13 狐の嫁入り
13 狐の嫁入り
ある日、幸太郎の家の前に黒塗りの車が停まり、小さな年寄りが降りてきた。洗濯物を干していた母はびっくりして、「お父さん、お父さん、村長さんがきた」と、大声で家の中にいる父を呼んだ。村長は、下駄をつっかけて出てきた父に簡単な挨拶をすませ、「今日は息子さんの幸太郎君に折り入って頼みがあってきたんだ。幸太郎君はご在宅かね」と父親に訊いた。父親は、玄関から幸太郎を大きな声で呼び、幸太郎は二階からのそっと降りてきて、村長にペコリと頭を下げた。それから村長は客間に通され、運転手は話が終わるまで車の中で待つことになった。
客間の下座に父、幸太郎、母の順に座り、座卓を挟んで上座の中心に村長が座った。村長の「お構いなく」と言う言葉に、母親はお茶と漬物、お菓子を出した。
村長はお茶を一杯飲み干すと、「早速だが」と話を切り出した。
この村は昔からキツネ村と呼ばれるくらいキツネに縁の深い土地である。そこでこの度、村としては、キツネのテーマパークを作って、全国に向けて大々的に売り出したいと考えているんだが、その件で是非とも幸太郎君に協力して欲しいと、村長はいきなり幸太郎に向かって座卓に両手をついて深々と頭を下げた。
頭を上げた村長は話を続けた。
このキツネのテーマパークは村の存亡をかけた一大事業であり、そのための資金は十分に準備していると村長は言う。だが、この貧乏な村にそんな資金などあるわけがないことは、誰にでもわかる。先月には、村唯一の病院だった村営診療所が運営資金がないために閉鎖されてしまった。ほとんどの村民は、よぼよぼの医者が常駐する診療所よりも信頼のおける隣町の病院に通っていた。夜、孫に高熱が出ても、診療所ではなく隣町の病院に車を走らせた。診療所の閉鎖は、数人の議員以外に反対するものは誰もいなかった。
そんな貧乏な村に、テーマパークを建設するような資金はどこにもないはずだ。後から分かったことは、どこかの財団から金を借りての事業だった。だがこの時点で、もはや村長は後にはひけない状況になっていた。なぜならば、この事業がうまくいかなければ、次の村長選に出馬することはできないばかりか、一家でこの村から夜逃げしなければならなかったのだ。村長は自分の家や田畑をすべて抵当に入れて借金をしていた。かれなりにテーマパークにすべてをかけていたのだ。
バブルの頃に建設されたテーマパークはほとんどすべてが失敗し、今では無残にも廃墟と化している。今さらテーマパークでもないことは誰でもがわかることである。だいたい、こんな僻地にテーマパークを作っても誰も来ないだろう。それもよりによって動物の中でも特別地味で、嫌われてさえいるキツネのテーマパークなのだ。村長は血迷っているとしか思えない。そう幸太郎は考えた。
ところが、突然、母親が「幸太郎、協力してあげなさい」と口を開いた。父親は左手を腰にあてて黙っていた。腰が痛んできたようだ。幸太郎は何をすればいいのかわからなかったが、とりあえず村長に「うん」と言いかけて、「はい」と言い直し、協力することになった。村長は「よし」と座卓を叩いた。
村長は、テーマパーク建設にあたって、幸太郎君を村の特別公務員として採用すると言った。公務員になれば月給をもらえる身分になるので、両親は声を上げて大喜びをした。村役場の職員と言えば、この村では超エリートである。
村長の話は具体的になってきた。
テーマパークは一年後に開設予定とのことだ。テーマパークの仮の名称は「キツネパーク」と決まっていた。離村者が多いので、キツネパークにするための土地はこの村にはいくらでもあったし、土地代はただ同然であった。しかし、土地があるからといってもそのほとんどは廃屋や原野である。最低限、廃屋を解体して撤去し、樹木を伐採し草を刈って、ある程度整地する必要がある。それから観客が歩く道を作らなければならない。それにキツネを入れておく柵や壁が必要だろう。そして何よりもキツネパークのアプローチのための道路と駐車場の整備をしなければならない。村長から図面を見せてもらうと、そこには一万台がとめられる巨大な駐車場があった。駐車場の広さからいっても、幸太郎が考えているよりもはるかに壮大な構想であることがわかった。
