五日目(1)衝撃的な思いつき
翌日も朝食を終えると厨房へ行った。
覗けば、今日もセッペが手を上げて招いてくれる。数人いる別の男達にも声をかけられたから、だいぶソレルがいることに違和感がなくなってきたようだった。
セッペの隣で刃物を使った野菜の皮剥きをやらせてもらう。今日は最初から賄い用のものだったようで、多少不格好でも構わないそうだ。安心して刃物を動かす。
少しずつ、まともに剥けるものが増えてきた。
「……お前、覚え早いな」
セッペが驚いたように呟いた。
近くにいた男達もソレルが皮剥きをしていると寄って来て、剥いたものを手に取って頷く。
「使えなくはない。昨日初めてやり始めたにしては上等だな」
まだ王族用に使えるほどではないが、賄い用としては悪くない出来だと褒められる。
ソレルは手を止めると、目を瞬いた。
「刃物を使って、ほめられたのは初めてです」
もっとこうするといい、と男達がああじゃない、こうじゃないと言いながら次々に細かい使い方を教えてくれた。
「……兄貴達、ずりぃ。俺にはそんなに丁寧に教えてくれないのに!」
唸りながらセッペが食い入るように見ている。
「お前は見て覚えろ。忙しい時に丁寧になんかやってられるか」
「ぐっ……、ずりぃ」
男達は豪快に笑う。
セッペ達のやり取りをぼんやり見ながら、もしかして、と思う。
――もしかして、フェデリタースは教えるのがうまくないのかもしれない。
それは衝撃的な思いつきだった。
ソレルにとって、フェデリタースはなんでもできる完璧な使い魔だった。剣も乗馬も上手く、食事の作法や身のこなしも問題ない。できないソレルを見放したりしないし、失敗の後始末もしてくれる。食事も本来なら他の者がとるのと同じ時間にとれるのに、わざわざソレルと同じ時間に合わせてくれている。よく面倒を見てくれていると思う。
しかし、セッペ達やリュカスと接してみて初めてわかった。
――フェデリタースは教えるのがうまくない。
自分ができることをソレルがなぜできないか理解できないらしい。考えずにできるから、どう教えていいのかわからないようだった。
そして圧倒的に言葉が足りない。
ソレルの言葉が足りないところは間違いなくフェデリタースに似たのだった。
人の姿を不便だと感じる原因の大半は自分の不器用さにあるが、教育を請け負ってくれているフェデリタースにも多少の責任があったのだ。
フェデリタースに足りないところがある、という思いつきはソレルを呆然とさせた。
同時に、僅かに安堵するような不思議な気持ちもあった。見上げるばかりの存在と、初めて同じ場所に立っている気がした。
「どうした?」
セッペに尋ねられ、ソレルははっとして物思いから浮上し、ゆるく首を振った。
「――いいえ。あの……、食事の作法はどうしたらよくなるでしょうか?」
野菜の皮剥きのような刃物の使い方を覚えれば、少しは手指の使い方に慣れるかもしれない、という期待もあった。
「食事? の、作法?」
意味がわからずきょとんとした眼差しを向けられて、ソレルは普段の食事の様子を話す。
「食器がうまく使えなくて」
「ああ~、それは俺には教えらんねえよ」
食事の時間をずらされることや、複雑な食事の作法がなかなか覚えられないことに、セッペは同情を寄せてくれた。気の毒そうにはしながらも、困ったように唸る。
「貴族の作法だろ? 俺だって、味の勉強のために高級店に入れるように一通りは教えてもらってるけど、それだって平民が行く中ではちょっと上等なところ、ってくらいだ。お貴族様と同席できるほどじゃねえしなあ……」
男のひとりが頷いた。
「中途半端なことは教えねえ方がいい。余計に笑われるだけだ。ユリーちゃんに相談してみたらどうだ?」
セッペも頷いた。
「それがいい。王族の侍女なら貴族の作法も知ってるだろ? 親しいんだろ? 羨ましいぜ」
「親しいかといわれると……」
ソレルは曖昧にしか頷けない。
親しいかと問われれば、ユリーのことはほとんど知らなかったから、親しいとは言えないのかもしれない。
ただ、フェデリタースにこれ以上教えてもらうことが難しいなら、他の方法があるかを聞いてみることはできるかもしれない。少なくとも一週間は毎日会えるはずなのだ。
「頼みにくいなら俺が頼んでやってもいいぜ? ユリーさんにここに来てもらえるならいくらでもやるぜ!」
セッペが力強く言った。
厨房の人達はやたらとユリーに会いたがる。
「話してみます」
頷いたソレルに「よっしゃ……!」とセッペが拳を握って喜んでいる。男達も焼き菓子を焼く数をこっそり増やさなければ、などと嬉しそうに話している。
そして、笑顔の男達に焼いた腸詰め肉を串に刺したものを渡された。横では手を止めたセッペが即座に頬ばっている。良い匂いにつられて、ソレルも礼を言って受け取ると同じように食べようとして口を開けたところで、はっとして動きを止めた。
