四日目(1)洗濯婦の話と野菜の皮剥き
翌日の朝食を済ますと、ソレルは昨夜フェデリタースが籠を持っていったところに行ってみた。
ちょうど二人の洗濯婦が作業をしているところだった。ひとりは白髪混じりの灰色の髪をひっつめた痩せぎすの女で、もうひとりは毛先が赤茶けた茶色の髪を括ったふくよかな女だった。少し離れたところからしばらくその作業の様子を眺めた。
二人は大きな台車に積まれた大きな籠に汚れ物を入れ、空になった籠を元あった場所に積み上げていく。台車は二段になっており、汚れ物を回収すると、下の段に置かれていた綺麗に畳まれた洗濯物を所定の棚に納め始めた。
その辺りで、ソレルは二人に近づいて声をかけた。
「こんにちは」
仕事に集中していた二人は台車の反対側から近づいたソレルに気づかなかったようで、声をかけられると「ひゃ!?」と、飛び上がるように驚き、従者のお仕着せが目に入ったのか、すぐさまそこに跪いた。
従者のお仕着せを着ているのは大抵貴族や騎士の子息だ。下働きの洗濯婦が顔を上げていい相手ではない。しかし、ソレルはそれに驚いて慌てて声をかける。
「すみません、じゃまをするつもりはなかったのです。おしごとをつづけてください」
二人はその声に恐る恐る顔を上げる。そこに立っているのがソレルだと気づいて「あれ?」と小さく声を上げた。
「昨日、セッペが連れていた子かい?」
ソレルが頷くと二人は胸をなで下ろすように息を吐いて立ち上がった。昨日飴を口に入れてくれたり頭を撫でてもみくちゃにしてくれた洗濯婦達だった。
「はい。少しきいてもいいですか?」
「なんだい?」
「こういう、ふくを出すばしょはほかにもあるのですか?」
「そうだね。城中に何カ所もあるよ」
「そのふく、あらうとき、まざらないのですか?」
「まざる?」
二人は首を傾げて顔を見合わせた。ふくよかな女の方が、思いついたかのように声を上げた。
「他のところの洗濯物と混ざらないかってこと?」
「はい。いろいろなところのものをあつめてくるのですよね? よくまちがえないな、とおもって」
「ああ、場所ごとに籠の色が違うから。色さえ間違えなければ混ざることはめったにないよ」
痩せぎすの女が籠を指差しながら説明してくれた。フェデリタースが持ってきた籠は持ち手に赤い札が付いている。汚れ物を出す籠も、空になった籠も色のついた札が付いていた。
台車に載せられた回収用の大きな籠にも同じ色の札が付いていて、集める場所ごとに籠を変えて、それごとに洗ったりするようだ。
畳まれた洗濯物も色別に仕分けられ、同じ色のところに戻される。
「あたし達は字は読めないけど、この刺繍が名前なんだろ? たとえ間違ってても、刺繍を見て自分のじゃないってわかるらしいよ」
お仕着せや手巾など洗い場に頼むものにはすべて名前の刺繍が入っている。たとえ違うものが混ざっていてもわかるようになっていた。
「まあ、城住みの従者は少ないし、この場所に出すのはあんた達くらいだから、これに限っては間違えることはないけどね」
洗濯婦達は笑ってフェデリタースやソレルのお仕着せを棚に納めてくれた。
「ちょくせつ、あらいばにもっていったほうがいいですか?」
集める手間がなくなるだろうか、と思ったから訊いてみたが、二人は不思議そうにソレルを見た。
「あんたが毎日持ってくるってこと? どうだろうね。個別に出されるよりはこうしてまとめておいてくれる方が手間がなくて楽かもね。ひとつだけ札無しだと洗いあがった後がわかりづらくなるから」
痩せぎすの女が答えてくれる。
「仕事には決まった手順があるからね。例外ができると逆に混乱することがある。今まで通りが一番さね」
「そうですか……」
ふくよかな女がどこにしまってあったのか飴を出して、眉を下げていたソレルの口に放り込んだ。
