三日目(5)王宮組織の説明と辞書の使い方
組織一覧は本というよりも書類の束だった。それほど厚くはなく、紙束を紐で括った簡単なものだ。
「じゃあまずは今いるのがどこか。ソレルは図書館は初めて?」
「はい。ほんがたくさんありますね」
「そうだね。図書館は、ここ」
見取り図の中央付近を指差す。
「おうりつとしょかん。としょ、ふ?」
書かれた文字をソレルが読む。
「そう。王立図書館は建物の名前。図書府という組織に属している、国の機関」
リュカスの指が、組織一覧の中から『図書府』を差した。
「くにのきかん……」
「官吏が運営している。王城の官吏はみんなあの臙脂色の服を着てる」
リュカスが先ほど資料を受け取った台の中で立ち働く人達を指し示す。
「臙脂の服を着た人を見たら官吏だと思えばいい」
「かんり、とはなんですか?」
「役人……、ええと、国王陛下のお仕事を助け、自分の利益のためではなく国民のために働く人のこと、かな」
「かんりのあるじは、こくみん?」
ソレルの問いにリュカスが目を瞬いて見返し、そしてふわりと笑って頷いた。
「……そう、国王陛下であり、国民かな。国王陛下は国民のために頑張っていらっしゃってるから。それをお助けするのが仕事だね」
あるいは別の人間がそれを説明したなら、別の答えになっただろう。リュカスはアーヴェル家の教えを口にしていた。それは建国より語られる王と官吏の心構えだった。
ソレルは見取り図をじっと見た。
下半分は『本宮』と書かれた大きな長方形の囲いで、そのすぐ上、図で言うと中央部分に図書館がある。図書館を挟んで左側に『西離宮』、右側に『東離宮』、上に少し広い『北離宮』が書かれていた。
図書館は『西離宮』と書かれた囲いと線で繋がってはいたが、どちらかというと『本宮』と書かれた囲いに近接してあった。
これはもう、本宮の一部と見るのが正解ではないだろうか、とソレルは思う。
「ほんぐう……」
「本宮は国王陛下が政務を行うところ」
「せいむ?」
「政務とはお仕事だね。本宮は陛下が政務を行うため、官吏のいろいろな部署が集まってる場所」
西離宮、北離宮、東離宮には大きな囲いがある他はほぼ何も書かれていないのに対し、本宮は事細かに記入されていた。その文字を辿れば、組織一覧にも同じ記述が見つけられる。
「図書館は知識を守るところ」
「ちしきをまもる……」
「国内外のいろいろな本や情報をまとめて保存し、本宮の仕事の助けになる。それと同時に王族をお育てする知識を提供する。王子殿下はたくさんの勉強をされているだろう? ここにある本はその勉強に役立つ。だから本宮の一部であり、各離宮からも直接行けるよう通路が通じている。従者なら自由に利用できるよ。従者が使えないでは仕事にならないからね」
「したばたらきはつかえないのですか?」
「下働き? 下働きは字が読めない者も多いから、必要ないと思うけど……。貴族なら登録すれば役職がなくても使えるけど、平民の下働きは基本使えないね。ただし仕事上必要で、保証人となる貴族がいて、特別に認められた者は登録できる」
たぶんセッペには貴族の知り合いはいないだろう。友人はこの知識の宝庫に立ち入ることはないのだ、とソレルは不思議な気持ちになった。
「国の組織は三府五省からなる。図書館が属しているのは、図書府。三府のうちのひとつ」
それから、リュカスは順番に組織一覧の記述を読み上げ、簡単な職務の説明をしてくれた。最後に、五省のうちの『内務省』のところを指差した。
「ソレルが普段いるのは西離宮。西離宮を管轄するのは内務省西宮部。侍従や侍女は身分で言えば内務省に所属する官吏だよ。臙脂の服は着ないけど」
ソレルはリュカスの指先を見つめ『従者』の文字を探したが、どこにも見つからなかった。
「じゅうしゃ、がかかれていません」
「従者は侍従や侍女と一緒に働くし、似たような仕事もするけど官吏ではない。王族個人が私的に雇っている者だから」
「かんりではないなら、あるじはこくみんではない?」
「ソレルは誰を主だと思っているんだい?」
「わたしのあるじはヴァシルさまです」
