第十四話 ルイーザの未来と、幸せな婚約
王立学院の卒業を数日後に控えたある日、ルイーザに王命が下った。
それはルイーザにとっては唐突なことだった。しかし、父はしばらく前から打診を受けていたらしい。
「お父様、私は陛下から何を求められているのでしょうか」
「ルイーザを外交官にしたいらしいよ。ずっと連れて来いと言われて無視していたのだけど、もう成人したのだし、学院も卒業するからいいだろうと正式な国王命令を文書で押し付けて来てね」
現在の国王と父は従兄弟にあたる。親子ほども年が離れているが、幼い頃から親しく付き合ってきたので、そんな事が出来たのだろう。普通はそこまでされる前に国王の意向に従うものだろうから。
なぜそれをルイーザに言わなかったのか聞くと、父は「学院に在籍している間はただの学生でいて欲しかったんだよ」と言った。
聞いた話によると、ルイーザの父親であるマーロン・コルトバーンは幼い頃からその魔力の高さを知られた存在だった。
そして、当時の、先代の国王からしてみればマーロンは甥にあたる。国家の中枢を担う者たちの総意として、彼は早期から魔法使いとして育成された。その結果マーロンは、十代の早いうちには既に魔法省に籍を置き、さらには大魔法使いと呼ばれていたという。
「一年だけの学院生活を送ったが、その一年は卒業のための勉強に追われていた記憶しかないからね。ゆっくりとした周囲との間に大きな溝を感じたものだよ。だからルイーザには普通の学生でいて欲しかったんだ」
「そうでしたか」
ルイーザは父ほどの魔力は使えない。同程度の力は持っているようだが、ルイーザは魅了の力を押さえるためにその大部分を使わざるを得ず、それに影響を与えない範囲で行使できる魔力量は学院内でも上位に入るものの、類を見ないほど多いとは思われていない。
ルイーザは、父らが彼女の持つ魅了の力を秘匿しておいてくれたおかげで、学院の一生徒でいられた。
その話を聞いた翌日、学院の授業の終了後に一度屋敷に戻って着替え、ルイーザは王宮へ向かった。
もちろん王宮に足を踏み入れるのは初めての事ではなかったし、国王陛下にも何度となくお会いした事がある。
仕事を抜けて来ているという父親と落ち合うと、謁見用のものではない、王宮の中ではややこじんまりとした部屋に通された。
そこにはすでに国王陛下が護衛の近衛騎士たちと共に待ち構えていた。ルイーザは内心の緊張を見せる事なく、優雅に淑女の礼をとった。
国王陛下は薄い金色の髪やルイーザにも受け継がれた青い瞳や、そして背格好などがどことなく父と似ている。
従弟同士という近しい親戚なのだから当たり前なのかもしれないが、貫禄のない父とは違い国王陛下は大変堂々としておられる。年齢が二十近く上ではあるが、父が二十年後にこのような貫禄を身に着けている様子はルイーザには想像が出来なかった。
「座りなさい」
国王の声に父は二つ用意されていた椅子の一つにどかりと座り、ルイーザはすぐ目の前の、おそらく父が空けておいてくれた椅子に腰かけた。
「ルイーザ。マーロンからそなたの力を国のために役立てて欲しいという話は聞いているかね」
「外交官として魅了の力を使わせたいとお考えだとは聞いております。この力を使うからには、間者としてどこかへ送り込まれるのでしょうか」
ルイーザは以前に母から聞いた、他国に入り込む間者を思い浮かべていた。だが、国王陛下は「とんでもない」と慌てた様子で言った。
「交渉人と考えて欲しい」
「ですが、私の力は人をおかしな方向に向かわせてしまうかもしれません。そのような大任が私に務まるとは……」
ルイーザにも自分が極度にこの力を恐れている自覚はあった。しかし、幼い頃に当時のルイーザから見たらとても大きな大人たちに迫られた記憶は容易に消せるものではない。
ルイーザの様子を見た国王は言った。
「無理もない事だろう。マーロンから話は聞いている。だが、そなたの力が今はどうしても必要なのだ。通常の魔力が高い者はいくらでもいる。だが、彼らには人の心を操る事は出来ない」
「私の他にも魅了の力をお持ちの方はいらっしゃるはずですが」
