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祟らずの狐  作者: 美祢林太郎
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1 父とワシの格闘

1 父とワシの格闘


 昔々、ある山里でぼくたちキツネの一家は幸せに暮らしていました。家族は、母さんのクミ、姉さんのセリと兄さんのマサ、そしてぼくヒデの4匹です。父さんのシゲはオオワシと戦って亡くなったそうです。父さんが亡くなった頃、ぼくは生まれたばかりだったので、父さんのことは全然覚えていません。父さんのことは、母さんや姉さん、兄さんから話を聞くだけです。何度も繰り返し父さんの話を耳にしたので、父さんと一緒に暮らした思い出はないのですが、父さんの立派なイメージが、ぼくの中に大きく膨らんでいます。

 毎回、兄さんが鼻を少し持ち上げて、得意気に語ってくれます。今日も始まり、始まりです。

 その日は真っ青な空で気持ちの良い風が吹いていたました。家族全員が夏草の茂る野原でピクニック気分にひたっていました。今思い起こせば、その日があまりにのどかだったので、いつもの警戒心が鈍っていたようで、母さんはそれが今でも悔やまれるそうです。もう少し警戒してさえいれば、ぼくたちは危険を察知して、草むらに潜むことができたのです。「後悔先に立たず」は世の常です。父さんが亡くなって以来、我家の家訓は「のどかな天気に気を許すな」となっています。

 幸せは一瞬にして暗転しました。それこそぼくの頭上が暗転したのです。ぼくは覚えていないのですが、兄さんが何度もそう話すので、ぼくはその時の光景がくっきりと頭に浮かんでくるようになりました。気づいた時にはぼくの目の前に鋭い爪を立てた巨大なワシ(その時のワシは我々キツネよりも百倍も大きかったそうで、そんな大きなワシはそれ以後、誰も見たことがないそうです)が、ぼくを鋭い爪で掴もうとしていました。その時です、父さんが猛然とワシの頭をめがけて体当たりをくらわしたのです。その衝撃で巨大なワシはぐらついて、ぼくを捕まえようとした脚を引っ込めました。それからすぐに母さんが、体が硬直して動けなくなっていたぼくの首の皮を咥えて、草むらの陰に連れて行き、身を屈めて腹の下にぼくを隠しました。

 父さんがワシの顔面に体当たりした時に右眼に爪を立てていたようです。右眼から血を流したワシはすぐに体勢を立て直し、怒り狂った形相で、父さんに鋭い爪と太い嘴で攻撃を仕掛けてきました。兄さんはワシの眼つきが怖くて眼を逸らしてしまったそうで、ワシを直視することができなかったのです。それでも、兄の話は続きます。父さんもワシに負けずに眼を血走らせ、口を裂けんばかりに大きく開いて真っ赤な歯茎を見せ、鋭利な牙でワシの喉元に食いつきました。ワシは喉に噛みつかれてもがき苦しみましたが、それでも翼を大きく羽ばたかせて父さん共々何十メートルも上空に飛び上がっていきました。よっぽどワシの喉深くに牙が食い込んでいたのでしょう。青い空の下、父さんの体は鼻先から尾の先端までだらりと一直線に伸びていました。ワシの立派な羽が10数本空中をくるくると回りながら落ちてきました。それから父さんの噛みついた牙がワシから離れ、父さんは空中で体を回転させながら落下し、どさっと地面にたたきつけられました。

 ワシは青空を大きく旋回したかと思ったら、突然急降下を始め、大きな翼を広げて父さんに覆いかぶさってきました。ワシが再び空中に飛び上がった時には、父さんはがっちりとワシの爪に挟まれていました。父さんが抵抗していたかどうか、兄さんにはよく見えなかったそうです。もしかすると地上に落ちた時に気を失ったのか、それともすでに死んでしまっていたのかもしれません。なにせ数十メートル上空から地上に叩きつけられたのですから、受け身の上手いさすがの父さんもその衝撃の激しさに耐えられなかったのかもしれません。ワシの爪の間から父さんの立派な尻尾が長く垂れ下がっていたのが、家族のみんなが覚えている父さんの最後の記憶なのです。ワシは左右の翼を優雅に上下させ、勝ち誇ったように家族の前から飛び去っていきました。

 兄さんは父さんと一緒にワシと戦わなかったことを今でも悔いています。父さんと力を合わせてワシと二対一で戦ったならば、いくらそのワシがキツネよりも百倍大きくても、きっと勝てていたと言いますが、その頃の兄さんは小さかったので父さんの手助けどころか、かえって足手まといになったはずです。きっと兄さんはワシにあっさりと殺されていたでしょう。実際は、兄さんはワシが怖くて体が竦み動けなかったのですが、母さんは子供なのだから仕方のないことだった、とやさしく慰めています。常日頃、兄さんはいっぱい食べて早く大きくなって、オオワシに負けない強いキツネになるんだと言っています。そんな兄さんですが、想像力も逞しいのです。ここから兄さんの創作話が始まります。

 父さんがオオワシの大五郎(これは兄さんの命名です)と戦った時に、父さんは大五郎の眼を爪で突いて右の目玉を一つえぐり取ったとか、ぶら下がっている睾丸を齧り取ったとか自慢していますが、ワシは片方の目だけで空を飛べるのでしょうか? もっと胡散臭いのは、鳥に睾丸があるかということです。確かめたことはありませんが、どうも疑わしいものです。それに父さんを連れ去った大五郎が雄か雌か、実際のところは誰もわかっていなかったようです。かなり兄さんの創作が入っているのは確かです。

