#5 銭湯清掃を攻略せよ!
「まさか清浄処理部隊が大学病院の隣で銭湯も運営しているだなんて、デブリスもビックリよね~。」
私は早朝からゴシゴシとデッキブラシでタイル床のぬめり取りを続けている。
私の仕事は主に大学病院の滅菌消毒室の助手及び寮のハウスキーパーをするという内容だけど、第二週の土曜日だけは清浄部隊が運営する銭湯の定期清掃も兼ねている。
この銭湯は主に清浄処理部隊が使う福利厚生の施設だけど、土・日は一般にも広く開放していて週末になると早朝から長い行列ができるほど人気だ。
こびりつくカルキ汚れの予防ができたり、除菌や消毒効果もある特殊な温泉らしく、未知のウイルスに脅かされるこの世界ではとても重宝されている。公衆衛生の向上も私たちの任務のひとつだから、温泉施設に需要があるのはとても素晴らしいことだと思う。
ただこの施設は・・・ただの平凡な人間には、一人で掃除をするには困るくらい広すぎるのよ!
ただでさえ大浴場の中は湿度が高くて暑いのに、時間に追われて動いているから余計に汗が玉のように噴き出してくる。
私が就業する前は、誰がどうやって清掃していたんだろう?
ふと露天風呂が見える大きなガラス窓の上部に設置されている時計を見た私はギョッとした。
え・・・! もうこんな時間なの⁉
あと一時間で鏡の水垢とカビを除去して、お湯の水質チェックもして・・・わーん、もう一つ体が欲しい!
「おは・・・おはよ。」
一心不乱にスポンジで鏡を拭いていると、不意に誰かの声がした気がして手を止めた。
ん? この時間は私以外には誰もいないハズ。
もう一度鏡に向き直ると、なんと鏡には私以外の人間が映っていたのよ!
「ギャー!」
「ワァーッ!」
全身に鳥肌が立つくらい驚いて叫んだ私は、私と同じくらい驚いている小柄な男性を見て、すぐに状況を理解した。
「ウルさん? ごめんなさい、そこに居るとは思わなくて。
驚いて変な声を出しちゃいました。」
潤んだ目が隠れるほど前髪が長いマッシュルームカットのウルさんは、すごく居心地が悪そうに身体を縮こまらせた。
「ん、急に話しかけた僕が悪いんだよ。
ビックリさせちゃってゴメンね。」
個性が強い消毒班の中で、存在感は薄いけれど唯一の癒やしといえるのがウルさんだった。
いつも声を張らないでゆっくりと喋るので、ウルさんの周りだけ優雅な時間が流れている。
よくも悪くもマイペースでおっとりとした人柄だ。
私は、時間を二度見してからウルさんに尋ねた。
「どうしたんですか? 営業開始時間には、まだ早いですけど。」
「ここは広いからさ、二人で掃除したほうが早いと思って来たんだ。
イーオが来る前は僕が掃除の担当だったから、早く終わらせるコツも教えてあげるね。」
神降臨! 優しいは正義!
私は嬉しくて泣きそうになった。
「助かります! とくに鏡って拭きムラが出来やすいから、時間がかかるんです・・・。」
「拭きムラかい? それなら、イーオの能力があれば問題ないんじゃないかな?
確か消毒エタノールの噴射でしょ?」
「え、鏡にですか?」
「ダスターに適度な量のエタノールを吹きつけてから鏡を拭けば、水拭きと乾拭きする必要もないし、皮脂汚れなんかの酸性の汚れにも効果的だよ。」
やってみよ!
私はウエストバックから消毒スプレーを出してダスターにふきつけてから、教えられたとおりに鏡を一枚一枚拭いてみた。
おおっ、本当にピカピカになった!
「ありがとうございます!
良かったらエタノールを染み込ませたこのダスター、ウルさんも使ってください♪」
「ううん。僕はこれで大丈夫。」
袖を肘までまくり上げたウルさんは、素手で鏡をひと撫でした。
すると、手のひらから出た七色の気泡がパチンと弾けて鏡に当たり、表面が一皮むけたように光沢が出たの。
「わあ、虹みたいでキレイ!