キツネが主役では、これだけの駐車場を埋めることはできないだろう。それなのに、観客は自家用車だけでなく、隣町のJRの駅からテーマパークまで専用のバスを走らせると言っている。この茫洋とした村長のどこにこんな壮大な構想が浮かぶ頭があったのだろう。そもそも、村長はお客様にいったいキツネの何を見せようと考えているのだろう。
村長の話は熱を帯びてきた。
キツネパークと言ったって、キツネだけを飼っているならば、全国どこにでもあるだろうから、取り立てて珍しいことではない。それだけでは客は来ない。一万台の駐車場なんて、夢のまた夢である。そこで目玉が必要となってくる。その目玉がキツネの芸だ。水族館にアシカやイルカのショーがなかったら、人は水族館に来ると思うか? どんな珍しい魚がいても、どんなに大きな魚がいても、どんなに綺麗な魚がいても、誰も来ないだろう。だから、キツネパークにもアトラクションのような目玉が絶対に必要だ。
そう言われても、キツネに芸などできるわけがない。ただ食べて寝るだけである。ネズミを捕まえるのが芸にはならないだろう。キツネは、アシカのようにユーモラスな芸ができるわけではないし、イルカのように豪快なジャンプができるわけでもない。
そんなことはわしだってわかっている。だが、わが村には幸太郎君のキツネの行列がある、と村長は小さな目を見開いてきっぱりと言った。
一日に3回、キツネの行列のアトラクションを入れることによって、たくさんの観光客が来るというのだ。キツネの行列も「狐の嫁入り」と呼べば華がある。今は20匹だろうが、来年の開園までには100匹くらいには増えているのではないかと、希望的観測を述べるのだ。ネズミ算式にキツネは増えていくだろうから、100匹の狐の嫁入りは壮観だというのだ。確かにそうだが、でも、と幸太郎は言う。今20匹というけれど、中には自分勝手に振る舞う奴がいて、20匹全員が揃って行進できているわけではないと言った。村長は、できるキツネだけでいいから行進させようじゃないかと言った。そのためにはどうしても幸太郎の協力が必要だと言った。
できるならば、ただの行進ではなく、昔から伝わっている「狐の嫁入り」のような幻想的なものにしたいというのだ。ステージを暗くして、怪しい光を灯して、キツネたちに白い花嫁衣装や着物や紋付袴を着せて厳粛に歩かせたいと言うのだ。音楽も尺八や三味線、それに鼓をいれて和風なものを専門家に依頼しているということだった。幸太郎は、キツネはそんな衣装を着たりしないだろうと言った。村長は、他のキツネは何も着なくていいけれど、花嫁だけは白い衣装を着せることはできないかと迫ってきた。それに顔に白い化粧も塗りたいそうだ。それはキツネ次第だと思うが、イナリならやらせてくれるかもしれない。
「狐の行列」は幸太郎が先頭で誘導しなければ、キツネたちは行列をつくって整然と行進することはない。幸太郎が羽織袴で提灯を持って先導することは決まっているそうだ。頭はちょんまげのかつらを被るか、それとも今のままにするかは、これからの検討事項ということだった。
だが、幸太郎が病気になって突然アトラクションに出場できなくなれば、観客たちから不平不満が出てくることは明らかである。子供たちの失望も大きいだろう。金返せのコールが沸き上がっても不思議ではない。そこで村としては、幸太郎の代役としてキツネの嫁入りの先頭に立つ者を養成しなければならないと考えている。これに幸太郎も異論はない。自分としても、毎日働きたくはなかったからだ。
村長は、その他にも「狐火」もやりたいのだが、キツネに蛍光色素を塗って暗いところを飛んだり跳ねたりできないだろうかと訊いてきた。これは「狐の嫁入り」よりもずっと簡単だと答えた。
そんな話をして村長は「とにかく頼む」と言って話が終わり、外に出た。運転手はキツネ小屋を覗いていたが、キツネたちは全員眠っていた。
翌週から、村の係長や主任が幸太郎の家に来て、幸太郎にキツネの名前を教わって、半日間、キツネを呼んだが、どのキツネも全く反応しなかった。翌日もまたその翌日も駄目だった。それなのに、幸太郎が呼ぶとすぐに幸太郎の傍によってきた。
