第四話 「風見葵」
〜現在〜
「装置は完成した。あとは君の記憶。さあ試してみてくれるか。」
一切の迷いはなかった。
早速、その「殻」のような装置に付いている管を教授の指示通りに頭部につけ、僕はその装置の中にあるベッドに横たわった。
無機質なそれだったが、案外寝心地は悪くなかった。
「さあ、準備はいいかい?リラックスするために紅茶を用意したよ。これに睡眠薬を入れてあるから飲んでくれ。」
僕は風見教授から差し出された紅茶と睡眠薬の入ったカップを受け取り、それを一気に飲み干した。
少し冷めていたため、熱くはなかった。
それを飲み干し、すぐに横になった。
すると装置の蓋はゆっくりと閉められていき、辺りは暗闇に包まれた。
それからすぐに、僕の意識は薄れていき、今いるこの世界は「殻」の中に閉じ込められた。
頭が重い。一体どれくらい眠っていたのだろう。今何時だろう。
目が覚めた。
見たことのない景色、恐らくどこか古びたホテルの一室…。
思い出した。これは夢だ。風見教授の装置で見ている「葵」の夢だ。
重い身体に鞭を打って起き上がると、古びたようでしっかりと手入れのされたベッドに寝ていたことに気づいた。
服装は…現実で着ていたものと一緒だ。
それにしてもまるで現実のような夢だ。
ベタにほっぺたを軽くつねってみると、ちゃんと感覚がある。
まあそれもそうか。これが風見教授が作り出した装置の力だから。
一度背伸びをして、部屋を見渡す。
鏡やスタンドライトなどが置いてある。
ごく普通のホテルの一部屋のようにも見える。
目の前に扉がある。
少しふらつく頭をポンと叩いて、扉まで歩みを進めそのドアノブを回してみた。
ガチャリ。
扉はいとも簡単に開いた。
鍵はかかっていないようだ。
扉を開けて外に出ると、そこはホテルというよりコテージのようなリビングルームのような空間が広がっていた。
大きな椅子とテーブル。
暖炉もある。
小洒落た部屋だ。
これは風見教授の趣味なのかな。
そんなことを考えていると、真正面にある扉が突然開いた。
開いた扉から、小柄だけれどすらっとした、色白で黒髪の綺麗な女性が立っていた。
見覚えのある顔。
葵。葵だ。
けれど少し僕の記憶の葵とは違う気がする。
気のせいか?僕の記憶違いか。
すると、目の前の女性はニコリと笑って、その艶やかな唇を震わせた。
「二宮君。久しぶり。元気?」
間違いない。葵の声。
僕は自然と感情が昂るのが分かった。
手が震えている。
唇も軽く痙攣していてうまく動かせない。
ようやくの思いで、声を振り絞る。
「葵?葵だよね?」
少し声が上ずってしまった。
「そうだよ。忘れちゃった?」
少女はあいも変わらず優しそうな瞳でこちらを見ている。
「いや、あまりにも綺麗だから。」
柄にもない台詞が漏れる。きっと、震えのせいだろう。
「ありがとう。今の私は二宮君と同い年なんだ。そう設定されているの。風見葵が23歳だったら。そうAIが創造してこういう姿にしてくれたみたい。」
風見教授の装置は本当に素晴らしい。
僕の記憶の葵を使って、ここまで自動的に修正してくれているみたいだ。
震えが少しおさまってくると、同時に僕の両目からは少しずつ涙が溢れてきていることに気づいた。
「やっと会えた。ずっと会いたかったよ。葵。本当にごめん…守ってあげられなかった…。」
ダムが決壊したように、大粒の涙が両目から溢れ出てきた。
「二宮君のせいじゃない。私が二宮君の言うことを聞かないで、勝手に一人で家を出たから…。」
彼女は震える声でそう言うと、その美しい瞳から一筋の涙を流した。
僕は思わず、葵の元に駆け寄った。
そして、気づくと僕の両腕には華奢な身体が抱き寄せられていた。
葵もはっきりと大粒の涙を流していた。
僕はもう涙が止まらなくなり、葵をきつく抱きしめた。
相変わらず華奢なその身体はあの頃よりも更に細くなったようだった。
葵の長い黒髪から懐かしい香りが漂ってきた。
香りは人の記憶を掘り起こす。7年前の記憶が一気に戻ってくるのを感じた。
あの時、なんで助けられなかったのだろう。
後悔がどっと込み上げてきた。
それと同時にむせ返す程の嗚咽で苦しくて吐きそうになった。
すると、僕の頭を葵は白くて柔らかい手で優しく撫でてくれた。
なんだかとても温かくて、安らぎを感じた。
そして、それからすぐに嗚咽は収まり、少し落ち着きを取り戻すことができた。
葵の目を見ると、葵もとっくに泣き止んだようで優しく笑いかけてくれていた。
それを見て、僕もやっと笑顔が溢れた。
それから2人で中央の大きなソファに腰かけた。
本当にこれは夢なのだろうか。
隣にいる葵の息遣い、香り、あまりにも鮮明すぎて、現実と錯覚を起こしてしまいそうだ。
そういえば風見教授が言っていた。
この装置は、夢をとても鮮明に見ることができる。
ただ、その代わりに脳に少なからずダメージを負う。
あまり長時間の使用や間を空けずに使用することは控えるようにと。
一体この世界にきて、どれくらい時間が過ぎただろう。
あたりを見渡しても時計などの時間がわかるものはない。
また、窓がなく外の様子を伺うこともできない。
そもそもこの空間に外という概念が存在するのかも定かではないが。
ソファに移動してから葵はただじっと優しく僕を見つめてくれていたが、不意にその小さな唇を開いた。
「そうだ、紅茶でも飲もうか。私いれてくるからここに座って待ってて。」
彼女はそういうなり立ち上がり、部屋の隅にあるキッチンと思わしき所へと向かった。
また少し周りに目をやった。
やはり窓はない。ただ気になるのは、玄関のような大きな扉がひとつだけある。
僕はソファから立ち上がり、その扉に手をやった。
しかし今度の扉は、鍵がかけられていて、開くことはなかった。
鍵を探してみたが、外側から鍵がかけられているようで、開けることはできなかった。
いや、そもそもこの扉は、景観を作るためのもので、この空間には外の世界が存在しないのかもしれない。
僕はこれ以上、この扉について考えることをやめた。
僕がソファに戻ると、ちょうど葵がティーカップを2つ持って戻ってきたところだった。
それを受け取り、そっと口につけた。
熱い。しっかりと感覚があるんだな。
僕は葵がいれてくれた紅茶を時間をかけてゆっくりと飲み干した。
なんだか眠くなってきた。
とてつもなく眠い。僕はソファから倒れ込み、彼女の膝の上に頭を落とした。
最後に見た彼女は優しく僕を見守ってくれていた。