近衛騎士ユーウェイン
設定のつもりが短編に仕上がりました。
気軽に読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願い致します!
どこまでも広がる荒涼とした大地。
ガートランド辺境領。
広大な国土を誇るエルグラードにおいて、辺境と呼ばれる一部の地域は王都からの距離があまりにも遠い。
どれほどかといえば、隣国を越えた先にある国の王都に行くよりも遠い。
辺境領は基本的に市街化調整区域に指定されているため、人が居住するために必要な住宅や施設を積極的に作ることができない。
おかげで道路もろくに整備されず、交通事情は最悪だ。
良く言えば手つかずの大自然が多く残っており、人々は自然と共生している。
悪く言えば何もなく、人々は古い時代さながらの生活を送っているような場所だった。
ユーウェインはガートランド辺境領にある第八区を治めているルウォリス男爵の長男だ。
貴族であるものの、名ばかりといっていい。
幼い頃から家の手伝いをしながら勉学や武芸の向上に励み、小学校を卒業してからは父親の補佐として第八区の管理業務をこなしている。
だが、それだけでは到底生活できない。
畑作業と放牧、森に入って狩猟や採集もする。まさに自給自足の日々を送っていた。
ユーウェインの生活はエルグラード貴族としては底辺で、決して裕福ではないどころか国民全ての生活水準に照らし合わせても下の方だ。
しかし、ユーウェインは生まれた時からこの生活をしている。
与えられた環境に合わせ、生きるために働き続けるだけだ。
「赤い……」
放牧していた動物たちを全て柵の中に入れた後、ユーウェインは地平線の彼方に沈む夕日を見て呟いた。
見慣れた景色ともいえるが、その日の夕陽は燃えるように赤々としていた。
迫る夕闇が混じり出し、どこか不吉さを感じさせなくもない。
ただの感傷だとユーウェインは切り捨てたが、その後に起きることを知らないからこそのものだった。
夜中。ユーウェインは胸騒ぎを覚えて飛び起きた。
人の気配を感じる。
田舎だけに、夜になれば外は暗闇と静寂に包まれる。
月明かりと松明やランプによる小さな灯だけがたよりだ。
だというのに、ボロボロで薄いカーテンは外が異様に明るいことを教えていた。
ユーウェインはすぐに飛び起き、シャツとズボンを身につけた。
このようなことは以前にもあった。
火事が起きている。そのせいで空が明るいのだ。
ユーウェインだけでなく、家の者達も気づいたのかバタバタと音が聞こえた。
ユーウェインは護身用のナイフと剣があることを確認してからドアを開けた。
「ユーウェイン様!」
階下から召使いが動揺を隠せない表情で駆け上がって来た。
「火事のようです!」
「方角からいってメージャックのようですね。すぐに馬の用意を」
「はい!」
「ユーウェイン!」
身支度を整えた父親が顔を出した。
「メージャックだろう。行くぞ!」
「はい」
ユーウェインは父親と数人の護衛を連れ、メージャックの村へと向かった。
メージャックの村中が炎に包まれていた。
周辺の地区を荒らしていた強盗団がついに第八区にも出没し、小さな村を荒らしたばかりか火を放ったのだ。
ここのところ雨が降っていないのもあり、火の回りは早かった。
村の男性達は強盗団と戦うため、消火活動には当たれない。かといって女性や子供、老人だけでは凶暴な生き物のように空気を食らい続ける炎を食い止めるだけの力もない。
結局、メージャックの村全てにおいて、多くの犠牲が出た。
生き残った者達だけでなんとかできるような状態ではなく、一時的にルウォリス男爵家へ身を寄せることが決まる。
ユーウェインは第八区にも強盗団が出没し、その被害が一夜で村一つが壊滅するほど深刻であることを報告するため、第一区を治めるガートランド伯爵の元に向かうことになった。
ユーウェインは早急に強盗団への対策と被害に対する義援金の交付を願い出たが、ガートランド伯爵の表情は険しかった。
「ガートランド中で被害が出ている。我々だけでは手に負えない。義援金もこれまでに被害が出た区への交付で尽きてしまった」
強盗団は第一区から始まり、第二区、第三区といったように順番に移動しており、後になるほどならず者を多く引き込んで力を増していた。
そのせいで第八区に出没するのは遅かったものの被害は大きく、一方でこれまでの被害地区への義援金が交付された後だけに、第八区へ交付するだけの予算が尽きてしまっている状態だった。
「ペルドーラへの使者になって欲しい。援軍と援助資金を依頼する。それで第八区の義援金を交付し、強盗団を追い払う」
ペルドーラはガートランド辺境領の隣にある伯爵領だ。
何かあればペルドーラに救援を依頼することになっていた。
「了承するでしょうか?」
ガートランド伯爵は深いため息をついた。
それを見る限り、期待はできないことが明白だった。
「いっそのこと、サーボルトまで使者を出しては?」
サーボルトはペルドーラ伯爵領を越えた先にある国有地で、国軍が駐屯している。
資金提供は無理だとしても、駐屯する国軍が治安維持のために出動してくれるかもしれない。
一時的に強盗団を追い払っても、また別の場所や領地に移動するだけでは被害が一向に減らないどころか増えるばかりだ。
国軍もそれを見越して早期に強盗団を殲滅するという判断を下す可能性に賭けるということだ。
「では、ペルドーラに行った後、サーボルトにも協力を要請してくれるか?」
「わかりました」
「さすがに子供だけでは不味い。私の方からも一人だそう」
ユーウェインはまだ成人していない。十四歳だ。
辺境においては義務教育を終えた十二歳以上は準成人とみなされ、完全な子供扱いはされない。
必要時、特に緊急時は年齢ではなく本人の能力次第で最大限に活用される。
