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天使の歌

神木 鈴音


 ボクが生きてきた一八年間、ボクは、一度もこの世界がどういった色をしているのか知らずに生きてきた。周りの人は、そのことを不自由だとか、かわいそうだとか思うのかもしれないけど、ボクにとっては、これが普通で当たり前のことなので、自分のことをそんな風に思ったことはない。

 ただ、ボクのことをそんな風に認識している人と、自分の間には超えることがどうしてもかなわない壁みたいなのがあって、それがなんだか無性に悲しかった。もちろん、それは目が見えないからっていう物理的なものではなくて、もっと意識的なものだ。

 なんだか、それが寂しくって、寂しくってボクから言葉を奪ってしまう。

 だから、こうやって普通に誰かが隣で話しかけてくる日常が来るなんて思ってもみなかった。

 ぼろぼろな畳が弾き詰められたマンション。そこで紡がれる日常は、なんだかこそばゆい。

 ジュージュー、と何かを焼く音。最近は家庭的な男はモテると聞いたことがあるが、今目の前で料理をしている人はどうなのだろうか?

「ほら、できたぞ。」

この匂いは・・・チャーハンの匂いだろうか?

一口食べてみる。うん、なかなか、美味しいじゃないか。

「うーん、ここは食べたら想像以上に美味しくなくって、おじさんダメダメだねって言いうのがセオリーだと思うんだけどな。」

「素直に旨いって言いなさい。」

「なんだか、最近おじさんまるで母親みたいになってきたね。」

「まあ、お前の保護者だからな。」

「じゃあ、おじさん、保護者として今日も本を読んでよ。」

「えー・・・・、またあの小難しい本を読むのか?」

「もちろんだよ。頼んだよ、ボクの保護者さん?」

「ったく、しょうがねえなぁ。」

しぶしぶといった感じで、おじさんは本棚から本を選ぶ。

「えーっと、どれにするかねぇ、江戸川乱歩さんにするか、太宰治さんにするか。」

おじさんは、本を眺めながらため息をつく。

「なぁ、本のどこが面白いんだよ?俺にはさっぱり分からん。」

「なら、おじさんも自分で読んでみれば、いいじゃないか。」

「どぶにお金を捨てるのと同じだな。」

「もう、そんなことを言うから・・・案外食わず嫌いかもしれないよ?」

「本を読んでる自分なんて、想像したくないかな。」

おじさんは、いっつもぼやいてばかりだ。でも、ちゃんと読んでくれる。なんだかんだで隣にいてくれる。

 あまりにも当たり前で、あまりにもちっぽけで、あまりにも日常すぎるけど、とてもとても幸せな、この瞬間、瞬間をボクは生きているのだ。

 夜、ボクがふとベッドから聞き耳を立てると、おじさんは、いつも何かを書いている。

 何を書いてるのかは知っている。楽譜だ。ただ書くのと同じくらい消す音が聞こえるので、あまり制作は順調ではないようだ。

 前に、夢を見たことがある。いろいろな世界を巡る夢だ。その世界には、理由はさまざまだけど必ず困っている人がいた。そして、なぜか捨てられた楽譜があった。ボクは、その楽譜を誰が描いたのかを知っている。

 夢の中だから、誰が描いたとか関係ないけど、でも誰が書いたのか知っていた。フレーズに時折見える、あの人の癖をボクは見逃さない。

 おじさんは、今でもその書きたかった楽譜を完成させたいのだろうか?

 ボクには、分からない。

まあ、でも親子になったからって全部分かり合えるはずもない。この前も一緒にお風呂入ろうかと誘ったら断れた。おじさん曰く、お前もお年頃なのだから、少しは恥じらいを持てと言ってた。私はそのことに関する知識はもちろん持っていたけど、正直それが恥ずかしいことなのかどうかについてはよくわからないというのが本音だった。ただ、違和感は感じない。ちょっと、ぎこちない二人の距離感にも、病院の中とは違う生活の匂いも、おじさんの隣に空いている一人分のスペースにも、違和感は感じない。

 

 今日は、おじさんがどこかに連れて行ってくれると話していた。外にはちょくちょく散歩として歩いているけど、今日はやけに距離が長い。それになぜかギターを持ってこいと言われた。まさかこのまま姨捨山になることはないと思うけど、なんだかちょっと不安だ。もしかすると、ここ何日かの幸せは実は幻で、あと少しすると、悲しい現実みたいなものを突き付けられそうで、知らず知らずのうちにおじさんの手を握る力が強くなった。

「ほら、着いたぞ。」

カランコロンとドアが開く音。

―――――いらっしゃいませー。―――――

明るい掛け声とともに、コーヒーの香りに包まれた。

「ここは?」

「喫茶店さ。」

「あっ、テツさんじゃないですか。今日はシフト入ってましたっけ?」

「あ、いや、今日はちょっと違うんです。」

―――――何の話をしてるんだろうか?―――――

そういえば、おじさんは、ボクにプレゼントを買うためにどこかでバイトを始めてたと聞いていた。ここがそうなのだろうか?

