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七日目(3)顛末

 ラドミール王子が席を立ち、円卓の周りをぐるりと回って腰が抜けたように座り込む弟に近づく。

 倒れた椅子を直すと、手を差し伸べてヴァシル王子を椅子に座らせた。


「さて、座り込んだままというのもね。パラディス、席を用意してあげて。あと、お茶を淹れ替えようか」

「――はい」


 パラディスは短く答えると、部屋の脇に用意してあった椅子を二脚持ってきて円卓の空いていた空間に置いた。そしてフェデリタースとソレルを立たせると、そこに座らせる。

 フェデリタースが焦ったように席を立とうとした。


「ど、同席など恐れ多い……、私は床で結構です!」


 その両肩を有無を言わせず、パラディスが押さえ込んだ。


「いいから、座れ」

「は、はい……」


 フェデリタースはディリエの横、ソレルはリュカスの横だった。

 パラディスがほとんど音を立てない動作で素早く人数分の茶を淹れ直す。

 護衛騎士なのに、侍従や侍女のように茶を淹れる動作が板についていた。いや、護衛騎士ではなく、使い魔か、とソレルは茫然と見つめながらも思い直していた。


 隣に座ったリュカスが気遣うようにソレルに小声で話しかけてくる。


「……怪我、しなかった?」

「はい、私は」

「……驚いたね。これ、知ってた?」

「いいえ」


 リュカスの言う「これ」が、パラディスが使い魔だったということなのか、それともこの茶番劇のことなのか、どちらか判然としなかったが、どちらにしてもソレルが知らないことだったから、「いいえ」という返答で問題ないだろう。


「……僕も」


 呟いたリュカスの前にカチャリ、と音を立てて茶器が置かれる。びくり、と震えて背筋を伸ばしたリュカスに茶器を置いたパラディスが苦笑した。ソレルの前にも置いてくれて、軽く頭を撫でられた。

 くしゃり、と混ぜられた髪をソレルはそっと押さえた。


 ――やっぱり、と思う。


 剣ダコができた長い指には初めて触れるはずだが、ソレルはこの人を知っている、と強く思った。


 全員にお茶が行き渡り、パラディスがラドミール王子の後ろに立つと、王子は微笑を湛えた静かな声で口を開いた。


「ヴァシル。私がなぜ、怒っているかわかるかい?」

「や、やっぱり怒っていたのですか……」


 ヒクッと頬を強ばらせ、ヴァシル王子が呟く。


「……フェデリタースが何か失礼をしたのでしょうか?」


 恐る恐る兄に問いかけると、ラドミール王子は一層笑みを深くした。


「フェデリタースじゃない。私はそなたに怒っているのだよ」

「わ、私が何か?」

「その使い魔がいらないなら、私にくれないか?」

「へ、はい?」


 ぽかん、と口を開いて、ヴァシル王子が間の抜けた声を出す。


「ソレルのことだよ。パラディスから聞いた。面倒を見られないなら、ソレルをこちらに貰い受ける」

「め、面倒? あの、どういうことでしょうか、兄上? ソレルの面倒はちゃんと――」

「ちゃんと、とは言えない。ソレルは王城に来てから、半年放置だと言うじゃないか」

「放置……、そんな。毎日顔を合わせてますし、寝る時も一緒です」

「ヴァシル……、自分が可愛がるだけじゃ、ただの愛玩動物だよ。使い魔の主とは言えない」


 ラドミール王子は深く溜め息を吐いた。

 ちらり、とパラディスを見る。頷いて、パラディスが指折り数えながら問題点を上げていった。


「食事の作法を教えていない。読み書きや勉学を教えていない。私室を与えていない。『役立たず』などと侍従や侍女や他の従者に言わせることを諫めない。自由に飛ぶことを許さない」


 ヴァシル王子はどんどんと顔を青くしていき、唇を噛み締めた。


「知りません、でした。侍従たちがそんなことを? 勉学はフェデリタースはあまり好きではないようでしたから、ソレルには強要はしませんでした。剣や馬も得意ではないようでしたし、無理をする必要はないと、王城内では自由にさせているつもりでした」


 ヴァシル王子なりの理由があったが、今となってはただの言い訳にしか聞こえない。


「ヴァシル。王族は知らない、では済まされない。自分に仕える者の動向には隅々まで目をやり、正しくないなら諫めなくてはならない。それに、兄弟だからといって、私とヴァシルじゃ好きなものも得意なものも違うだろう? それと一緒で、フェデリタースとソレルも同じじゃないんだよ。ソレルが同じ枠に嵌められることがどれだけ苦しくて、己を不甲斐なく感じられたことか。――ラルス、梟の使い魔について説明してやってくれ」

「ええ、いいですよ」


 ラルスは緩く滑り落ちた髪を払うと、にやりと笑って、ごそごそとどこからか書類の束を取り出した。


「えー、こほん。それでは私が超絶忙しい最中、王立図書館やら魔法騎士団やらにわざわざ足を運んで苦労して調べたこの膨大な資料から……」

「前置きはいいから、さっさと言う」


 ラドミール王子に冷たい視線でピシャリと言われて、応えた風でもなく軽く肩を竦めた。


「はい。――梟の使い魔というのは、知識欲の塊ですな。本を与えれば与えるほど読みますし、どんどん覚えるようですよ。さすがは森の賢者。一国の法律もどんな戦略も瞬く間に覚えてしまう。軍師として側に置けば、あっという間に敵国を落とした、という古い記録もありました。官吏仕事をさせても優秀でしょうね。――ねえ、私にくれませんか? 魔力がないと、契約ってできないんでしたっけ? 部下に欲しいです」