「あの……、これは『賄賂』ですか?」
「は!?」
全員に「何を言っているのか?」という目で見つめられた。
「お前に賄賂渡してなんかいいことあるのかよ? あ、ユリーさんと仲良くなれるとか!?」
不思議そうに呟いたセッペに、他の男達が吹き出した。
「違いねえ! それなら、立派な賄賂だな!」
「ずいぶん不確実な上に、やっすい賄賂だな、そりゃあ」
「そうだよな、どうせ捨てる物を仲間内で処分してるだけだが、それで賄賂になるなら安いなあ!」
男達にはまったく見返りを求められてなかったようだ。
困惑して、ソレルは美味しそうに焼き色を付けた腸詰め肉をじっと見つめる。
「……賄賂でないなら、これは『餌付け』?」
真剣に肉を見つめて聞くソレルに全員が一斉に「ぶはっ!?」と吹き出す。
「え、餌付け!?」
「餌付け! 確かに違えねえ! お前、結局毎日来てるもんな!」
セッペにゲラゲラ笑われた。
男の一人が笑いながら頷き、少しだけ真面目な口調に戻って説明してくれた。
「餌付けっちゃー餌付けだが、気にするもんでもねえよ。余った食材は俺達も持って帰っていいことになっている。少しでも傷んでたり形が悪いものは王族には出せねえ。かといって捨てるにも廃棄料ってのがかかるんだ。なるべく廃棄を出さないように決められてて、傷んだり使えないものは料理人の中で処理する。それを転売したりしたら罰せられるが、賄いにした上で余るなら、人にやる分には問題ないという契約になってるんだ。みんな家族や近所に配ったりしてるぜ。その一部をお前がもらっても気にするこっちゃない」
男達はソレルの背を軽く叩いたり、頭を撫でたりして口々に「気にするな」と言ってくれた。「早く食え」と促されて、ソレルは腸詰め肉を口にした。
つやつやしてパリッと張った皮は、噛めばプツリと破れる。肉汁が口の中にはじけ、あっという間に夢中になった。咀嚼して、ごくりと飲み込んだソレルの頬は我知らずふわりと緩んでいる。
「食べ盛りなんだから、黙って食っときゃいいんだ。まあ、気になるなら少しセッペを手伝ってやればいいぞ。仲良くしてやってくれ」
セッペとソレルを残して、男達は笑って休憩に戻っていく。
急に静かになった厨房で、セッペはまた野菜の皮剥きを再開した。
「お貴族様はどうか知らねえけど、下町じゃあ、上のヤツが下の面倒を見るのは当たり前だ。兄貴達にとったら、お前も俺も大差ないんだろうよ。俺だって、家に帰れば弟や妹や近所のガキに食べ物を奢ってやったりしてるぜ。……ここじゃあ、一番下っ端だからもらうばっかりだけど。お前もいつか自分より下のヤツに同じようにしてやればいいんだよ」
「同じように……?」
本人に返すのでなく別の者にしてもらったことを返す、という方法があるのか、とソレルは心に留めた。
いつか誰かに返したい、と思った。
「知らないヤツにひょいひょい物をもらうのは気をつけた方がいいけどな」
セッペによれば、下町では小さな子どもが菓子などにつられて誘拐されることがよくあるという。
「ゆうかい……」
「お前くらい大きくなってれば誘拐されることもないだろうけど……、悪いヤツに誘われることはあるかもしれねえな」
「悪いやつ?」
「最初は優しい顔していろいろくれたり、庇ってくれたりするけどよ、恩を感じさせて信用した頃には抜けられなくなってて犯罪の片棒担がされたり、罪を被せて身代わりにされたりするんだよ。……あ?」
言いながらセッペは何か気づいたように声を上げる。
「ちょっと待て……、あれ? 俺達とやってることがそんなに違わない……!? いや、犯罪者じゃねえけど!? 犯罪はさせねえけど!? 仕事手伝わせてる!? タダで! ええと、違いってなんだ!?」
ひとりで混乱して自問自答するセッペに、ソレルは吹き出した。セッペがばつが悪そうに、少しだけ赤くなった。
「……まあ、お城の中ならそんなこと気にしなくて大丈夫だと思うけどな。お城の下働きってのは身元がしっかりしてるヤツしか雇ってもらえないから、悪いことに誘われることはめったにない。でも貴族や役人にはずる賢いヤツもいるからなあ……」
セッペはそこで言葉を切り、ふい、とソレルと反対側に視線を落とした。
「……いっそ、料理人になっちまえよ。そうしたら俺や兄貴達が弟分として守ってやれるのに」
セッペの呟きに、ソレルは応えられなかった。
――ヴァシル様のお側を離れるという選択肢はない。
優秀な人が、優秀な教師とは限りません。
できる人、というのはできない人の気持ちがわからないこともあります。
その教師が悪いわけでもないのがなんとも如何ともし難いことですが。
でも、できない子にも根気よく寄り添ってもらいたいよね……。




