第一話 ルイーザと魅了の力
その部屋の中には男女が睦み合っているかのような嬌声が響いていた。
この部屋の持ち主であるルイーザは状況が分からずに困惑していた。
これは一体どう言う事だろうか。彼女は護衛にそう問いかけた。
◆
ルイーザは生まれながらに持っている非常に強力な魅了の力のおかげで散々な目に合ってきた。
その力は他人の理性を崩壊させるほどのものだったからだ。
乳母でさえ赤子の彼女に欲情し、執事はまだ目も開かない彼女を実際に犯しかけた。
彼女の力に影響を受けなかったのは、彼女と全く同じ力を持つ母親と、膨大な魔力を背景とした強力な防御魔法を常に己の周りにまとわせていた父親だけだった。
ルイーザは、当時まだ爵位を継いでいなかった、コルトバーン公爵家の嫡子で大魔法使いと呼ばれるマーロンと、社交界の花として知られた伯爵家の三女であるサラフィナの間に生を受けた。
母のサラフィナは通常の魔力とは異なり、血縁によってしか受け継がれない希少な魅了の力を持っていた。
そして、制御下に置いていても時折り漏れ出してしまうその力に引き寄せられてくる男たちにうんざりしていた彼女が出会ったのが、どのような魔法もほぼ無効化することが可能な防御魔法を身にまとっていたマーロンだった。
そんな二人は恋に落ちた。
そこまでは何の問題もなかった。身分の釣り合いも取れ、派閥も敵対関係になかった。二人は祝福されて結婚した。
しかし、その二人の間の子どもが両親の能力両方を、そのまま受け継いでしまうとは誰も思わなかった。
魅了の力は隔世で現れるものと考えられていたし、通常の魔力についてもその強さは親子きょうだい間でも様々である。
しかしルイーザは母よりもはるかに大きな魅了の力と、父親にも匹敵すると思われる魔力を持っていた。
通常ならば、強大な魔力を持つ子どもの誕生は祝福される。国力に直接の影響を及およぼすからだ。
だが、これが公になれば悪い方向に利用しようとする者の標的になるのは明らかだった。
あまりにも危険すぎると父親のマーロンは判断した。彼は当時存命であった父親の、元王弟で前コルトバーン公爵の助けも得て、娘の力については出来る限り隠す事にした。
そのためルイーザの力については、王家に報告した他は最低限の家人に知らされたのみである。
公爵家は早急に魔力が低く、魅了の力の影響を受けにくい体質の持ち主を探した。ある者は使用人として、ある者は護衛として雇われた。
力の影響を受けてしまう者たちは公爵家の持つ他の屋敷に配置換えされた。
ルイーザに危害を加えかけた者も、ルイーザから引き離し、力の影響が薄れれば、やがて通常の状態に戻った。そして、そのまま公爵家に雇われ続けた。これは情報の漏洩を防ぐためであった。
ルイーザは彼女の力の影響を受けにくい者に囲まれて成長し、物心がつくと、父や母から魅了の力を含む魔力の制御法を厳しく教えられることになった。
いくら大魔法使いと呼ばれる父にも、他人に防御魔法を長時間かけ続ける事は不可能だったのだ。
母からは赤と白の球体を、魅了の力と通常の魔力に見立てて思い浮かべる方法を教わった。そして、白い通常の魔力で赤い球体状の魅了の力を包み込んでしまう。
それが出来るようになると、魅了の力は抑え込めるようになった。とはいえ魔力を常に同じ状態に保つのは大人でも簡単に出来る事ではなく、幼いルイーザの魔力の制御は不安定たった。
そのような状況にあったルイーザは同年代の子どもたちとの交流もままならない状況で育つしかなかったが、父も母も彼女に大きな愛情を注いだ。
そんなルイーザも十歳になる頃には、魔力制御の腕は父の部下である魔法使いたちに引けを取らないほどになり、彼女を幼い頃に何度となく危険にさらした魅了の力も基本的には抑え込んでおけるようになった。
婚約者も選び抜かれた。
大貴族出身で魔力が極めて低く、ルイーザの母が放った魅了の力にも反応を示さなかったヘイゲン・セドロセンという侯爵家の三男が婚約者に据えられた。
それによって、ルイーザは将来的に社交界に頻繁に顔を出す必要が無くなった。両親は細心の注意を払って彼女の安全を確保したのだった。
そこまでして始めて、両親は彼女を王立学院に送り出すことを決断した。
当然の事として、魅了の力に影響を受けない平民出身のレオンも学院に一緒に入学させ、護衛として常に同行させる手配もされた。
ルイーザのような、家庭で十分な教育を受ける事のできる者は基本的には学院に行く必要はない。
だが、ルイーザには友人と呼べる存在が一人もいなかった。それは今後彼女が生きていく上で良い事とは思われなかった。
また、専門的な知識を持つ家庭教師は貴族の出身者がほとんどであり、魔力の低い者を見つけるのは困難を極める事が予想された。
それらの点を踏まえ、熟慮した結果が王立学院への入学だった。
とはいえ、入学後も、幼い頃に何度も恐ろしい目に合ってきたルイーザは容易に友人を作らなかった。作れなかったという方が正しい。
人との距離を常に取り、笑顔すら見せない。そんな彼女は身分やその美しさも相まって、憧れ半分、恐れ半分と言った眼差しで遠巻きに見つめられる事となった。
そんなルイーザが、彼女の心を開かせ、彼女の唯一の友人となった人物に巡り合ったのは、学院の最終学年に進級した頃の事だった。
ソフィアという名前の地方の男爵家出身であるという歳下の可憐な少女は、王都の学院に編入するなり、あっという間に学院中の人気者になった。
その明るい笑顔と誰に対しても変わらない朗らかさは、ルイーザにも向けられた。
彼女から「ぜひ、お友達になっていただきたいんです!」と言って両手を握られた瞬間に、ルイーザは思わず頷き返していた。
それ以来、彼女たちは休憩時間や授業後に学院内でお茶をし、たくさんお喋りをした。実際には話題が豊富なソフィアが一方的に話しかけ、ルイーザが驚きと共に相槌を打つばかりであったのだが、それでも二人の仲は深まっていった。
「ルイーザ様は聞き上手ね! ついつい話しすぎてしまうわ。退屈なさっておられない?」
「いいえ。ソフィアのお話は、私の知らない事ばかりでとても楽しいの」
ルイーザは基本的に感情を表に出さないようにしてきた。感情が乱れると魔力の制御に問題が出る事が多かったからだ。
そのため、家族とレオン、信頼のおける使用人以外の前では笑う事も出来なかった。
ルイーザはその事を気にしていたのだが、ソフィアは「表情が豊かでない事をお気になさっているのね。でもそれはルイーザ様の個性なのではなくて? 私は気にしないわ」と人を惹きつけてやまない笑顔を浮かべて言ってくれる。
ルイーザは本当にうれしかった。護衛のレオン以外に学院内で必要以上の言葉を交わす者などいなかったし、ソフィアはルイーザを傷つけてきた人たちとは違うのだと心の底から思えた。
だから、彼女を自分の誕生祝いの宴うたげに招いたのは当然の行動だった。
しかし、宴の最中に、休憩するために自室に戻ったルイーザは愕然とする事になった。
信用し切っていたソフィアが、なぜかルイーザの寝室のソファの上で、なぜかルイーザの婚約者とまぐわっている。
『これはどうした事かしら』
ルイーザは護衛のレオンに、出会った頃に二人で開発した指文字を使って問いかけたのだった。
つづく……