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祟らずの狐  作者: 美祢林太郎
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5 神様

5 神様


 くどいようですが、人間は相当おかしないきものです。誰も住むことがない建物を作ったりもするのですから。それは神社といって、神様という訳の分からないものが住んでいることになっているのです。しかし不思議なことに、人間は誰も神様を見たことがないというのです。もちろん我々キツネもその神様というものを見たことがありません。他の動物たちからも神様を見たという話は聞いたことがありません。物知りのキツネ婆さんに訊いても、見たことがないそうです。

 人間は誰でもが毎日神様を見られたら、神様のありがたみがなくなるというのですが、見えないものにありがたみがあるのなら、かれらの言う幽霊だって有り難いはずです。おそらく人間は神様よりも幽霊を見た人の数が圧倒的に多いはずです。だからかも知れませんが、幽霊はそれほど有り難がられないようですし、人間は幽霊を見たくもないようです。幽霊は怖いそうです。では、神様は怖くないのでしょうか? きっと現れたら怖いはずです。決して可愛らしい顔をしているとは思えないからです。

 でも、神様が現れたら自分を神様だと名乗るのでしょうか? 少し不遜なような、少し照れ臭いような、そんな気分じゃないでしょうか? それとも神様はそんなにシャイではなく、堂々としているのでしょうか? でも、あなたは自分のことを神様ですと主張する存在を、信じることができますか? ぼくは吹き出してしまいそうです。多分、疑り深い人間は、神様の証拠を見せろとその神様を名乗る存在に迫りますよ。さあ、どんな証拠を見せますか? それ手品でしょ、と言われたらどうします? 信じない人間には罰を与えてやる? それを恐喝というのです。やくざがやっていることと同じです。それにしても、なんて心の狭い神様でしょう。

 余談はさておきまして、人間は神様を敬うために自分たちが住んでいる家以上に立派な神社という建物を、村のみんなが協力して立て、揃って神社の前で恭しく頭を下げるのです。どこか滑稽です。こんなに顔の引き締まった人間を他の家々で見ることはできません。なんて奇妙な動物でしょう。

 神社の屋根の上で、時々カラスがクワァー・クワァーと鳴いていますが、あれは人間を小馬鹿にしているのでしょう。カラスの挑発に乗って、カラスに向かって石を投げつける子供がいますが、親たちはその子供たちをこっぴどく叱ります。神社の境内は一切の殺生や動物の虐待が禁止されているのです。カラスはそのことをよく知っていて、人間をからかっているのです。右利きのカラスは右の翼でお尻をぺんぺんしていることさえあります。ご存じでしたか? 今度気を付けて見てください。

 この際だから申しますが、カラスに馬鹿にされるくらいですから、人間はカラスの奴隷なのかもしれません。そう言えば、我々を捕まえて食べずに野山に捨ててカラスの餌にするのは、人間がカラスに雇われているからかもしれません。人間にはカラスからどういう見返りがあるのでしょうか? それともただカラスが怖いだけなのでしょうか? 人間には誇りというものがないのでしょうか? ほんの少しですが、我々キツネにはあります。それとも昔人間はカラスに何か悪いことをした負い目があるのでしょうか? 人間はどの動物に対しても負い目を持ってしかるべきです。もちろん我々キツネに対してもです。意味もなく殺しているのですから。

 神様のことは詳しくはわかりませんが、神様は一人ではないようです。どうもたくさんの神様がいるようです。神様のほとんどが人間と同じ姿形をしているのですから、人間はよっぽど自分たち人間のことが好きなようです。度を越していますね。人間が人間のようなものを崇拝するなんて、ここまでいくと変態です。こういう人間をナルシストと呼びます。それとも人間は想像力が乏しいので、人間の姿以外に神様のイメージが思い浮かばなかったのでしょうか。人間だけでなく、我々だって何もないところから新しく何かを想像することは不可能なのかもしれません。あらゆることの始まりは、身近なところから始めざるをえないようです。

 神様の中には、イザナギ、イザナミ、天照大神など、いろいろなのがいるようですが、この神様たちは国造りの英雄らしいのです。英雄と神様は同じなのでしょうか? そんなはずはないと思うのですが、よくわかりません。尊敬される者が全員神様になれることもないようです。