小学校を卒業すると家業を手伝うことを含めた就職組が圧倒的に多く、厳しい環境や慢性的な人手不足を少しでも補うための慣習という切実な事情がある。
しかし、それはあくまでも辺境におけるものであり、他の地域では違う。
ユーウェインはガートランド伯爵の部下と共にペルドーラ伯爵とサーボルトの国軍への使者の一人として旅立つことになった。
ペルドーラ伯爵領の領都についたものの、伯爵は不在で代理の者と面会することになった。
明らかに見下したような対応をされ、当然のごとく援助は断られた。
「サーボルトに行くしかない。大変だがついて来れるか?」
ガートランド伯爵の部下は旅立つ前、ユーウェインに確認した。
それだけ覚悟がいるということであり、十四歳の少年が故郷から遠く離れた場所へ行くことへの懸念を感じていたからこその質問だった。
旅に危険はつきものだ。命を失う可能性があるのは言わずもがな。
とはいえ、ユーウェイン一人で戻るのもまた簡単なことではない。むしろ、成人した男性が一緒でない分、危険も困難も生じる可能性があった。
ペルドーラ伯爵の代理の態度からいって、ペルドーラで待つという選択肢はない。
「私は準成人です。覚悟はできています。むしろ、馬に乗るのは得意です。だからこそ、使者に選ばれました」
「確かにそうだな。その年齢で大人顔負けの綱捌きとスピードだ」
「体重が軽い分、馬への負担が少なくなります。姿勢を低く保ちやすいのも有利です」
「小さな体形と体重の軽さが安定感を損ねることもあるが、君の場合は何の心配もなさそうだ。さすが辺境領出自。幼い頃からの鍛え方が違う。話し方にも訛りがないな?」
「跡継ぎとしての必須項目だと言われ、礼儀作法と標準語を習いました」
「なるほど。まさにエリートだな」
「エリート? 私が? 間違いです」
「辺境領においては確実にエリートだ。使者として必要なものを持っている。十四歳で自分のことを私という者はなかなかいないぞ?」
「父の教えです。多くの者達の命運を背負った使者である以上、成人ではないことに甘えず、常に冷静さを心掛け、礼儀正しく振る舞うようにと厳命されました」
「素晴らしい教えだ。ルウォリス男爵は領主に相応しい立派な御仁のようだ」
ユーウェインはガートランド伯爵の部下と共に馬を走らせ、サーボルト領へと向かった。
国有地を管理するのは知事と呼ばれる者だ。
貴族領の場合は領主である貴族に全ての権利が集中するが、国有地における知事の役目はあくまでも行政官だ。
軍事的な権限は基本的にない。管轄領内における限定的な治安維持や災害時における緊急時の対応以外は資金援助をする治安維持隊や駐屯する国軍に依存している。
周辺地域に対する権限と責任は全くない。そのため、関わるのはむしろ越権行為になる恐れがある。
ガートランド伯爵からの緊急時における使者ということでユーウェイン達は知事に面会することはできたものの、他領への干渉はできないことを理由に協力は断られ、国軍に相談するように言われた。
予想はしていたものの、あからさまに協力を拒む態度を見せつけられ、まだ十四歳の少年であるユーウェインの心はついに感情を溢れさせた。
「あまりにも他人事過ぎます! 人としての良心さえ感じられない!」
「仕方がない。知事の権限は弱い。他領への干渉ができないのも正しい」
「いかにも正論を述べていますが、実際の理由は別です!」
それはガートランド伯爵の部下もわかっていた。
「所詮辺境領のことだと思っているのは間違いないだろう」
ユーウェインは厳しい現実の中で生きていると思っていたが、それはあくまでも大自然や何もない環境においての厳しさだった。
隣の領地を治める領主や一番近い国有地を管轄する知事を始めとした者達の仕打ちは辺境領への蔑視がいかに強いかを実感させた。
しかし、サーボルトに駐屯する国軍をまとめる指揮官の対応はユーウェインに希望を抱かせた。
強盗団がガートランド辺境領を荒らしているという情報は得ていたため、援軍を送ることをすでに視野にいれており、着々と準備をしていることがわかった。
強盗団の被害が拡大すれば、サーボルトに駐屯する国軍に援軍要請がかかる。
しかし、サーボルトを守ることを考えると、複数の場所に援軍を送るのは戦力の分散になってしまい、効果的な対策が取りにくい。
そこでガートランドだけに被害がまとまっているうちに強盗団を叩いてしまおうという作戦が密かに計画されていた。
それもまた簡単なことではない。辺境領は他の領地よりも格段に広いからだ。
しかし、強盗団が第一区から第二、第三というように順番に移動している。しばらくは第八区に被害が集中し、その次は第九区に移動すると思われた。
その予想を元にある程度は対策ができるだろうと考えられた。
「だが、他にも問題がある。サーボルトの駐屯軍は年々規模が縮小されている。このままではいずれガートランドなどの周辺にある領からの支援を求められても応えられなくなるだろう。そこで、王都まで行ってくれないか?」
「王都まで?!」
さすがのユーウェインも驚くしかなかった。
だが、国軍による支援はあくまでも強盗団の殲滅で、被害を受けた故郷への資金的援助は全くない。
また、義援金を交付された他の地区も復興しているわけではない。
だからこそ、緊急の使者として王都に赴き、ガートランドへの金銭的な支援や、サーボルトの軍を拡充してくれるように陳情する必要があると説得された。
「なぜ、私なのですか?」
ユーウェインは自分が使者として王都に行くよりも、成人した者が向かう方がいいのではないかと思った。
しかし、サーボルトの指揮官によると、ユーウェインが貴族の跡継ぎであるということが重要だと説明した。
