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月が満ちれば  作者: 小津 カヲル
五の月

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第28話 菖蒲と階

 兄も同然の大事な友を失ったクロードをそのまま帰すことが心配だったが、私たちのつかの間の逢瀬は終わりを告げ、あっけなく別れの時を迎えた。

 クロードを取り巻く状況は、いつだって血生臭く、彼を裏切ってきた。幸運は周囲にばかりもたらし、彼の望みは叶えているとは私には到底思えない。なにか悪いことが起きなければいいけれど……そんな不安ばかりがよぎる五月が巡り、早くも六月が近づく。

 その頃になると、四月から抱えていた大きな仕事がいくつか終わり、ようやく暇ができた。仲良くなった企業の営業さんから、キャラクターイラストとそのコンセプトを競うコンテストがあることを教わり、良い機会だから挑戦してみることに。細かい広告デザインなどの仕事の合間に、手持ち無沙汰でイラスト案を描き出してみたりしている。

 仕事はこれまで順調だったとはいえ、所詮フリー。いつ仕事が途切れるか分からないので、今後のためにも、新たなチャレンジをしていかなければ。そのモチベーションを保つこともまた仕事のうちなのだと、今さらながら実感している。

 一息入れようとキッチンに立ち、コーヒーを入れていると、スマホの着信音が響いた。

 誰だろうと表示を見ると、智晴さんからだった。


「はい、潔子です」

『黒田です。ご無沙汰してしまい、すみません。今ちょっといいですか?』


 直接話をするのは、四月に会って以来だった。私の仕事が忙しかったのと、彼も師事している教授の仕事の付き添いで出張が重なったりとで、なかなか会う機会が設けられなかった。その代わり、メールでのやり取りは何度かしている。

 

「はい、かまいませんが、どうしました?」

『神社に向かっているところなんです。預かっていた古い文書のなかに、気になる表記があったので報告に伺うところです。潔子さんも時間があれば、同席してほしいのですが、大丈夫ですか』

「はい。私も、直接に伝えたいことがあったんです」


 一時間後に神社で落ち合うことが決まり、私はきりのいいところまで仕事を片付けてから、向かうことにした。

 季節は梅雨を前にして、暖かい日が続いて暑いくらいだ。

 しかし今日の空は、あいにくどんよりとした空模様だった。家を出たところで小雨が降りはじめ、傘を取りの戻った。そんな雨のなか、神社に行く途中の坂道には、菖蒲が咲き誇り、心をしばし慰めてくれる。

 鳥居をくぐり、一度拝殿にご挨拶をして、社務所に向かう。すると宮司さんが待ち構えていたように、招き入れてくれた。


「智晴さんは既にいらして、中でお待ちですよ」


 そうして案内された部屋で、智晴さんに再会する。

 色白なせいか、少し頼りなげな印象だった智晴さんが、すっかり日焼けしていたので、不躾に見つめてしまった。


「実は教授の手伝いで、一昨日まで南の島にいまして」


 はにかんだように笑うその顔が、健康的な肌の色だと、やはりクロードの兄弟なのだと実感する。


「呼びつけてしまい、すみません。実は例の鳥の面の図があった書物のなかに、月鏡のことを書かれた一文があったんです。それがまずひとつ」

「月鏡の石ですか」


 お茶を持ってきてくれた宮司さんが、驚いた様子で聞き返した。


「はい。月鏡という言葉を使わずに書かれていましたので、見落としたのだと思います。こちらを」


 智晴さんがスマホを取り出し、古い文字を拡大する。私では見せられても、さっぱり読めないので、智晴さんの説明を待つ。


「ここに割れた目、と書かれています。割れた目は二つに散り、一つは娘に渡されたとあります。月鏡が目に嵌められていた石であることは言及されていませんが、目に入っていた物が割れた。そうなれば月鏡の石とみていいでしょう。今、潔子さんが持っているもののことでしょうね」

「残りの欠片についての記載はありましたか?」


 宮司さんの問いに、智晴さんはいいえと首を振る。


「残念ながら見当たりませんでした。でももしこの石に何らかの力があるのだとしたら、兄が欠片を持っているのではないかと」

「片方の石が特異点となれば、残りも何か作用があると?」

「そうでも考えないと、各務の血だけでは兄の不思議に、理由がつかない気がして。もしかしたら、石同士が引きあっているのではと考えたのです」


 智晴さんの言葉に私は愕然とする。

 家にある石がクロードを引き寄せるということは、石が呼びあっていると考えてもおかしくはない。なぜ今まで思い当たらなかったのかと、頭を殴られる思いだった。


「潔子さんは、欠片について、なにか思い当たることは?」


 ふいに私は、クロードの言葉を思い出す。彼は向こうへ渡ってすぐ、養父から何かを飲まされたと言っていた。硬い塊のなにかを。そしてすぐに幸運をもたらすようになったクロード。養父は異世界人であるクロードへ、尋常ならぬ執着を持ち、それを今も捨てられないでいる。


