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祟らずの狐  作者: 美祢林太郎
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12 幸ちゃんの狐

第二部 舞台は現代に


12 幸ちゃんの狐


 いきなりだが、舞台は現代のキツネ村に移る。


 村には産業がなかったので、若者たちが働くところはほとんどなかった。コンビニでバイトしようにも、隣町にまで行かなければならなかった。村の最大の働き口は、道路の補修工事であったが、外で汗を流す仕事に就こうとする若者はいなかった。そうしたところで働くのは忍耐強い老人だけだった。若者はいくら給料が安くても、エアコンのきいたコンビニで働く方がよかったのだ。親たちも子供にそちらの方を願った。

 村にはコンビニだけでなく、ファミレスもファストフードもスーパーマーケットもなかった。村に一軒だけあった喫茶店も十年前に閉店した。このようなナイナイ尽くしの村は、今は日本中どこにでも存在するのだから、驚くことはない。村にこうした今風の店が欲しいならば、わざわざ店を誘致するようなことはせずに、近隣の町と合併すればいいだけだ。いとも簡単なことだ。すでに、村人たちは週末になると、隣町のスーパーマーケットに車で買い出しに出か、ファミレスで食事をして帰っている。とりたてて不自由を感じているわけではないのだ。

 幸太郎は高校を卒業して十年間、就職をすることもなく家でごろごろしていた。都会ではいわゆる引きこもりと呼ばれる部類に属するのであろうが、別にこの村ではありきたりの存在であって珍しいことはない。かれらは一般的な引きこもりの暗いイメージを持ち合わせてはいない。高校時代は、勉強はしなかったが、友達と他愛ない話をするためだけに、一日も休まずに学校に通い、不登校生ではなかった。

 高校を卒業すると、働きたかったり、勉強をしたかったり、遊びたかったり、恋愛をしたかったり、楽しみたかったり、悪いことをしたかったり、とにかく少しでも好奇心とエネルギーのある同級生は、みんな近くの地方都市か東京に出て行った。村に残った者たちは、低エネルギーの穏やかな若者たちばかりである。たまに威勢のいい奴もいるが、所詮口先だけの内弁慶である。それでも住み慣れたこの村で、気心の知れた幼馴染と過ごすのは、微温湯に長時間つかっているのと同じで、快適なので簡単には抜け出すことができない。

 たいていは家でコンピューターゲームをし、思い立ったように自転車に乗って高校時代の友人と会い、宅飲みをする。村の人たちに迷惑をかけることはしないし、すれ違った人たちには誰でも明るく挨拶を交わしている。村に残った同級生は幸太郎だけでなく、全員が好青年である。仕事がないので、この村に残っている若者は、大なり小なり幸太郎と同じような生活をして過ごしていたので、誰も後ろめたさを感じることはなかった。

 きれいごとばかりを並べていると思われるかもしれないが、そりゃあ改造バイクや改造車に乗って夜な夜なでかい音を立ててぶっ飛ばす奴もいるし、何度か免停をくらった奴もいる。でも、そうした奴が不良なわけではない。どんなに田舎に住んでいても、人並みに流行りのことをしたい奴はいある。若者文化はテレビやネットからこんな田舎まで瞬時に届くのだ。

 しかし、暴走運転をしているかれらも、かれらなりに気を使っているのだ。暴走運転はこの村ではなく、離れた地方都市に行ってやっている。村人にはなるべく迷惑をかけないように、夜な夜な家から出る時は、エンジンをふかさずに、できるだけ静かに出て行っている。目立つのは、家の車庫にある車が、田舎に不釣り合いな派手な色彩やしゃこたんになっているだけだ。親はこれだけでも近所に引け目を感じている。「うちのバカ息子が」と言うのが、隣の家の者と話す際の最初の決まり文句になっている親もいる。息子は車庫から車を出す際に胸に手を当てて「勘弁な、おふくろ」と謝って出かけているそうである。だが、真偽のほどは定かでないが・・・。

 幸太郎はかれらの車に乗せてもらうことはあっても、彼自身はたまに用事がある時に、家の軽トラを運転するくらいだ。車に興味はないのだ。

 幸太郎が職業欄を記入しなければならない時は、農業と書くことにしている。だが、この村は山間地なので、農業をするにしても十分な土地がなく、自分の家で食べる程度の野菜を作るのが関の山だ。都会で言えば、家庭菜園である。米も作っているが、これも自分の家で食べるだけの量である。だが、山間地なので、収量は少なくても味は良い。幸太郎がこの土地の米の美味しさを知ったのは、高校2年生の時、九州に修学旅行に行った時だ。旅館で食べるご飯が美味しくなかったことで、自分が毎日食べている米の美味しさがわかった。当たり前のことを知ることは、相対化する以外に道はないのかもしれない。だが、我が家の美味しいご飯を食べたくてこの村に残ったわけではない。低エネルギー、つまり出不精なだけだ。旅行は修学旅行で十分だ。