通常は手紙を送るが、よほどの大事態にならなければ無視されてしまう可能性や手紙が無事届かない可能性もある。
その点、使者であればより高い可能性で王都に現状を知らせることができ、また、単に状況を知らせるだけでなく、現地の責任者の代理として陳情等の必要な手続きを行うことができる。
更に、国としても貴族の当主と跡継ぎを様々な形で優遇しており、領地と王都をつなぐ経路上にある駅の利用をほぼ無償化している。
馬や身の回りのものについては自前で揃える必要があるが、途中にある国有の駅における宿泊施設の利用や有料道路は全て無料になるため、別の者が使者になるよりも格段に費用がかからない。
貴族領においても貴族の当主や跡継ぎであることを理由に多種多様な優遇処置や支援を受けることができると思われた。
「一カ月もあれば王都に着くだろう」
「一カ月……」
サーボルトに来るまでに二週間かかっている。だが、王都は比べものにならないほど遠い。
それほどの期間がかかるからこそ、王都へ行く費用面における負担が少ないことが重要であることもまた悟った。
「このままガートランドに戻るよりも、王都に行った方が役に立てる。学校は休まなければならないだろうが」
「その必要はありません。私は進学していませんので」
貴族の跡継ぎは義務教育である小学校を卒業後、中学校に進学することが多い。領主として相応しい学歴が必要だと思うからだ。
しかし、ユーウェインは父親や家の手伝いをするために進学をしなかった。
辺境では学力よりも生きるために必要な能力を磨くことの方が重要だ。
第八区には中学校がない。通うためには第一区に居住する必要があり、学費と生活費が家計の負担になる。
それだけの余裕があるのであれば別のことに使うべきだとユーウェインは思い、両親と相談して決めた。
三人いる妹達のことも考えた末の判断だった。
「ならば休学手続きも必要ないな。何分、緊急時だ。そう言えば、大抵のことは解決する。相手も納得するだろう。でなければ未成年の跡継ぎがわざわざ王都へ向かうわけがない。但し、家出や都会への出稼ぎと間違われてしまう可能性もある。私が託す書簡を絶対になくすなよ?」
「わかりました」
こうしてユーウェインは王都へと向かうことになった。
たった一人で。
王都へと向かう全てがユーウェインにとって驚きの連続だった。
これまでいかに自分が小さな世界に住んでいたのか、そしてガートランドがいかに貧しいかを実感するしかない。
だが、サーボルトの国軍指揮官が教えてくれたように、ユーウェインが貴族の跡継ぎであることが役に立った。
どこへ行っても必ず怪しむような視線と態度を示されるが、身分証と緊急事態によって使者になったことを話し、駐屯している軍の指揮官から託された書簡を持っていることがわかると急に態度が変わった。
貴族の跡継ぎというだけでこれほど変わるのか。
辺境では貴族も平民も関係ない。貴族は領主とその家族のことだが、他の者達と同じように生きるための仕事をする。
だが、他領は違う。貴族と平民には大きな差がある。
ユーウェインは貴族という出自がいかに平民とは違う特別な出自であるのかを知ったが、同時に貴族の者達からは底辺としての侮蔑と軽視を受けることもまた味わった。
ようやくたどり着いた王宮で陳情を扱う担当者と面会し、事情を伝える。
更に王都へ向かうのであればと地方領主や国軍、施設等の関係者から預かった手紙や書類を届けた。
陳情については検討期間を設けられるため、回答が出るまでは王都に滞在し、呼び出されるのを待つように言われた。
しかし、ユーウェインは所持金をほとんど持っていなかった。
王都へ来るまでは跡継ぎであることを証明する身分証、ルウォリス男爵家の紋章が刺繍されたボロボロのマント、預かった書簡等によって優遇処置を受けることができる。
逆に金を持っていると強盗に狙われると言われ、所持金は最低限しか持たされていなかった。
「王都でも貴族の跡継ぎということで優遇を受けられるような場所があるでしょうか?」
陳情担当者は困った。
だが、こういったことがないわけではない。
地方から来た貴族や使者等が王都や王宮に来た後、様々な面で困るのは普通であり日常茶飯事だ。
所持金を持っていても、王都の物価が高すぎることが理由で何日も滞在するのは不可能という場合もある。
そういう時は王宮警備隊や王宮騎士団に相談することになっていた。
警備隊や騎士団は独自の寮を持っており、臨時処置として部屋や食事、最低限の衣服を用意することができる。
だが、ユーウェインが未成年ということ、底辺とはいえ貴族の跡継ぎ、また世話になる期間は何かしらの仕事をしなければならないこともあり、近衛騎士団の見習いの見習いとして寮に滞在することになった。
「一時的に身柄を預かることになったユーウェインだ。陳情の回答が出るまでの期間になる。ここで学ぶことがいい経験になるだろう。色々教えてやれ」
ユーウェインは客ではない。騎士見習いの見習いだ。
騎士を目指す場合は騎士見習いになるが、ユーウェインは騎士を目指しているわけではないため、騎士見習いの見習いという立場だった。
端的に言えば、騎士見習いの体験入団者だ。
ユーウェインに仕事を教えるのは騎士を目指すために入団した騎士見習い達だ。
「お前は騎士団で一番下の更に下だ!」
「自分の立場をわきまえろ!」
まずは騎士団の寮における基本的なルール、マナー、生活習慣、騎士見習いがこなす雑用について教えられる。
騎士見習いになれるのは十五歳以上の者で、大抵は家の事情によって早く自立をしたい者や進学を断念した者、家にいられない者など何かしらの理由がある者が多かった。
だが、さすがに辺境領から来た者は一人もいなかった。
「お前は近衛に来た初めての辺境領出自だ」
騎士見習い達はそう言って嘲笑した。
