表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月が満ちれば  作者: 小津 カヲル
十二の月
9/33

第9話 十三月夜とカレンダー

 祖父の田舎に単身移り住むことを決めてから、早くも次の満月が近づいていた。

 私は引っ越しにあたり、まずは月齢表示のあるカレンダーを買うことにした。ちょうど季節は十二月。立ち寄った書店のレジ横に設けられたコーナーには、来年のカレンダーがずらりと並べられ、よりどりみどり。

 手に取ったのはスタイリッシュな数字が目を惹き、書き込むスペースを重要視したものと、控えめに花のイラストが入った可愛らしいものの二つ。どうしようかと悩む私を見かねてか、それとも目的だった俳優の写真集を抱え早く帰りたいだけなのか、母がしびれを切らして言った。


「田舎で重宝するのは、六曜カレンダーよ。こっちになさい」


 母が指さしたのは、花のイラストのものだった。六曜と聞いてすぐにはぴんとこなかったけれど、改めて数字の下に小さく書かれてある字を見つけて、母の言わんとしていることを察した。


「ああ、大安吉日?」

「あんたは顔見知りだから、いいよいいよって気を遣ってくれるかもしれないけど、そこは知り合いだからこそ、自分から手伝うのよ?」

「分かってるよ」


 祖父の住む集落は山に囲まれた田舎ではあるけれど、それなりに若い世代が新しい家を建てたり、別の市や町から入ってくる人もいる。まだまだ古くから住む人たちの習慣がまだ残っているが、新しく新居を構えた人たちの声もあり、町内会の在り方も少しずつ変わっていく最中にあるようだった。祖父の家は古くから住む人たちが集まっている地域にある、そういうしがらみがあっても当然だ。


「あら、これ意外と多機能なのね。月の満ち欠けも書いてあるわ。うん、こっちになさい」


 母が六曜の横に小さく描かれた、小さな丸を指さして言った。

 結局、母に押し切られる形で花のカレンダーを選び、二人分の会計を済ませ、今日で引き払う予定のアパートに荷物を抱えて戻る。

 部屋の中はすっかりもぬけの殻の状態だ。

 あまり多くは持っていけないから、必要最低限の生活必需品以外は事前に実家に預かってもらうことにして、すでに運搬済み。朝には父が運転する車で、祖父の家に向かうだけ。


「去るとなったら物悲しいね」


 ここのアパートには、学生時代の後半からお世話になっていた。たまたま就職が通える範囲だったため、人生の転機に一つ負担が減ったことが、その後の生活に少しだけ余裕をくれた。

 ざっと最後の掃除を済ませてから、買ってきた荷物の中からペットボトルのコーヒーを出して、母と分け合う。


「あんたがあっさり会社を辞めたって聞いて、本当にお母さんたちビックリしたわ」

「そう?」

「そうよぉ、あなた顔には出さないけど、案外思い切りが悪いでしょう。いつも選択肢があるなら、決まって無難な方を選ぶもの」

「無難じゃなくて、慎重。もしくは堅実って言って」

「はいはい。だから本当にやってけるのかは心配ではあるけれど、反対はしなかったの」


 母はさすがというか、私の性格をよく見ている。

 私だって決めたはいいものの、不安にかられながら、二度目の辞表を書いた。けれどもそんな緊張をあざ笑うかのように、書き直した辞表を胸に潜めて出社したその日に、フリーの仕事を一つ確保することになった。もちろん、いつだって立ち消えになる可能性は大いにある。なのにまだ続いていたのかと思える幸運──もとい、絶妙なタイミングに背中を押されるようにして、上司に辞表を提出し、晴れて円満退職が決まったのだ。

