1
そこにただ在るのは人の形を模した何か。腕と脚が木々のようになっていて強固で動きそうにもない。
ただそこに居るだけ。それが彼の存在理由だった。
『あんたはそれでいいのか』
シゴーニュという男は問いかけた。
シゴーニュと比べたら、彼の大きさは一目瞭然だ。頭だけでもシゴーニュの身長を超えていたし、シゴーニュからしたらかなり上を見上げる状況になっていた。巨大な、遥か高みにある像のようだった。
『ずっとそのまま、縛られてていいのかって聞いてるんだよ』
そういうと、彼は話し始めた。
『俺が何もしたところで、変わらんよ』
そう皮肉った口調で笑った。大きな顔がシゴーニュを見た。顔は一部だけだが、動かせた。
『好き勝手したいだろう? そうすればこの長い牢獄から逃避ができる。そのくらいは俺にもできる。知っていてこの能力を付け加えたのか知らないが…』
『ふふっ、どちらでもいいさ』
『貴方の意思が知りたい。貴方はどうしたいのか』
ずっと問い続けてきた疑問だったのに彼は答えようとしなかった。それがシゴーニュには歯痒い。こんな状態にさせたのは自分と妹のせいだとわかっているからだ。
『会話、かな。ここにはお前かギネフェルディーナしか来ない。だから会話をする相手が欲しい。強いていうならそう…かな』
『なら簡単だ。俺がその方法を作るまでだ。貴方の分身を作って意志を入れ込む』
『できるのか』
『ああ、貴方がそうしたんだ』
『ならやってみるといい』
思えばこのときなぜそんなことを、話したいなどと言い出したのか。シゴーニュとの会話だけだと飽きてしまっていたのか。この決定を後に考えれば良かった半分、悪かった半分と言えよう。仮初の自由には満足しているのだが。
とある大昔、ある国があった。それは国と名乗るには少ない人口であったが水は潤い、作物は育つ、潤沢な場所だった。外来からの敵も来られないような崖がその国を守っていて、逆に民を閉じ込めていた。そんなことを知りもせず、その国の人々は今日も繰り返しの日常を続けている。
神殿と王宮が混合したその屋敷は一番大きく、この国の象徴だった。国のどこからでも白い宮殿は見え、白亜の宮殿などと呼ばれたりした。そんな宮殿を駆け巡るものがいた。
「はあはあ、はあはあ」
息が切れるくらいにまで走り回る。それでも追手はやってーーこなかった。彼の逃避行は日常茶飯事と化していた。
「ちくしょう」
罵る。鮮やかな色合いをしたたくさんの色の服と赤髪が揺れる。
「なんで、どいつもこいつも、あれを異常だと思わないんだ!」
最初に気がついたのは幼少期の頃。それに対して質問すると、国を守護する存在などと言って崇められる対象になっていた。誰も彼も疑おうとしない。怖気が走った。
人間とは異なる巨大な身体。蛇のような鱗を持ち、それでいて空をも飛べる機動性がある。人はそれを竜と呼ぶ。
この国には当たり前の現象であった。外敵は竜が倒してくれる。こうして人々の恵みは保証されていた。取引として、生贄という文化があるということを皆知っていた。生贄にされることは名誉なことだと人々は笑う。実際に見たら違う。貪り食われるのだ。増え過ぎたときは人口の調整として多くの生贄を望んだ。その竜の親玉、黒竜王デゼスポワールは年々生贄の要求が多くなっていった。
(暴食だ)
この国は亡くなってしまうのではないか。そんな疑心暗鬼になりながらも、なんとかこの国の王子として、宮殿の中で生き抜いてきた。人と竜は交わっても何故か子供はできないことがいいことに、どこかしらで襲われている声が響く。なぜ助けてやらないのか。それは竜が人の上に立っているからだ。傀儡政権とでもいうべきか。実際そんな状態だった。
「まーた、こっちにきたのか」
濃い紅い髪の幼馴染が呆れ顔で言う。幼馴染の家に逃げて逃げた末に飛び込んでしまったのだ。この時代の家は思った以上に大きくもなく高さもあまりない。でもここは2階だった。木登りをしてようやく辿り着いた場所がここ。ガラスなんてものは存在しない。
「だってさ。もう、怖くって」
「生贄の文化がだろう? 何言ってるんだ。あんな神聖な儀式を目の前にして、怯える奴があるか。少しは大人になれ」
そういう幼馴染も男言葉を矯正して少しは大人になればいいのだが。と自分は思う。男装はしているが、髪は切らない。いつまで経っても女の子にしか見えないというのに。
「なあ、クレアシオン、お前はそんな軟弱者でいいのか。それだと何時ごろ私と結婚できるのか」