「ラルス」

「――はい。で、魔法騎士団に確認したところ、今現在梟を使い魔にしている者はいないので具体的なことは聞けませんでした。梟は賢いので、そもそもよっぽどのことがない限り、使い魔にはならないようです。ぜひ、見せてくれ、と躙り寄られて閉口しました。ヴァシル殿下は魔法使いの教師がついていますよね? なぜ、その者がソレルのことを知らないのですか?」

「訊かれていないから……、そういえば周りの者にはソレルが使い魔だとは説明していないな。変化するのも人前ではしないから、ソレルのことはただの従者だと思っているのかも……」


 ラドミール王子が再び深く溜め息を吐いた。


「なぜ、説明しておかない? フェデリタースは使い魔だとちゃんと皆知っているのに。知らないから、侍従たちが侮るのではないか。魔法の教師にしたって、知っていたら梟について教えてくれただろうに」

「無理に働く必要はないと思ったのです。ソレルは人型にも慣れていないし、もう少し慣れてからでも、と。……それに、私は鳥の姿が好きだから、むしろずっと鳥でいてくれてもいいな、って」

「ヴァシル……」


 ラドミール王子は困ったように弟を見た。


「愛玩したいなら、魔力のない普通の鳥を連れてくるべきだよ。ソレルは使い魔として連れてきたのだから、責任を持って使い魔として育てなくてはいけない」


 兄に諫められて、ヴァシル王子は俯く。


「――はい、その通りでした」

「ということで、ソレル」

「は、はい?」


 突然ラドミール王子に呼びかけられて、ソレルが目を瞬く。


「私に仕えないかい? 新しい名前をあげるよ」


 主が名前を与えて、それを受け入れる。それが使い魔とその主の間の契約だ。使い魔になってしまえば、大抵が一生を主と過ごす。契約を交わした――名前を受け入れた瞬間から主の生に縛られる。本来の獣の寿命とは関係なく、主の死までその関係は続く。主が死ねば、使い魔も死ぬ。


 契約するとき、いくら幼くても使い魔になる素質のある生き物は本能的にそれを知っていた。

 ソレルも誰に教えられなくても、それだけはわかった。それだけの覚悟を持ってヴァシル王子と契約したのだ。


 何を置いてもこの人に仕えたいと、直感的に思ったから与えられた名を受け入れた。

 ただひとつ、この契約から逃れるとすれば他の魔力ある人間に与えられた名を受け入れればいい。

 主を変えれば、ヴァシル王子の生には縛られず、新しい主の使い魔として生き続けることもできる。


 ヴァシル王子が弾かれたように顔を上げ、立ち上がってソレルに走り寄った。そのまま、ぎゅっとソレルの頭を抱きしめた。


「あ、あげませんッ! たとえ兄上でも、ラルスでも! ソレルは私の使い魔です!」

「ヴァシル。そなたに選択権はないよ。使い魔というのは本来縛れるものではないんだ。選ばれるのは私たちの方だ。相応しい主でないなら、主は続けられない。――さあ、ソレル。どうする?」


 それでもヴァシル王子は手を離さない。ぐりぐりと顔をソレルの頭に押し付けて、嫌だ、というように更にぎゅっと抱きしめてくる。

 ソレルは息が詰まりそうで目を白黒させながら、それでもヴァシル王子の腕をそっと掴んだ。


「ソ、ソレル?」


 ヴァシル王子の腕がびくりと震えて少しだけ、緩む。自らの使い魔の顔を涙が浮かんだ不安そうな目で覗き込んでくる。


 ――ああ。


 ソレルはもうそれだけで胸がいっぱいになる。


 不安そうな主に、思わず笑みを浮かべていた。


「ソレル、兄上を選ぶの?」


 ソレルは王子の腕の中で頭を振った。


「ヴァシル様、はなしてください」

「嫌だっ!」


 再び力が入った腕をぽんぽんと軽く叩く。


「大丈夫です。はなしてください」


 しぶしぶ離れるヴァシル王子に、どうしてだかさらに笑いたくなって、くすくす笑みを漏らしてしまう。

 そして、微笑んだまま、ラドミール王子をまっすぐに見た。


「新しい名前はいりません。私の名前はソレルです」

「――そうか」


 ラドミール王子は優しく息を吐くと、やっと冷え冷えとはしていない、朗らかな笑みを見せた。明るく笑うと、この人もやはりヴァシル王子に似ている、という感じがした。


「それは、残念だ。せっかく梟が手に入ると思ったのにな。私の方がヴァシルより本が好きだし、私の側の方が楽しいと思うよ?」

「――ありがとうございます。でも私はヴァシル様のおそばがいいのです。ソレル、という名前が気に入っています」

「ソレル!」


 感極まったようにヴァシル王子がその名を呼んで、ぎゅっと抱きしめた。


「ごめん、ごめんよ、ソレル! 大事にするって約束したのに! 勉強する、もっと使い魔についてちゃんと知るから! だから……!」

「はい。大丈夫ですよ、ヴァシル様。ちゃんと、そばにいます」


 ソレルは可笑しくなって笑った。

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