ユーウェインは問題を起こすようなことはできないと感じ、どれほど侮蔑と軽視をうけても怒らなかった。
それがかえってユーウェインへの侮蔑と軽視を許す風潮につながり、定着してしまった。
顔を合わせれば必ずユーウェインを侮蔑する言葉を挨拶として発し、嘲笑されるようになる。
良識のある者が注意をしても、辺境出自であることはただの事実で中傷ではないなどと誤魔化されてしまうのが常だった。
私は跡継ぎとして相応しくなければならない。ガートランドの正式な使者でもある。常に冷静さを心掛け、礼儀正しく振る舞うようにしなければ……。
ユーウェインは込み上げる負の感情を必死に抑え込んだ。
日々、にこやかな笑顔を振りまきながら、教えられた仕事を従順にこなし続けた。
そして、三カ月後。
陳情の回答が出たという知らせが届かないことに不安を感じていたユーウェインは筆頭隊長に呼び出された。
ユーウェインはようやく陳情の回答が出たのだろうと思ってホッとしたが、そうではなかった。
「ルウォリス男爵が亡くなられた。名誉の戦死だ」
知らされたのは父の訃報だった。
ユーウェインが出立した後、強盗団がまたもや別の村に襲来した。
父親は護衛や村人と共に戦闘し、多勢に無勢で殺されてしまった。
ルウォリス男爵の子供は四人いるが、息子はユーウェインしかいない。
跡継ぎはユーウェインであるものの、使者として旅立ったまま戻って来ない。
そこでユーウェインの消息を確認するための使者がガートランド伯爵の元へ送られた。
ガートランド伯爵はユーウェインがサーボルトから王都へ向かったことを知っていた。
そのことをルウォリス男爵家へと伝え、王都に到着したはずのユーウェインの安否を確かめる手紙が王宮の陳情担当者へ届けられたことが説明された。
「辛い話が続くことになるが、受け止めなければならない」
エルグラードにおける貴族の数は非常に多い。
国王が若い頃、貴族としての特権を悪用する者が多くいた。そのため、様々に制度が改正され、貴族の爵位継承や特権については特に厳しくなった。
エルグラードの領地は四種類。王領・直轄領・貴族領・国有地になる。
王領は国王や王族が領主で、王族以外は領主になれない。王家の私的な所領だ。
直轄領は国王が領主であるものの、王家の所領ではない。貴族領や国有地の領主を国王が兼任で務めている。王領にだけ認められる特権や優遇処置もない。
貴族領は国王から爵位と権利を与えられた者が貴族として領主になって治める。五等爵のどの身分か、どの程度の権限があるのかについては個別に異なる。
国有地は国王が任命した地方長官が領主だが、あくまでも行政官で知事という役職になり、貴族の領主よりもかなり弱い。
貴族の領主が税収の一部を私的な報酬にできるのとは違い、知事は給料以外の報酬は貰えない。領主としての財産は個人に帰属しないため、私有財産ではない。
「辺境領は貴族領の一種だ。様々な事情から一人の貴族が領主として治めるのは難しいため、複数の領主が協力して治めている」
ガートランド辺境領においては代表領主がガートランド伯爵になり、第一区を直接的に治めている。
第一区は小さなガートランド伯爵領のようなものと考えられなくもないが、辺境領の一部で独立しているわけではないため、正式にはあくまでもガートランド辺境領第一区になる。
ユーウェインの父親であるルウォリス男爵が治めているのは第八区。正式名称はガートランド辺境領第八区になる。
そして、爵位の継承には特別な条件があることが判明した。
「爵位を継承できるのは当主が死んだ時点で成人している血族の男性という条件があった。血族で直系の息子がいても、未成年の場合は継承することができない。近い血族で成人男性がいた場合はその者が継承することになる」
辺境領は環境が厳しい。だからこそ、多くの領民の命を預かる領主は成人でなければならない。そこで当主が死んだ時点で成人している血族の男性ということが特別な条件になっていた。
ユーウェインにとって、初めて聞く内容だった。
「新しい領主は叔父にあたる者だ」
父親の弟だった。
祖父が死んだ際の財産分与で揉め、金目の物を奪うようにして家を出て行ったまま帰ってこないと聞いている。
「そんな!」
ユーウェインは突然の話に驚き、到底受け入れられないと思った。
「跡継ぎである私の権利を奪うのですか?!」
「新しい男爵は身内だ。父親の跡継ぎから、叔父の跡継ぎになればいい」
特別な条件がなかったとしても、未成年の者は爵位を正式に得ることができない。
後見人をつけることで一時的に保留にしてもらい、成人してから爵位を得る方法もないわけではない。
だが、すでに成人している者がいるのであれば、その者に男爵位を授けた方が簡単だ。
ユーウェインが男爵になるとしても、未成年の間の後見人は叔父になる。結局、成人するまでの数年間は叔父が領主のようなものだ。
取りあえずは身内の成人男子である叔父が男爵位を確保して領主の仕事をする。
叔父は未婚で子供もいない。叔父の跡継ぎはユーウェインだ。
ユーウェインが成人した後で男爵位を譲るか、叔父が死んだ後に継ぐかについてはルウォリス家で話し合えばいいということになったらしかった。
「父と叔父は仲がよくありませんでした。祖父の遺産相続で揉め、家を出て行った者です。私達家族の生活を保証するとは思えません」
ユーウェイン達の家は領主の家だ。個人所有の家ではない。
叔父が領主になった途端、出て行けと言われてしまう可能もあった。
「……そうか。だが、私は陳情の担当者ではない。すでに決まった内容を通達するのが役目で、それを変更する権限はない」
「では、不服を申し立てます」
「わかった。では、別件として陳情書をすぐに提出するように。それともう一つ。強制ではなく善意で言うが、正式に入団しないか?」
