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第5話




週の大半を軍部の宿舎で過ごしているレスター様は、身の回りのことはほとんどご自身で済まされるそうだ。


翌朝、ベルタ様と私が出勤してお部屋に伺うと、彼はすでに身支度を済ませてソファーに腰を下ろしていた。

その足元では子猫達が寝転がったり、飛び跳ねたりと朝からとても元気で騒がしい。


朝食の時間がもう少し先なので、それまでは屋敷を不在にしている間に届いた手紙や書類に目を通しているようだ。

手際よく読み進めながら、たまに何かメモを取ったりしていた。

朝なのに眠たげな様子は一切ない。


洋装でくつろぐレスター様の姿は、まさに洗練された貴公子そのものだった。

爽やかな朝の風景が大変よく似合う。


部屋の整頓はレスター様が朝食に行ってから始めるので、この時間に急いで済ませる仕事はないとベルタさんは言っていた。

朝の挨拶を済ませて今後の予定をレスター様に確認した後は、室内にいる必要がないので退室する。

お部屋付きのメイドとはいえ、朝からずっと張り付かれていたらさすがに疲れるだろう。


ベルタさんに続いて部屋を後にしようとしたところで、「エレイン、少しいいかな」とレスター様に呼び止められた。


「すまないが書類に目を通す間、ルルとリッテを見てもらってもいい?」


子猫達に再び視線を向けると、ルルは構ってほしいらしく膝の上を行ったり来たり、一方のリッテは自分のしっぽや影を追いかけて飛び跳ねては、勢い余って足によくぶつかっていた。

