8.秘密の通路
「殿下、シアーナス嬢はなんと言ったのですか?」
執務室に帰ると、コーエンがすぐに聞いてきた。
「大丈夫だよ。明日、婚約者になってくれると約束できた」
脳筋にさっきの会話を話すとややこしくなるので、未来の結果だけを伝えた。
『婚約者候補が選出出来なければ』という事は、お願いして却下されても、会議で話をするのを忘れたとしても、結果は同じ。それをシアーナスが知ることはない。
「そうですか。それにしても、あんなに兄弟でずっと研究の事を話しているなんて、くそ真面目というか、愚直というか...」
「コーエンだって剣の事や訓練に関してだと、ずっと話してられるんじゃないか。そういうところは似てるんじゃないか?」
「まさか、そんな」
「まあいい。明日は予定通り、話し合いで下位貴族達が不満を爆発させる。密偵が紛れているだろうから勉強会後に個別で部屋を回る。不始末を謝りに来た王太子という設定でね。そして翌日に婚約を発表し、一旦彼らには支度の為に自領に帰ってもらう」
「カムワン家の者とオルメリオン殿下は、例の日はどうしますか?」
「王家の離宮に行ってもらおうと思っている」
「ちょっと離れてますね。護衛が誰もつけませんよ」
「そうだね。ちょっと考えるよ」
(愚直とはよく言ったものだ)
レイザリオンはシアーナスの事を思い出していた。あろう事か本人に婚約者候補全員が婚約者になりたくないと打ち明けたシアーナス。シアーナスから他の候補の提案をされた時は、胸がモヤモヤした。
なんとか婚約者になってもらうよう言いくるめたが、胸はすっきりしない。
こちらはそんな状態なのに、シアーナスは全福の信頼を寄せた笑顔で微笑んでくる。こんな裏のない笑顔をレイザリオンに向けた女性はかつていなかった。
(ちょろ過ぎる)
ちょろ過ぎて心配になる。きっと父親も似たようなものだろう。サーザン公爵家に良いように使われても気づかないくらいに。
シアーナスが育ってきた環境は、レイザリオンと反対の世界だ。思ったままを口に出来る裏の無い狭い世界。澱んだ世界に引きずり出して良かったのだろうかとの思いが掠める。しかし、いずれにせよサーザン公爵が失脚したならば誰かが代わりにカムワン家を守らねばならないのだ。サーザン公爵がカムワン家を他国から守ってきた事は確かなのだから。
レイザリオンは、そう自分に言い聞かせた。
(僕がシアーナスを利用した事に、シアーナスは気づかないままでいてくれるだろうか)
レイザリオンは、その想いの源泉には目を向けなかった。
翌日、シアーナスが自室で朝食をとっているとサイナスがやって来た。また余計な事を話すと困るので、慌てて侍女達を下がらせた。
「シア、このお城はすごいよ。この王族エリアの向こうに政治を行う塔があるんだけど、そこの屋根の形は僕らが考えている充光の為の形になっている」
サイナスは、シアーナスに耳打ちした。
「これは重大な事だ。多分これは僕たちが作った光石じゃなくて、別の何かを使い充光していたんじゃないかと思う」
「それは光石のように、人工的に中に何かを入れたものでなく、天然のものを使ってと言うこと?」
「さすがシアだね。この建物は何百年も前に作られたものだ。その時何かを使って新しい力を得ようとしていた。それが失敗したせいで後世に伝わらなかったのか、危険過ぎて封印されたのか、何があったのかは僕らには知る術はない。あの塔についての記録が図書室にはないんだ。もしあるとしたら王族専用の書庫だろうな」
「お兄様は、その塔の上までどうやって行ったの?」
「この王族エリアから抜け道を見つけたよ」
サイナスは何でもないように言った。
「この前、一人で城を見て回った時に、壁に不自然な突起を見つけたんだ。それをちょっと動かすと壁がくるっと回ったんだ。ちょっと行ってみる?」
「えっ、それは、でも」
「すぐそこの壁だよ」
「えっ...じゃあ、ちょっと」
シアーナスは未知なるものへの誘惑に負けて、サイナスと一緒に部屋の外へ出た。左側はレイザリオン達がいる王族エリアに続いていて、右側はすぐに壁だった。
毛織物が貼られた壁に風景画が掛かっており、絵を支える取っ手の下に親指二本分の大きさの突起があった。
「これを一回引いた後、中に押すんだ」
サイナスは手慣れた様子で、突起を引いて押し込んだ。
ガチャと音がした。
サイナスが突起の横の壁を押すと、人ひとり通れるくらいの大きさの空間が扉のように開いた。壁は一面に毛織物が貼られているので、そこに切れ目があるとは、よほど注意してみないと分からないようになっていた。
「行こう」
中は暗かったが、サイナスが光石を持っていた。
「お兄様、準備がいいのね」
「まあね」
サイナスは悪戯っぽく笑った。
道は何回か分かれ道があったが、サイナスについて行くと、やがて行き止まりになった。
耳を澄ますと人の話し声が聞こえた。
「ここは、どこですか?」
シアーナスは小声で尋ねた。
「会議場二階の窓下の通路の所に出るんだ。そこから中の階段を通って屋根の方に出られるんだけど、まずいな。そうか、今日は何かあるって言ってたっけ」
だんだん人の声が大きくなって、内容まで聞き取れるようになって来た。罵り合うような声だった。
「いい加減にしないと、この国はもうだめです!」
「策は進んでいるのですか!?」
殿下らしき声が聞こえるが内容までは分からなかった。
「明らかにおかしな動きがあるんです!」
「アーカイアとウコナックが攻めて来たら、もう従属国になるしかないでしょう。そうしたら、国民は皆奴隷ですよ!」
「カムワン家の研究に公費を補助すると聞きましたが、どう言う事ですか?」
自分達の名前が出てシアーナスとサイナスは息を呑んだ。サイナスは慌てて光石を腰袋に入れた。
殿下らしき声が何か言っているが聞こえない。
「潰すべきだ!」
過激な内容に居た堪らなくなって、シアーナスとサイナスはそっとその場を離れた。
「上手く行ったのでしょうか?」
コーエンは自信なさげに沈んでいた。レイザリオンは、コーエンにも会議場で演技を頼んだが、剣技や体力以外に自信の無い男なので、声が上擦り、わざとらしい印象は否めなかった。
しかし実はそれもレイザリオンの計算の内だった。
『アーカイアが攻めてきても、我が近衞軍と貴族達の騎士団が団結すれば属国になるようなことは無い』
『レイザリオン殿下を信頼して欲しい。ちゃんと準備している』
いつも堂々としているコーエンのわざとらしい声の響き。
低位貴族達の不満の声。
密偵が反乱の兆しありと判断すれば、後日、低位貴族達の王宮への到来を反乱と誤解してくれるだろう。
何重にも練った策を、コーエンに説明し演技させるのは難しい。コーエンのような実直な者は、芝居としてセリフを言って欲しいと言えば、そこに変な緊張が入る。それが人々にこれは嘘だと印象付けられる。
(敵を騙すなら味方からだ)
「コーエン、心配しなくても大丈夫だ」
コーエンは信頼を宿した目でレイザリオンを見た。
「本当ですか?」
「ああ」
レイザリオンは、重責を腹に仕舞い込んで微笑んだ。