現時点において、新しい男爵は叔父だということが決定している。
身内であっても、肩身が狭くなる可能性はゼロではない。
筆頭隊長はユーウェインのことを個人的に心配していた。
不服を申し立てるとしても、最初の陳情の回答が出るまでの期間という約束で近衛騎士団が預かっている。
別件の陳情については同じく近衛騎士団で預かるという判断になるかわからない。
そこで、一旦近衛騎士団に入団して騎士見習になり、別件の陳情の回答を待つ。そうすれば、引き続き近衛騎士団にいることができ、衣食住にも困らない。
近衛騎士団で騎士を目指しているということがユーウェインにとって有利に働く可能性が高く、不服の申し立てが却下されたとしても、近衛騎士になれるかもしれない。
辺境領の男爵と近衛騎士では、一見すると貴族位である男爵の身分の方が上のように思える。
だが、有力者である男爵ならともかく、辺境領の男爵位は男爵位の中の最下位だ。職業的な地位とはいえ、近衛騎士の方が実質的にははるかに上だった。
ルウォリス男爵位に固執して身内争いをするよりも、近衛騎士になることを目指した方が建設的だ。
騎士見習いは給与が出ないが衣食住は保証される。
従騎士になれば小遣い程度の報酬が出る。騎士になれば一気に報酬が跳ね上がる。
辺境領に住む家族への仕送りも可能になるばかりか、物価の違いから考えれば、故郷の家族を楽に養えるようになるかもしれない。
「私の見立てでは騎士になるために必要な能力はある。だが、さすがに出自が悪すぎる。そのことが足を引っ張り、かなりの忍耐を強いられるのは間違いない。出世するのは絶望的に等しい。あえて下位の王宮騎士団に入る手もある。だが、あまり状況は変わらないどころか平民にさえ辺境領の出自ということで軽視される恐れがある」
ユーウェインはこぶしを握り締め、唇を噛み締めた。
出自の悪さはどうにもできない。神が決めたようなものだ。
これまでは一時的だと考えることで耐え忍んできた。だが、入団するのであれば、どれほど長い期間であっても耐え続ける覚悟が必要だ。
「選択肢は複数ある。どうするか、三日以内に決めて欲しい」
ユーウェインは決意した。
これも運命だと考え、近衛騎士団に入ることにした。
普通に入団を申し込んだ場合は審査で落ちる。書類だけで判断されるからだ。
しかし、今回はユーウェインが年齢の割に驚くほど馬や剣を使いこなし、はるか遠方の辺境領から王都まで来たこと自体を評価されたことで入団のチャンスが来た。
ギリギリ入団可能な十五歳になったことも、人望の厚い筆頭隊長として知られるディーグレイブ伯爵がユーウェインの能力を評価して期待をかけたことも幸運だった。
一度断れば、二度目はない。
今、決断するしかなかった。
ユーウェインは王都に留まることや、近衛騎士団の見習いになったことを手紙にしたため送った。
返事は届かなかった。故郷にいる家族まで無事手紙が届いたかどうかもわからない。
だが、一年後に母親が叔父と再婚したことを知らせる手紙が届いた。
母親は前男爵夫人から再度男爵夫人になり、ユーウェインも前男爵の息子から再度男爵の息子になった。
陳情の回答はまだ出ない。
叔父が新男爵としての地位を着々と固めていると思うと、ユーウェインはどうしようもない焦燥感に駆られたが、回答が出るのを待つしか方法はなかった。
更に一年後。弟が生まれたという手紙が届いた。叔父と母親の子供だ。
そして、近衛騎士団に入ったことは辺境領の者達にとって大きな希望ともいえる輝かしい栄誉だ。そのまま一生を騎士としての責務に捧げて欲しい。故郷のことは『父親』と『弟』に任せておけばいいと書かれていた。
それはつまり、次代の男爵は弟になるという暗黙の通達であり、ユーウェインの戻る場所が失われたことを意味していた。
ユーウェインは大きな失望感を感じたものの、すでに近衛騎士団で過ごす日々によって強靭な精神力が培われており、回復は非常に早かった。
故郷や家族を捨てて騎士団に入る者は多い。
貴族出自の少年が手っ取り早く自活する方法として騎士を目指すことは定番中の定番だ。
ユーウェインもその中の一人になっただけの話だった。
ユーウェインは見習いを三年務め、成人すると従騎士になった。
二十歳の時に騎士に叙せられる。
辺境領出自初の近衛騎士ということで強い蔑みを受けたが、ユーウェインはにこやかな態度を崩さず、与えられた任務を真面目にこなしていた。
面倒事も押し付けられたが、経験になると引き受けていた。
転機が起きたのは二十二歳の時。
新人騎士の指導役に抜擢された。
騎士としては二年だが、入団から七年も経てば近衛騎士団について知らないことは少なくなる。
特に、見習いを三年間務めたことが大きかった。
コネがある者、身分や出自がいい者は見習い期間を短縮するか全く経験しない。入団すると同時に従騎士、場合によっては騎士になる者さえいる。
だが、騎士や従騎士になれたとしても、下積みがなければ何もわからない状態だ。すぐに近衛の仕事ができるかといえば、できないに決まっていた。
そこで指導役に選ばれた騎士が新人の騎士や従騎士に様々なことを教える。
ユーウェインが従騎士や騎士になった際も指導役がついたが、教わったというよりは自分ですべき仕事や面倒事を押し付ける迷惑な存在だった。
ユーウェインは自分が騎士として評価されたこその抜擢だと思った。
しかし、新人がノースランド公爵家の者とわかり、単なる面倒事を押し付けられただけだと考えを改めた。
アルフレッド・ノースランド。通称、アルフ。
ノースランド公爵家はエルグラードが併合した北の国の王家の直系で、四大公爵家の一つでもある。
アルフはノースランド公爵の孫で、父親は伯爵。兄は子爵で王子府に務める官僚で、第二王子の友人兼側近。
