5
そして倒壊の音が鳴り響いた。
『私のことは気にせずに生きなさい』と、母親の声が聞こえた。ような気がした。
言えたのはそれだけで。気がついたら母親の姿はどこにも見当たらなくなっていた。
「たとえ精霊に頼んでも全てを守るなんてことは困難に等しい」
「それでもっ、お前は救えたんじゃないのか? シゴーニュ・テュードゥヌス!」
「こんな爆炎の中で母親を助けようと飛び込んだのが自殺行為みたいなものだった。母親は俺にクレアシオンを頼むっていって、それでーー」
「また俺だけが生き残ったのか」
ハハッと自嘲する。いつもそうだ。だから逃げたいと、災難を減らしたいと思うのは当然ではないか。
しゃがみ込んだまま、涙を流す。倒壊した建物の中で生き残ってしまったクレアシオンはどうすればいいのかわからなくなっていた。
竜の黒い影が横切る。
「まだ生きてたか、虫けらが」
「ちっ、こんなことまで引き起こして! 人間を、なんだと思ってるんだ」
「ヒトはただの餌だ」
平行線だった。譲れない。こんなことを引き起こしておいて、譲ることなんてできない。
再度の戦いが始まろうとしていた。
ーーとはいってもだ。ただの人が竜に勝てるはずもなく。
防御にシゴーニュは力を割いてくれて致命傷は免れていたものの攻撃手段がない。相手は空を飛べる。もうその時点で圧倒的に黒竜王の有利だった。自分に持っているものは奇跡的に残った剣一本。脚や鱗のところを攻撃しようにも鉤爪で手痛い一撃を喰らうこと数十回。黒竜王はうんざりとしていた。
次を考えようとしたいま、圧倒的な炎が体を包んだ。水の魔法で相殺しようにも相手は本気だった。シゴーニュの結界も段々と効果を失っていく。
まだ知ったばかりの世界があった。その世界になれることなく消え去ろうとしていくこと、そのことに納得がいくはずもなかった。
「お父様、お母様。ごめんなさい。俺は、俺は…これでも生きたい、それでもこんな不条理な世の中を生きたいんです!」
それに、奴は全ての元凶だ。ここで倒しておかなくてどうする。倒さなくてどうする。
倒しておかなくてどうする!?
+++
「アルゲベルト、彼よ! きっと! 彼ならばデゼスポワールを倒せるわ!!」
「あ、ああ…とりあえず、ギネフェルディーナ様から教えてもらった契約方法を」
「今やるのよ! 今やらないと燃えカスになっちゃうわよ!あの子」
「ええいわかってる。ほい!」
+++
『聞こえるか! これからお前に力をかそうと思う。一緒に黒竜王デゼスポワールを倒そうではないか!』
それがアルゲベルトからクレアシオン・ヘルツバールに贈られた最初の一言だった。
これから苦難が訪れることを一人と一体は知ることもなく契約を交わす。
クレアシオンは途端に視えた。全てのことが。
「はっ、ははは、はははははっーー!!」
真実を知ったクレアシオンはやけくそになっていた。竜の身体能力の魔法を完璧に使いこなし、跳躍。竜の逆鱗を迷いもなく突き刺した。
黒竜王は倒れ伏す。あっという間の決着だった。
夜が迫ろうとしていた。
「こんな化け物、誰が生み出したのかと思ったら、自分でしたってオチ。最悪すぎるだろう」
アルゲベルトの声が聞こえるが一旦無視する。彼のおかげで助かったのは助かった。けれども…
アルゲベルトと繋がった瞬間、自分の本体が見えたのだ。それから急速に自分への知識が逆行するかのごとく全部入ってきた。黒竜王を倒せたのだって、その知識によるものだった。自分の努力ではない。人間と幻妖、その狭間にいる自分の本体という存在の力によるものである。つまり、この方法は狭間の力を通じて行われるものなのだろう。
急に身体能力が上がったのも竜族の力と、自分 (本来) の知識を兼ね備えたものである。あとでこれをアルゲベルトに教えたものに伝えなければ。文句はいっぱいあった。
顔を片手で覆い、嗤う。結局、力んで未来が見えたはずだった。なのに最初っから何もなかったのだ。生まれ落ちたところも幻妖だらけだった。自分は幻妖が嫌いだった。昔から。ギネフェルディーナというシゴーニュの妹には遠慮していたものの、嫌っていたのだ。だからそれが歪みを生んで黒竜王なんていう異端児が生まれた。憎悪の果てに人間を喰っても喰いきれない哀れな存在が生まれてしまった。