 驚いたことに、こうした神様の中に混じって、あろうことか、ぼくたちキツネも神様や神様の使いになっています。ぼくたちが神様か神様の使いならば、ぼくたちを撃って殺さなくてもいいのにと思うのです。それとも死ななければ神様になれないのでしょうか? 死んで神様になるのならば、死んだキツネの皮をはいでもいいのでしょうか? それとも、一部のキツネだけしか神様になれないのでしょうか? 誰か教えてください。。

 もしかすると丁重に拝んでいるのは、殺す前のただの儀式なのかもしれません。先に罪滅ぼしをして、罪を犯すなんて、なんて人間は狡猾なのでしょう。はたまた、犯した罪を反省するために、わざわざ前もって罪を犯しているのでしょうか? 人間にとって反省や悔恨は極上の蜜の味なのですか? それはあまりにうがった見方だというキツネもいますが、人間ならばそのくらいやりかねませんよね。

 そもそもどうしてキツネが偉い地位についたのかというと、天災、疫病、戦乱が続くと、それらを全部我々キツネの霊の祟りのせいにし、その霊を鎮めるために位を上げていって、ついに最高位まで辿り着いたそうなのです。そんなおべっかを使って位を上げてくれるよりも、ぼくたちを罠や鉄砲で殺さないで欲しいものです。キツネに絵空事の位は必要ありません。

 それに、最高位にまで達してこれ以上地位を上げることができなくなったのですから、これから我々の祟りを鎮めるにはどうするのですかね? 多分、人間のことですから、新たな極上の地位をでっち上げることでしょうね。

 我々キツネが人を騙したり憑りついたりする話は、昔からたくさんあったそうですが、ぼくたちにそんな力はないと思うのに、人間は勝手にそう思い込んでいるようです。恨みつらみは人間の専売特許のはずです。キツネのせいにしないでください。

 キツネが人間に憎まれているのは、単に目つきが鋭いせいなのかもしれません。切れ長の目がつりあがっているのが、人間のお気に召さないのかもしれません。顔だちだって鼻が尖ってかっこいいのが、丸こっくて扁平な顔をした人間には妬ましいのかもしれません。裸の耳が頭の横に付いているのは情けないですね。やっぱり耳は先端がピンと尖っていないと緊張感がありません。

 人を騙すと言って難癖をつけられている動物は、我々キツネの他にタヌキがいますが、タヌキは人に似て顔立ちが丸っこくてどこかユーモラスなので得をしているようです。キツネほど人間から忌み嫌われていません。外見に騙されてはいけないのに、よくよく人間は外見にとらわたいきものです。その反動かもしれませんが、やたらと人間は心だ魂だ精神だと内面性を強調します。そうした言葉もひとえに言い訳にすぎないのです。言い訳が崇高な芸術や文化、宗教になるのですから、お気楽ないきものです。人間は自己中で、一人相撲をとっているのです。人間がありがたがっている芸術を我々動物は理解できません。動物が理解できないから崇高だって? それじゃあ、普遍性がないですね。理性に限定された普遍性なんて、矛盾だと思いませんか?

 タヌキは人間にそれほど嫌われてはいないようですが、我々と違って恐れられてもいないようです。昔話では、背中に背負った薪に火をつけられたり、茶釜に変身したタヌキが火にかけられたりと、面白おかしい役を演じさせられてきたものです。

 こうしたタヌキを祀った神社はほとんどないようです。剽軽者のイメージは神様にふさわしくないと思っているのでしょうか。タヌキの肩を持つわけではないですが、人間は料簡が狭いです。剽軽者が神様だっていいじゃないですか。苦虫を噛み潰した顔だけが神様じゃないと思うんですよね。あの天岩戸の前の踊りだって、覗いてみたくなるほど面白いものだったはずです。祟りのない剽軽者のタヌキを神様の一人として推薦します。

 タヌキは人間の住んでいるところで暮らしているので、実際、タヌキを見たことがある人は多いことでしょう。ですが、我々キツネは人間の住んでいる周辺では暮らしていないので、我々を見たことがある人は少ないはずです。多くの人は見たこともないのに怖がっているのです。そんなに怖がっているのなら、我々をわざわざ捜し出して殺さなければいいのですが。

 我々キツネが死んでからも怨念となるくらい執念深いならば、キツネの襟巻が爪を立てて人間の顔を引っ掻くことくらいはしているはずです。誰かそんな話を聞いたことがありますか? キツネの襟巻が締まって、窒息死した人の話をどこかで聞いたことがありますか? 毛皮の尾っぽが口の中に入って、窒息死させたことを聞いたことがありますか? どれでもいいので、一つでも聞いたことがある人は手を上げてください。こんな話をすると狐襟巻協会の人からクレームが来そうですが、幸か不幸かそんな話を聞いたことがありません。

 それとも襟巻になったキツネは生きていた頃からみんな根性なしだったのでしょうか? 殺されてもしかたがないくらい腑抜けだったのでしょうか? ぼくには殺されたのはただ運が悪かっただけのように思えますが。それでも、一匹くらい持ち主の首を絞めるくらいの根性を見せて欲しいと思うのはぼくだけでしょうか?