鳴り物入りのエリート新人だ。
すでに成人しており、入団と同時に騎士に叙せられている。
しかも、同じタイミングで入団した騎士と従騎士と見習いが多数おり、アルフの周囲を固めていた。
取り巻き・護衛・小姓付きということだ。
そんな大型新人の指導役を務めるのが大変で面倒でないわけがない。
指導するのはアルフだけではない。その取り巻き・護衛・小姓全員だ。
自分を指導役に指名した現団長、かつてユーウェインに近衛への入団を勧めた元筆頭隊長ディーグレイブ伯爵を心の中で罵りつつ、ユーウェインは指導役として新人達の面倒をみることになった。
指導役の仕事はこれまでに経験したものの中で最も難しいと思われる部類のものだった。
とにかく反抗が凄い。
ユーウェインは辺境出身だ。跡継ぎということになっているとはいえ、男爵の息子で、本来は叔父と甥の関係だ。
しかも、叔父と母親との間には弟がおり、本当に後を継ぐのは弟の方で、ユーウェインは弟が成人するまでの飾りの跡継ぎのようなものであることまでも知れ渡っていた。
嫌がらせのためにユーウェインの情報を調べた誰かが吹聴したらしかった。
大貴族のアルフとその取り巻き達から見れば、ユーウェインは虫けら同然といってもおかしくなかった。
アルフは体裁的に騎士になっただけで、実家の都合でいつ辞めるかわからない。官僚になるよりはましだというだけで入団したため、全く仕事をやる気がない。
その取り巻きもユーウェインを完全に軽視しており、自分達の代わりに仕事をしろと言って逃げるか、何かにつけて文句をつけてはサボる。
護衛役の従騎士はアルフの安全を確保するのが最優先で、近衛としての仕事をする気がほとんどない。辞めさせられない程度にするだけだ。
アルフに危険な仕事をさせるな、危険な場所に連れて行くなと顔を合わせる度に念を押される。
小姓の見習いだけはまともに仕事をしているようには見えるが、あくまでもアルフに対してのみ従順で、ユーウェインのことはやはり軽視している。
自分は王都民あるいはノースランド公爵領の出自ではるかに上の出自だという者もいれば、アルフを王族のように敬い、ユーウェインの態度はあまりにも無礼だと罵る者もいる。
さすがのユーウェインも無理過ぎると感じ、もっと出自のいい者に対応させるよう団長に直談判をしに行った。
しかし、あっけなく却下された。
「よく聞け。出自だけで比べれば私でさえアルフよりも下になる」
「団長は伯爵です。ノースランド公爵家の者はそれほど偉いのでしょうか?」
「アルフは将来的にノースランド公爵家が保持する爵位を譲られるだろう。一代限りかもしれないが、公爵位か侯爵位になるのは間違いない」
ノースランド公爵家は元王家の子孫の家柄だけに、数多くの爵位を保持している。
しかも特権があり、自らが保持する爵位を身内に譲る場合は国王の許可を必要としない。
つまり、いくらでも分家し放題なのだ。
とはいえ、あまりにも分家を作り過ぎると領地も減ってしまい、本家の力が削がれてしまう。
そこで、ほとんどの場合は一代限りとして与え、可能なことなら自身で功績をたて、国王から直接別の爵位を貰うよう推奨する。
アルフが近衛に入団したのも功績を立て、ノースランド公爵家が保持する爵位ではない別の爵位を国王から貰うことを目指すためだった。
アルフが騎士爵しか持っていないのも、すでに爵位を持っていると新しい爵位が貰いにくいこと、将来的にノースランド公爵になる兄のロジャーが今の時点では子爵ということへの配慮だ。
ロジャーの爵位に合わせてアルフも爵位を得ることがわかっているだけに、多くの者達はアルフのことを将来公爵や侯爵になる者として見る。
「では、近衛騎士として出世しなくても関係ないということでしょうか?」
「体裁的に取り繕えばいい。ノースランドに集う者達が囲んでいるだけで、勝手に人望評価は上がる」
ユーウェインはなぜアルフと共に多くの者達が入団したのかを理解した。
従騎士や見習いはアルフが近衛の中で安全を確保でき、雑用をしなくてすむように。騎士達はアルフの仕事を手伝うためだと思っていた。
しかし、別の理由もあった。
常に多くの者達がアルフに集えば、上に立つ者として相応しい素質があると評価される。
緩やかであっても人望評価が上がり、騎士としての序列も上がる。最低限の出世を安全な方法で確保できる。
「アルフにとって最も重要なのは功績を上げることではなく、近衛内で問題を起こさないことだ。ノースランドに集う者達に任せておけばいい」
通りでやる気がないはずだとユーウェインは思った。
「そのような者の指導をしたがる者がいると思うか?」
いないに決まっている。
だが、誰かが担当しなければならない。
無能な者は失敗を犯す。人生が終わる可能性もある。
失敗することなく無難に務めることができる有能な者がいい。
「騎士の仕事だけでなく、従騎士や見習いの仕事も知っている。適役だ」
新人によるサボりやボイコットはよくあるだけに、その分まで仕事をカバーできる者が指導役を務めるのが望ましい。
だからこそ、ユーウェインがいいのだ。
「私はさしずめノースランドへの生贄といったところでしょうか」
「この試練を乗り越えることができれば大きな実績になる。全力で取り組め。私も相応の覚悟をした上で抜擢した」
団長は単にユーウェインに面倒事を押し付けたわけではなかった。
有能ではあるものの、辺境出身という近衛騎士としては致命的な足枷がある状態を変えることにつながるかもしれないと考え、期待をかけたからこそ任せたのだ。
ノースランド公爵家は辺境出身の者を指導役に据えることを侮辱だといって猛抗議をしてきた。
だが、その件はすでに予想されていたため、息子を活用した。
