三日目(1)料理人見習いの少年
翌日、朝食が済んだ後、ソレルはもう一度、今度はひとりで厨房に行ってみた。
昨日と違って厨房の中は閑散としていた。奥の方で二、三人の男達が談笑している他には、入口付近の椅子に座った少年が黙々と野菜の皮を剥いているだけだった。
昨日のユリーのようにソレルは入口で声をかけた。
「こんにちは」
ソレルの小さな声に気づいたのは入口付近にいた少年だけだった。すぐに顔を上げ、ソレルを見つけて手を止めた。
「あれ? 昨日ユリーさんと一緒に来てたヤツか!?」
少年は短く刈り込んだ赤茶色の髪をして、低い鼻にはそばかすが散っている。ソレルには人の年齢がまだよくわからなかったが、ヴァシル王子の従者達と同じくらいの大きさだと思った。たぶん同じ年頃だろう。
「はい」
少年の大きな声に奥にいた男達も気づいたようだったが、ユリーが一緒にいないためか、ソレルに軽く手を挙げるだけで談笑に戻り、こちらには近づいて来ない。
「そんなとこ突っ立ってないで入ってこいよ!」
少年は笑って手招きする。適当な椅子を引っ張ってきて横に座らせてくれた。
「今日はユリーさんは一緒じゃないのかよ?」
「はい。ひとりできました」
「ちぇーっ! 会いたかったなあ!」
「すみません」
「いや、お前のせいじゃないよ」
少年は鼻歌を歌いながら、するすると大量の野菜の皮を剥いていく。やっぱり面白い、と思いながらソレルはその手元をじっと見つめた。
「あんまり見られるとテレるな~」
少年は気にするようにちらちらとソレルの方を窺いながら、落ち着かなげに皮剥きを続けた。
「すみません」
「いや、いいんだけどよ。こんなの面白いか?」
「はい。じょうずですね」
「お、そうか!? 初めて言われたぞ、そんなこと!」
褒められてまんざらでもない調子で、再び鼻歌を歌い初めた。
「おおい、セッペ! これキズモノで使えんから二人で食っていいぞ! 剥いてやれ!」
奥にいた男の一人が、赤くて丸い果物を投げて寄越した。セッペと呼ばれた少年は上手に受け取り、ヒュッと口笛を吹いた。
「やりぃ! ありがとうございます、兄貴!」
セッペは野菜を剥いていた刃物を置くと、別の小さな刃物を取り出して、あっと言う間に皮を剥いてしまう。半分にしてソレルに渡してくれた。セッペは自分の分に早速かぶりついている。
これも手づかみで食べていいようだ。ソレルも真似をしてかぶりつく。果汁と共に、ほのかな甘みが口の中いっぱいに広がった。温かい食事は美味しいと思ったが、果物は温かくなくても美味しい。夢中で食べているソレルの様子をセッペはにこにこと見ていた。
ソレルが食べ終わると、果汁で汚れた手を拭くようにと言って、布巾を渡してくれる。
「きょうはヒトがすくないですね」
手を拭きながらソレルは不思議に思って、セッペに尋ねた。
「ああ、朝食が終わって昼準備が始まる前だからな。休憩中なんだよ」
「あなたは――」
「セッペ」
言いかけたソレルを遮って、セッペは自分の名前を主張する。
「セッペはきゅうけいしないのですか?」
「俺はな~、見習いだからなあ。とにかく練習しないと。今は野菜の皮剥きくらいしかやらせてもらえてないから。早く他のこともできるようにな、これくらいは昼準備の前までにちゃちゃっと終わらせないとな」
「こんなにじょうずなのに? れんしゅう?」
セッペはくすぐったそうに笑う。
「お前、ヘンなヤツだな~! そんなに褒めても何にも出ないぞ」
ソレルは思ったことを言っただけだったが、どうやら褒めると代わりに何か貰えることがあるらしい。ただ、今は果物を食べたばかりなので特にお腹はすいていない。
「昨日といい今日といい、こんなところふらふらして、従者様ってヒマなのか?」
他の従者やフェデリタースは王子のお側で何かしらの仕事をしている。しかしソレルにはできることがない。王子もソレルに対して何かを命じることがない。ソレルに命じなくても手は足りているのだった。
「わたしはなにもできないので。しごとをあたえられていないのです」
「そうか……」