このシャボン玉みたいなのが、ウルさんの能力なんですね。」
「そうだよ。僕の能力は超音波なんだ。」
私は驚いてウルさんの手を凝視した。
「超音波って・・・イルカがコミュニケーションを取る時に出すというアレですか?」
「アハハ。面白いね、イーオって。
確かにそれと似たものだけど、僕の異能は医療に特化しているからイルカとはお話できないかも。」
クスクスとウルさんが静かに笑ってくれて、私は赤面した。
もしもこれがポピさんやジアさんなら、大笑いされた上に一生馬鹿にされただろう。
私がいた世界とこちらとでは常識が違う可能性もあるから、もっと言動には気をつけなきゃ!
「あれ、でも・・・。」
私は違和感を覚えて首をひねった。
「超音波洗浄の異能って【洗浄班】の仕事だと思っていました。」
前にエチルさんには、そう教わったのよね。
ウルさんは少し困った顔をした。
「ん・・・もともとは洗浄班にいたんだけど、ちょっと昔いろいろあって消毒班に出向中なんだ。」
「へえ。清浄部隊にも出向なんてあるんですね。」
すると、ウルさんは大きなため息を吐いて憂鬱な顔をした。
「僕は、ダメなヤツなんだ。」
「ダメなんて、そんな・・・。」
ウルさんの顔をのぞきこもうと近づいた私は、床の拭きあげていないぬめりに足を取られて転倒した。
「キャア!」
デッキブラシが床に叩きつけられるけたたましい音とともに、私は倒れたウルさんの身体の上に覆いかぶさっていたの。
しかも都合よく転んだ拍子に雑役ロープが絡まって、私とウルさんの足を繋いでいる。
「イテテ・・・。」
「ご、ごめんなさい、足にロープが絡まっちゃいました!
今すぐにどけますから!!」
焦って手に取ったロープを外そうとすればするほど、余計に結び目が増えてくる。
あちゃー。苦手なのよね、裁縫とか知恵の輪とか。
「イーオ、大丈夫?」
「今すぐに解きます!」
「いや、そこ引っ張ったら余計に絡まるんじゃ・・・。」
痛いやら恥ずかしいやらでわちゃわちゃしていると、大浴場の入り口から男性二人の話し声が聞こえてきた。
「・・・まあ、そうでヤンスね。」
あ、あのクセつよなヤンス口調は・・・まさかエチルさんがココに? 私は一気に全身の血の気が引く音を聴いた気がした。
この状況はマズいよね。 私は指をくわえてガタガタ震えた。
見方によっては私がウルさんの身体を押し倒して襲っているようにも見えない?
オーマイガッ!
大好きなエチルさんにだけは誤解されたくない!!
「ウルさん、緊急事態です・・・このまま一緒に逃げましょう!」
「え? 逃げるって、どこに?」
私は戸惑うウルさんを雰囲気だけで押し切った。私とウルさんはロープに繋がれたまま、二人三脚の要領でサウナ室の横の用具室に飛びこんだ。
※
「あれ? まだ大浴場に居るはずでヤンスが、もう掃除が終わったのかな・・・?」
「なんだ、せっかくエチルが拾った新人を紹介するというから来たのに。
楽しみにしていたのに残念だな。」
狭い用具室でウルさんと息をひそめていると、サウナ室に入ったエチルさんの声と知らない男性の声が聞こえてきた。
狙ってはいないけど・・・これって立派な盗聴よね。背徳感を感じるわ!
それにしても、エチルさんと一緒にいる男の人は誰だろう?
『第参部隊【滅菌班】隊長・クレーブですよ。』
ウルさんが私の心を見透かしたように、こっそりと教えてくれた。
思わず見上げるとウルさんの吐息が私の頬に当たり・・・わーん、こちらも背徳感でいっぱいよ!
「面白い能力を持っているんだ。とても興味をそそられる。
きっと、キミも気に入ると思うよ。」
「ヒトに興味を持つなんて、銀狼のエチルらしくないな。」
口の端でフッと笑うと、クレーブが声のトーンを落とした、
「今日呼び出したのは、その新人のことだけじゃないだろう?
本題は何だ?」
「ああ。例の調査の件の進捗報告がしたくてね。」
クレーブはわざとらしく咳払いをすると、耳を疑うような話を始めたの。
「例の件か。
君の説によると『未知のウイルスは異世界からやってきた人類が広めたもの』だったかな。」