そこで、幸太郎の声に似ているという役場の職員がやってきて、幸太郎に似せた声で呼んでみたが、それも徒労に終わった。
次に、村一番の美人が幸太郎からキツネの名前を教えてもらって呼んでみたが、一匹も来なかった。そこで、以前水族館でアシカの調教をしているという者がよばれ、幸太郎の代わりにキツネの行列に挑んだが、キツネたちは一匹もかれの言うことを聞かなかった。どんなに餌や色香で釣ろうが、キツネは幸太郎以外の言うことを聞かないことがわかった。
村の課長が、テーマパークのデベロッパーだというポマードでてかてか頭の、見るからに胡散臭そうな中年男を幸太郎の家に連れてきた。名前を三郎という。かれがキツネパークの基本構想を村に売り込みにきた男だということがわかった。かれがキツネパーク開設までの実質の責任者である。
三郎は幸太郎が話を聞いているかどうかにまったく関心はないようで、一方的に自分のアイデアをまくし立てた。かれが言うには、キツネの行列だけではそのうち観客に飽きられるだろうから、行列をできれば「狐の嫁入り」のように見せたいという。「狐の嫁入り」を含めて村長が語ったキツネパーク構想は、すべて三郎の受け売りだということがわかった。
しかし、と三郎は言う。「狐の嫁入り」は大人には受けても、もしかすると子供たちは怖がって敬遠するかもしれないと言った。確かに、村長の語った「狐の嫁入り」は伝統的と言えばそれまでだが、あまりにジジ臭いイメージであった。
三郎が言うには、子供たちに受けないようなアトラクションは長続きしないというのだ。当座は「狐の嫁入り」は夏の夜のショーに限定した方がいいのではないかと言った。そこで、昼間は公園内を幸太郎が笛を吹いてキツネたちを連れて歩く、ハーメルンの笛吹の物語をベースにしたものにしたいと思うが、どうですか、というので、幸太郎がそのことについて考えようと思っていたら、三郎は「そうですか、やはり洋物は無理がありますか。そうですね。子供向けにもう少し面白いものを考える必要がありますね」と一人で話を飲み込んでいった。「それから、キツネに衣装を着せることはできますか? 綱渡りや梯子を上ることはできますか? ジャンプは何メートルくらい飛べますか? 答えは来週までにお願いします。調べておいてください」。一方的に話して去って行った。
三郎は開設までの一年の間に、キツネ関連の食べ物やグッズを考えて中国に発注しなければならなかった。三郎は、毎日ぶつぶつ言いながら自分の構想を練り上げていた。
キツネ関連と言えば、油揚げだろうけど、年寄りたちには稲荷寿司とお守りがあったらすむけど、若者や子供に受けるような商品が必要だから。ソフトクリームのコーンに油揚げを使うと手が油っぽくなるし、無理だよな。ぬいぐるみも可愛くしないとな。人間の着ぐるみショーもないと、半日も滞在しないよな。やっぱりキツネと環境問題の動画を作って園内のシアターで流そう。
世界中に生息するキツネも全種類展示しないとな。これから一年で、全部手配できるかな。村の予算が少ないから、全部は無理かもしれないな。でも、滞在型にしないと村にたいして金は落ちないよ。村長はいずれホテルも作ろうと考えているそうだからな。いくらなんでもそれは無理だろう。田舎者は大きな夢を見すぎなんだよ。あっ、村長をのせたのはおれだっけ。
だけど、幸太郎君が病気や怪我をしたら、一番の呼び物の「狐の行列」ができなくなるぞ。そうしたら観客たちは暴動を起こすだろうな。「キツネの行列」以外はたいして面白くないんだから。おれも、幸太郎君のキツネの行列を見てキツネのテーマパークを閃いたんだから。なんとか、幸太郎君以外の調教師を早急に育てなくてはいけないな。調教師育成も幸太郎君の担当だな。
幸太郎は快く調教師の育成案に乗ってくれ、調教師の候補として20代から50代までの男性2名と女性3名、計5名が毎日特訓をした。このうち、50代の男性はキャリア30年のイヌの訓練士だった。だが、半年たっても何の成果も得られず、キツネの調教師は一人も育たなかった。かれらのうち3人(イヌの訓練士を含む)はキツネに向かってひどい悪態をついてやめて行き、残った2人は餌やりと公園の整備の仕事に回ることになった。
つづく