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第十一話 新しい婚約者



 学院が長期休みに入って、ルイーザの外出時以外には騎士団に入り浸っているレオンだったが、内心はずっと屋敷で彼女の側にいたかった。先日ルイーザから気持ちを伝えられて以来、彼女を思う気持ちは募る一方だ。


 その日は公爵も早く仕事が終わったとかで一緒の馬車に乗せてもらって帰る事になった。「久しぶりに全員で夕食をとれるな」とご機嫌で言う公爵に「そうですね」と答える。

 正直、一人で馬に乗って帰った方が早くルイーザに会えるのだが、そんな事は言えるわけもない。



 四人で食卓に着くのは、彼がこの家に正式に雇われてからの習慣だ。

 長いテーブルの一番奥に家長である公爵が座り、その斜め横の左右に公爵夫人とルイーザの席がある。そしてルイーザの隣がレオンの席だ。


 彼は本来ならば使用人用の食堂を使う立場である。しかし、ルイーザが一人で外出先で食事をしなければならなくなった時に一緒に席に着けるようにテーブルマナーを覚えろ、と公爵に言われた。

 今思うと、使用人にもテーブルマナーを教われるし、そもそも護衛が主人と一緒に外で食事をする必要はない。

 結局、何のためか分からないまま家族の一員のように一緒に食卓を囲んでいる。


 いつも和やかに、たわいもない話をしながらゆっくりと食事をするのだが、その日は公爵たちがルイーザの新しい婚約者を決めなくてはと話し出し、レオンは固まった。

 横目でルイーザを見ると、顔は普段の表情ながら、ナイフを動かしていた彼女の手は完全に宙で止まっている。


 考えないようにしていた。レオンは、いつかその日が来ることを知っていたが、それはまだずっと先の事だと思い込もうとしていた。

 今では騎士への道を歩んでいる彼だが、ルイーザの護衛という点に関しては、彼女が結婚したらもう出来ない。

 公爵夫妻はそのまま務めさせるつもりかもしれないが、レオンには無理だ。彼女が他の男のものになるのを側で見ているなんて想像もしたくなかった。


 ルイーザの護衛でなくなった自分はただの騎士になる。それは孤児院で寒さに震えていた頃からしたら夢のような話だ。だが今ではそれだけの存在になるのが怖い。

 彼はテーブルの下で手を握りしめた。



 ◆



 レオンは物心がついた時には孤児院にいた。それが何を意味するか知ったのは成長してからの事で、その時はその寒い場所が彼の全てだった。


 レオンには魔力がなかった。

 ほんの小さな頃はむしろ、魔法を使ったイタズラをする子どもたちの仲間に入れずにいたから、問題を起こす事もなくいい子扱いをされていた。


 だが、孤児院で仕事を割り振られる頃になると、もともと魔力の高い者が少ない孤児院でも全く魔力がないレオンは珍しく、役立たずなどと言われる事も増えた。

 みんな一瞬で火をおこすのに、レオンは火種すら灯せない。

 文字も知らなかったし、知識を得る手段は持っていなかった。どうやったら火をおこせるのか分からずに途方に暮れた。

 他にも何人かはそういう奴らがいて、任される仕事は力仕事くらいのものだったが、役立たずには飯はまともに与えられない。


 役立たずだから親に捨てられたのだと、その時ぼんやりと理解した。


 生来の丈夫な身体がなければ、レオンはきっとその頃に死んでいただろう。同じような境遇の奴らはみんな、大きくなる前に朝冷たくなっていて、どこかに連れて行かれた。


 レオンには夢があった。

 いくつの時だったか、使いの帰り道で、街の大通りを戦いに勝って凱旋してきたという騎士の一団を見かけた。近くにいたおやじが彼らは腰に下げた剣で悪い奴らをやっつけるのだと教えてくれた。