 人間にキツネの霊が憑りついて、病気になったりおかしな行動をしたりという話が人間界にあるそうですが、とても残念なことですが、キツネにそんな力はありません。はっきりと申し上げておきますが、それは言いがかり以外の何物でもありません。きっと憑りつかれたと言っている人は、親や兄弟に不満があるので憑りつかれた演技をしているだけなのです。その人は油を長い舌で舐めたり、油揚げを食べたりするのでしょうが、ぼくたちキツネが油を好きなわけがありません。キツネの霊だったらこうするのだろうという勝手な思い込みがあって、そういう演技をしているのです。長い舌を出して油を舐めるなんて、想像するだけで不気味です。誰がこんなイメージをキツネに植え付けたのでしょう。ぼくたちを勝手に決めてかからないでください。

 人間は日々の生活を不必要に複雑にしているので、そのストレスによってかれらのいうところの心が壊れても不思議ではありません。そんな人たちが異常な行動をするのかもしれません。でも、それをキツネと結びつけなくてもいいと思うのです。キツネにとってはいい迷惑です。

 キツネの嫁入りという話もあるそうで、実際に人間がキツネに扮して花嫁行列をしている祭りや行事が残っている田舎もあるそうですが、我々キツネはそんな賑々しいことはしません。人間のように派手好みではないのです。もちろん結婚式を挙げることはありません。雌が気に入った雄を選んで、交尾すればそれだけで一連のセレモニーは終わりです。雄から雌への貢ぎ物はありませんし、あったとしてもモグラ一匹程度です。

 結婚するのに家柄も関係ありません。本人同士が一対一で決めるのです。もちろん恋のライバルはいますが、そうしたライバルには戦って実力を見せつけなければなりません。はったりでは勝てないのです。

 子供の頃は互いにじゃれ合っているのが一番楽しいことでした。成長して大人になると子供の頃の遊びの楽しみを忘れてしまいます。大人になったら、恋をして、子供を作って、子供の成長が楽しみなだけです。それだけと言っても、それだけで十分じゃありませんか。人間のように、大きな家を建てたり、食べきれないほどの米を収穫したり、たくさんのキツネを殺すことが幸せだとは思えないのです。

 どうしてこんなに我々キツネは擬人化され、恐れられているのでしょうか? ただ顔つきや目つきが怖いだけではないのかもしれません。もしかすると、ぼくの知らないどこかの土地にぼくたちと同じ姿をしているけれど、人間を恨んで、決して人間を許さないキツネの種族がいるのかもしれません。そうしたキツネはぼくたちと外見がそっくりなので、人間は区別ができないのかもしれません。そうした執念深いキツネを敵に回すと怖いです。

 はたまた、かつて我々の祖先には人に祟ったりできる霊力があったのかもしれません。そうでなければ、こんなに日本中にキツネを祀った神社があるわけがありません。でも、神社があっても、あいかわらずぼくたちは殺されています。いっそのこと、この村全体を神社にしてくれたならば、ぼくたちは殺されずに幸せに暮らせるのかもしれません。人間はどうしてこうしたことを考えないのでしょう。やっぱり懺悔するために、殺戮を繰り替えしているのでしょう。懺悔することがよっぽど好きないきものなのです。懺悔すると心が洗われると言いますが、心の洗濯をし過ぎると、心が擦り切れてしまいますよ。

 そもそも謝るくらいなら初めからするなって、教わらなかったのでしょうか? かれらには教えてくれる人がいなかったのかもしれません。ぼくたちは親に教わっています。そうしたことは大人の役目だと思うのです。人間は誰しも成長して死ぬまで丸っこくて幼い顔なので、全員が一生大人にはなりきれないいきものなのかもしれません。大昔、何かよっぽど悪いことをして、罰を受けたのかもしれません。誰から? 神様から?


               つづく

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