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第十話 隣国の不幸な噂



 その日学院は、数週間に及ぶ試験の全日程が終わり、明日からは長期休暇に入るという日だった。


 試験期間中は、廊下を歩く時に聞えてくる話題も当然試験一色になる。

 この頃にはソフィアの噂はほとんど聞かれなくなっていた。彼女が隣国に行ってから一月(ひとつき)は経っていたから、当然の事だったかもしれない。

 

 試験に関して言えば、ルイーザは問題ないが、レオンは魔法関連の実技のある科目では手も足も出ない。ルイーザの護衛のために苦手な授業をあえて履修しているのは知られた事なので、教授陣も淡々と彼が何も起こせないのを見守るだけである。


 ルイーザもレオンも疲れ切っていて、馬車の中で無言でいるのも気にならなかった。明日からの休暇中は二人は別行動が多くなる。レオンに対する恋心らしきものに気づいてしまったルイーザとしては、寂しいながらもそんな日々が来る事を心待ちにしていた。


 二人が屋敷に帰りつくと、珍しく早く帰ってきたという父に出迎えられた。


「どうかされたのですか、お父様」

「いや、久しぶりに皆と夕食を食べたくなってね」


 意味ありげな微笑を浮かべていた父は、夕食後に場所を変えてお茶を飲もうと言い出した。一部の貴族はすでに知っているという、隣国へ送り込んでいる間者からの情報を聞かせてくれると言う。


 ルイーザから魅了の力を受け取ったソフィアは、隣国の第一王子の元に、隣国の大貴族の養子となった後に輿入れしたらしい。

 ところが、それから間も無く、夫以外の大勢の男性と関係を持っている事が発覚し、夫である第一王子によって捕えられたという。


「まあ。なんて節操のない。そのような事になるだろうと思っていたけれど」

 母はソフィアにかなり怒りを感じていたようだったから、その声は冷たかった。

「本来以上の強さになった魅了の力を制御出来るほどの魔力は持ち合わせていないはずだから、あちこちから声がかかったのでしょう。とは言え、相手を操る事も出来たはずよ。自分から求められるままに応じたのでしょうね」

 

 ルイーザも、やはりと思った。

 ソフィアが関係を持った他の男性がどのような身分の者か知らないけれど、おそらく何か旨みがあったのだろうと思った。

 ルイーザの元婚約者であるヘイゲンも、第一王子と出会うための踏み台にされたようなものだった。彼と婚約したから彼女はあの夜会に出席出来たし、王子の近くにいられた。つまりは王子からダンスを申し込まれやすい場所にいられたのだ。


 後は彼女の思惑通りに事が進んだのだろう。

 しかし、その力は所詮借り物。次第にその力は元の持ち主であるルイーザの元に戻る。今ではルイーザの力はほとんど元通りと言っても良い状態だった。

 

