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翌日。
結局レアのところに行こうとしたら父に止められてしまった。
あれやこれやと気を揉んでくれるような弱気な面もある父だが、何かあると言われたら止めざるを得ない。
なんのことやら。
「最近の黒竜王陛下の要求が強い。お前も知っていようが」
蒼白な顔で父はいう。死相が出てもおかしくないくらいの白さだった。
「妻は度重なる生贄の儀式に耐えきれず、倒れてしまった」
現在療養中である。優しい、か細く繊細な母。
(やはりこんなことは間違っている…)
誰が決めたのかこんなやり方。そいつを思いっきりぶん殴りたかった。自分たちの先祖か。竜たちの先祖か。
「生贄の者が尽きようとしている。何度も言ったって変わりはない」
「陛下?」
“父親” と呼んであげた方がよかったのだろうか。しかし、ここにも竜族が外に待機してあった。
「だから、私の願いを聞き留めてくれるためにも、王位継承を行いたいと思う」
竜族が待機してるにも関わらず、堂々と言い放った父親。これはデゼスポワールの耳に勝手に入ってくるのか。
「ま、待ってください! 私は未熟者で臆病者です。そんな私の身に王の頂はまだ早いかと」
「早い遅いはもう言っていられない。これからは大きなことが起こる。精霊たちが集まって予言している」
まさかと思い、黒ずくめの男の方をチラリと見た。父は気がついておらず、そちらの方へ視線が向いていない。
(まさかこの男が来たことによって)
クレアシオンも察しが悪いわけではなかった。生贄の件は以前から問題視されていたが、近々大きな厄災が起こるとは自分の父親の口から聞いた。
ダメだ。自分に降りかかる厄災ならまだしも、他のみんなに降りかかる厄災は取り払わなければならない。
「ならばこそ! なおさら父上が王の頂に立っていてもらわなければ」
「お前はそういうと思った。だが私も妻も限界に近い」
ハッと父親の両眼を見る。虚ろでこの世を見ているようには思えなかった。
(こんなに父親の背中は小さかったか?)
ずっと逃げているうちに大切なものまでこぼれ落ちていったのかもしれない。そんな喪失感に苛まれる。ダメだ。違う。こんなの望んでいない。
「…わかりました。父上の代理ならば、なんとか私にも務まりましょう」
「安心したぞ」
本当に安心したのか、父親は崩れ落ちた。慌てて、その身を支える。ここが父親の私室でよかった。寝かせられる。
「大口切ったが本当に大丈夫か?」
ここで黒い道化師の男が声をかけた。
「大丈夫なわけないだろう。俺がやらなくちゃいけないことだ。代わりがいない」
「宰相に任せる手はないのか?」
「ちょっと声潜めろ」
クレアシオンは小声でいった。
「良い機会だからレアのところに行って解決させてこよう。あんまり時間はないと思うし」
「ーーと言うわけで、ここに来たと言うわけか」
「ああ。味方はお前しかいないからな、レア」
「確かにどいつが敵でどいつか味方かを見極めるのは初歩中の初歩だ。おい、シゴーニュ・テュードゥヌス!」
最初はめんどくさく、言いにくい名前だ、とクレアシオンは思った。この男の名前は割れた。
「ん? なんだ」
「お前もよく聞いておけ」
誰が国王側で誰が黒竜王側か見極める必要がある。一番重要となってくるのは宰相の存在だ。
「ここの宰相はクズだ。信用ならん」
「どうしてだ?」
「自分の娘を利用して黒竜王に取り入ろうとしているからだ。富は王の何十倍か。色気が強い。もちろんあちらの方に対してもだ。おお、おぞましい」
「王宮での乱れが多いのは宰相閣下が推奨している、というか先導しているのが理由の一にあるな」
「まあそういう奴ほど立ち回りが上手く、悪の根源と結び付いたらしつこく付き纏ってくるわな」
「そういうことだ。宰相に近づくものは王より多い。それは王も宰相の意見を聞かざるを得なくなる」
「そこが難しいところだよな」