…とてもかわいいが、確かに気になって落ち着けないだろう。


苦笑するベルタさんにも「お願いね」と頼まれたので、私だけ部屋に残ることになった。


いったんルルとリッテは子猫部屋に移動してもらうことにした。

二匹いっぺんに抱えて落としては怖いので、まずはルルを抱えて子猫部屋に連れていく。

途中、不満そうに小さな丸い手ででぐーっと鎖骨の辺りを押された。

そんな抵抗すら可愛い。肉球の感触が伝わってきた。

図らずも朝からすごく癒される…。


リッテの方は抱えても抵抗せずに、じっと私の顔を見つめて大人しく運ばれていた。

頬擦りしたくなるかわいさだが、すぐそこに部屋の主がいるのでやめておく。

やるならレスター様がいない時にしよう。


子猫部屋に連れて来てからもひとしきり遊んだルルとリッテは、さすがに疲れたのか窓辺に寝転がって、すやすやと眠り始めた。

その伸び伸びとした姿を眺めていると、コンコンと子猫部屋の扉がノックされた。レスター様だ。


「お待たせ。一通り目を通したから…こちらに呼ぼうと思ったんだけど」


レスター様は熟睡している子猫達に気づいて、目元を緩めた。


「遊び疲れたようで、先ほどぐっすり眠ってしまいました」

「そうみたいだね」


二匹のもとに歩み寄って、レスター様はそっとその場に片膝をついて屈んだ。子猫達の鼻筋を指先で撫でてから、私に視線を移す。


「まだ時間があるし、昨日の話の続きでもしようか」


そこで話を始めるかと思いきや、レスター様は私の手をとって立ち上がった。

そのままこちらの手を引いて、メインルームのソファーに向かっていく。

…あまりにも自然にそうされたので、何をしているのか尋ねるタイミングをすっかり見失った。

わざわざ手を引かれなくても、言ってもらえれば大人しくついていくのに。

私が意地でも子猫達のもとを離れないとでも思ったのだろうか。


そう思いつつ振り払うわけにもいかず、とりあえずレスター様についていく。


「座って話そう」


レスター様は戸惑う私の手をとったまま、ソファーに腰を下ろした。…もうひとり、座れるようにスペースを空けて。


彼はにっこりと微笑んで私を見た。

空いている片手でトントンと空いているスペースをたたく。

どうやら、隣に座れということらしかった。


「…私は立ったままで構いませんので、気になさらないでください」

「僕だけ座って話すのは落ち着かないよ。それに恋人を装うなら、隣に座るくらい当たり前じゃない?」


……たしかに、それもそうか。


ただのメイドが公爵令息と同じソファーに腰を下ろすのは大変気まずいが、任務のために慣れていくしかない。

私が座ったのを見届けて、ようやくレスター様は手を離してくれた。

そして昨日の悪戯っ子のような瞳をして、私の顔を覗きこむ。


「考えてみたんだけどさ。ただ恋人関係を演じるよりも、本当に恋に落ちるくらいの遊び心を持ったほうが面白いと思わない?」

「はい?」


予想外の言葉に、思わず聞き返してしまった。

失礼だったかと内心焦ったが、レスター様は気を悪くした様子はない。

私がどう答えるか、興味深そうに待っているように見えた。

そんな目をされても奇をてらった発言は思い浮かばないので、端的に答える。


「思いません」


真顔で断言すると、レスター様は肩を揺すって笑った。

どこに笑うポイントがあったのか、微塵も理解できなかった。そして意外にも彼は笑い上戸らしい。


レスター様はひとしきり笑って言った。


「僕、今回の件でいいように振り回されてるんだ。ちょっとした憂さ晴らしくらい、許されると思うんだよね」


その憂さ晴らしに、私が振り回されることもぜひ考慮してもらえるとありがたい。


「見せかけの縁談に巻き込まれた上に、気づいたら相手には意中の人ができてるし。次は見知らぬ相手の恋人役を演じろって、人使いが荒すぎるでしょ」

「縁談が進む中で、伯爵令嬢とお会いになる機会はあったのですか?」

「ないよ。ただ、何年か前に夜会で顔を合わせたことはある。婚約者候補の一人だったんだ」

「そうなんですね」


大貴族なのだから、幼い頃から婚約者候補が何人かいても不思議ではない。

しかもこれだけ見目麗しく、誇り高きラングフォード公爵家の令息となれば引く手数多のはずだ。


そういえば、レスター様には好きな相手がいたり、実は本物の恋人がいるということはないのだろうか。

この任務のせいで仲違いすることになっては、さすがに気の毒だ。


「…レスター様は、私と恋愛関係を演じる事に不都合はありませんか?もし本当に好きな方がいらっしゃる場合、対策が必要だなと思いまして」

「あいにく今はいないから、心配いらないよ。エレインは?」

「私は現在進行形で恋愛経験がありません。これからもその予定なので問題ないです」


そう言うと、レスター様はわずかに首を傾げた。


「なるほどね。でもこれまでなかったから、これからもないとは言い切れないんじゃないかな」

「……どうでしょう」


二十二年間、一度もなかった事がこれからあるかもと言われても素直に頷けない。

恋人ができたり結婚する未来が嫌というわけではないので、政略結婚する必要が出てくればその通りにすると思う。

ただ貧乏貴族のターナー家の長女に、わざわざ縁談を持ち込む物好きはそう現れないはずだ。

自分で言うのも酷な話だが、どう考えても私と結婚するメリットがどこにもない。


「…やっぱり今後もないと思います」

「まあまあ、そう言わないで。エレインは綺麗だし、それに面白い。魅力的な人だと思うよ。頑なな考え方さえ変われば状況も違ってくるはずだ」


照れた素ぶりもなく、相手にさらっと魅力的だと伝えられるレスター様は、全く年下とは思えない。

たとえその言葉がお世辞だとしても、そうとは思わせないスキルの高さを垣間見た。

…気の利いた言葉の一つや二つ、私も伝えられるようにしなければ。私はこれでもレスター様より二つ年上なのだが、彼に勝るものが今のところ思い浮かばない。


ちょうどその辺りで朝食の時間になり、レスター様と私は立ち上がった。


「いずれにせよ、仲を深めることは必要だね。次の僕の休暇に、一緒に王都の商店街へ行こう。あなたに用事を頼んだことにして、午後は外出できるようにアルバートとベルタへ伝えておくから」

「…レスター様と私の二人だけで王都に行く、ということですか?」

「そうだよ」


……二人で外出か。

確かにこうして部屋で話すだけではなく、仲を深めていることを徐々にアピールしていかなければ、ここにいる意味がなくなってしまう。


「分かりました。よろしくお願いします」


レスター様は私の返事を聞いて、鷹揚に頷いた。

そして部屋を出る間際、思い出したように後ろにいた私を振り返る。


「その日は一応、デートのつもりで来てね」

「……」


そう言われても、残念ながら私にはデートと外出に同行することの違いが分からない。

是非ともご教授願いたかったのだが、レスター様はひらひらと手を振って行ってしまった。









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