他の方々にお任せしましょう」
ルイーザの母国の国王は、ソフィアの実家に罰を与えた。
彼女の親は法律で義務付けられている、特殊な、例えば魅了の力のような血統によって受け継がれる力を、彼らの娘が持っている事を王宮に届け出る事を怠っていた。
彼らは何も気づいていなかったのだと主張したが、ソフィアが王都に出てくる前に通っていた地方の大領主が運営する学院の教授から、その力について指摘されていた事が判明したため、ソフィアの実家の爵位は取り上げられたという。
かつてルイーザも聞いた通り、ソフィア自身が魅了の力を持っていると自覚していたのだから、苦しい言い訳などしなければよかった。そうしていたら、そこまでの厳しい沙汰は下らなかったかもしれない。
ルイーザは彼女が去った方向を見やって言った。
「今度こそ誰も傷つけず、誠実に生きて下さればいいのですけれど」
◆
ルイーザを含む一団が隣国と自国との国境とされる大河に架かる橋を渡りきると、騎馬の一隊が外交官の一行を待っていた。
しかし、それは予定されていた事ではなかった。ルイーザを含む文官たちが分乗する二台の馬車を守っていた護衛たちが色めき立った。
だが、魔法騎士団から選出されていた彼らは、先頭の人物の顔を確認すると、馬車の窓を開けさせてルイーザに呆れたように言った。
「お父上の他にも過保護な人間がいると大変でしょう?」
その言葉で、ルイーザは誰が来てくれたのか知った。嬉しかった。早く彼に会いたかったのだ。
レオンは、ルイーザに同行出来なかった事が不満だった。しかし、彼は魔法騎士団に正式に入団したばかりの新入りにすぎないのだから、と言われれば黙って引き下がるしかなかった。
それでも早くルイーザに会いたい気持ちが抑えられなくて、見習い騎士たちの訓練ついでにわざわざここまで迎えに来たのだ。
後で叱られるだろうが、訓練場を何百周走ってもいいと彼は思っていた。
止まった馬車から駆け出してきたルイーザを、馬から飛び降りたレオンが抱きしめたのを、魔法騎士団の古参は呆れ半分、微笑ましさ半分で見やり、その他の文官や魔法騎士団の見習いたちは目を丸くして抱擁し合う二人を見つめたのだった。
◆
その日コルトバーン公爵家の別棟では、花々で飾りたてられた会場に集まった人々が、主役の登場までの間の歓談を楽しんでいた。
これは公爵家の跡取り娘の婚姻披露の宴であったが、招待客は決して多くはない。職場の同僚と、相変わらず招待状を出さなければならない高位貴族の一団だけである。
あまり大きな式にしたくないと、主役の二人が、特に新婦が望んだのだ。
その新婦はというと、ほとんど母が指図して作らせた純白のドレスに身を包んでいた。
本人は、あまり見分けのつかないレースの束の中から一つを選び出し、それを指差したのと、仮縫いの時に着心地を伝えたくらいだ。
このドレスを作っていた時は、ルイーザは隣国での初仕事へ向かう準備でとにかく忙しかったのだ。
とはいえ、正直ルイーザはこう言った事に疎いので、母に丸投げしたのは正解だったと彼女は思っていた。
精緻なレースで飾られてはいるものの、ごくシンプルなデザインのドレスはルイーザの瑞々しい美しさを際立たせていた。艶のある黒髪は結い上げられ、宝石のついた髪留めで止められたベールが、彼女の背中を伝うように長く垂れている。
そんな娘の姿を、母は感慨深げに見やって言った。
「ルイーザ。あなたがレオンに出会えて本当に良かったわ。運命よねぇ」
「お母様、レオンはお父様が見つけ出してきたのではなくて?」
「いいのよ。そんな事はどうでも。ロマンチックな気分に浸らせておいてちょうだい」
母はそう言いながら手を振ると、またどこか夢を見るようなぼんやりとした顔つきで、ルイーザを微笑みながら眺めていた。
新郎のレオンはルイーザほど支度に時間はかからない。騎士としての正装に身を包んだだけで、いつもとさほど変わり映えはしない。
しかしそれでいいのだ。彼はルイーザの美しいドレス姿を見られれば、本当に何でもよかった。
そんな彼の控え室には、なぜか新婦の父親であるコルトバーン公爵がいた。客の相手を一人でするのに疲れたと、先ほどここに転移して来たのだ。
ソファの肘置きに体をもたれさせて、どこか寂しそうに宙を見つめるのは、話に聞く新婦の父親ならではの感傷に浸っているというやつだろうか。
「閣下、そろそろ会場に戻ったらいかがです?」
「必要な挨拶は済ませたよ」
「まあ、閣下がそれでいいならいいですけどね」
彼に何を言っても無駄な事を、レオンはよく知っている。
「ルイーザはこの屋敷からいなくなりませんし、何も変わらないでしょう? 何をそんなに落ち込んでいるんですか」
「なんだろうね、この気持ち。私にもよく分からないよ」
だらだらしている公爵に呆れながらも、レオンはこの機会にとても聞きにくい質問をした。「ルイーザの他にも子供を作らなかった事を後悔した事があるか」と。
公爵夫妻はルイーザが産まれてすぐにその力に気づくと、それ以上子供を作らない事にしたのだと、レオンは以前公爵から聞いた事があった。
これはレオンにとっても重要な事だった。彼らの間にどのような力を持った子供が生まれてくるか分からないのだから。
公爵はそのままの格好で少し考えた後、おもむろに立ち上がってレオンの前に立った。自分の頭とレオンの頭の上で手を動かしている。
レオンが訳が分からずに尋ねるような視線を投げると、公爵は微笑んで言った。
「おまえがいたからね。二人分の成長を見られたのだから、十分ではないかな」
レオンは不覚にも泣きそうになって後ろを向いた。公爵は彼の肩を二度軽く叩くと、自分の足で部屋から出て行った。
主役の二人が広間に姿を現すと、新婦の美しい花嫁姿には感嘆の声が漏れ、緊張の面持ちの新郎には同僚たちからのからかいの声が飛んだ。
その宴は盛況のうちに、夜中まで続いた。
『さすがにもういいだろ』
『そうね。では、行きましょうか』
主役の二人は、出会ったばかりの頃に作った指文字でやり取りすると、誰も見ていない隙を見計らって手を取り合った。次の瞬間、二人は新婦の転移魔法で会場から姿を消した。
「行ったね」
「あなたも、もっと早くに二人を解放してあげればよろしかったのに」
「それくらい自分たちで出来るのだからいいだろう?」
公爵夫妻は給仕からグラスを一つづつ受け取ると、それを互いに向かって掲げ、澄んだ音色を響かせたのだった。
終
お読みいただき、ありがとうございます!
今回は年齢別間の移動にどの程度の改稿が必要なのか実験をさせていただきました。この程度なら可能ですね〜。(同シリーズの短編があるのですが、そちらはどう足掻いても全年齢版にするのは無理でした。)
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