第26話 悔恨と鳥の面
社務所の一室に通され、私とクロードの弟智晴さんと改めて対面した。まさかこのような形で会うことになるとは。いずれは会わなければという考えはあった。ただ、クロード本人との約束を破るつもりはなく、説得してからクロードも交えて、いつか会えたらなという思いはあった。
「先日は、いきなり訪ねてしまい、申し訳ありませんでした。ご不快な思いをさせたと反省しています」
いきなり智晴さんには頭を下げられ、恐縮しながら居住まいを正す。
「こちらこそ、追い返す形になってすみませんでした。ご挨拶が遅くなりましたが、私は笹平亀蔵の孫で、潔子といいます」
「こちらこそ、改めめして。黒田太郎の弟で、智晴です」
事情をのみこめない宮司さんが、お茶を置きながら私たちを見比べる。そんな宮司さんに、智晴さんが訳を話す。
「少し前から兄が、亀蔵さんと潔子さんに、お世話になっているんです」
「お兄さん……もしかして昨日潔子さんとご一緒にいた彼ですか?」
宮司さんは私に問いかける。
「はい。昨日お会いしたクロードと呼んでいた人が、彼のお兄さんなんです」
「……そう、だったんですか。言われてみれば、顔立ちが似てらっしゃる。世間は狭いもので……ん?」
驚いた様子だった宮司さんが、ハッとした様子で今度は智晴さんに尋ねた。
「黒田さんは以前、こうおっしゃっていませんでしたか……神隠しにあったお兄さんがいる。そのことがあったから、民間伝承を調べ始めたのがその道に入るきっかけだと」
「はい、その通りです」
「では彼が、そのお兄さんで……」
宮司さんはいよいよ驚いたように、言葉を詰まらせた。そしてどこまで返答したらと困っている私に向き直り、頷いた。
「なにか深いご事情がおありのようですね。その彼のことと、潔子さんのお願は関係してそうですね」
私は宮司さんと智晴さんにそれぞれ頭を下げ、意を決して告げる。
「宮司さん、お願いします。どんな些細なことでもいいです、月鏡の伝承のことを教えてください。そして智晴さん、あなた方のお母さんのご実家、各務家に月鏡の伝承に関わること、何でもいいんです。知っていることを教えてください」
「潔子さん、そこまでご存知だったんですか?」
二人とも、各務という名が出たことに驚いた様子だった。
「昨夜、宮司さんからお話を聞いたあと、クロードが自分から教えてくれました。自分があちらの世界に喚ばれたのは、血のせいだったのかもしれないと。彼が父親から聞かされた、母親の親族と縁を切った理由とともに」
「……兄さんは、知ってたんだ」
智晴さんは、困惑した様子だ。
話の核心が掴めない様子の宮司さんに、智晴さんが説明する。
「母の生家が、各務という姓でした。代々女系の家で、男児が生まれると病気を患ったり行方不明などになったりと不幸が続く。それで兄さんが生まれたときに、母の親族から子供を養子に出すよう強く言われ、それを拒絶して縁を切ったそうです」
「……女系、各務」
宮司さんは察した様子で、それだけ呟き黙りこんでしまった。
智晴さんは続ける。
「俺は、兄さんより三つ下で、兄さんが行方不明になった時は、まだ小学校に上がったばかりでした。半狂乱になった母と、残った俺をとにかく誰かから隠すように監視し、過保護になった父親と祖父母のために、そのあたりを知ったのは成人してからでした。不甲斐ないことにそれまで、束縛されるのは勝手にいなくなった兄が悪いのだと恨み、反発し、一度はろくでもない友人を作り、俺は確かに兄さんに顔向けなんて出来ない人間です」
そう語る智晴さんの表情には、悔恨が浮かぶ。きっとそれだけじゃない、たくさんのことがあったに違いない。
私は智晴さんの言葉を継いで、クロードに起こった不思議を語る。
「五年前、クロードという名を名乗る彼が、突然祖父の家に現れました。家の中に、突然降ってわいたかのようにです。でも彼は三時間もすると、再び忽然と消えたそうです」
「消えたんですか、また?」
宮司さんの疑問はもっともだろう。
「そうです。それで一か月後、また彼は祖父の家に現れました。大きな怪我を負っていて、水嶋先生に診てもらうけれど、意識が戻ることなくそのまま再び三時間後に消えました。そしてまた一か月後に現れました。祖父はそれで気づいたそうです。彼は満月の日に、やってくることを」
「……ちょっと待ってください」