話している女の人は、若い女性の声がした。でも、不思議だ。ちゃんと普通の人と同じ声をしているのに、どこか違う人と違う声音を含んでいる。そんな声だ。

「ちょっと、ピアノを借りてもいいですか?」

「そういえば、テツさんはピアノ弾けるんでしたっけ?」

「ええ、今日ちょっと弾かせていただこうと思いまして。」

「そうですか!ずっと弾いてほしかったので、・・・とても助かります!それで・・・あのー・・・その女の子は、お子さん・・・でしょうか?」

「ええ、まあ、そうです。」

「そ・・・そうなんですか。」

そういうと、女の人は、しゃがんで・・・・・いきなり・・・・

抱きついてきた。

「か☆わ☆い☆いーーーー。」

「え・・・え・・・・?」

正直、誰かに抱きつかれるのに慣れていないので、あたふたしてしまう。女の人からは、今まで嗅いだことのない匂いがした。

「あの、クロさん、これでも、この子一八歳なので。」

「はえ?一八歳なんですか?いえ、でも!年齢なんて関係ありません!」

そう言って、また、むぎゅーって音が聞こえてくるほど抱きしめてくる。

「おじさん、おじさん・・・助けて!」

「いやー、鈴の慌てふためく姿初めて見たなー。」

そんなこと言わずに助けてくれよって叫びそうになるが、女店主の胸が顔を遮って、上手く声を出せない。なんというか・・・・でかい!

やっとのことで離してもらうと、

「おじさん、事態が全く読み取れないんだけど?」

「ああ・・・まあ、ちょっとした演奏会だ。」

「クロさん、ちょっと借りてもいいですか?」

そういっておじさんはボクの手を取った。手を引かれたままついていくと、

「ほらよ。」

そういって、おじさんが手に何かを当てる。

 つるつるとコーティングされた何かに触れる。緩やかな曲線を描いているそれは、木材だろうか?手探りでもっと別の場所を触れていく・・・・と、なんだかでこぼこの個所を発見した。

「これは・・・・鍵盤?」

「そう、グランドピアノだ。触れるのは初めてか?」

「うん。初めて・・・・。」

グランドピアノ・・・・・いかにも高級そうな響きに負けず劣らず、なんだか触れるのもおこがましくなるようなオーラを感じるような気がした。

「クロさん、ちょっと弾かせていただきますね。」

「え?・・・あっはい!ぜひお願いします!」

別に見て確認したわけじゃないけど、にやって笑っているおじさんが目に浮かんだ。

 隣でおじさんが椅子に座るのが分かる。でも、知っている。おじさんは左手の薬指がないこと。一時、自障癖みたいなのがあったらしくて、そのせいでおじさんの指は不揃いだ。

 周りがちょっとざわくつ。不自然なピアニストの登場にみんな困惑気味のようだった。


―――――大丈夫なのだろうか?―――――


そんな心を・・・・・・おじさんは一掃した。

 あいさつ代わりの二分音符のEを皮切りに、次々とあふれ出てくる音、音、音。


―――――さながら、音の嵐―――――


優しいタッチとは思えない音の連鎖に、人は唖然とする。観衆の目をさらう音のつむじ。一発目の花火のように、皆をワクワクさせる。

 でも、あえてわくわくさせた瞬間に一気に曲調を変える。今度は打って変わって流れるようなバラード、その流ちょうな音は静かな喫茶店にぴったりだ。おじさんは、こちらを向く。