「それはそうだね。こちらで把握しているだけでもそなたらの他に数人いる。しかし、そなたの母上もそうだが、その者たちの力は他人の願望を増幅させたり、関心を他の方向へ向けさせたり、つまり、本人の意思とそうずれない範囲で感情や行動を変えさせる事が出来る程度のものだという。
ルイーザ、これまでのそなたの周りに起きた事象を分析させた限り、そなたの持つ力は、その人物にとって禁忌である行動までとらせてしまう事が出来ると思われる。私が交渉人に求めるのはそれが出来る者、つまり、そなたしかいない」
ルイーザは身をこわばらせた。それこそ彼女が恐れる力の使い方だった。
「陛下。その言い方ではだめです。ルイーザに事情をきちんと説明すべきでしょう。私から説明しても?」
父の言葉に国王は頷いた。
「隣国がきな臭いという話はしたね。この人はその交渉事におまえを引っ張り出したがっているんだよ、ルイーザ。
片方の勢力が我が国に参戦しないかと粉をかけてきているんだ。戦いは軍の再編をしている我が国としては今は何としても避けたい。
だが彼らは、我が国が応えなければ、他国に同じ話を持ちかけるだろう。そうなれば、他国に隣国を牛耳られる未来もあり得るから、こちらとしては急ぎたいわけさ。そして、我が国の国益になるように隣国の問題を解決させたい」
国王がその後を引き継いで言う。
「その能力を秘匿しているルイーザならば、外交官として送り込んだとて不自然ではない。身分も申し分ないし、国王である私の名代としても相手方を納得させられるだろう」
そして、国王はルイーザが知らなかった事を口にした。
「私も文献でしか知らないが、魅了の力にはその特性を活かす、いくつかの術がある。
魅了の力は時代を経るごとに希少になり、その力の性質上、一般にその力を利用する術を伝える事は出来なかった。だが、そなたが正式に魔法省の所属となればそれらの文献を読む権利が与えられる。
そなたが恐れているその魅了の力の様々な使い方を知れば、恐怖心も和らぐのではないかと、私はずっと前からマーロンに言い続けてきたのだがね。そなたの父親は過保護が過ぎて、そなたの可能性を狭めてきたのだよ」
父はだらしなく肘置きにもたれかかって何事か文句を言ったようだったが、ルイーザには聞き取れなかった。
返事は三日後にまた謁見の予定を入れるから、それまでに出して欲しいと言われたルイーザは恐る恐る聞いた。
「隣国の紛争の予兆とは、第一王子に見初められたソフィア嬢の行動に起因するものと聞いておりますが、間違いはございませんか」
陛下は、あの件でルイーザが果たした役割を知っているはずである。
「そうだね。もともと政情は不安定だったから、彼女の存在はそれを早めただけに過ぎないと思うが」
「左様でございますか」
「何か責任のような物を感じているのなら、それは考えなくてよい。それが起こるずっと前からそなたの過保護な父親にはそなたの今後について打診をしていたのだから。
そなたの力は有益だ。それだけは心にとめて、答えを出してくれるとありがたい」
国王陛下にそこまで言われると恐縮してしまう。そして、求められる事に恐れも感じる。
しかし、ルイーザは確かに、自分の力を恐れてばかりいる日々から抜け出せるものならば抜け出したいと思った。ずっとそう思っていたけれど、勇気が出なかった。
その機会が今目の前にあるのだと、彼女は確信した。
父親と共に国王が去るのを見送ってからその部屋を出ると、ルイーザは防音魔法を展開させた。父はそんなルイーザに眉を寄せた。とても気まずそうだった。
「お父様の本心をお聞かせください。お父様は魅了の力の制御以外の利用方法をご存じでいらしたのですね。陛下のご意向を無視してまで、それを私に隠してておられた理由が知りたいのですが」
「……一度魔法省の、国の機関に属すれば、おまえは様々な重圧のかかる任務に駆り出されるだろう。おまえが幼い頃から、そんな思いをするのは耐えられなかった。私はひどく苦しんだから」
表情には出ていなかったが、父も随分と苦労してきたのは容易に想像ができる。十代半ばには政の第一線にいたというのだから尋常な事ではない。
人々から恐れと尊敬を集める、強大な魔力を操る父も、その自分の力を厭わしく思っていたのかもしれない。