各人共々意見を共有しながらまとめていく。こんな時のクレアシオンは真剣であり、いつものおどおどとした感じは見受けられない。
「うん、ありがとう。レア、話が変わるが、昨日光のようなものが見えたんだが、あれが精霊か?」
「今は見えないのか?」
「ああ」
「ならばかなりその可能性は高いな、お前も覚醒してきたってことか。シゴーニュのおかげか…?」
「いやそれはない」
なんでこの男からそんな力をもらわないといけないのか。
クレアシオンはこのシゴーニュとかいう精霊か人に近いのかわからないものを信用していない。
「この男は一体何なんだ?」
「なんなんだと言われても…彼のいう通りとしか」
レアも濁した。この男には一体何があるのだというのだろうか。それはそれとしてだ。味方になるというなら、もはや今は何もいうまい。それよりも黒竜王の問題の方が重要である。
「あと黒竜王についてだが…どうしたらいい?」
「シゴーニュの方が詳しいかもしれん、なあ? お前もクレアシオン様に協力しろ」
「あー」
若干長い髪を弄りながらも黒い精霊らしきものは呟く。
「普通に受け答えしたら何も危害は加えられん。王の代理として行くんならばその度々出てたが…仮面とやらをつけるのだろう? ならば外見はどうでも良い。一番まずいのは逃げ出そうとすることだ」
逃げることはクレアシオンの得意分野である。
「そしたら、いつものじゃ洒落にならないくらいの黒炎がお前を襲うことになるだろう」
「そうか…」
宿命とか運命とかそういうのは苦手だ。だが今は頑張りどきなのだ。逃げ場がないならやるしかない。
「それに喋らないのなら尚更だ。できるだろう?」
「儀式の詳細を頭に叩き込んで、失敗しなければ」
「それは陛下に頼むしかないかもな。さすがにすぐには無理か。あの場に耐えることを第一目標としよう」
こうしてクレアシオンの孤独な戦いは始まった。まずあらゆる儀式での舞の仕方。そして手順の確認。これらを覚えるだけでパンパンになりそうだったのに、それにも増して黒竜王御本体の臨席だ。彼は金色が好きなのか、人間のありとあらゆる金を体に持ち合わせて、ご満悦にしていた。だいたいの意見は黒竜王から宰相へと伝えられ、それから国王へと届けられる。ここで権力の違いが見て取れる。宰相も金が好きなふくよかな人物でいかにも悪者そうな顔をしている。
抜け出せれるならば抜け出したい。だがあんなに弱った父親を見る限り、黙ってはいられなかった。
そして生贄の儀式が始まった。歌と舞、幻想的な視界の中、それは厳かに行われた。しかし内容は捕食である。見るにも耐えられない中、なぜか周りは異常なほどの興奮で満ちており、誰ひとりとしてこの行為が疑問に思わない。最初の方はヘルツバールは頑張って吐きそうなのを最後まで耐えて、吐くことが多かった。それだけ血も肉も興奮も冷めやまない、あの空間が嫌で嫌で仕方がなかった。
「おい、大丈夫か?」
さすがにひどいと思ったのかシゴーニュが声をかけてくれた。彼の姿は本当に彼の言った通り、自分とレア以外見えないみたいだった。
「大丈夫なわけないだろう」
「なあ、これが嫌なら、この儀式自体をやめるという方法はないのか」
「外敵が倒せなくなる」
「そもそも外敵を倒せなくした奴は誰だ? 軍部縮小を狙っているのが、どうせ宰相だっていうオチなんだろう? ここは断崖絶壁に近く、敵も一方向しか来ない。守るなら理想的だ。わざとだろう、みんな怖がっているんだろう。もちろんお前もな」
そんな言葉に苛立ったが確かに正論ではあった。腐敗は排除しなくては。でもそれをするには力がいる。
クレアシオンは呼びかけ始めた。しかし、竜族の洗脳とも言える技術はいわば強烈で、誰も呼びかけに応じようとはしなかった。しかしそれに対応したのがクレアシオンの父親でもある王だった。王はクレアシオンと同じことをすると効果は絶大だった。しかし軍は二手に割れた。宰相側と王族側に。だが、宰相側には竜がいて、王族側には竜がいなかった。勝敗がわかる戦いだった。そして王はクレアシオンに全部任せると共に罰として自ら供物にさせられることになった。