 ソフィアには貸した力が戻って来る事はもちろん言っていない。


 やがて、もともとそれほど大きなものでは無かった、彼女本来の魅了の力だけでは周囲を操り切れなくなり、誤魔化す事も難しくなった。

 そして、虚構にすぎなかった愛で繋がっていた相手の目も覚めた、と言ったところだろうか。


「お父様。彼女は今どうしているのですか?」

「さて、一応我が国の出身者だからね。いきなり処刑はされないと思うが。だが彼女はあちらの国の貴族の養子になっているからねぇ。今後の事は分からないね」

「そうですか」


 母などはせいせいしたと、当然の報いだと言うが、ルイーザにはそう思い切る事は出来なかった。



 ◆



 ルイーザは部屋へ戻り寝支度をしていた。

 ドレスを脱ぎ、湯浴みをする。湯を用意してくれたメイドたちは部屋に残るが、最低限の着替えの用意などを頼み、基本的には自分で髪や体は自分で洗う。

 湯から上がり寝巻きを着ると、メイドたちに濡れ髪を()かし、水気を拭き取ってもらう。

 母譲りの豊かな黒髪はよく褒められるのだが、貴族令嬢としては当然とされる長い髪の手入れは一人でするのは難しい。


 そんな時間に、メイドたちが屋敷内や街で起こった、ちょっとした事件や愉快な話を聞かせてくれるのは以前からの習慣だった。

 ルイーザは他の令嬢たちよりもはるかに制約の多い生活を送っているため、彼女らなりにルイーザを楽しませようとしてくれているのだ。

 それらの話に相槌を打ちながら、彼女は頭の片隅で別の事を考えていた。


 ソフィアについて、先ほど聞いた話について考えれば考えるほど、ルイーザはつくづく自分が持つ力は呪いの力だと思う。


 彼女はこの魅了の力を持っていても良い思いをした事はないし、これまで使おうと思った事もなかった。

 唯一使ったのが、自分を裏切っていた、友人と思っていた相手にその力を渡し、彼女を破滅に追いやった時だという事になった。


 感情が揺れかけるのを感じて、レオンの言葉を思い出して心を落ち着ける。彼はルイーザがこの力を持っていなければ二人は出会わなかったと言った。出会えて良かったと。

 その言葉に救われている。レオンがここにいてくれたらいいと思い、慌ててその考えを頭から振り払った。


 寝支度を終え、メイドたちが挨拶をして寝室を出て行く。隣の部屋にはレオンがいて、メイドたちが全員出て行くのを確認してくれているはずだ。そして彼は最後にルイーザに声をかけてから自分の部屋に戻る。

 ルイーザはその時は、いつも通り、レオンに問題はないと答えようと思っていた。


 あの夜の後も毎日、扉越しに彼の声を聞く。その度に、この場所でレオンの熱を全身で感じた、あの夜を思い出してしまう。

 彼とは身分が違いすぎるし、あの出来事は誰にも言えない。あの事が知られればレオンは解雇されるだろうし、悪くすれば罰せられる可能性すらある。

 それが分かっていながら、なぜまた彼に触れたいと思ってしまうのだろうか。それとも、やはり、これが先日思い当たった、恋をしているという事なのだろうか。


「ルイーザ。問題はないか」

「ええ……」


 彼女は「問題ない」とまでは言えなかった。

 実際に彼の声を聞いた時、無性に彼に触れたくなってしまった。辛い気持ちを聞いて欲しいし、慰めて欲しい。

 最近のよそよそしい関係はもううんざりだった。


「おい、ルイーザ。何か問題が? 大丈夫か?」


 彼のその問いかけが終わるやいなや、ルイーザは扉を開けた。

 そこには、驚いて目を見開くレオンの日焼けをした精悍な顔があった。冷たそうな釣り気味の目が、笑うととても優しくなるのを彼女はよく知っている。


「ルイーザ……」


 彼女が手を差し出すと、彼はおずおずとその手を握った。軽く引くと、彼は寝室に足を踏み入れ、扉を閉じた。


「大丈夫じゃないわ。レオンがそばに居てくれないから」


 そう言うと、レオンの顔が泣き笑いのような顔に変わる。困らせてしまったと思った。

 でも次の瞬間、彼の大きな体に抱きしめられていた。


「こうしたかった。ずっと」

 彼はそう言ってくれた。同じ気持ちでいてくれたのが嬉しくて、愛おしくて、ルイーザも彼を抱きしめ返した。

「私もよ」


「もしこの関係が知られたら、あなたの方が失うものが多いわ。でも、レオンが欲しいの。ごめんなさい」

「難しい事は考えない事にしよう。そうだ、俺に褒美をくれればいい。試験を頑張ったから」

「褒美? 何か差し上げられるものがあるかしら」

「……それ、本気で言ってるんだよな……」

「えっ? あ、や、レオンっ!」


 レオンに急に抱え上げられてベッドに下される。ルイーザはその意味を理解して赤面したのだった。



 ◆



 ルイーザはもう何も考えられなかった。体中に快感が走る初めての感覚に全ての力を使い果たしてしまったような気がした。

 汗ばんだレオンの手に顔を引き寄せられて、お互いの舌の感触を感じ合う間も、まるで夢の中にいるようだった。


 やがて彼が離れていって、彼女の横に寝転んだ。

 ルイーザはほっとした。この前のようにすぐに部屋を出て行ってしまうのではないかと思ったから。

 二人とも相手の方を向いて、横たわっていた。どちらともなく手を繋ぐ。


「ルイーザ。好きなんだ。いつからか分からないくらい前から」

「レオン……。私も、きっとあなたを好きなのだと思うの。あなたとずっとこうしていたい」

「うん。それでいい。俺にはそれで十分だ」


 レオンは優しく微笑んで、でも「流石にそろそろ行かないと」と言って起き上がった。

 

「また来てくれる?」

「……うん。怪しまれない程度に」


 レオンは引き締まった美しい体を服で隠してしまうと、体を動かせなかったルイーザにも寝巻きを着せてくれて、毛布も掛けてくれた。


「じゃあ、また明日。おやすみ」

「ええ。おやすみなさい」


 レオンは何度も彼女の髪を撫で、髪にも唇にも口付けてから部屋を出ていった。

 ルイーザはついさっきまで彼の唇が触れていた自分の唇に指で触れる。

 彼女はこんな日が続けばいいのにと思いながら、疲れ切った体に引きずられるように眠りに落ちた。



つづく……

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