「お前も手抜いてただろうシゴーニュ。本気でぶっ飛ばすぞ」
「それくらい元気でしたら大丈夫ですね」
シゴーニュだったらここら辺天地一変させるくらい雑作もない。彼はここ、ロワンモンドの神様であるのだから。
シゴーニュは完全体となったクレアシオン・ヘルツバールに恭順の意味を込めて跪いた。
「お前がやると、真摯に思えないからいい」
「じゃあ彼女は?」
というと、どこからともなく自分の婚約者が出現して、同じように跪いた。
「…アルクレアラ」
彼女は自分の信望者で本名はレアではなくアルクレアラという幻妖世界という世界にすむ住人だ。わざわざ別の世界にまできて、ここまで尽くしてくれた。それはいい、が。やはりしこりは残る。今まで婚約者として悩みは相談してきたつもりだ。それが…丸裸になったような気がして、羞恥もあるが、怒りはシゴーニュよりは湧いてこなかった。というか、ずっしりときていたのは結局見張られていたという閉塞感。そして騙されていたことに対しての若干の怒り。
「申し訳ございません」
「ああ! …ああ」
最初のああは投げやりだった。その後のああは悲しげだった。レアはもう死んだのだ。
「お父様は」
「無事です」
「そうか。お母様のことをご報告に行かないとな」
全てを護れなくてごめんなさい。
これを引き起こしたのは幻妖に対する憎悪からだった。
だけど、故意にやったつもりはない。軛という存在である以上、憎悪すれば、形になる。それだけのことで、これだけの人が犠牲になってしまった。
居場所もない。人もほぼいない。そんなところに。
クレアシオンという名前さえ、自分の存在さえ、苦痛であった。何かに変わりたいと強く願ってしまった。けれど叶えられない。世の中には理不尽ばかり溢れていて、それでも、それでもーー
レアもといアルクレアラのお屋敷でお世話になって数日経った。クレアシオンは自分の存在を嫌悪し、自分の殻の中に閉じこもっていた。そんな時でも朝はくる。憎たらしいほどに煌びやかな光を伴って。
「クレアシオン、一緒に見に行かないか」
と父親にぼんやりと言われ、連れて行かれたのはかつての宮殿の跡地だった。そこで僅かな人たちが、瓦礫の撤去などを行なっていた。
「人間は強いんだ。お前は竜を倒せた。我々の英雄だよ」
「英雄なんかではありません。ただの石ころです」
息子の急な変わりように何かを察したようであるが、父親は何も言わない。
「クレアシオン、人間は変われるんだ。今は変わらなくても、変わろうと思う気持ちがあれば変われるんだ」
「それを言ってなんになるんです」
「急にいなくなるな。そして死ぬな。私は悲しむぞ」
こんな自分でも家族はいた。でもいずれは死んでしまう。
「はっは…」
何かがおかしくて段々と涙がこぼれ落ちていった。皆が自分が急に泣き出したことに対して注目している。でも、それでも。よかったのだ。結局はこうなる運命なんだったのだろうと自分を呪いながら、泣いて、泣いた。
「結局俺はそこから変わっちゃいない。父親も母親もとうの昔に亡くして、そのままずっと虚無の中で生きてきた。ヴィスは俺の希望だったが、もう俺だけのものじゃない」
そう語りかけるのは狭間の世界にあるクレアシオンことヘルツバールの本体にである。自分の身長分、いや、それ以上の頭、彫刻めいた姿に長い髪やらなんやらは自分とそっくりである。だって自分なんだから。
「これからどうすればいいんだろうな」
別に何も思うことはなかった。絶望して、開き直って、また絶望して。絶望したくなくて、逃げ出したいという気持ちに駆られて。
「まあ、いいか。こんな俺にでも何かできることがあるみたいだ。一応アルモニーのトップだし? それだけで価値があるというやつはごまんといる。だからそいつらのためにせいぜい頑張ってみますかね。
それからは…探してもいいのかもな。この両世界は理不尽でいて、それでも美しいのだから」
そう言って、ヘルツバールはこの場を後にした。太陽にも似た赤い髪をひらりとさせて。