7.レイザリオンの提案
夜会から三日後、王家の馬車が公爵家にシアーナスを迎えに来た。
「頑張るのよ。いつでも相談に乗るから帰って来なさい」
アイリーンに笑顔で見送られ、シアーナスは複雑な心境だった。
あんなに圧に怯んでいたのに、今は離れる事に一抹の寂しさを覚えた。
毎日食事を一緒に取り、毎日支度に文句を言われ、共に過ごすうちに慣れていった。
(もう少し一緒に過ごしたら、友達になれた?)
そんな事を思う自分に、シアーナスは驚いていた。
シアーナスに用意された部屋は、レイザリオンの部屋がある王族の階の部屋だった。もちろん端だったが、これは本当に誤解されそうなポジションだった。
「何か足りないものはないかな?」
王家の侍女と片付けをしていると、レイザリオンがコーエンと一緒にやってきた。穏やかなレイザリオンと渋面のコーエンは対照的だ。
部屋はベットにソファー、机に鏡台、それに本棚まであった。
鏡台には化粧品が置かれ、本棚には数冊の他国の本が置かれていた。装飾は黄色をベースとした落ち着いた色合いでシアーナスの好みだった。
「いえ、素敵なお部屋をありがとうございます。でも、良かったら兄と同室か近くの部屋で..」
遠慮がちにシアーナスが言うと、レイザリオンは困った顔をした。
「それは難しいね。実は地方にいる子爵家や男爵家、騎士爵の者などが、昨日から王宮に来ているんだ。貴族院に参加しない者達の意見を聞く為に、勉強会と称して会議をするんだ。
その者達がサイナスのいる別棟に宿泊を割り当てられている。彼らの多くがタウンハウスを持っていないからね。男性ばかりの所にシアーナス嬢の部屋を割り当てる事は出来ないし、そんな人の出入りが多い所に、兄妹とはいえ年頃の男女が一緒の部屋にいると、なんと噂をたてられるか分からないしね..」
そう言ってレイザリオンは申し訳なさそうにした。確かにそんなに人が多いところはシアーナスも怖いので、大人しく受け入れる事にした。
「そうなんですね..分かりました」
レイザリオンは安心したような笑みを浮かべた。その時シアーナスは気が付いた。
『子爵家、男爵家、騎士爵の者が来ている』なんという偶然。必然と言っても過言ではない。シアーナスはこの機会を利用して新たな婚約者候補を探してもらったらいいのではと閃いた。己の閃きが嬉しくてシアーナスは満面の笑みを浮かべた。
そんな、シアーナスを見てレイザリオンは一瞬怯んだように見えたが、すぐに表情を元に戻した。
「では、一旦失礼する。後で王宮の中を案内するよ」
レイザリオン達が出ていったのと入れ替わりに、サイナスがやって来た。
「シア!この部屋に入ったって事は、婚約者になることを了承したの?」
サイナスは入って来るなりシアーナスに聞いた。侍女達も驚いて手を止めこちらを凝視した。
「お兄様、違いますよ。私はただの婚約者候補ですよ。婚約者になって欲しいなんて言われてもないです」
シアーナスは、サイナスと侍女に向かって大きな声で主張した。兄が何を言い出すか分からないので、シアーナスは侍女に下がってもらうようお願いした。
「お兄様、侍女達に誤解されたら大変ですよ。婚約者になったら、私は家に帰れないんですよ」
「だって、ここは王族のエリアだろ?」
「貴族の方達がいっぱい来てるらしいですよ。明日の勉強会の為に。だから部屋がないんですって。お兄様知らないですか?」
「そういえば、廊下に人が沢山いたような。明後日は話し合いに出て欲しいと言われたけど、明日の事は聞いてないなぁ」
「お兄様はいつまで滞在するんですか?」
「補助金の手続きが終わったら帰るよ。多分明後日がその話しじゃないかな」
「そうなんですね。で、どこまで研究は進みました?」
「光石を充光させる装置をなかなか小さく出来なくてね」
光石は淡く直発光する石だが、中に細工をする事で光と熱を持続させられる。その技術を発明したのがカムワン伯爵だった。中の細工を入れ替えるのは細かい作業なので、光が消えたら専門の職人の所に交換に行かないといけないし、持続時間も半日くらいだ。
それを改良しているのが今の研究だ。中の細工を変えて、光が消えたら太陽光を充光し再発光させるよう実験中だった。
「殿下のお陰で時間の猶予が出来たから、装置の大きさも色々作ってみたいよね」
サイナスが嬉しそうに話す。シアーナスも久しぶりに慣れ親しんだ話しを聞けてホッとした。
二人の話しは弾み、レイザリオンが再訪するまで続いた。