 そして今は個人事業主ってやつだ。かっこよく言えばフリーデザイナー兼イラストレーター。

 母の言う通り、いつだって煮え切らない私が、こんな行動力を見せたのは生まれて初めてと言っても過言ではない。


「まあ、なんとかなる、かな。仕事の引継ぎの合間に作ったスタンプも好評みたいだし、幸運にもいくつか他に、仕事になりそうな話をもらってるんだ」

「まあ、やってみなよ。うまく行かなかったら、帰ってくればいいんだし」


 母から出るとは思わなかったその言葉に驚いていると。


「あら、なんで意外そうな顔をしてるのよ」

「だって、母さんもずっと働いてたし、そんな言葉が出るなんて思ってなかったから」

「失礼ね、じゃあ『そんなことしてないで、だれでもいいから早く結婚しなさい』って言えば良かった?」


 私は慌てて首をぶんぶん横に振る。


「そうそう、あの吾妻さん? 彼みたいな人、お母さん好みなのよねえ。ほら、芸能人で似た人がいたわよね、名前なんてったっけ」

「吾妻さんを巻き込まないの。彼も春には別のところに移動が決まってるし。それにお母さんの好みはアイドル俳優の彼でしょ」


 一緒に買ってきた紙袋を見る。それこそ名前、なんだっけ?


「コウちゃんはアイドルじゃないわよ、ちゃんとした俳優です」

「はいはい」


 母と話をしていると、話題があちこち飛ぶのはいつものことだ。

 そんな会話を楽しみながらも、ふと吾妻さんや同僚たちに、最後の挨拶をした日のことを思い出す。

 九月に有休を使い果たすつもりでいたが、三日で終わらせたために今は残りの日数を消化している。とはいえ前回とは違い、手続きは滞りなく進められているので、このまま消化が終われば退社だ。最後の出勤日に部署のみんなに挨拶をすませると、同僚たちがきれいな花束が用意してくれていた。以前にも辞めると言ったり撤回したりと篠原さんの件でゴタゴタが続き、何かと周囲に迷惑をかけてしまった手前、そんな風に送り出してもらえるなんて思ってもみなかったから、不覚にも泣きそうになった。そんな情けない顔を吾妻さんにもばっちりみられてしまったけれど、彼もあと数か月で移動だ。まだ仕事の件でやりとりは残っているものの、直接顔を見る機会はもうないかもしれない。そうなれば、あの顔が彼の中で一番印象に残ってしまっている可能性が高く、かなり恥ずかしい。

 それが顔に出ていたのだろう、母が「ははーん」としたり顔でほくそ笑んでいる。


「あら、まんざらでもなかったんだ? ちょっと年上すぎるかなと思ったけど、すごく素敵でいい人っぽかったよね」


 実は、退社する前に細かいトラブルがあり、休日に呼び出しを受けたことがある。ちょうど別件で出勤していた吾妻さんが、帰りに資料を届けてくれた。その時に、部屋を引き払うために片付けの手伝いに来ていた母と遭遇したってことがあり──


「だから違うってば、もう……お父さんに告げ口しちゃうからね。吾妻さんがタイプみたいよって」

「え、ちょっと、やめてよ、冗談だから」


 にわかに慌てる母は、調子に乗って娘をからかったことを反省したみたい。

 見た目は凛々しいタイプの母だけど、実は父が大好きで、父もまた母を誰よりも大事にしている。なんというか、ベタな表現しか思い浮かばないけれど、ラブラブ夫婦。

 母の好きな「コウちゃん」にも熱をあげすぎると、父が眉を八の字にしてシュンとなるので、今日購入した写真集は父に隠れてこっそり見るつもりらしい。

 

「そんなことより、ちょうど来たみたいよ。母さんは荷物まとめておいて」


 玄関の向こうに物音がして、呼び鈴が鳴る。私はそれとほぼ同時に扉を開けると、スーツ姿の男性が首から下げた不動産管理会社の社員証を掲げてから頭を下げた。

 そうして約束通りやってきた不動産屋に部屋を確認してもらい、カギを渡して私は住み慣れた部屋を後にした。

 その後、駐車場に車を停めて待っていた父と合流し、ホテルへと向かった。

 そしてホテルで親子水入らずで過ごした翌朝、自動車で祖父宅に向けて出発。これまで何度か自動車で行き来したことはあったが、やっぱり新幹線とは比べものにはならない、時間を要した。