「そう。その違いと意味を考えてみるといいと思うよ。ーーさて、こんなところでどうかな、ジョルジュ?」
「大変結構です」
満足げに微笑んで、ジョルジュはリュカスから会話を引き取った。辞書を取り上げ、ソレルに使い方を教えてくれた。
「わからない言葉はいちいち引くといい。言葉は小さな塊の集合、組み合わせだよ。小さく分けて引いていくと、より意味がわかりやすくなる。説明でわからない言葉があったらまた引く。辞書を使いこなせれば人の言葉がもっとよくわかるようになる」
ジョルジュがためしに『王立図書館』の『王立』を引いて見せてくれた。そこには「国王が公のために設立、運営するもの」とあった。『図書』を引けば「本、巻物、木簡、石版などの資料」とある。『館』を引けば「建物のこと」という説明がある。『王立』の後ろを見ていくと『王立騎士団』や『王立図書館』という項目もあった。
「なるほど……」
面白い、と思った。今まで耳をすり抜けていた言葉に次々と説明がついていき、平板だった世界にくっきりと色がついていくようだった。文字を引くと、その言葉に関連した別の言葉、似た言葉が次々と引き出され果てがない。
ソレルは夢中でいろいろな言葉を引いた。
辞書の中は沼のようだった。ずぶり、と片足を入れればゆっくりともう片足も沈み、やがて肩も頭も沈みこんでいく。束の間、言葉という泥に浸かりこんでいた。
ジョルジュはしばらくその様子を眺めていたが、四半刻ほど経つと声をかけた。
「今日はこれくらいにしようか」
ソレルは物足りなくて、資料とジョルジュの顔を交互に見る。
「もう少し、よんでいてはだめですか?」
「私はもう戻らなくてはならないけれど、ソレルがひとりでも大丈夫なら閉館までは読んでいて構わないよ。帰る時に、それを忘れずにさっきのところで返していくんだよ。夕食には間に合うように戻らなくてはならないよ」
「はい、わかりました」
そこで自分の資料に目を落としていたリュカスが二人を見た。
「ソレル、僕は閉館までここにいるから何かわからないことがあったら聞くといい」
「そうですね。リュカス様、お願いしても?」
「ああ、構わない。閉館は夕刻だから、閉まるまでいても夕食を食べそびれることはないと思うよ」
「ありがとうございます。それではお願いします。――ソレル、また明日」
ジョルジュはソレルをリュカスに預けると、図書館を出て行った。
組織一覧を見ながら、いろいろな言葉を辞書で引いていく。時折辞書を引いてもわからないことがあればリュカスに聞いた。リュカスは嫌な顔ひとつせずに、その都度答えてくれた。時間はあっと言う間に過ぎていった。
閉館は夕刻、臙脂の服の者が手で持てる小さな鐘を鳴らしながら歩いて回っていた。これなら読書に集中して外の鐘の音に気づかない者も嫌でも気づく。
リュカスに促されてソレルは資料を受付に返しに行った。図書館で働く官吏は『司書』というのだとリュカスが教えてくれた。辞書で引けば「図書館などで図書の管理をする者」という説明がある。
ソレルが司書に資料を返す横で、リュカスは本を積み上げ、何か書類に記入をしている。それを見ていると、書類を司書に渡したリュカスが積み上げた本を再び抱えた。
「それはかえさないのですか?」
不思議に思って尋ねると、リュカスは頷いた。
「貸出手続きをしたんだ。一定期間図書館から持ち出して手元で読むことができる」
そんなことができるのか、とソレルが驚いたようにリュカスを見た。
「じしょは……」
「ソレルが今日見てた資料は持ち出し禁止資料だから無理だよ」
「そうなんですか……」
目に見えて肩を落としてしゅん、とするソレルにリュカスが軽く笑った。
「辞書が気に入ったのか。でも辞書類は特に高価だし頻繁に調べものに使われるから無理なんだよ。その代わり、ここに来ればいつでも使えるからまた来ればいいよ。あと、僕は大抵午後のお茶の後は毎日のようにいるから、わからないことがあれば声をかけてくれていいからね」
じゃあ、また、とにこりと笑うと、リュカスは南側の出口から帰って行った。