 兄さんの創作が本格的になるのは、死んだはずの父さんが実は生きていた、というところからです。

 父さんは大五郎の両脚に捕まれている間、全身を脱力して、ずっと死んだ振りをしていたというのです。大五郎が巣に戻ると、それまで巣の守りをしていた母ワシの留子(兄さんがどうして留子という名前をつけたのか皆目わかりません。聞こうにも、話が盛り上がっている時に遮るようなことはできません)が、大五郎と交代するかのように餌を探しに飛び立っていきました。大五郎が帰ってくるのが見えると、5匹の雛たちが餌をねだって嘴を大きく開いて、うるさく鳴きました。

 大五郎が巣に戻って父さんを脚から離すと、それまで死んだ振りをしていた父さんががばっと起き上がり、大五郎の首に噛みついて一瞬にして殺してしまいました。大動脈が走る急所に噛みつきさえすれば、キツネ界最強との呼び声の高い(この評価を他のキツネたちから聞いたことがありません)父さんの牙の鋭さと噛む力があれば、ワシを秒殺することくらいいとも簡単なことでした。しかし、大五郎もさすがにつわものです。死んだと思われた大五郎が最後の力を振り絞って、嘴でキツネの急所である鼻の頭を突いてきたのです。父さんはその攻撃をさっと左に避けてかわし、それから大五郎を二つの後脚を使って巣から蹴り落としたのです。大五郎は頭から地面に落ちて、首の骨が折れて絶命しました。

 それから、父さんは泣き叫ぶ5羽の雛たちを一羽残らず噛み殺し、その雛の死体の下に身を隠して、留子が帰ってくるのを待ちました。

 しばらくして留子は悠然と巣に戻ってきました。ウサギでも捕まえたようです。父さんは雛の下からいきなり頭を擡げて、驚く留子の喉に噛みつき殺してしまいました。そして彼女も地上に蹴落としました。それからゆっくりと雛たちを全部食べ、それから地上に降りて、大五郎と留子の羽をむしって肉だけにしました。読者のみなさまは、父さんも疲れているので巣の上でもっと休息をとってもよかったと思われるかもしれませんが、休みもせずにここまでの作業をしたのには当然理由があります。死んだ大五郎と留子を狙ってオオカミやイタチやテンやカラスがすぐにこの現場にやってくるかも知れなかったからです。疲れたからといって安閑と休んでいるわけにはいかないのです。命をかけて戦った末に手に入れた肉です。他の動物におめおめと盗られるわけにはいきません。

 父さんは肉をぼくたちのところに早く持って帰ろうと考えました。我々に武勇伝を自分の口で語らなければなりません。だけど、父さんは大五郎と戦って深手を負っていますし、二羽のワシの肉も思っていた以上に重たいので、すぐには我家まで帰ってこられないのです。いまは、向こうで毎日留子の肉を食べながら静養しているそうです。傷が癒えたら大五郎の肉を持ってぼくたちの元へ帰ってくるそうです。こうした兄さんの作り話を母さんは傍でニコニコしながら聞いています。姉さんは時々、後ろを向いて体を動かしていますが、泣いているのか笑っているのかわかりません。今日は泣き、明日は笑っているのでしょう。

 これで兄さんの話が終わったわけではありません。ここからが兄さんの創作話の真骨頂です。まあ、聞いてやってください。傷の癒えた父さんは、その森にいたキツネたちに留子の肉を分けてやり、家来にしていったそうです。家来の総数100匹です。留子の肉がキツネ100匹分の餌に相当するかどうか、そんな細かいことは聞かないでください。100匹分に相当するくらい大きいワシだったと想像してください。兄さんも大五郎がキツネよりも百倍大きかったと言ったではないですか。辻褄はあっているのです。とにかく、こうしてキツネの一大軍団が形成され、そのボスにおさまったのが父さんなのです。

 ここでもう一つ。実は、大五郎は森に住むワシたちの王で、森のワシたちは長年の大五郎の圧政に苦しんでいたのでした。大五郎に反抗しようにも、腕力が違うので、大五郎の無理無体に従うしかありませんでした。餌を横取りされたり、女房を寝取られたりしたワシは数知れません。留子の性格も大五郎に輪をかけて悪く、彼女に貢ぎ物をしないと何かといじめられ、大五郎にあることないことをちくられるのでした。父さんはそんなワシたちに解放者として迎えられました。

 西の方角から、父さんはもうすぐ100匹の家来たちと一緒に、101羽のワシに乗って我が家に帰ってくるそうです。もちろん父さんは先頭のワシに乗っています。思い浮かべると、なんと壮大な光景でしょう。

 兄さんをキツネにしておくのはもったいないくらいです。兄さんが人間だったら、凄いアニメ作家になっていたと思います。

 現実の兄さんは、父さんのように立派な雄キツネになるんだと話してくれます。兄さんは体も大きく勇気もあるので、きっと父さんのような立派なキツネになると思います。姉さんによると、最近兄さんは父さんに顔つきが似てきたそうです。兄さんは嗅覚がするどく、モグラを見つけるのも早いです。父さんはいませんが、母さんが優しいのでぼくたちは幸せです。

 姉さんが美人なのはお母さんに似たのでしょう。毛並みも金色に輝いて、朝日を浴びると弟のぼくも見惚れてしまうくらいきれいです。

 家族全員で夕焼け空を見ていますが、ワシに乗った父さんは今日も帰ってきません。でも、今日も家族全員元気でした。日が暮れたら、家族みんなで狩りに出かけます。


                  つづく

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