 両親は周囲の家に引っ越しの挨拶を済ませたあと、真伯父さんの家に顔を見せに行ったままだ。どうやらあちらで話しが尽きないのだろう、戻ってくる気配はない。

 一方、祖父の家に残った私は、おろした荷物のうち真っ先にパソコンを設置する。すでに電気工事は済んでいるので、繋げるだけだったが、動作確認までは今日中にしておきたい。

 そうして問題がないことを確認し終わる頃には、日が傾いてしまっていた。

 すっかり冷え切った手足を擦り合わせながら家を出ると、恐らく配達が終わったのだろう、軽トラックの荷台にシートを被せている章吾さんと出くわし、目があった。


「こんにちは、章吾さん。さっき節子さんにはご挨拶させてもらったんですが、今日からここに住むことになりました」

「ああ、待ってたよキヨちゃん。さっきまことさん家に配達行ってきたばかりなんだ」

「うちの両親、まだいました?」

「ははは、いたいた。っていうか、もう出来上がってたよ」


 祖父と私が酒好きで、両親が例外なんてことはあるわけはなく。


「すみません、お恥ずかしい」

ゆきちゃんだけじゃなく、宗佑そうすけさんもいける口だからね。真さんが放ってはおかないさ」


 章吾さんは猪口をくいっと煽る仕草をして見せた。


「キヨちゃんも早く行かないとな」

「ううん、私はまだ準備があるから。そろそろ店も閉まっちゃうでしょ?」


 ああ本当だ、と章吾さんは腕時計を見て苦笑いだ。

 両親は明日の朝、帰路につく。都会の生活で慣れていると忘れがちだけども、ここでは店終いが早い。今のうちに明日の食材や調味料を補充しておかなくては、朝食すら困りそう。いつでも開いているコンビニは、もちろんこの町にはない。一番近いところで、車で二十分走らせた山向こうの集落だ。それに私は、免許は持っているけれど、当然車は持っていない。バスは一時間に一本あればよい方だ。

 私は章吾さんに手を振り、商店街に向かった。

 町で唯一のスーパーマーケットで食材を買い、次に日用品店で食器や鍋、それから防寒用にアンカを買い足した。すぐに必要でないものは、追々通販で手に入れようと思っている。

 一通り商店街を見て回り、家に戻る。

 日がかげると、あっという間に冷えこむ。慌ててストーブを引っ張りだしてきて、火を入れる。これだけは、昨日のうちに真伯父さんが用意してくれていた。

 冷たくなった手をストーブにかざしながら、懐かしいストーブの赤い光を眺める。最近は実家でさえも、なかなか使わなくなった、灯油式ストーブ。これからの季節、これがないとね。


「うん、ストーブといえばこれよね」


 キッチンの棚に仕舞われていたやかんに水を入れ、ストーブに乗せる。

 それから祖父のテーブルをコタツに替えて、こちらも試運転とばかりに電源を入れて滑り込む。

 ストーブとコタツ、あと足りないのははミカンかしら。

 そんなことを思いながら、縁台のある窓に身を捩らせ外を見ると、ちょうど東の空、山の谷間から上ってきた月が輝き始めている。ほんの少し欠けた十三夜月だ。

 あと二日で、満月。

 あれから私なりに、月のことを調べてみた。

 最初に出会った九月、クロードの滞在はほんの数時間だった。十月は分からないが、先月はほぼ一日滞在していたみたい。彼が行き来するタイミングが満ち欠けだけでなく、月の近さに影響されているのかと調べてみたが、どこにも因果関係を見つけることができなかった。

 でも、と。ここに来て真っ先に壁に飾った花のカレンダーを眺める。一月から使う真新しいカレンダーは、いまだ表紙が破られてはいないまま。段ボールが運び込まれた祖父の部屋を、明るく彩っている。

 今月の満月にあいつが来るという、保証なんてどこにもないし、二度と会えないかもしれない。だから彼のために転居を決めたわけではない。だから待つことはしない。

 けれども私は、ここでの新しい環境、新しい仕事、そして未来に心を躍らせているのだ。

 あの不思議筋肉(マッチョ)の存在も含めて。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