 まだ子どもだったレオンは自分もそんな風に強くなりたいと思った。いつか孤児院を抜け出して騎士になるのだと決めた。

 騎士になるためには身分のある推薦人が必要だとか、そんな事は何も知らなかったから見る事が出来た夢だった。でもそれは彼が生きていくための、たった一つの希望だった。


 そして、レオンは十一歳になったばかりの頃に公爵と出会った。

 初めは施設長が若い男に頭を下げているのが面白かった。いつもあんなに威張り散らしているのに、銀だか金だかに光る髪をしている、見たことが無いくらい綺麗な顔をした背の高い男には、施設長は汗をかきながらペコペコしていた。他の奴らも興味津々でその光景を覗き見ていた。


 レオンは何か大人同士の自分には関係のない用事だと思っていたから、すぐに仕事に戻った。ところが、その綺麗な男はレオンの元にやってきて、火をおこせるか聞いた。出来ないと言うと、その辺に落ちていた石をいくつか試して石を選ぶと、その石を打ち合わせて火種を得る方法を教えてくれた。

 「あんたも魔法が使えないのか」と聞くと、使えるけれど、それが使えなくなる事も、それがむしろ邪魔になる事もあるのだとその男は言った。だから他の方法も知っておくのだと。

 

 その男はレオンにたくさんの質問をした。本当に魔法が使えないのか知りたがっているようだった。始めは馬鹿にされているのかと思ったけれど、相手はとても真剣だった。だから、それが何か意味のある事なのか分からないまま、全て正直に答えた。

 やがてその男は気が済んだようで、レオンに合わせて屈めていた腰を上げ、背筋を伸ばして施設長を呼んだ。


 レオンはそうして公爵に引き取られた。理由は知らされなかった。


 公爵がすごい奴だと知ったのは、どこもかしこもピカピカに磨かれた、大きいなんて言葉では言い表せないほど大きな家に連れて行かれた時だった。

 これからここに住むのだと聞いてとにかく驚いた。それは人が住むような場所には思えなかった。天井が高い。窓が大きい。見るもの全てに驚いた。

 初めて見る石鹸なんて物で体を洗われて、見た事もない、どうやって食べるのかも分からないようなものを食事だと言って出された。

 レオンは怖くて、パンと豆のスープしか口にできなかった。


 そんな日が何日か続いたが、いつの間にか彼はこの家の使用人だという人たちによく話しかけられるようになっていた。

 中でも、下町育ちで魔力がほぼ無いと言うメイドや執事はいろいろな事を教えてくれた。彼が育った環境に想像がついたようで、この家と施設の違いを丁寧に教えてくれた。

 それまでレオンは、彼一人に与えられた、彼にとっては大きすぎる部屋に慣れなくて、どこで寝ていいのか分からなくて、ふかふかした、大きなテーブルの上に置かれていた毛布のような物だけを借りて、それに包まって部屋の隅の床で寝ていた。

 テーブルだと思っていた物がベッドという物で、その上で眠るなんて想像も出来なかった。


 彼らはレオンが見た事のない物を口に入れるのを不安がっている事を分かってくれて、食事についても教えてくれた。じきにパンとスープ以外の物も食べられるようになって、美味しいと言う言葉の意味を初めて知った。


 十日くらい経った時、公爵が久しぶりに顔を見せた。

 忙しかったが時間ができたと言って、屋敷の中を案内してくれる。それまで入った事がある場所だけでも広いと思っていたけれど、この家の広さはそんなものじゃなかった。


 公爵の奥さんだという黒い髪の、見た事がないほど綺麗な女の人を紹介されて、その人がレオンの頬に触りながら微笑みかけてきた時には、驚いて声も出なかった。

 でも、なぜか、その人の方が驚いていた。


 レオンは何も聞かされないまま、図書室という名前だと言う、大きな本が沢山並べられている部屋に連れて行かれた。天井まで詰め込まれていたその本の量に驚いて上を見ていると、公爵と奥さんが誰かを呼んだ。