「まだ、話していたんだね」
レイザリオンは微笑ましい瞳を向けているが、コーエンは若干呆れたように目を細めていた。
「あっ、申し訳ありません。何か御用でしょうか?」
シアーナスが慌てて言うと、レイザリオンが穏やかに言った。
「今から、城の中を案内しても良いかな?」
「あっ」
シアーナスは、レイザリオンが出て行く時にそんな事を言っていたと思い出した。
「も、申し訳ありません。よろしくお願いします」
「殿下がわざわざ案内しなくても、僕が案内しますよ」
サイナスが申し出たが、
「サイナス卿が案内したら、二人でまた話し始めて案内にならないだろう。大体君も城の中はよく知らないだろう?」
「そんな事はないですよ。この建物はかつての賢者が建設したのでしょう?色々面白くて、結構中と外をうろうろさせてもらいました」
サイナスは自慢げに言った。
「面白いとは?」
「外から見るのと中から見るのでは、少し形が違うんですよね。会議場がある塔が特に変わった形をしてますね」
「そうか。僕はシアーナスを案内してくるから、君は引き続き一人で建物をじっくり観察しておいで」
シアーナスはサイナスも一緒に来て欲しかったが、レイザリオンに手を取られサイナスから引き離された。
「君たち兄妹は仲が良いんだね」
レイザリオンが王宮を案内しながら言った。二人の後ろにはコーエンが数歩遅れて付いて来ていた。
「兄妹と言うよりは、研究者仲間と言った方がしっくり来るかもしれません」
「僕にも弟がいるんだ。仲も良い。だけど君たちみたいに仕事の話しはまだ出来ないな」
「オルメリオン殿下は年が離れていますよね?これからでしょうか」
「そうだといいな」
シアーナスの歩みに合わせてレイザリオンは並んで歩く。王宮は広いので、今日は王族エリアと来客エリア、それに付随した庭園を案内された。
庭園にはガポゼがあり、二人でそこに座った。ゆるやかな風が吹き、人工の庭園とは忘れるくらい自然を感じる場所だった。
シアーナスは穏やかな雰囲気に力を得て、レイザリオンに話しを切り出した。
「殿下、お話しがあるのですが...」
シアーナスが言うと、レイザリオンはコーエンと侍女を話しが聞こえないほどの位置に下がらせた。
「どうしたの?」
レイザリオンの微笑みがシアーナスの背中を押した。
「実は、婚約者候補に選ばれている他のご令嬢達は、それぞれご事情があって婚約者にはなれないようなんです。その為私が殿下の婚約者になるように圧を、いえご指導を受けたのですが、私は先日お話ししましたように、研究を続けたいと思っています。ですので、明日、子爵、男爵、騎士爵の方々とお会いするのならば、その方々の子女の中から婚約者候補を新たに選出して頂けたらと思いまして..」
こんな事を王族に言う事は常識では考えられないが、幸いシアーナスには常識がなかった。ただただレイザリオンの人柄を信じて己の希望を優先させた。
「なるほど。ご令嬢達は婚約者にはなりたくないとシアーナス嬢に言ったんだね?」
本人の口から聞くと随分と不敬に聞こえた。
「は、はい。でも、もしかしたらこれは言ってはいけない事だったかも...」
シアーナスは失言に気づいて両手で口を塞いだ。今更だが。
レイザリオンはにっこり笑ったが、いつもと違い妙な圧を感じた。
「そうだね。今聞いた事は聞かなかったことにしよう。
その代わりと言ってはなんだけど....。
明日の会議で婚約者候補が選出できなければ、当分の間、シアーナス嬢が婚約者になってもらえないだろうか?
もちろん僕はシアーナス嬢の希望を覚えているから、今後必ず希望に沿うようにする。それに他のご令嬢達の希望も叶うだろう?」
「そ、それはそうですが」
どこか三令嬢を思い出す話しの流れだったが、妥当な提案のようにも思えた。
「僕も上手く行くよう努力するけど、駄目だった時は助けてくれないだろうか?」
レイザリオンが申し訳なさそうに言うので、シアーナスは心が痛んだ。
レイザリオンは顔は整っているし、優しく素敵な人だとシアーナスは感じていた。それなのに誰からも嫌がられているようで可哀想に思えた。
「分かりました。でも殿下は、その..優しい方です。きっと上手く行くと思います」
シアーナスは励ましたつもりだった。きっといい相手が見つかりますよと。
レイザリオンがじっとシアーナスを見たので、励ましを込めて大きくうなずくと、レイザリオンは困ったような笑みを浮かべた。
「ありがとう。では、明日報告に来るよ」