「レア」
クレアシオンは諌めた。いつどこに耳があるかどうかわからない。竜族は耳が人間より発達している。
「私はいつでもいいんだがな」
「おい、お前はそんなに達観してていいのかよ。いつ邪魔者にされるかどうかわからないのに」
レアは王族に連なる血を持ったそれなりの名家であり、自分と婚約者となりうるくらいのお嬢様であった。それなりと評したが、実際はかなり浮いていて、かなりの変人だ、と思っている。
「お前以外のところでは、上手くやっているよ」
「婚約者の前でうまくやらなくてどうする。普通がわからないのか」
「知っているさ。これでも知り合いはお前より多い方だ」
じゃあなんで自分の前ではこうなんだという疑問は抑えきれなかった。
「竜は昔からあんな感じだからな。つまらん。歴代最低最凶の存在、黒竜王デゼスポワールだが、取るに足りんな」
「おい、さすがに」
まずいと思った。彼女と一緒にいると、こんな言葉がぽいぽいと出てくるので別の意味で怖くてしょうがない。その一方で、クレアシオンは知っていた。こんな時は誰も来ないということを。なぜなのか。彼女さえももしかしたら竜なのか。でもそうだとすれば無礼だ。デゼスポワールに成敗されてしまうではないか。そんな悩みを抱えていた。
普通、竜は竜王に従う。それが当たり前のことであった。しかもデゼスポワールは黒竜王と名乗っているためかは知らないが歴代最強の力を持った竜であるらしい。カリスマが異常に高く、竜族の中では慕われている。力社会ということが、黒竜王の存在を良しとしていた。実際、強すぎるのだと竜族の誰もがいう。自分からしてみれば、怖いと言った感想しか持たないのだが。
「知っているか。生贄は力を増すための手段だと」
「なんとなく」
人間はさぞかし美味しかろうと勝手に思う。
「それに奴は傲慢だ。力を自分のモノだと思い込んでいる」
「なあ、別に言い訳っぽく聞こえたら謝る。が、持っている限り、自分の力ってことになり得るんじゃないか」
「違うよ。まだお前は知らないんだ」
余裕綽々だなあ。そんなことをまるで知っているかの如く。
「動悸も落ち着いてきたし、そろそろ帰ろうと思う。長居もまずいし」
「いや私はいいんだぞ」
「お前はもっと慎みを持て」
こうして、俺はあの魔境の中へと戻っていく、どうしてもそこに戻らなければいけない理由はないけれど、クレアシオンは半ば諦めていた。こんな世界、逃げ出したって大して変わらない。それにレアは死なせるには惜しい才媛だった。少しいや、かなり変人だが。
「ったく、どうなってるんだ」
遠くまで行っていないつもりだったというのに部下とはぐれた。狩りとは集団で行うものだった。生贄を献上する前段階の動物の狩り。大きければ大きいほど、喜ばれる。クレアシオンたち一族は野生に感謝し今日も狩りを行う…はずだったのだが。
(どうやら迷ったようだな)
クレアシオンは悩む。こういう場合部下たちをあてにするのが定石だが、あいにく、クレアシオンはレアと両親以外の人間を信頼していなかった。人間不信だ。こう思うのも必然というべきか。なぜかはわからないがこう言った場合、ひどい目に遭って帰ることがたくさんあり、その度に部下の仕業ではないかと疑う。それか本当に竜族の仕業ではないかと。どこからか知らないところから火炎が飛んでくることは定石で溺死させられたり突風で飛ばされたり、雷に打たれたり、自分でもよくわかんないが、なぜか生き残っていた。意味がわからない。だからクレアシオンは考えるのをやめた。
「今度はどいつの差し金か。いい加減姿を表せ!」
そんなこと言ったって姿を表すことはないだろう。と思っていたのだが、何かが起こった。
(前方に誰かがいる…)
そこを一点、凝視していると、ふと物陰が動いた。クレアシオンは小手調に木槍を投げた。
「あ、イタタタタ。やめてくれよ」
(なんか出たな)
とりあえずその物体はしゃべれるらしい。もう一回投擲しようと試みたら、
「いや、わかったわかった。降参します。出てくるから。怖くはないよ」
男の声だ。しかもなんか癖が強いような。
なぜか、婚約者のことが思い出された。さすがに違うだろう。明らかに男性の声だった。あとは竜かそれ以外か。
「竜か、竜じゃないのか」
「竜じゃないな」
明らかに奇抜な格好だった。髪の毛が肩にかかるほど長い黒。というか全身黒一色で収められた格好だ。どうにもカラフルな色調がデフォルトである我々の部族とは相容れない様相だった。