「鈴、ギターで入ってみな。キーはCで、カノンでいく。いけるな?」


―――――ああ、やっとおじさんがボクをここに連れてきた意味が分かった。―――――


ボクはケースからギターを取り出した。

「どうぞ。」

女店主が進めてきた椅子に座った。

店の人たちの多くがボクたちを見ているんだろう。きっとあの日のコンサートと同じだ。でも、不思議と緊張とかは感じない。



―――――だって―――――



ボクのいる世界を、音が包んでいく。いつもの感覚。



―――――この先には、おじさんしかいないことを知ってるから―――――



優しいピアノに合わせて重なる、流れるようなギターのアルペジオ。



―――――こうあなたが音を紡ぐから―――――



―――――ボクは、こういう音であなたの気持ちにこたえよう―――――



音楽は、会話だ。

 いつも、おじさんは音楽の中にメッセージを入れてくる。


―――――鈴、幸せか?―――――


だから、ボクもそれにこたえるのさ。


―――――うん、幸せだよ!―――――




二人の奏でる音は、まるで長年一緒にいた友のように、深く深くつながっていて、見てる人々を音の虜にしてしまうのでした。

 でも、きっとそんなこと、この盲目の少女は気づかないほどに今ある奇跡みたいな幸せをかみしめることで精一杯でした。

 病院で一人ぼっちで誰とも心の通じ合うことのできない灰色の日常は、一人の男の登場で、言葉には尽くしがたいほどの温もり、優しさ、そして華やかさを少女に与えました。

「本当に・・・・・・ありがとう。」

少女の放った言葉は、とてもとても小さくて、だれにも伝わりはしないのですが、それでも少女はつぶやいたのです。

 少女の目元から、涙が一筋零れ落ちました。

















ねぇ、あなたは気づいてますか?

当たり前の中にある輝きを。

蛍の光がネオンの光に隠れてしまうように。

鳥のさえずりがトラックの音に消されてしまうように。

花の色がコンクリートの壁に覆われてしまうように。

誰もがその輝きに気づきはしない。

私たちはおろかだから、その幸せを知ることはできない。

失ってやっと気づくのだ。

暖かいあの料理を。

何気ないあの会話を。

あの人のあの時のあの笑顔を。

それに気づくことができるのは、初めから何かを失っている人だけ。

何かが欠けてしまっている人だけ。

あまりにも当たり前すぎて、誰も気づきはしない幸せ。

でも、そんな幸せだからこそ、男と少女はその幸せの存在を知ることができた、

モノクロの奥にある幸せに。

きっとそれは、ドラマのようにドラマチックなものではないけど、

きっとそれは、恋愛のようにドキドキするものではないけど、

きっとそれは、SFのようにわくわくするものではないけど、

決してそれに負けないぐらい淡く輝いているもの。

でも、当たり前だけど、そんな淡い幸せは簡単に忘れてしまう。

簡単に、手元から離れてしまう。

どれだけ強く握って離さないようにしても、その力が逆にそれを壊してしまう。





だからさ・・・この物語にハッピーエンドはあり得ないんです。





もし、この物語を幸せなまま終わりたいのなら、今すぐこの本を閉じてください。


でも・・・


それでも・・・それでも・・・






























ねぇ、あなたに贈る悲しいだけのバッドエンド、

あなたは最後まで・・・・・・、見てくださいますか?
















 「ドラマの、主題歌ですか?」

「ええ、そうらしいですよ。」

喫茶店、『クロの店』の店主から伝えられたのは、そんな言葉でした。この店で男たちが働き始めてから半年ほどたったころです。

 今日も、店内はなかなか繁盛しているようです。女店主のクロさんは緑色のロングヘア―に、くりりんとしたぱっちりとした目元。人間離れした整った顔立ちに、綺麗な青色の瞳。どこかエルフをほうふつさせる顔立ちをしていました。でも清楚かというとそうでもなくて、左目の目元にタトゥーみたいなものが掘ってあることと、店の制服だというメイド服を着ているので、清楚なのかそうでないのか、微妙な風貌をしていました。ただ、人間離れした綺麗な顔立ちに、美味しい紅茶が合わさって、もともとこの店はそれなりに繁盛してるようでした。さらに、それに最近加わった男たちの音楽が合わさることで、店の活気はさらに上がっています。

「なんだか、新たなドラマが始まるようなんですけど、そのドラマの原作が、もともと有志の人々が作ったものらしくて、その流れで歌も有志で募ってみようってことになったらしいですよ。」

「へぇ・・・・そうなんですか。」

「そこで、おふたりのつくった曲を応募してみたらどうかなと思ったんです!」

「まあ、それは可能だと思いますけど・・・・。」

―――――ドラマの主題歌か・・・・―――――

男はどうしようかなと考えてしまいます。もう、男にとっては音楽は作るものではなくなっていったのかもしれません。あの楽譜を除いて、作りたいと思う音楽は男の中にはもうないのでした。

