10 祟り
10 祟り
母さんが死んで、境内にいる村人たちを暗い沈黙が包みました。殺生が禁じられている神社で鉄砲が発射されキツネが死んだのです。それも死者が帰ってくるとされるお盆にです。居合わせた人たちはこの沈黙を誰かに破って欲しいと各自が願っていたのですが、誰も黙ったまま項垂れていました。
蝉たちの鳴き声が、人々の耳の奥に「さて、どうするんだ、どうするんだ」と脅迫するように入ってきました。全員、あぶら汗が滴り落ちていました。
少女が母さんを指さして最後に言った「神様だ」という言葉が、みんなの記憶の中に鮮明に残っていました。銅鏡に照らされた母さんの姿は神々しく、コーンと鳴いた声も美しく、神様の形容に相応しいものがありました。居合わせた人の中には、もしかしたら神様を殺したのかも知れない、と不安に思う人もいたくらいです。
その時、突然、それまでうるさかった蝉が一斉に鳴き止みました。そして、晴れ渡っていた空が暗転し、西の空に一筋の稲妻が走り、そのあとにドカンと激しい雷鳴がみんなの体の中を揺さぶりました。雷鳴を合図に滝のような雨が降ってきました。みんなはそれを合図に駆け出し、各自の家に一目散に帰って行きました。村人たちは帰宅すると、雨に濡れたまま着替えもせずに、母さんの祟りがありませんようにと、仏壇に手を合わせて一心不乱に拝みました。
一晩中、激しい雨と風の音で村人たちは一睡もできませんでした。みんな母さんの怒りだと信じて疑いませんでした。もちろん、みんなが楽しみにしていたその夜の盆踊りは中止になりました。
母さんを撃ち殺した吉蔵は、みんなが帰った後も一人で神社に残り、土砂降りの中、母さんの亡骸を大事に抱きかかえ、神社の境内の片隅に素手で穴を掘って埋め、目を閉じて手を合わせました。
ぼくは土砂降りの中、墓場に走って、散らばっている団子や饅頭をムシャムシャと腹いっぱいになるまで食べました。ぼくは久しぶりに生き返ったようでした。それからぼくは村の家々を回って、家の外から「母さんが死んだ、母さんが死んだ」と大声で吠えて、走り続けました。ぼくの声は激しい雨風の音に消されて、村人の耳には届きませんでした。
朝になっても、村には冷たい雨が降り続けていました。
その日も雨が降っていました。母さんを殺した二日後に開催された村の寄り合いの冒頭で、死んだ母さんはあの後どうなったのかという話題が出たのですが、みんなは互いに顔を見合わせるだけで、誰も知りませんでした。もしかしたら、今でもあの場所に母さんを放置しっぱなしにしているのではないかと思うと、全員が空恐ろしくなりました。その時、吉蔵があの後すぐに一人で母さんを弔ったと言ったので、みんなはほっと胸を撫で下ろしました。
それでも吉蔵は誰からも褒められることなく、集まった人たちは口々に母さんを殺した吉蔵を叱責し始めました。誰も口には出しませんが、お盆に神社に向かって発砲してキツネを殺したのだから、何か祟りがあるかもしれない、と密かに恐れを抱いていました。村人たちはこの殺生の責任をすべて吉蔵一人に帰して、自分たちの罪を逃れようとしているのがあからさまでした。かれらの繰り返される罵詈雑言を、吉蔵は俯いて歯を食いしばって黙って聞いていました。
吉蔵は村一番の鉄砲の名手です。かれは今回のキツネ狩りでも、一番たくさんのキツネを鉄砲で撃ち殺しました。村人たちからは射撃の名手だともてはやされてきました。吉蔵も悪い気はしませんでした。そんな吉蔵を村人たちは手のひらを返したように、キツネを一番殺したのも吉蔵だと非難し始めたのです。しかしそれは間違っています。鉄砲を使ってキツネを一番殺したのは吉蔵に間違いありませんが、鉄砲で死んだキツネの数よりも罠にかかって死んだキツネの数の方が圧倒的に多かったのです。村人は吉蔵を叱責することで、自分たちが仕掛けた罠で多くのキツネを殺したことを忘れてしまいたいかのようでした。村人たちは何かに憑りつかれたかのように醜い表情で吉蔵を攻撃し続けています。俯いていますが、吉蔵だけは穏やかな心を保っていました。
吉蔵は普段から心の優しい若者で、撃ち殺したキツネはすべて家まで持ち帰り、家の庭に丁重に亡骸を埋めていました。口数の少ない男ですが、村の誰からも頼りにされている男だったのです。
みんなはキツネの祟りに怯えていることを口には出しません。おそらくこのどんよりとした雲の下、降り続く冷たい雨が、必要以上に村人を臆病にさせているのです。
寄り合いで、キツネ狩りの終了が満場一致で決定しました。雨の中を、罠の撤収が始まりました。何人かの村人が罠にかかって足を挟まれましたが、人間は両手でそれを外すことができます。村人の何人かが片足を引きずって村の中を歩くようになりました。きつねの祟りだと囃し立てる心ない子供がいます。
この夏は冷たい雨が降り続き、日照不足の冷夏になりました。稲に病気が発生し、ほとんど稲が実りませんでした。今年の冬は厳しそうです。
疫病が蔓延し、たくさんの老人が亡くなりました。食い物がなかったので、体力が落ちていたのです。生き残った老人たちも、わずかな食べ物を子供たちに全部与えて、自分たちは進んで餓死していきました。