そして、父は父なりに、過保護と言われようと、幼いルイーザに自分と同じような思いをさせないように守っていてくれたのだろう。
「お父様。私はもう大人になりました」
「うん。そうだね」
「だから、お父様やお母様は私に、ソフィアに魅了の力を渡す役割を担わせたのですか? 自分の力に向き合うきっかけと時間を与えるために。より抵抗なく、私がこの魅了の力を使った仕事に関わろうと思えるように。陛下からの打診は、最終的には断れるわけはありませんから」
父はそれには答えずに歩き続けた。
だが、ぽつりと言った。
「もっと早くに、その力のなんたるかは教えるべきだった。でもそのためには、おまえに力を使わせなくてはいけなかったから……」
父はそこで言葉を切って黙り込んだ。
ルイーザが力を使う事で起こるかもしれない出来事に、父も恐れをなしていたのかもしれない。
「お父様は私に魅了の力を使いこなす事が出来るとお考えでしょうか」
「素晴らしい成果をあげるだろうね。残念ながら」
「残念なのですか?」
「そりゃそうだろう。何で私がおまえを危険な場所に送り込みたがると思うんだい?」
ルイーザは先に立って歩きだした、表情の見えない父親に微笑みかけると、防音魔法を解いた。
◆
控室で待っていたレオンにルイーザを託した父は仕事に戻っていった。
馬車の中で防音魔法をつかい、早速国王からの打診の内容をレオンに伝えた。
そして、あんなに恐れていた魅了の力を使いこなしたいと言い出したルイーザにレオンは驚いていた。
「ルイーザがそうしたいと思えたのはいい事だと思うけど。でも、あまり遠くにばかり行かされても困るな。会えないと寂しい」
ルイーザは頬を染めた。
「それは私もよ。レオンが戦いにばかり行っていたら寂しいもの」
そうだ。彼が戦いに行かなくて済むように、彼女が争いの種を摘んでしまえばいい。
たくさんの訓練が必要だろうが、彼女の力を使えば、恐らくそれはそう難しい事では無い。
もちろん怖くはあるけれど、彼のためになら最大限に努力をしたいと思った。彼はルイーザを守るために、ずっと頑張ってきてくれたのだ。
「レオン、私、外交官になるわ。あなたを守るために」
「俺はルイーザを守るために、誰よりも強い騎士になるよ」
レオンがルイーザに優しいキスをしてから、困り顔で言う。
「学院を卒業したら、しばらく生活がすれ違いになりそうだ。ルイーザも忙しくなるし、夜も無理はさせられないよな」
ルイーザはあからさまな彼の言葉に顔が熱くなる。でも気持ちは彼と一緒だった。
「私もレオンとあまり一緒にいられないのは寂しいわ」
ルイーザがそう言いながら彼にキスを返すと彼は嬉しそうに笑ってくれる。彼のその顔を見ると胸の奥が温かくなる。
しかし、彼が首にキスをしながら腰を撫で上げたので、流石にそれは慌てて止めた。
「ルイーザ……」
彼女は甘い声で自分の名前を呼ぶ愛しい人を引き寄せ、彼の鍛え上げられた胸にもたれかかった。
レオンはルイーザの流れ落ちる黒髪を指に巻きつけて遊ぶ。
その手はあちこちが固くなっている。剣を扱うとそうなるのだと言う。
ルイーザは、彼のその手を愛おしく思いながら撫でた。彼が長年努力してきた証だ。
「私も頑張るわね」
彼女はそう言って、レオンに微笑みかけた。
◆
ルイーザは成績上位者として、レオンはそうではない者として、学院を卒業した。
ルイーザは国王陛下との二度目の謁見で、自分にできる事は全力でさせていただくと答えた。そのため、学院の卒業後は魔法省に所属する事になった。
非常に特殊な例ではあるが、彼女は外務部門を統括する外交省にも籍を置き、外交官も兼任する。
彼女が魅了の力を自在に使いこなせるようになったら隣国へ行く予定である。
レオンは騎士の叙任を受け、伯爵家の養子となった。
そして予定通り、二人は正式に婚約を結んだ。
ルイーザの母はすぐにでも二人を結婚させたがっていたが、「今は時間が取れないから、満足な式をあげてやれないよ」という父の言葉に諦めたようだった。
ルイーザはそんな両親を見てクスリと笑うと、感慨深げに婚約証書の文字を指でなぞるレオンの手に触れる。
ルイーザとレオンは心からの笑顔を浮かべ、しばらく互いを見つめていた。
つづく……