ディーグレイブ伯爵の息子であるジェイルは第二王子やアルフレッドの兄であるノースランド子爵と友人だ。
指導役はあくまでも能力主義に徹して選んだことを説明し、また、やる気のないアルフやその取り巻きの分も仕事をこなせる者でなければならないことも付け加え、全てはアルフのためだと言って理解を得ていた。
おかげでノースランド公爵家の抗議については一時的に収めることができ、指導状況を見てどうしても難しいということであれば交代するなどの対応をするということになっていた。
「どうしても難しいです。交代して欲しいのですが」
「お前は能力を出し切っていない。まだやれる」
「なぜ、団長はご子息を近衛に入れないのですか? 本人も騎士になることを希望していたらしいと聞きました」
団長の息子が近衛騎士になり、アルフの指導役になればいい。
そうすれば自分のように苦労することはないはずだとユーウェインは思った。
「近衛には暗黙のルールがある。どれほど優秀であっても、団長の息子は団長になれない。それどころか副団長にさえなれない。実力ではなくコネでなったと思われないためだ」
団長や副団長の息子は騎士になっても出世が制限されるということだ。
これは近衛騎士団の最上位と次位を代々同じ貴族の家柄で独占しないためのルールでもあった。
「ジェイルは優秀だ。団長になれなければ、能力を持て余してしまう。だからこそ、騎士になることを許さなかった」
「王宮騎士団長を目指せばよかったのでは? あるいは第二王子騎士団長という手もあります」
団長は深いため息をついた。
「跡継ぎを危険が伴う職につけたくもない。いずれ伯爵としてディーグレイブを率いる者だ。息子よりも能力が劣る者達に頭を下げさせ、従わせたくないのもある。私も父親にそう言われ、騎士になるなら近衛のみと条件をつけられた」
「近衛は危険ではないと?」
「王都が戦乱に巻き込まれない限り、最前線勤務はない。必ずその前に別の騎士や警備の者達が厚い壁を作る」
近衛は王家を守る盾だ。
しかし、その周囲には多数の壁として王宮騎士団や警備隊の者達がいる。
壁に守られた盾の安全度は高い。壊れるどころか、傷がつく可能性さえ低い。
そのために壁が存在する。
「ジェイルは王族の側近になればいい。本人もそれで納得している。当主としての冷静な判断のつもりだが、親バカであることも自覚している。笑いたければ笑え」
「羨ましい限りです。私とはあまりにも雲泥の差で笑えません」
「お前は跡継ぎの重要性を理解している。だからこそ話した。誰にも言うな。これは命令だ」
「はい」
ユーウェインは考えた。知恵熱を出すほどに。
そして、ついにこの試練を乗り越える方法を思いついた。
それはユーウェインが直接全員を指導していた方法を改め、アルフを指導役の補佐に指名し、アルフから他の者達に様々なことを伝達するというものだ。
ユーウェインが教えても話を聞かない。文句を言う。反抗する。サボるなどまともに指導を受けようとする者は一人としていない。
だが、アルフの話であれば必ず耳を傾ける。サボらない。文句を言うことも反抗することもないだろうと考えた。
指導役の補佐に指名されたアルフは非常に嫌そうな顔をしたが、反対はしなかった。
指導役の補佐といっても正式な役職ではない。指導役という係の手伝いをする者というだけだ。
しかし、それだけ指導役になった騎士から能力を買われ、信頼されているともいえる。優秀だということだ。
また、指名されていない者との差がつくことになる。
勿論、指導役の補佐の方が上、何の指名もされていない方が下だ。
指導役と補佐という関係になったことで、アルフの関係に変化が生じた。
アルフから話があると呼び出されたのだ。
アルフがユーウェインと話さないのはユーウェインを嫌悪しているからではなく、単に無口な性格だということがわかる。不愛想で目つきが悪いのも生まれつきだ。
話を聞いていないように見えるのは他に重要なことや優先しなければならないことがあるからで、本当に何も聞いていないわけではない。一応は聞いている。一応過ぎて、無反応なだけだった。
用件ができたといって仕事をすぐに抜け出したりいなくなったりするのは、兄や実家に突然呼び出されたこともわかった。
「兄は第二王子の側近、実家は四大公爵家だ。呼び出しに応じないわけにはいかない。補佐に指名するのはともかく、できるだけ仕事は振らないで欲しい」
新人が指導役に堂々と仕事を振るなと伝えること自体おかしいどころか、騎士としてありえないほど正しくない言動だ。
しかし、ユーウェインはにこやかな笑みを崩さず、叱責もしなかった。
その代わり、指導内容を書面にしてアルフに渡すため、それをできるだけ早く読んで内容を理解し、その書面を他の者達全員に渡して内容を説明するか、誰かにその役目をさせるように指示を出した。
アルフは従騎士三人を自分直属の伝令に指名し、ユーウェインから受け取った書面を渡して他の者達への通達をするように指示した。
アルフはただの中継でしかない。いわゆる丸投げ体制だ。
しかし、ユーウェインの指示は途中でアルフの指示に変化する。
アルフの指示を無視する者はいなかった。仕事も理解し、サボらなくなった。
これが、ノースランドのおぼっちゃまの持つ非常に有益で強力な能力だった。
こうしてユーウェインからアルフを経由して他の者達を指導するという方法が確立された。
団長を始めとした役職付きや上位の騎士達はユーウェインの指導方法と確立した体制を高く評価した。
しかも、自分達もアルフを経由することで反抗や問題が起きるのを未然に防ぐようになった。
一年後、ユーウェインは指導役の任を解かれた。
アルフは騎士や従騎士、見習いに指示を出す立場としてうってつけであることから序列が上がった。出世したのだ。