「どうやら、来月が期限らしいです。」

「うーん。昔はコンペにも参加してたけど・・・」

と、その時、

「クロさん、私・・・・・やってみたいです。」

答えたのは、目元を包帯で覆った少女でした。

 この少女は、病院にいたころとは、ずいぶん様変わりしていました。この店の制服を着ているというのもあるかもしれませんが、なんだかその姿はちゃんとした女の子だったのです。いえ、もう年齢的にもこの子が持つ雰囲気にしても少女と呼ぶことは失礼にあたってしまうかもしれません(まあ、それでもこの子のことをこれからも少女と記していくつもりなのですが)。内面的な部分でも、この半年でずいぶん様変わりしました。一人称は私になり、敬語を交えて人と話すようになっており、沢山の人と積極的に話すようになっていました。もしかすると、その愛くるしい笑顔もまた、店が繁盛する一つの要因になっているのかもしれませんね。まあ、当たり前のことですが、男の前では砕けた物言いのままなのですが。

「そうですか、鈴さんはやってみたいですか。テツさんはどうしかますか?」

「うーん、まあ鈴がやってみたいならやってみるか。」

男は、軽い気持ちで答えたのです。この喫茶店でピアノを弾いていること、そしてこんなにすんなり曲を作ることを了承したこと、そのことからも音楽が男にとって重要で苦痛なものであったのは、もうすでに過去のものとなってしまったのだと分かります。

 今はただ、一緒にまた曲を作れることを喜んでいるこの盲目の女性の笑った姿を見るだけで満足なんだと思います。

 そして、二人はまた曲を作りました。前と同じように二人一緒に曲を作りました。ただ、前と違って、曲はすんなりと作られていきました。それが音楽的にもこの少女が成長していることと、あの時と変わってしまった音楽の在り方が如実に表れていました。曲がすぐできることは良いことでもあるのかもしれませんが、少し寂しさを覚えてしまいます。

 一か月後、二人のもとに、送った曲の採用通知が届きました。


今二人の目の前ではドラマが放送されています。恋愛を主軸に置いたラブストーリーに、男たちの曲は上手くマッチしていました。

歌の方もかなりの人気が出たらしく、これから売れることが見込まれているそうです。そして、それに携わっていた片方が、一昔前にかなり人気の出ていた音楽家であったこと、そしてもう片方が目の見えない盲目の少女だったというのが、世間の注目を、密かに集めてました。


小さな小さな規模だったはずの物語が急速にその幅を大きく広げていきます。暖かさに包まれて、優しさに包まれて、二人の物語は終盤へと向かっていきます。

でも・・・、

 優しければ優しいほどに、暖かければ、暖かいほどに、その影は濃く二人の前で、広がっていくのでした。

人は珍しいものや変わったものに注目してしまうものですけど、この曲が世に出回れば出回るほどに、だんだんと人々の視点に悪意が混ざるようになっていきました。


曲が発表されてどれくらいたったでしょう?二人は、喫茶店のバイトの帰りに、近くのファミレスにいました。

少女は目が見えないので、いつも男の手助けが必要でした。メニューを見るときには男がが一つ一つメニューを紹介してそれから少女が選ぶことになります。

こういう時女性というのはめんどくさいものです。あれもいい、これもいい、と言いながら、結局は最初にいいなと思ったものを注文したりして・・・

この少女もまたその一人でした。彼女が選んだのは特大パフェ。こんなに小さな子が全部食べられるのかな?と思ったりするのですが、少女の甘いものを食べた瞬間の満足そうな表情を見たら、どうでもよくなってしまいます。

 帰りには、少女が新曲を聞きたいということでCDショップに行くことになりました。ヘッドフォンをつけて音楽を聴く少女。男には、その姿がとても現実の世界に溶け込んでいるように見えました。

 少女は、ただの少女でした。

 他の人と、何も変わらない少女でした。

家に帰ると、そのまま二人は寝ます。明日の喫茶店でのバイトのために。

正直二人だけの生活はどうなるものかと、男には不安も実際結構あったのですが、それでも男が手放したくないと思うほどに、この生活は二人に幸せを運びました。

そんな風に、二人のの日常は過ぎてゆきます、ゆっくりと、和やかに。


 ある日、一人の記者が、喫茶店に現れました。

「私、こういうものです。」

差し出されたのは、一枚の名刺。そこには、有名な雑誌の名前が書かれていました。なんでも、雑誌に二人のことを取り上げたいのだそうです。少女は、とても嬉しそうにこの話を聞いていました。