大人は山にクリやクルミの実を採りに行きましたが、そうした木の実も冷夏のために不作でした。山で採れたのはわずかなキノコだけでした。少しのキノコだけでは家族が生きていくことはできません。山に入ってウサギやシカ、キツネやタヌキなどを狩猟しようにも、動物の顔を見ることはありません。村人たちがすべて殺してしまったのです。
村人たちはやせ細った飼い犬を殺して食べるようになりしたが、それで空腹を満たせるのは数日だけでした。食べられる草はなんでも食べましたが、中には毒草が混じっていて、死人も出ました。
ネズミがわずかな米を食べつくしてしまいました。やせ細ったネコたちは、異常発生したネズミの多さに尻尾を巻いて、部屋の隅で怯えて震えていました。ネコたちにはネズミを捕まえる体力と気力が残っていなかったのです。村人はネズミを捕まえて食べようと思いましたが、ネズミたちを捕まえることはできずに、却って反撃にあいました。子供たちはネズミに怯えています。
村人たちは生き抜くために、娘たちを女郎屋に売りました。村では、毎日、毎日、人買いが何人もの娘たちを連れて行く光景が見られました。男の子たちは丁稚奉公に出されました。村から一挙に老人と子供たちがいなくなりました。一家で夜逃げをした者たちも少なくありません。村人たちはキツネの祟りだと言って、神社に毎日手を合わせています。
いつ頃からでしょう。山の方にたくさんの狐火を見たという村人が現れました。あれはキツネの嫁入りではないかと言う人がいます。殺したキツネたちが夜な夜な鳴く声が聞こえるという人もいます。この村全体がキツネに祟られていると多くの村人が言います。
枕元に口が裂け、目が充血し、全身血まみれの、毛が総立ちした恐ろしいキツネの幽霊が枕元に現れたという女性がいました。血を滴らせたキツネの首が空をフラフラと舞っていたという人もいました。かれらは精神錯乱しているようでした。娘がキツネつきになったという人も登場しました。
村では、様々なキツネの祟りの話で持ち切りでした。飢えとキツネの祟りの恐怖が相乗効果を表していたのです。
村人の中から、キツネの霊を鎮めるために鎮魂式を行うことが提案され、みんなは賛成しました。ただ、村にはキツネの霊に捧げるまともなものは何一つありませんでした。何もお供え物をしなければ霊は鎮まりはしないだろう、とみんなで貢ぎ物を考えたのですが、何も思いつきませんでした。唯一、頭に思いついたのが、人身御供だったのです。ですが、誰もその言葉を口に出すことは憚られました。長い沈黙の時間が流れました。
村長の長三郎が意を決して、ここはもはや人身御供しかないだろう、と呟くような声で言いました。みんなの耳に届きましたが、声に出して賛同するものはいませんでしたが、否定するものもいませんでした。誰もが無言で賛同しているのがわかりました。みんながもうこの方法しかないと思ったのです。長三郎が、今度は「人身御供でどうだ」とみんなに届く声で念を押すと、みんなも呼応するように大きな声で「賛成だ」と返しました。長三郎を一人にはできなかったのです。それでも沈鬱な空気に変わりはありませんでした。後ろの方の誰かわかりませんでしたが、「人身御供は誰にするんだ?」という声が上がりました。誰もが黙りました。気づまりな時間が流れました。
「やはり、村一番の器量よしのスズがいいんじゃないか」と寅造が言い、みんなの目は吉蔵の方に向かいました。スズは吉蔵の妹でした。人身御供が提案された時に、みんなの頭の中には同時にスズのことが浮かんだのです。吉蔵もすぐにスズのことが頭に浮かびました。誰もスズ以外の女の顔を思い浮かべることはありませんでした。スズは誰もが認める村一番の美人だったのです。
吉蔵は黙っていました。ひたすら何かに耐えているようでした。誰かが「スズに決定だ」と言うと、みんなが「そうだ、そうだ」と口々に同意しました。早くこの話題を終わらせたかったのです。
スズは母さんが死んだ7月13日が誕生日で、18歳になりました。清楚で美しい娘でした。スズは吉蔵に人身御供になることを告げられても、何の抵抗もせずに鎮魂式の日を迎えていました。スズの両親は毎日嘆き悲しんできました。吉蔵は毎日黙って鉄砲の手入れをし、雪山へ鳥を撃ちに行っていました。スズは人身御供が決まってからは、毎日水だけを飲んで過ごしました。身を清めること以上に、死ぬことが決まった自分が家族の食料を減らしたくなかったのです。
鎮魂式の日は、朝から雪が降っていました。スズは真っ白い衣装に身を包み、滝に打たれた後で、滝の上に運ばれ、みんなが見つめる中でスズは滝つぼに自ら落ちて亡くなりました。スズが滝つぼに落ちる時、遠くで鈴がリーンと鳴ったように聞こえました。スズは最後まで美しかったのです。
村人たちはこれでキツネの祟りが収まることを期待し、実際、その年の冬は暖冬になり、翌年は豊作となりました。村は誰からともなくキツネ村と呼ばれるようになり、以後、キツネ狩りが行われたことはありませんでした。
つづく