三日目(3)二回目の回答と図書館
午後のお茶が終わったくらいの時間、長閑な空気の満ちる中庭にソレルは向かう。四阿には今日も別の人物がいた。
「ロイーゼ? ユリー?」
三度目だからそれほど驚かず、にこりと笑った人にそっと声をかけてみた。
「今日はジョルジュの気分」
昨日、一昨日と同じように隣をぽんぽんと叩かれて、ソレルは腰掛けながら繰り返した。
「ジョルジュ? こんにちは」
「はい、こんにちは」
隣に座るのはソレルと同じ従者のお仕着せを着た少年だった。ふわふわした赤毛に、薄い水色の瞳。王子の従者と同じくらいの大きさ、とソレルはまた思う。
「セッペのかみのいろに、にています」
「セッペ?」
「ちゅうぼうの」
「ああ! あの見習いの男の子だね」
「ともだちになりました」
「おや、一日で! それは良かったねぇ。あの子、いい子でしょ?」
連れていった甲斐があったね、とジョルジュは微笑んだ。
「はい。いっしょにいるとあたたかいです」
「あたたかい?」
ここのあたりが、と言ってソレルはそっと自分の胸を押さえた。その仕草に、ジョルジュはますます笑みを深めた。
「そうか……、それは良かった。仲良くするといいよ。友達は大事だ。それに、厨房に知り合いがいるのはいいことだよ」
なぜ「厨房に」なのかはソレルにはわからなかったが、ジョルジュが嬉しそうにしてくれているので、ソレルも嬉しくなり頷いておいた。
「さあ、今日の宿題は?」
「はい。セッペがしたばたらきのしごとを、いろいろみせてくれました」
ソレルは午前中に見て回った下働きにどんな者がいるのか、どんな仕事をしているのかひとつずつ話した。
「ぬのをあつかうしごとは、おんなのヒトがおおいです。それいがいは、おとこのヒトがおおいです。そうじは、はんぶんずつくらい。ヒトによって、しごとにはむいているものとむいていないものがあります」
「うん、そうだね」
「おしろのしごとはこれだけですか?」
「いや、まだあるよ。今日は図書館に行ってみようか」
「としょかん?」
「本がたくさんあるところ」
ジョルジュが立ち上がったのでソレルもその後について行った。
西離宮にあるいくつかの建物を東側に向かって横切りながら、ずいぶん長い距離を歩いた。これもまたソレルが行ったことがない場所だった。
ここはもう西離宮ではないのではないか、と思いソレルが尋ねると、ジョルジュは曖昧に笑った。
「王城内に図書館はひとつしかないし、西離宮と繋がってるから、もう西離宮でいいんじゃないかな」
厳密には西離宮ではないということか、とソレルは思ったが、興味の方が先に立って、ジョルジュの言うようにここは西離宮の端っこ、と思うことにした。
「従者なら図書館には自由に出入りできる。ヴァシル様にも許可取っておくよ、後で」
ジョルジュは軽く言い、長い廊下の突き当たりにある大きく重い扉を開けた。
ジョルジュに続いて扉を通った向こう側には見上げるような高い天井と広い空間があった。くぐると同時に独特の匂いがした。
ソレルはその匂いを知っている、と思った。
王子が勉強の時に開く本の匂いだった。
「ほん……」
たくさんあるところ、というのは本当だった。
中央は広い吹き抜けとなっており、いくつもの机が並べられている。壁側は吹き抜けを中心に三方を取り囲むように二階があり、一階から二階まで、等間隔に並ぶ長い半円状の窓を除いた壁一面は本棚となっていた。天井まで見上げるような本棚に数えきれないくらい、たくさんの本が詰め込まれている。
側面にある窓だけでなく、いくつもある天窓からも光が落ちてきて、図書館の中は柔らかい光が満ちている。これほどの本があるのに威圧感も暗い印象もなかった。
この匂いは嫌いじゃない、とソレルは思った。
「ソレルは字は読める?」
ジョルジュが小声で聞いた。ソレルも小さな声で囁くように返す。
「……すこしなら」
「そう。なら良かった」
西離宮からの入口は西側の壁面の中央付近にあった。入ってすぐ右手には、大人の胸より少し低いくらいの高さの横長の台があった。囲うように置かれたその中では臙脂色の服を着た人が幾人か立ち働いていた。
ジョルジュは真っ直ぐにそちらに向かうと、臙脂色の服の一人に声をかけた。
「すみません」
「はい。……ああ、ジョルジュ、久しぶりですね」
「こんにちは。資料を出してほしいのですが」
「今日は何が必要ですか?」
「王宮の簡単な見取り図と王宮組織の一覧表、あと辞書を一冊」
「辞書は何語のものを?」
「国語を」
臙脂色の服の男性は言われたものをすぐに用意してくれた。丸められた紙と、それほど厚くない本と、分厚くて重い本が台の上に置かれた。ジョルジュは礼を言ってその三つの資料を受け取ると、一階の中央に並ぶ机にソレルを連れて行った。
空いた席を見つけて、二人で並んで座る。まずは丸められた紙を広げていると、後ろから声をかけられた。
「あれ? ジョルジュ?」
まだ幼さの残る少年の声だった。振り返るとたくさんの本を抱えた一人の少年が立っていた。