宮司さんが立ち上がって、部屋の奥にかかっていたカレンダーを見にいく。そしてすぐに神妙な顔で戻ってきた。
「昨夜は、満月でした。彼は今日、どこに?」
「戻りました。遠いこことは違う世界へ、昨夜のうちに」
「……ずっと、繰り返されているんですか? 戻ってきたわけじゃなく」
私が頷くと、宮司さんは呑みかけだったお茶を一口飲み、大きくため息をついた。
「そうですか、ようやく私にも亀蔵さんの願いの意味が分かってきました」
「祖父は、宮司さんにも何か言葉を残していたんですね」
「月鏡の伝承で分かっていることを、亀蔵さんの近しい人が聞きにくるかもしれない。そうしたらすべて教えてあげて欲しいと。恐らく、それが潔子さん、あなたになる可能性が高いだろうとも」
「私に……?」
まだクロードに出会う前に、祖父は亡くなっている。
「亀蔵さんが亡くなられる前、あなたのことを心配されてましたから。真さんに、潔子さんのために家を避難場所に残すよう頼んでいたことは、私も聞いています。孫娘のことだから、自分と同じように月鏡の伝承に興味をもつだろうとも」
私は、その言葉に胸を締め付けられる思いだった。訪ねる余裕もなくなって、限界まで必死にあがいていた私を、祖父は何も言わずに見守っていてくれたのだ。どんなに心配させていたのか。それなのに死に目にも会えず、ちゃんとお別れもできなかった。
それでも今は、そんな後悔を押し殺してでも、やらなければならないことがある。目頭が熱くなるのを堪え、宮司さんと智晴さんに頭を下げた。
「祖父はクロードをもう、あちらの世界に還してあげたいと思ったようでした。いつまでも彷徨って生きるよりはと。でも私は……」
「それで、昨夜の誓い、だったんですか」
堪え切れなくなった私の目から、ついに涙がこぼれた。
「黒田さん、昨夜私は、あなたのお兄さんと潔子さんが、二人だけで誓いを交わすところに偶然居合わせました」
彼になら話してもいいですか。そう宮司さんに尋ねられ、私は涙を拭きながら頷く。
「お兄さんはこう言っていました。これから何が起きようと、自分の伴侶は潔子さん一人だと誓うと。その声に、ただならぬ決意と哀しさを感じてしまい、お二人に声をかけました。よいことに神様がそばにおわします、お力になれないかと。それでお二人に、略式ながらも祝詞を上げさせていただきました」
「そうだったんですか」
智晴さんは声を震わせながら、続けた。
「ありがとうございます、潔子さん。兄を救ってくださって……俺や両親ができないことを、あなた方はしてくださいました」
「救ってなんていません、私はなにも出来てないんです」
「そんなことありません。両親が離婚したのは、俺のせいです。兄さんへの償いから伝承集めに没頭したことで、母がまた不安定になってしまい、せっかく兄のことを連絡してくださった亀蔵さんへ、酷いいいがかりをつけてしまいました」
「……あまり祖父の件で、心を痛めないでください。祖父はご両親を傷つけるかもしれないと分かっていて、それでも自分のしたいようにしたんだと思います」
「潔子さん、俺も今は亀蔵さんと同じ思いです。兄さんに嫌われても、俺は何か役に立ちたい。何でも協力させてください」
「潔子さん、私からも協力しますよ」
私は二人から貰ったその言葉に、しばらく胸につかえていたものが溶けるような気がした。独りでは、抱えきれなかった。
それからクロードとの出会いから今までのこと、それから祖父の手帳の内容を、二人に話して聞かせた。
思いが先走り、話は行ったり来たり。上手く話せたか分からないけれど、分かっていることは全て吐き出した。荒唐無稽とも言えるこれまでのこと、それをずっと二人とも黙って耳を傾けてくれた。
そして話し尽くして私が息をついたところで、宮司さんが言った。
「どうやら、私の方で協力できることがありそうです」
「本当ですか?」
「はい。過去に見つけた文書のなかで、もう少し鳥の面について書かれているものがあります」
「鳥の面というと、舞で使われるものについてですか」
「そうです。実は舞で使う面のなかで、最も古いのは鳥なのです。最初は鳥が舞うだけの神楽に、獅子が、翁と娘が加わっていったのですよ。今現在、使用しているのは複製ですが、最初に作られた面についての記録が見つかっています。裏面に紋様のような文字のようなものが彫られていたようです。もしかしたらこの鳥の面は、天人様の持ち物だったのではと、私は考えています」