「あたし達の手間を考えたのかい? ありがとうね。ただ、これも給金のうちだよ。あんたが気にすることじゃない」
頬をぽこりと膨らませて飴を口の中で転がしているソレルの頭を二人は交互に撫でた。
「あんたはあんたの仕事をしな。まあ、手ぶらでいいからたまには洗濯場にも遊びにおいで」
「じゃあ、続きがあるから行くね」
「ありがとうございました」
手を振って去っていく二人にソレルは丁寧に頭を下げてから見送った。
ソレルはそのまま厨房に向かう。
昨日と同じくらいの時間だから、厨房は休憩中のはずだ。
セッペはいるだろうか、と入り口から覗くと、閑散とした厨房の片隅で昨日と同じように大量の野菜の皮を剥く赤茶髪の少年の姿があった。
「こんにちは」
入り口から声をかけると、セッペが顔を上げ片手を上げた。
「おお。今日も来たのか」
上げた手が入ってこい、というように手招きする。ソレルはにこりと笑ってセッペに近づいた。セッペが近くの椅子を指で示すので、昨日と同じようにセッペの隣に椅子を持ってきて座った。
「きのうはあんないしてくれて、ありがとうございました」
「いや、たいしたことしてねぇし」
「少し、見ていてもいいですか?」
「そりゃあ、構わねぇけど。昨日も見てたけど、ほんとに面白いのか?」
「はい。かたちがどんどんかわるのがおもしろいです」
「ふうん? ならちょっとやってみるか?」
「はい?」
セッペは一度手を止めると、似たような小さな刃物を持ってきてくれた。
土色をした丸くて固い拳大の野菜を渡してくれる。
右手に刃物、左手に野菜。困ったようにソレルは手の中を見た。
「やったことねえか? こう持って、こう刃をあてて……、そう。親指は軽くあてて」
すぐ横に並び、ソレルに手の形を見せながら教えてくれる。
「力はあんまり入れないで、刃を立てるんじゃなくて……、そう、もう少し寝かせて。切るって思わないで、表面を撫でるみたいに。ゆっくりでいいから」
ソレルは手を震わせながら、セッペの言う通りに刃を動かす。身をかなりの量つけた分厚い皮が剥けた。むしろ、身はあまり残っていない。
ぶらん、と皮を持ち上げて悲しそうな顔をするソレルにセッペはくくく、と笑った。
「……うん、まあ初めてならうまくできた方だよ。俺よりうまいぜ。お前才能あるかもな」
「でも、これは」
「う~ん。王族の料理には使えねえなあ。賄い行きかな」
しょげるソレルの向こうから、奥にいた男が声をかけた。
「おおい、お前ら! 肉食うか?」
「食いますッ!」
セッペがぱっと顔を輝かせて即座に返した。串に小さな肉をいくつも刺したものを持って男が近づいてきた。
「脂身多くて王族の肉料理には使えねえクズ肉だけど、捨てるのももったいねえからあぶってやるよ。……うん? ぼうず、何しょげてやがる?」
ソレルが悲しそうな顔で剥いた皮と身を見つめているのを取り上げて、男もにやりと笑う。
「初めてやったのか? 初めてなら上出来だな。セッペは初日は指切って、何にもしないで泣きながら帰ってたからな」
「泣いてねえっすよ! ……指切って帰ったのはほんとだけど」
「嘘つけ。涙目だっただろうがよ」
「……な、泣いてはねえっす……! 涙目だったのはほんとだけど……なんつーかそれはええと」
「セッペが? こんなに上手なのに?」
セッペが剥いた山を差してソレルが尋ねれば、男はにやにやとセッペを見ながら頷く。
「下手もヘタ。使えなかったぜ~。まあ今もまだまだだけどな~」
「わかってますよ! 肉焼けてます!」
「おっと!」
あぶっていた肉を取り上げさっと塩を振ると、二人に一本ずつ渡してくれる。香ばしい匂いがあたりに漂う。
二人はゴクリと唾を飲み込んで、脂の滴る串焼き肉を見つめる。
肉の前に人は無力だ。どんな高尚な悩みも吹き飛んでしまう。
