8 狐狩り
8 狐狩り
姉さんが鉄砲で打たれたのは、村でキツネ狩りが始まったことに起因するだということがわかりました。今回のキツネ狩りの最初の犠牲者が姉さんだったのです。姉さんの射殺を皮切りに、この村に戦慄のキツネ狩りが始まりました。村人は村のあらゆるところに罠を仕掛け、男たちは犬を連れてキツネを探し出し、見つけるとすぐに鉄砲で撃ち殺していったのです。
道端に落ちている饅頭は決して食べてはいけない、と母さんが強く言いました。饅頭には毒が入っているそうです。毒は悶絶するほどの苦しみを引き起こして死なせるものだと教えてくれました。腹が空いたからと言って、むやみやたらに落ちているものを食べてはいけないのです。特に食べてくださいというようにして置いてあるものに手を出してはいけないのです。やっぱり、動き回るバッタやネズミを苦労して捕まえて食べなければならないのです。失敗する確率が高くても仕方がありません。自然界では、人間界のようにお店屋さんに食料がじっとして並んでいるわけではないのですから。
村のはずれにキツネの死体が山のように築かれていきました。村全体を腐臭が漂ってきたので、村人たちは病気が発生するのを恐れて、薪を組んで腐ったキツネの死体を毎日焼きました。村中を嫌な臭いが覆っています。村人たちは最初の頃こそ鼻をつまんでいましたが、最近は慣れたようで、普段と変わらないように生活しています。
これほどまでに壮絶なキツネ狩りが行なわれるようになった理由は、前に話しましたように、キツネがニワトリ小屋を襲って、ニワトリが連れ去られたことだそうです。ぼくも自然に生息するウズラを捕まえて食べたことがありますが、とっても美味しかったので、丸々と太ったニワトリはもっとおいしくて食べごたえがあると思います。食べるのを想像しただけで、涎がたくさん出てきました。ニワトリ小屋を襲ったキツネの気持ちもわかります。
ですが、母さんは日頃から人間が飼っているものには決して手を出してはいけない、とぼくらに注意をします。そんなことをしたらやめられなくなって、最後には人間に捕まってなぶり殺しにされるそうです。そのなぶり殺しが今起こっているのです。
今回、ニワトリを食べたキツネは、もちろんぼくたち家族の者ではありません。ニワトリを殺した人相書きならぬ狐相書きを村のあらゆるところに貼り出してもらいたいものです。そうすれば、余計な殺生をしなくてすむはずなのです。でも、実はその犯人(狐)を村人の誰も見ていないので、狐相書きを作って張り出すことができないのです。
ニワトリを襲った犯人(狐)がわからないので、キツネを見かけたらやみくもに殺しているそうですが、そんな酷いことってありますか? 事件が起こってその犯人の顔がわからないからといって、むやみやたらにそこらの人間を捕まえたりしますか? それは冤罪です。ましてや殺したりはしないでしょう。まずは正しい犯人をつきとめることです。いくら時間がかかっても、それをすることが一番大切なことです。犯人がわからないからといって、みんなを犯人扱いしたり、ましてや殺したりすることは、絶対にあってはならないことです。我々がキツネだからそんなことをしているのでしょうか? いや、人間は時々同じようなことを人間同士でも行っているそうです。要は、弱い物苛めなのでしょうか? うっぷん晴らしなのでしょうか?
これを人間たちはジェノサイド、無差別な大量殺戮と呼んでいるそうなのです。人間は戦争と言って、人間同士で大量殺戮を行っているそうなのですが、かれらは殺す相手の顔をよく見たり、ましてや覚えたりはしないようです。戦争の時に顔をじっくり見たら殺せなくなってしまうのでしょう。戦争の時は、人間を殺しているというよりも、得体の知れないものを殺しているつもりなのでしょうか? 知らない人たちにもそれぞれ親や兄弟がいるのですが、そんなことはどうでもいいのでしょうか? そう言えば、ぼくたちだってネズミを何百匹も殺して食べましたが、殺したネズミの顔が浮かんでくることはありません。ましてや、捕まえる時もかれらの家族のことは頭に浮かんできません。顔が浮かんで来たら、殺すことはできません。それではぼくたちの行為も人間の行う大量殺戮と同じなのでしょうか? いえ、断じて違います。ぼくたちはネズミを殺したらかならず食べているからです。ただ殺すようなことはしていません。殺して土に埋めたり、焼いたりはしていないのです。殺して食べた動物は我々の命を支えています。これだけは自信を持って言えます。
後で情報が入ってきたことなのですが、キツネによって3匹のニワトリが食べられたそうなのです。この時点で我々キツネはすでに百匹以上殺されています。ぼくは死体の山を見て、村にこんなにキツネがいたことに驚かされました。キツネ同士は普段互いに顔を合わすことがないからです。そんなひっそりと暮らしているキツネを人間は徹底的に探し出して殺したのです。