「現物は?」
智晴さんがそう聞くと、宮司さんは首を横に振る。
「火事で消失したそうです。祭りの片付け中に起き、当時の社務所が一部燃えて、鳥の面もその時に」
「記録は見せてもらうことは可能ですか?」
「もちろんです。少しお待ちください」
宮司さんは宝物庫へと向かった。待っている間に、智晴さんにいくつか疑問を投げかけてみる。
「智晴さんは、月鏡の伝承について、もうよくご存知なんですか?」
「はい。興味深いと思い、最初は兄さんのこととは別に、調べたことがあったんです。ですが当時もまだ、各務の姓については公になっていませんでしたし、亀蔵さんから住所や連絡先を聞く間もなく、父が追い返してしまいましたので」
「じゃあどうやって、ここまで?」
「前にも言いましたが、あなたと兄さんが映った動画を、偶然見つけたんです」
学術調査のために、公開している動画などを収集している同僚が、偶然ネット上で月鏡の神楽の映像を拾ったという。その関連動画として、篠原さんの騒動を偶然撮影していた観光客が、クロードが篠原さんを抑える場面を投稿しており、面白がった学生さん経由で、智晴さんの目にも入った。そして彼は、クロードの姿を見てすぐに兄ではないかと疑ったのだという。
そこからこの神社に足を運び、宮司さんから話を聞くうちに確信に代わり、調べればすぐに祖父の名が見つかったという。
「その動画って……」
「見ますか、保存してあるんです。元の投稿動画は修正せずに出してあったせいか、すでに削除されていますので」
智晴さんがスマホを取り出したところに、宮司さんが戻って来る。後でデータを送ってもらうことにして、まずは鳥の面について話しを伺うことにした。
宝物図録よりも、古い巻物だった。箱から出した紙はところどころ破れ、欠けている。お世辞にも保存状態がいいとは言えないものだ。
宮司さんがそっと広げて、目的の場所を私たちの前に出す。読めない古い字の並びの間に、墨で描かれた面の模倣図。
思っていたよりも、不思議な面だった。現在舞いで使っている面とはまったく趣が違う。
「写真を撮らせてもらってもいいですか」
「どうぞ、よろしければ潔子さんも」
智晴さんに遅れて、私もスマホで写真に収めた。
「南米の装飾品のような鳥の顔ですね。大きな目は、これは穴になってるんでしょうか……」
智晴さんが疑問を口にしながら、それらの記述がないか、文書を読んで確認している。確かに、模倣図だからなのかは分からにけれど、鳥の顔は斜め右を向き、大きな左目がぽっかりと開いているように見える。その目というのは、滴型を横にしたような形で……まるで
「月鏡の石みたいな大きさと形」
「やはり潔子さんもそう思いますか」
宮司さんが一緒に持ってきてあった展示用図録を広げ、月鏡の石の絵柄を横に並べた。
「元々ここに嵌められていた可能性は大いにありますね。でもそれらしい記述はまだ……」
智晴さんが難しい顔をしながら、文字を目で追っている。
私は隣に描かれている、裏面の図を写真に収める。額にあたる部分に、装飾にも見える文字のような羅列が彫られている。もしこれが天人様の持ち物で、クロードのいる世界からやって来ていたのなら、読めるかもしれない。
「少し、調べさせてもらってもいいでしょうか」
智晴さんの申し出に、宮司さんは快く了承する。痛みが酷いので、そのまま外に出すことはためらわれるそうで、智晴さんは撮影保存してから解読を始めたいとのことだった。それと同時に、母親の実家、各務家にも一度訪れ、家に伝わる神隠しの伝承などがないか、探してくれることになった。
「潔子さん、また何かあればご連絡しますから、どうか気を落とさずに」
撮影のために残る智晴さんと、宮司さんに見送られ、私は神社を後にした。
祖父が隠し持っていた月鏡の石は、そのまま私が所持していることを許された。また、押し入れの床下に戻そうと思っている。
なにひとつ確かなことは分かっていないけれど、いつか石を必要としなくなったら、元にあったように祠に収めよう。きっとそんな日がくると信じたい。
ただ……。
私はため息をつく。
智晴さんに会わないという約束を破ったことを、クロードにどう伝えようか。それもまた、頭の痛い問題だった。