 本棚の間から顔をのぞかせたのは、レオンと同じ年くらいの、黒髪の女の子だった。その女の子はレオンを見た途端怯えた顔になって隠れてしまった。公爵はあの子は自分の娘なのだと言った。


 女の子は母親の陰に隠れながらレオンの前に立った。そして、母親に何か囁かれると不安そうな顔で頷いた。

 レオンには何が行われているのか全く見当もつかなかった。でも、次の瞬間に、その子はいきなり泣き出した。自分が泣かせてしまったのかと、嫌われてしまったのかと慌てていたら、公爵はなぜかレオンの頭をかき混ぜてぐしゃぐしゃにして、とても嬉しそうに笑いかけてくれた。

 

 それが、レオンとルイーザの出会いだった。


 レオンはルイーザがとても強い、人を惑わせてしまう力を持っていて、これまでに沢山の怖い思いをしてきたのだと公爵と二人きりになってから教えてもらった。彼女には安心して一緒にいられる人がほとんどいないのだと公爵は言った。

 レオンは何の力も持ってはいないけれど、彼女の気持ちが少し分かる気がした。いつ殴られるか分からずに怯えているのは辛い。その場所で生きていくしかなくて、でもその状況から抜け出せないのはもっと辛い。


 公爵は、いつまでもルイーザを守ってくれる人間を探していたのだと言った。

 だからレオンは、自分は騎士になるから、ルイーザが怖がっている全てのものから彼女を守ると誓った。幼くて、拙くて、考え無しの誓いだった。

 でも公爵は、彼が立派な騎士になれるように力を貸すと言ってくれた。


 そうして、レオンは公爵家の雇われ人となった。


 始めの頃は一人で難しそうな本を読んでいるルイーザの横で公爵夫人やメイドから文字を教わった。それに慣れると、今度は公爵が剣術を教われる場所に連れて行ってくれて、そこに毎朝通う事になった。


 そんなふうにして、しばらく時間が経つと、ルイーザは怯えた顔は見せなくなって、レオンに笑いかけてくれる事も増えた。

 彼女はいつも固まったような顔をしている。力を間違って漏らしてしまわないように。でもレオンの前ではそれを気にしなくていいのが嬉しいと言ってくれる。レオンは特別だと言ってくれる。そんなふうに誰かに言われるのは初めてだった。


 レオンを見かけると、その固い表情が、雲の間から陽がさすように明るく輝いて、空のような色の瞳で彼を見ながら笑ってくれるのが嬉しかった。


 後になって思えば、この頃にはもう、男として彼女に惹かれていたのだろうとレオンは思う。でも、ルイーザは「お嬢様」で、レオンは「護衛」だった。



 彼女に「婚約者」が出来たのはそれから少ししてからの事だった。その男はルイーザと同じ貴族で、いつもキラキラした服を着ていた。

 レオンは、二人が会う時には必ず、ルイーザの後ろで彼女をいつでも守れるように同行する事になっていた。公爵と公爵夫人がそう決めたからだ。

 その男はよくルイーザに笑いかけながら「愛している」と言った。それに明確な嫌悪感を覚えたのがいつの事だったかはよく覚えていない。ただ不快で、ルイーザから引き離したくなった。


 そして、そいつはそれから何年も経ってから自滅した。内心笑いが止まらなかった。



 でも、だからと言って、レオンがルイーザの「護衛」である事は変わらない。


 レオンは、自分の腕の中でまどろんでいるルイーザの髪を撫でた。

 彼は数日に一度は、夜寝る前の時間を彼女の部屋で過ごすようになっていた。しかし、万が一にでも誰かに知られる事が無いように、この温かい場所からなるべく早く離れなければならない。


 彼は彼女が本格的に眠り込む前に彼女に寝間着を着せ、そのなだらかな肩にキスを落とすと何度も彼女を振り返りながらその部屋を後にした。



つづく……

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