一方、ユーウェインは相変わらずだった。
むしろ、指導役ではなくなったため、実質的には下がったようなものだった。
出世したアルフには補佐役がつけられた。
しかし、問題が起きると責任を取らされる。アルフは処罰されない。
全ての仕事と責任が補佐役にのしかかった。
体調不良になる。精神的にもきつい。
補佐役は何人も交代することになった。
さすがにこのままでは困ると思った団長はまたもやユーウェインに白羽の矢を立てた。
「アルフを補佐して欲しい」
「辞退します。強制された場合は退団します」
ユーウェインは速攻で断った。
それなりに蓄財もしているが、近衛だった経歴や底辺であっても貴族出自ということを考えれば、再就職はさほど難しいことではない。
何らかの責任を押し付けられて退団するよりも、さっさと自分から退団した方がいいに決まっていた。
元々ユーウェインは貴族としては底辺で、辺境に住んでいた。平民に混じって生きることに全く抵抗はない。能力にも自信がある。
「補佐の補佐ではどうだ? 責任は補佐に取らせればいい」
人徳者で知られる団長とは思えないほどの妥協案を提示されても、ユーウェインは了承しなかった。
「辺境民がいつまで近衛に居座るのかと声高々に言われ続けている状況をご存知でしょうか? 些細なことでも揚げ足をとろうとする者が見逃すわけがありません」
本来であれば注意で済むようなことを、より大きな処罰にすべきだと騒ぐ可能性が高い。
退団勧告や解雇を要求するかもしれない。
「王都民になっただろう。口を利いてやったではないか」
ユーウェインは辺境領出自のままでは一生中傷が付きまとうことや完全に出世の道が絶たれるだけでなく、上級騎士にさえなれないことを予見し、領民登録の変更を申請した。
通常は出生地の領民だ。国籍と同じく、両親の領民登録に合わせるということでなければ、簡単には変更できない。
しかし、ユーウェインは近衛騎士団に所属する騎士で何年も勤務している。しかも、伯爵位を持つ団長の口利きもある。あっさりと許可が出た。
おかげで出生地はガートランド辺境領のままだが、現在はガートランド辺境領民ではなく王都民になっていた。
「恨みは命に関わる重大な懸念事項です」
「騎士のくせに命を惜しむのか?」
「近衛に入ったのは生活するためであり、ひいては生きるためです。人として命を惜しむのは生物として当然の反応です」
「ただの嫉妬だ」
「嫉妬で命を失う者もいます」
団長は人望が厚いだけの者ではない。団長になるだけの能力がある非常に優秀な者だった。
正攻法では説得できないと察知し、搦め手でユーウェインを動かすことにした。
ユーウェインは特別な任務において一時的にアルフと組むよう命じられた。
騎士は様々な任務をする際、二人一組で行動するのが基本だ。
ユーウェインもアルフも通常は別の者と組んでいるが、特別な任務については二人で組めという指示だ。
補佐でもなければ補佐の補佐でもない。同じ任務を与えられている騎士が二人いるだけだ。
特別な任務である以上、一時的な処置でしかない。あくまでもその任務を遂行するために最適と思われる者達を一人ではなく二名一組で任命するだけだ。
誰と組むかは命令によって決めても問題ない。
アルフがどれほどやる気がなくて使い物にならなくても、ユーウェインは与えられた任務を自分のためにするしかなかった。
「楽をしたいと思っているのはわかっています。ですので、実務は私が担当します。アルフは私の仕事を邪魔する者を牽制し、追い払って下さい。ノースランドの力があれば簡単なはずです」
「序列が低いくせに偉そうにするな」
「偉そうにはしていません。仕事上の通達です。私達は組んでいます。この任務の間は同列になることを忘れないようにして下さい」
こうしてユーウェインとアルフは度々組まされ、特別な任務をこなすようになった。
有能なユーウェインは邪魔さえ入らなければ楽に仕事をこなせる。アルフが側にいて牽制してくれるのは非常に都合が良かった。
アルフも楽だった。勝手にユーウェインが任務を適切に処理してくれる。
邪魔者はめったに寄り付かないが、来たとしても、ノースランドである自分の邪魔をするなと警告すればいい。
ユーウェインの邪魔をするということは、組んでいる自分の邪魔をすることだと相手にわからせればいいだけだった。
二人の実績と評価は着々と上がり、ついに上級騎士に昇格した。
アルフレッドだけでなく、ユーウェインも。
騎士団内外で強い反発があった。抗議も殺到した。脅迫文も届いた。
しかし、二人をこれからも組ませるために必要な処置として団長は事態をうまく収拾した。
おかげで近衛騎士団長の評価が更に上がった。
「辺境生まれでよく上級になれたな」
「丸投げと睨むだけで上級になれたのです。私の貢献度がいかに高いのかを冷静に把握して欲しいですね」
二人はこの程度の会話もするほどになった。
だが、親しいわけではない。
あくまでも仕事上、一緒に組むことがあるだけの同僚だ。
任務以外の時はほぼ関わらない。
互いに所属する隊も違えば、普段任されている仕事の担当も違う。
アルフは問題が起きにくく危険も少ない仕事だが、ユーウェインは真逆だった。
しかも、いまだに雑用までこなさなければならない。
休日も返上で任務につくこともしょっちゅうだ。
だが、どれほどの逆境においても、ユーウェインのにこやかな笑みが消えることはない。
ユーウェインは近衛騎士だ。
居場所はここしかない。他に帰る場所などなかった。故郷も。
だからこそ、ここにいる。
残り続ける。
そして、必ず出世する。
自分のために。そして、侮蔑する者を見返し、自分の能力と価値がいかに高いかを見せつけるために。
辺境領出自初の近衛騎士は、数多くいる王都民の野心家に変貌していた。