死体の山の中には、タヌキやオオカミも紛れ込んでいます。かれらはキツネ用に仕掛けられた罠にかかってしまったのです。とんだとばっちりですが、その割にたくさんいます。かれらはキツネを恨んでいるでしょうか? どうか恨むなら人間を恨んでください。我々キツネを恨むのは筋違いというものです。
キツネがニワトリを殺したという新たな証拠は出てきたのでしょうか? ニワトリ小屋にあったというキツネの毛というのも確かな物証でしょうか? もしキツネが犯人(狐)だとしても、いくらなんでも死んだ数が3対100ではつり合いがとれません。もし重量換算にしたとしても、キツネはニワトリよりも30倍も体重があると思えないので、総重量だけを比べても殺し過ぎであることは明白です。それともニワトリはキツネよりも30倍の価値があるとでも言うのでしょうか? (人間の店屋では肉は100グラムいくらで売られているので、それを参考にしているまでのことです)。人間がそう考えるのは勝手ですが、そもそも命に値段の違いがあるのでしょうか? 少なくとも我々動物たちは命に軽重をつけることはありません。同じ命なのに、そんな重みを付けるなんてナンセンスです。命の価値を言い出したら、どこまでも自分本位になってしまいます。ぼくたちがネズミを食べているのは、ぼくたちよりもネズミの価値が低いからではありません。ぼくたちはネズミを食べなくては生きていけない、ただそれだけの理由からです。
どのキツネがニワトリを殺したのかわかっていないので、キツネが全滅するまで人間はキツネを殺し続けるのかもしれません。人間はニワトリを殺した犯人、いえ犯狐を一日も早く特定して欲しいと思います。いえ、人間に期待していては、このキツネ狩りはいつまでも終わらないのかもしれません。
ぼくはある日夢を見ました。父さんたちの一団がワシに乗ってこの村に帰ってきて、空から人間を懲らしめてくれるという夢です。ワシたちが爪に挟んだ大きな石を落として人間をやっつけてくれるのです。人間は村の中を逃げまどいますが、そのうち鉄砲を持って応戦するようになりました。ぼくたち地上のキツネも一斉に蜂起し、人間とキツネの全面戦争が始まりました。タヌキやイノシシ、オオカミ、クマがキツネの加勢をしてくれました。バッタやネズミまでキツネの仲間に入りました。こうなったら、もはや人間の勝ち目はありません。かれらは這う這うの体で、村から退散していきました。ぼくの夢はそこで覚めました。
このままではこの村のキツネは全滅するかもしれません。人間はキツネ狩りと称して、殺戮を楽しんでいるようです。かれらはもはやどうしてキツネ狩りを始めたのか、その理由さえわかっていないようです。いや、もうそんなことなどどうでもいいようでした。
母さんは、人間に見つからないようしばらくなりを潜めておいた方がいいと言いました。ですが、食料を調達しなければ我々も飢えて死んでしまいます。じっとはしていられないのです。危険が身近に迫ったら、一家で山の奥へ引越ししようと話し合いました。
母さんは、万が一鉄砲を持っている人間に見つかったら、急いで神社に逃げ込むことだ、と教えてくれました。人間は神社の境内で鉄砲を撃ったりはしないそうです。神社がぼくたちを守ってくれるそうです。本当にそんなことがあるのでしょうか。神社って人間にとっていったい何なのでしょう。神様の住む聖地だそうですが、いくら神社の中を覗いても誰も住んでいませんし、特別な財宝があるわけでもありません。
我々は人間が怖くて巣から外に一歩も出ることができなくなりました。外では、たくさんの犬の鳴き声と、人間の怒号、鉄砲の音、罠にかかったキツネの断末魔の声が聞こえてきます。我々は耳を塞いで、何日も巣の中にじっとしています。ぼくはもう腹が減って死にそうです。兄さんは、人間に会わないように細心の注意を払って、ネズミを一匹捕まえてきました。母さんとぼくが分けて食べたネズミは、これまで食べたことがないほど美味しかったです。兄さんはぼくと母さんが美味しそうに食べているのを見て嬉しそうでした。母さんが兄さんに自分も食べるようにとすすめても、自分はもう外で腹いっぱい食べてきたからと言って口にしません。きっと兄さんは食べていなかったはずです。あんなに筋骨隆々だった兄さんが痩せてきました。もしかしたら、病気に罹っているのかもしれません。
兄さんは、餌を捜しに外に出て、けもの道に仕掛けられた罠で足が挟まれてそこから逃れることができずに、人間に大きな石を頭に落とされて死にました。この場面を見ていた、キツネが後で教えてくれました。ぼくは母さんと2人になりました。
つづく




