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祟らずの狐  作者: 美祢林太郎
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3 人間というおかしないきもの

3 人間というおかしないきもの


 ぼくたちキツネが生きていくうえで注意しなければならない動物は色々いますが、なんと言っても要注意なのが人間です。

 人間はおかしな動物で、後ろの二本足だけで器用に立って歩きます。対抗するわけではありませんが、ぼくたちキツネだって二本足で立ちあがることはできますが、人間ほど長時間立っていることができないだけです。立っている時は腰が引けて、いわゆるへっぴり腰になっていることは否めません。別にへっぴり腰になっているからといって引け目を感じているわけではありません。動物界を見渡せば容易にわかることですが、動物は本来四本足で立つものです。それが動物の王道というものです。引け目を感じるとしたら人間の方です。なんてったって、四本足の方が姿勢が安定し美しいからです。世の中に二本足の椅子がありますか? 椅子は四本足でしょう。四本足だと走るのも速いです。どうして人間は無理をして二本足で歩くのでしょうか?

 二本足で歩く動物と言えば、時々サルも二本足で歩いていますが、我々と同じようにへっぴり腰であることは拭えません。二本足で歩くには上体に比べて腰が小さすぎるので、安定していないのです。

 サルも人間のように前脚で上手に物を持って歩いています。もしかすると、サルは人間の子供たちなのかもしれません。赤ちゃんの時に野山に捨てられた人間の子供がサルなのかもしれません。サルは、山に捨てられた人間の赤ちゃんが、体それ自体はたいして大きくならないにも関わらず、ませて性だけが成熟してしまった人間なのかもしれません。実際そうならば、サルの好奇心と無邪気さと賑やかさを理解することができます。でもそれが当たっていたら、赤ちゃんを野山に捨てるなんて人間はなんてひどい動物なのでしょう。もしかすると、赤ちゃんを山に捨てる際に、何かとんでもない薬を飲ませているのかもしれません。サルはその薬のせいで、かつて人間だったことを何も覚えていないのかもしれませんし、子供のうちに性が成熟するのかもしれません。もしそうだとしたら、人間は恐ろしいいきものです。人間は今晩も密かに赤ちゃんを山に捨てに行っているかもしれないのです。

 人間だって生まれた時には我々動物と同じように四本足で歩いています。もしかすると、かれらは二本足の鳥になりたかったのでしょうか? ワシやタカのように、大空を悠然と飛びたかったのでしょうか? それともツルやハクチョウのように、北へ北へと見知らぬところまで飛んで行きたかったのでしょうか? それにしては翼がありません。身体にしても随分大きいので、あれでは生半可な大きさの翼があっても、空を飛ぶのは無理でしょう。ワシの体だって立派な羽毛に覆われて大きく見えますが、羽毛を剥がすと人間よりもずっと小さいはずです。人間が今の大きさのまま飛ぶためには、5メートルくらいの翼が必要でしょう。片翼5メートルですから、両翼では10メートルの長さになってしまいます。そんなに巨大になったら、きっとカラスの大群に襲われるはずです。たとえ立派な嘴や爪を持っていたとしても、小回りがきかないのでカラスの大群にやられてしまうでしょう。巨大な戦艦に千機の飛行機が襲いかかって沈没させる図です。

 両手に刀を持ってカラスをやっつければいいとお思いですか? 刀を持とうとする両手は、すでに翼に変わったことをお忘れですか? 人間が鳥になってできることは、ダチョウのように地上を突っ走るだけです。

 人間は四本足ではないので、走るのも遅いです。ぼくたちキツネよりもずっと遅いのですから。いえ、競争したことはありませんが、ぼくたちを追いかけて捕まえたという話はこれまで聞いたことがありません。さらに、身体が大きいために俊敏性がないので、我々のクイックターンについてこれないはずです。人間は足が遅く俊敏性もないのですが、それなりに頑張って生きのびてきたことは認めます。そこは褒めてやらなければなりません。我々いきものは生きて子孫を残してなんぼの存在なのですから。人間は不格好な二本足でよくやってきました。

