第一章 第一話 「殻」
「二宮君、遂に完成したよ」
白衣を着た長身の中年男性は、短くまとめられた白髪を優しく撫であげて、その白髪よりも少しくすんだグレイ色の天井を見上げながら呟いた。
感情を表に出さないよう、それでも、ことの重大さがしっかりと伝わる声色は、名前を呼ばれた僕の胸にグサリと突き刺さった。
「本当ですか?風見教授。いやでも、完成までにはまだまだかかると仰っていたかと思いますが」
驚きを隠せず、話し相手の数倍大きい声を出してしまったことに気づくと、ハッと息を飲んだ。
そんな様子を見向きもせずに、話し相手の中年男性はさきほどからただ天井を見つめている。
「最初はそう思っていたよ。だが、二宮君、君のおかげで、君の『葵』に逢いたいというその気持ちが、こんなにも早い《完成》へと導いたんだ」
中年男性は、ようやく話し相手の方向を向くと、着ている白衣よりももっと白い歯を見せて笑ってみせた。
僕は目の前にある自分よりもふたまわり程大きな「殻」にじっと目をやった。
無機質なその「殻」は、中に入る主をただじっと待っている様子だった。
僕は少し寒気を感じて、目を逸らし、中年男性の真似をして天井に目をやった。
研究室の天井にある防音のための無数の点が、まるで僕をじっと見つめる目のように見えた。
ここは日本の最高峰、明應大学の脳科学研究室。
キャンパスは、都会から少し離れた神奈川県の市街と山間の中間地点に建っている。
いわゆる大学キャンパスというと、都心のどデカいビルが建つオフィス型のものと、ドラマに出てくる様な広々とした敷地に、芝生の広場やベンチが並んだものとが思い浮かべられるが、このキャンパスは後者の方である。
広い敷地面積に様々な設備が充実した、研究者にとっては打って付けの環境で、日本各地から有数の学者が集まってくる。
特に僕が所属している脳科学研究室がある「人間科学部」は、大学でも際立って人気の学部であり、SF映画に出てくる様な常人には想像もつかない様な研究が日々進められている。
僕はその大学の修士課程1年目で、話し相手のこの男性は、この界隈では知らぬ人のいない権威、「風見雪彦」教授だ。
無論、僕と風見教授は、学生とその指導教授の関係であるが、ただそれだけではない。
僕と風見教授は、僕が大学に入る2年前、7年ほど前からの知り合いである。
そして、大学内で公にはされていない、この目の前にある「殻」の開発を密かに進める間柄である。
はじめにこの「殻」の開発を提案してきたのは風見教授の方からだった。
そう、僕の記憶の中にいる『風見葵』を蘇らせることを目的としたこの研究を。