「もしかしたら、飲まされたのが、欠片だった……かも?」


 いやまさか、石を飲んでもすぐに排泄されるだろう。普通の石なら、だけど。


「潔子さん?」


 呼ばれて、ハッとする。二人にはまだ、クロードを拾って育てた養父のことを、詳しく話していない。


「あの、クロードの養父が、天人様の遠い子孫かもしれないんです。まだ確証はないですが……それで今思い付いたことですが」

「なんですか、些細なことでもいいので教えてください」


 智晴さんに促されて、私は続ける。


「残りの欠片は、智晴さんの考えた通り、クロードとともにあるかも。最初に向こうに行って保護された時に、何かを飲まされたって言っていましたから」


 ただ、これは本人にも確認してみるべきだ。それに先月の満月では、智晴さんのことをクロードに言っていない。あの状況の彼へ告げた時の負担を思うと、その機会がなかった。

 智晴さんにそのことを伝えると、自分のことを伝えるかどうかは、私に任せると言ってくれた。


「では欠片の行方は兄さんに確認してもらうのを待つとして、あともう一つ気になる記述がありました」

「なんですか、もしかして天人様の行方とか?」


 私と宮司さんは固唾をのんで智晴さんの言葉を待つ。


「石を神社に奉納した経緯です」

「……奉納、は、翁が罪滅ぼしにとなっていますが」

「いいえ、奉納した人物は鏡家の峰という名の女性です」


 智晴さんは写真を拡大して私たちに見せる。そこは破れと黄ばみなどが酷く、文字が欠けている。


「三代続いて息子が神隠しにあい、遺体で戻ってきた。代々伝わる宝を子の厄除けを願って納めたとあります。かなり痛みが酷い部分だったので、知り合いの古文解読に長けた方にお願いして、解読してもらった箇所です」

「ちょっと待ってください、混乱してきましたね」


 宮司さんが顎に手をあてて考えている。


「その後のこともあります」

「聞かせてください」

「家宝を奉納したおかげか、鏡家の災厄は去ります。女児しか生まれなくなると何故か神隠しがパタリとおさまった、そう書かれていました」

「なんと、それでは我々は、思い違いをしていたということですか。因果が逆だったと」


 天人様の件で与えた罰で男児が生まれなくなったのではなく、生まれてくる我が子の災厄を避けるため、女系を望んでその通りとなった。つまり、望みが叶ったと。

 私と宮司さんが驚いていると、当の鏡家の末裔の智晴さんは、淡々と続ける。


「今回のように原因と結果が入れ替わったり、教訓さえも時代で歪められてしまうことは、民間伝承を集めていると、たまに目にすることです。長く代を重ねるうちに、子供さえ無事ならと受け入れていた女系が、そのうち痛みを忘れて男児を求めるようになったのでしょう。これはもう仕方がないことです」

「まあ時代の移り変わりとともに、そうなるのはおかしいことではありません。ですがあなた方のご両親が負ったご苦労を思うと……」


 智晴さんは静かに微笑む。きっと両親の苦しみを側で見てきた彼にも、一言では語れない苦悩があったろうに。


「あと気になることは……なぜ神隠しにあうのが男児ばかりか、ということです」


 宮司さんの疑問に、私はまだ話していなかった鳥の面の言葉を思い出す。


「天人様の子が、男児だったからというのは? 実は、鳥の面に彫られていたのは文字でした。クロードが読んでくれました」

「それは本当ですか潔子さん!」

「はい」


 私は二人に、クロードが読み上げた通りの言葉を伝えた。そしてサーウィスの名前が、クロードを育てた養父の名前でもあることを。


「お子がいたとは。それはどこにも記されていませんでしたが、そうなれば天人様は離ればなれになった子を、求めていたのかもしれませんね」


 そう言う宮司さんの言葉を受けて、智晴さんが青ざめる。


「潔子さん、もしかしたら兄はとても危うい位置にいるのかもしれません」

「危ういって……どういう意味ですか?」

「兄さんは二つの意味で向こうに引き寄せられている。一つは鏡家の、天人様の血を引く《《息子》》という存在として。もう一つは石が引き合う力。もし本当に月鏡の石を兄さんが所持しているなら、潔子さんの持つ石に兄さんが触れたら、どうなるか分かりません」

「どうなるか分からないって……」

「両方の石を兄さんが持って、向こうに戻ってしまったら、二度とこちらに来る術がなくなる」

「潔子さん、私も智晴さんの意見に賛成です。今は石が二つに別たれているからこそ、彼がが引かれてこちらに来られている。これはまだ可能性の域は出ませんが、用心した方がいいのは確かでしょう」


 こちらに戻すどころか、永遠に向こうへ彼を持っていかれるってこと?

 祖父がクロードに月鏡の石を渡していたら、私たちは出会うことがなかった?


「潔子さん、大丈夫ですか?」


 呆然としていた私の肩を、智晴さんが手で揺さぶる。


「はい、少し、動揺してしまって」

「無理もないです。でもいいですか、潔子さん。やはり潔子さんには、欠片の所在を聞いてもらわねばなりません」


 真剣な顔の智晴さんに、私は頷き返す。


「それを聞いた上で、対処を考えましょう。大丈夫。兄さんを、あちらの世界から引き離す方法は、きっとあるはずです。一緒に考えましょう」


 智晴さんの言葉を受けて、宮司さんもまた私の背中にそっと手を添え、頷いて見せてくれた。

 私は、大丈夫。不安がないわけじゃないけど、それを押しのけて、私は顔を上げ笑顔を作る。

 数カ月前なら挫けていたかもしれないけれど、二人も味方がいてくれるから何とかなると思えてきている。

 そんな心持ちで再び鳥居をくぐると、いつの間にか小雨は止み、雲間から光芒が差していた。

 それがまるで私とクロードの、なかったはずの未来への階のような気がして、しばらく眺めていたのだった。

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