 クマは敵と戦う時には後ろ脚二本で立ち上がるそうですが、それは前脚に強力な爪があるからです。人間の前脚の爪なんて貧弱です。あれで敵を殺すことはできません。我々キツネよりも貧弱な爪です。どうしてあんなに弱々しい爪なのでしょう。他の生き物と戦うための攻撃や防御に役立つ爪ではありません。もはや人間には爪はいらないのではないでしょうか。時々人間は指を使って鼻の穴をほじくっていますが、まさか鼻くそをとるためだけに爪があるのでしょうか? そうだとしたらなんて情けない爪でしょうか。爪の風上にも置けません。

 もしかすると、クマと正面から出会って生き延びた人間が、クマのように立ち上がることで、体を大きく見せようとしたのかもしれません。人間は見栄っ張りではったり屋ですから、この可能性は残されています。ですが、人間は立ち上がっても、体が華奢なので、クマのように強くは見えないのですが。

 ともかく、人間は理解できない動物です。こんな変わったいきものですから、人間は我々動物たちとは離れて暮らすようになりました。決して、我々が人間を疎外したわけではありません。人間だけで群れをなして暮らすようになったのです。そんなにいじけていたので、他の動物たちとの連帯感が希薄になったのは致し方のないことでしょう。

 人間は食料となる米という種を大量に手に入れるために、稲という植物を栽培しています。稲は春に種を撒いて、米の収穫は秋です。人間はとことん気が長いいきものです。稲を育てるために、田圃に水をはり、夏の炎天下に雑草をとります。これはかなりの重労働です。ぼくたちキツネだって、餌のウサギやネズミを捕まえる時は瞬間的にあらん限りの力を出して働きますが、人間のように長時間黙々と働くことはありません。ここは人間の偉いところだから、我々キツネも少しは見習わなければならない、と主張するキツネの長老もいますが、そんなことを見習ったらキツネはキツネの本質を失ってしまいます。キツネにとって根気のいる長時間労働は悪なのです。ここはどんなことがあっても譲れません。

 人間はこの労働という行為に一日の大半の時間を費やします。それはまるであのちっぽけなアリとよく似ています。人間は体の大きな割には、アリのようにじっとしては生きていけない、落ち着きのない動物のようです。もしかすると、人間はアリが巨大になった動物かもしれませんが、その割には脚が2本足りません。

 人間は半年間働いても、冷夏や水不足になると稲が育たなくなって、穂は実りません。努力は報われないのです。それにも関わらず、かれらは凝りもせずに、次の春が訪れると、稲を栽培しています。その姿は何かに憑りつかれているようにしか思えません。何に憑りつかれているのでしょう? いくらなんでも、稲の精に憑りつかれているわけではないと思いますが。謎です。

 人間は貯蔵した米を一年中食べています。かれらは米だけでなく、なんでも貯めるのが好きないきもののようですし、貯めることを美徳にしているようです。ここが宵越しの食料を持たない他の動物と違うところです。新鮮な餌でなければ美味しくないと思うのですが、人間は味覚が鈍いようです。生きていることは食べることと言ってもいいくらいですから、味覚が鈍かったら生きている喜びが半減してしまうはずです。

 人間は必要以上に死ぬことに怯えているようです。食料がなくなって死ぬのが怖いので、米を貯蔵しているのです。死を怖がらなければ、もっとゆったりと生きていけるのです。人間はそんなこともわからないのです。死を過剰に意識しては、生を謳歌できないのです。

 動物の中にもリスのように色々なところに木の実を隠して、冬場の食料難に備えるいきものがいることは知っています。しかし、人間は何事も度が過ぎるのです。自分たちが食べる以上の米を栽培し、貯蔵するのです。他の人たちに見せびらかすためでしょうか? そんなことをしたら、どうしても妬み嫉みが生まれて、諍いの種になります。実際、ある人間が貯めたものを他人が奪うような事態が生じています。独占が引き起こす悪しき事態です。

 一日で腐るので貯蔵することができないような物だったら、奪ってもどうしようもないのですけどね。自然に存在するあらゆるものは死ぬとすぐに腐って、再び自然に戻っていくようにできているのに、人間だけがその循環をおかしくしているようです。万物は死に抗えませんし、抗っている人間だっていつかはみんな死んでいくのですから。

 必要以上に死を怖がらないことです。死は誰も見たことがないから怖いという人がいますが、見たこともないものをすべて怖がっていたら、毎日陰鬱に生きて行かなければなりません。そんな生き方をしたいと思いますか? ぼくはいやです。


          つづく

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