 一家の現金収入と言えば、一番は両親が定期的に行っている道路の補修工事のアルバイトである。両親は五十代前半なので働き盛りである。アルバイトの愚痴を幸太郎はこれまで聞いたことがない。他には、山で採る山菜やキノコがあるが、もっと金になるのは我が家の雑木林を伐採した後に看板を掲げた観光わらび園である。親は日中ゴロゴロしている幸太郎を、小学生を叱るようにして、わらび園に客を案内させたり、整備をさせた。観光わらび園は村のいたるところにある。季節になると、結構観光客が来て、収穫しておいた山菜もついでによく売れた。

 幸太郎は山菜採りやキノコ採りが好きだった。ここらの人たちは子供の頃から親や友だちと山菜やキノコ採りを日常的にしていたので、手慣れたものだった。どこにあるかも熟知していた。

 こうしたことが、幸太郎が村の農業高校を卒業してからの日々だった。将来の希望はとりたてて何もなかったが、希望がなくても呑気に生きていくことはできる。おそらくこの村の人たちは代々そうして生きてきたのだろう。

 母親が最近、畑がタヌキやイノシシに荒らされているのでどうにかして欲しい、と幸太郎に頼んできた。親父に頼んだらと言ったら、親父はこのところ腰を悪くして動けないらしい。親父の持病である。幸太郎は畑仕事を手伝ったことがないので、野菜作りには関心がなかったが、母親が口うるさかったので、いつか夜中に畑を巡回することにした。

 テレビで面白い番組もなくなったので、やおら懐中電灯を持って畑に出かけていった。カサカサと音がするので、懐中電灯を向けると、太ったイノシシが畑をほじくりかえしているのが見えた。懐中電灯に照らされたイノシシは幸太郎の方を見て、ブギっと鳴いて短い脚を懸命に動かして走り去っていった。その後を何頭ものウリ坊がついていった。可愛かった。

 近所の畑からも音がしたのでそこを照らすとタヌキが5匹いた。タヌキはのそのそと立ち去っていった。背後で音がしたので振り向くと、懐中電灯の向こうに二つの赤い目が光った。それはキツネだった。幸太郎はそれまでイノシシやタヌキを見たことはあるものの、キツネを見るのは初めてだった。新鮮で、どこか神々しかった。

 この村はみんなからキツネ村と呼ばれているが、住人のほとんどはキツネを見たことがなかった。幸太郎の両親や幼馴染も誰一人としてキツネを見たことがない。

 この村がキツネ村と呼ばれているのは、昔、村人たちが誤ってキツネを皆殺しにし、その祟りで大凶作になり、たくさんの村人が死んだそうだ。それでキツネの霊を慰めて、キツネの祟りが収まったという話が伝わっている。昔はこの村にもたくさんのキツネがいたのだろうか? キツネを皆殺しにしたので、キツネはいなくなったのだろうか? でも、さっき見たのは確かにキツネだった。

 ある日、幸太郎がわらび園の看板を見て回っていると、一匹の子キツネがいた。周りに親キツネは見あたらなかった。きっと、親からはぐれたのか、それとも親たちはイヌかクマに襲われて死んでしまい、この子キツネだけが生き残ったのかもしれない。幸太郎が身を固まらせている子キツネをつまみ上げようとすると、子キツネは幸太郎の手を噛んだ。幸太郎が手を離すと子キツネは地面に落ちた。幸太郎は「元気のいい奴だ」と言って、再度、子キツネの首をつまんで持ち上げて抱きかかえ、家まで持ち帰った。

 幸太郎はこの子キツネを自分の部屋で飼うことにした。名前をイナリとつけた。飼い始めの頃はミルクで育て、大きくなってからは残飯を与えた。そのうち隣町の百円ショップからドッグフードを買ってきて与えると、喜んで食べた。それからはホームセンターのドッグフードを与えた。

 大きくなると、部屋から出て、家の中でネズミを追っかけて走り回るので、母親がそろそろ自然に放した方がいいだろう、と言った。けれど、イナリは幸太郎に懐いているし、幸太郎もイナリに愛着がわいているので、手放す気にはなれなかった。