セッペは昨日のユリーの話を思い出したのか、気の毒そうにソレルを見た。
「俺も皮剥きとか洗い物とか掃除とかしかやらせてもらえないから大差ないけどな~。できることが多くなくても、仕事ってのは自分で見つけるもんだぜ?」
ソレルは目を瞬いた。ロイーゼも似たようなことを言っていた気がする。
「はい、ロイーゼもいっていました。おしろにどんなしごとがあるかよくみて、じぶんにできることをさがせ、と」
「ロイーゼって誰だよ?」
「ユリーです」
「ユリーさんはユリーさんだろ?」
「はい、ロイーゼはユリーです」
主にソレルのせいで微妙に会話が成り立っていない。
「? ま、いいか。で?」
セッペはあまり細かいことは気にしない質らしかった。
「おしろに、ほかにどんなしごとがあるかさがしています」
「従者が他の仕事見たって意味あんのか? 従者やめんのか? ああ、転職勧められてんのか? 俺も平民は料理人とか下働きのが気楽だとは思うけどな~。従者と下働きじゃ給金が雲泥の差だけどな」
セッペは早口で一度にたくさんの言葉を使う。ソレルにはところどころわからないところがあるが、セッペはあまり気にしていないようだった。一人で喋って一人で納得しているようなところがある。
他の従者や侍女や侍従たちは、ソレルの言葉少ない返答にいらいらさせられているようで、馬鹿にしたような言葉を吐かれることも少なくない。だがセッペと話していると嫌な気持ちになることがない。
「したばたらき、とはどんなしごとですか?」
「お前、下働きわからねぇのか!?」
びっくりしたようにセッペがソレルを見た。ソレルは軽く首を傾げて頷いた。
「はい。ヴァシルさまのおそばのしごとしか、みたことがありません」
「お前、山で拾われてきたって言ってたけど、ここ来る前は何してたんだ?」
「とくになにも。ちいさかったのでえものもまだうまくとれませんでした」
「獲物? 親はなんの仕事してたんだ?」
「しごとはしていませんでした。やまでかりをして、じぶんたちでたべるぶんをとってくらしていました」
「山で狩り? 猟師か? 仕事してないってこたぁないだろうけど。山ならそういうこともあるのか? 俺は城下の下町育ちで街しか知らねえからなあ。山には山の暮らしがあるんだろうな」
「おやとはぐれてヴァシルさまにひろわれました」
「そりゃあ……」
何か言いかけてセッペは口を噤んだ。そして溜め息を吐くようにソレルを見る。
「街どころか農村の暮らしも知らないのか?」
「はい。やまからつれてこられて、おしろのそとにはでたことがありません」
「山からいきなり王族の側? そりゃ、混乱するよな。……下働きってのは、侍女とか侍従とか従者がやらないような掃除とか洗濯とか、……まあ料理もそうだな、そういう汚れたり力が必要な仕事のことだよ。お城で働いていても、王族に会うことなんか下働きじゃめったにないしな。平民の仕事だよ。普通は従者なんてのは貴族の行儀見習いだ。山からつれてこられたような子どもがやることじゃねぇんだよ、本来。やめちまった方が楽だと思うけどなぁ」
普通の人間なら仕事を変えることも可能なのかもしれないが、ソレルにその選択肢はない。使い魔は一生使い魔だ。主と契約してしまっているなら主が死ぬまで仕えるしかない。今の主が嫌なら別の主を探すしかない。だがソレルは別の主に仕える気はなかった。
それならばこの身分のまま、自分にできることを探すしかないのだった。
「う~ん、なら俺がお城にどんな下働きがあるか教えてやるよ!」
言うが早いか、セッペはぱっと立ち上がると奥にいた男達に大声で声をかけた。
「兄貴達、俺ちょっとこいつとでかけてきていいっすか!?」
「昼準備までには戻ってこいよ!」
「やりかけてる仕事、昼までに片づくならいいぞ!」
「もう終わりました! 昼までには戻ります!」
大声のやりとりにぽかんと見ていると腕を掴まれて立たされた。
「行くぞ!」
「え、どこへ?」
「下働きがどんな仕事か知りたいんだろ? 見た方が早い。俺が案内してやるよ!」
そのままセッペに引きずられるように厨房を出た。