脂身が多い部位とあって、柔らかい。焦げた脂の香りは食欲を誘う。ソレルの親指の先程の小さい肉だが、香ばしくておいしかった。クズ肉と言われたが、こんなに美味しいものを食べられないなんて、王族ももったいない、とソレルは思う。
「毎日毎日死ぬほど練習すれば、誰だってうまくなるんだよ」
男は軽く笑って、夢中で食べているソレルの頭を撫でた。
ごくん、と最後の肉を飲み込むと、ソレルは少し首を傾げて男を見返した。
「わたしでも、できるでしょうか?」
「練習すればな。何事も練習。繰り返し練習。そうすりゃあ、誰でもある程度はうまくなる。興味あるならやってみな。まあまず今日のところはウニオの皮剥きでもやっとけ」
「それ、手で剥けるやつですから! つうか、兄貴の今日の担当分じゃないですか!」
セッペのツッコミにも動じず笑って、茶色の丸くて中央がぴょこっとのびた野菜がどっさり入った籠をドン、と目の前に置いてくる。
「何事も経験だ! セッペ責任持って一緒にやれよー!」
「兄貴の責任は!?」
「お前に任せた!」
「ええ!?」
二人で大量の野菜の前に残されて、セッペがげんなりした顔で、はあっと溜め息を吐いた。
「……お前、時間あるか?」
「昼までなら」
「そんなにかからないと思うからさ、手伝ってもらえないか?」
ソレルは頷いた。
「あ、剥くのは茶色い皮だけでいいんだよ! 白いとこまで剥いたら食うとこなくなるだろうが!」
ウニオの皮は手で剥ける。中心部に向かって皮が幾層にもなっているようで、薄い皮を剥くとまた下に薄い皮があった。ぺろぺろと剥いていくとだんだん皮の色が薄くなり、白い色になった。そうなっても剥いていたらセッペに怒られた。
綺麗な白色をした丸い野菜にソレルはほうっと息を吐く。自分の手で変化させたことに嬉しくなった。刃物を使うよりずっと簡単だった。剥いたものを盥より少し小さい金属製の丸い容器に積み上げていく。増えていくことに満足感があった。
にこにことして次々と剥いていった。
「……楽しいか?」
「はい」
「そうか、そりゃ良かった。こっち終わったら一緒にやるから」
「はい」
ソレルはそういえば、と思い出してセッペに尋ねた。
「さっき、洗濯場の人たちにあいました」
「ああ、うるせえおばちゃんたちな」
「よごれものをあつめているところで」
「うん」
仕事の手順が狂うと混乱する、という話をセッペにする。するすると皮を剥きながら、セッペはああ、と頷いた。
「まあ、そういうこともあるかもな」
「これはセッペのてじゅんをくるわせていませんか?」
「うん?」
今の自分の行動が、邪魔になったり、給金分の仕事を奪うことにはならないか、とソレルが尋ねた。
「うーん、どうだろうな。今は休憩中だし、一緒にやれば早く済むからこっちとしてはいいんだけど。ただ、昼準備とか夜準備なんかの時に皮剥き教えてくれって言われるのは困るな」
要は、優先順位の問題だという。
ソレルにはその優先順位の付け方がわからない。
「何か手伝いたかったらその都度きけばいいんじゃねえ? おばちゃんたちは手が足りてたんだろ? 手が足りなきゃ、やって欲しいことを言うだろ」
とりあえず訊いてみろ、というセッペにソレルはわずかに首を傾げた。
「何を手伝って欲しそうなのか、見てるだけでわかるようになるには時間がかかる。そういうのが得意なヤツもいて最初からできるヤツもいるけど……。仕事内容がわからねえと、普通はそんなことできないんじゃないか? 嫌がられてもその都度きけばいいんだよ。たぶん」
少なくとも自分はそうしている、とセッペに何でもないことのように言われて、ソレルはそうなのか、と納得した。
――わからないことはきけばいい。
その当たり前のことがソレルには新鮮だった。