 母親が飼うなら家の外で飼うように言ったので、外にキツネ小屋を作って飼うことにした。小さなキツネ小屋で一日中過ごさせるのはかわいそうだったので、イナリに首輪をしてそこに紐を付けて毎日一緒に散歩をした。たまには、外の物干し竿に紐で輪っかを作って通し、一日中イナリを放置することもあった。夜中にイナリはネズミやモグラを捕まえようと、動き回っている音が自分の部屋にまで聞こえてきた。イナリは夜の方が活発に活動した。

 最近、夜になるとイナリが盛んに鳴くようになった。近くに雄のキツネが何匹も来ているらしい。繁殖の季節なのだ。

 ある朝、庭の柿の木に結びつけておいた紐だけが残っていて、イナリの姿は消えた。紐が鋭い牙で噛み切られた痕跡があった。幸太郎はイナリが自然に戻って、もう二度と自分のところへは帰ってこないだろうと思った。淋しかったが、それは仕方のないことだとすぐにあきらめた。それから数日、友人の家に泊って酒を飲み、家に戻ってコンピューターゲームをして過ごす毎日を送るようになった。

 数か月すると、ふいにイナリが戻って来た。しかも、5匹の子キツネを連れてである。父親キツネはいなかった。父親は何かの原因で死んだのかもしれないし、イナリが亭主を捨てたのかもしれない。幸太郎はイナリの家族をキツネ小屋に向かい入れ、イナリに残しておいたドッグフードを与えた。イナリはドッグフードを美味しそうに食べた。イナリは乳を飲ませるためにドッグフードを毎日たくさん食べた。幸太郎はネズミ捕り器で捕まえたネズミをイナリに与えた。イナリは目を細めてネズミを食べた。

 幸太郎はイナリの子供たちと遊び、子供たちは幸太郎によくなついた。イナリはそれを嬉しそうに見ていた。幸太郎は子供たちのお父さんになったような気分である。幸太郎はすべての子キツネに名前を付け、名前を呼ぶと、見えないところから走って幸太郎のところに帰って来た。抱え上げると幸太郎の顔を長い舌で必死で舐めた。幸太郎はご褒美にポケットから取り出した高級なドッグフードを与えた。

 キツネたちと全員で山菜採りに行くこともあった。かれらがピタッと歩くのを止めると、その先から大きなクマが出てきたこともあった。クマは我々を一瞥すると、のっしのっしと通り過ぎていった。

 子キツネたちは乳離れをして、一人でネズミやモグラ、バッタを捕まえられるようになった。幸太郎が首にひもをつけずに放し飼いにしておいたイナリや子キツネたちは、朝になるときちんとキツネ小屋に戻って来た。キツネ小屋がかれらの家だということがわかっているのだ。かれらは近在のニワトリ小屋を襲うことはなく、近所から苦情が来ることもなかった。

 子供たちが成長し、交尾の季節を迎えると、イナリと一緒に子キツネたちも家からいなくなったが、数か月経つと雌キツネたちだけがかれらの子供を連れて、幸太郎の家に戻ってきた。これでキツネは20匹にまで増えた。

 20匹になると、ドッグフード代も馬鹿にならないので、道路工事のアルバイトに出るようになった。合間に、幸太郎は荒れた畑を開墾し、野菜作りに精を出し、できた野菜を町の直売所に納めて現金化するようになった。キツネ小屋のキツネの糞は良い肥料になるようで、畑にまくと野菜は大きく成長した。それにキツネがネズミやモグラ、バッタを獲るので、野菜がそうしたものたちから害を受けることはなくなった。さらには、キツネたちが畑を荒らすイノシシやタヌキ、ハクビシンやアナグマを退散させるようになった。キツネは畑を自分たちの縄張りだと思っているのだ。

 幸太郎は、野菜作りの合間に、山菜採りやキノコ採りのために、キツネを連れて山に入って行った。

 キツネを連れた幸太郎は、いつしか村の風物詩となった。かれらは行き交う人たちから「今日もかい。仲が良いね」と声をかけられるようになった。両親は近所の人たちから「最近、幸ちゃんは働き者になったね」と言われ、ご機嫌だった。両親は、これはお狐様のご利益かもしれないと思って、仏壇に手を合わせた。

 幸太郎は成長したキツネたちのために、大きなキツネ小屋を新築した。20匹全部に名前を付けて、合図をすると、かれらを縦一列に整列させることができるようになった。こうしたことが村でも有名になり、知らない人たちが見学に来るようになった。そのうち全国版のテレビ番組でも取り上げられ、県外からも観光客が来るほどまでになった。


              つづく

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