対して、男はあまり喜んでないようでした。彼らが雑誌に載せるのは、ポジティブな側面ばかりではないと知っていたからです。なんとやらは密のように甘いらしいのですが、そんなことを気にする間に少女はもう取材を受けてしまっていました。人と話すまでに心を開くようになっていたのが、あだにならなければいいのですが・・・

「フーン、本当に鈴ちゃんは、すごいねぇ」

「そ・・・・そう・・・ですか?」

記者は自然な風にいろいろなことを聞き、少女のことを褒めました。

相手が気を許すのを待ち構えているかのように・・・

記者は優しそうな顔を浮かべて、目の前の少女に話すのです。

少女は、嬉しそうに笑ってました。そして、次の瞬間、

記者の顔が鈍く光りました。

「それじゃあ、その包帯のことも話してもらえるかな?」

「・・・・・え?」

「ああ、ゴメン。あんまり触れてほしくない事柄だったかな?じゃあ、ご家族のこととか。もう一人の相方の人のことを‘おじさんと呼んでいるようだけど、本当の家族は今どうしているの?」

言葉と裏腹にその笑顔を引っ込めようとはしません。取材者は、淡々と言葉を紡ぎます。でも、目元は爛々と輝いていて、まるで相手がぼろを出す瞬間を今か今かと待ち構えているかのようでした。

「え・・・いや、あの・・・・」

少女は、困惑しているのか、上手く思考が回っていないようだした。

「ちょっと、あんまりずかずかと人のプライバシーに付け込むのはよくないと思いますよ。」

男は、記者に注意します。

「ああっと、これは失礼。ちょっと、強引すぎましたかね。いや~、すいません、職業柄ついつい話に熱中してしまって。ああっと、そろそろきりもよいですし・・・・・取材はここまでにしておきますよ。・・・・・それじゃあ、これで。」

記者は、そういうといそいそと帰っていった。

男は気づいてました、あの時の記者の顔。あれは、獲物を見つけた時の顔だったことを。少女は、その日、帰るまであまりしゃべろうとはしませんでした。






















 体調を崩したのだろうか、鈴は、昨日から寝込んでいる。ちょっと微熱があるようだったので、布団の上で寝かしている。

病は気からというが、そのとおりだなと思う。何だかちょっと鈴の元気はなかった。

「ごめんね、風邪ひいちゃって。」

「ばか、風邪ぐらい誰でもなるんだから仕方がないさ。」

今日は、仕事も休んだ。ちょっと、過保護すぎるんだろうか?鈴は、そういいながら、またごほっごほっと咳をする。こういう時俺の母親ならどうするのだろうか?

「はあ、早く元気になれよ。」

薬局で買ってきた薬を飲ませてから、また寝かせる。

 次の日は、クロさんが見舞いに来てくれた。美味しいお菓子などを持ってきてくれたが、今の鈴の状態だと、食べれそうにない。

次の日、やはり、鈴の風邪はよくならない。

_____何かできることはないものか。_____

「なあ、鈴、お前、今俺にやってほしいこととかあるか?」

「うーん。」

「何でもいいぞ、あっでも、お城に住みたいとか、金銭的に不可能なものは却下な。」

「そうだねー。」

「どこか行きたいところとか。」

「うーん、遊園地かな?」

「え・・・・・ぷっ、ははは、遊園地か、そうか、ふふっ」

「ぶぅ」

「いや、悪い悪い、やっぱりお子ちゃまだなと思って。」

「なら、もういいよ。」

「ああ、悪い悪い。それじゃ遊園地な。お前の風邪が治ったら遊園地に行こう。」

「ホント?」

「ああ、ほんとだ。」

「うん、約束だよ。」

久々に握った鈴の手は、やっぱりすぐに壊れそうだなと思うぐらいはかなかった。


 鈴は、それから一週間後には完全復活を遂げていた。


そして、今日、俺と二人で遊園地にいる。はたから見たら家族で、そして、俺たち自身も自分たちは家族なのだと信じて疑わない。夢のような時は、あっという間に過ぎて行って、俺たち家族の関係をより強いものにする。鈴が笑い、俺もつられて笑う。世界は、俺たちを中心に作られており、そしてその中心は、いつも笑顔が絶えないのだ。そして、俺たちを中心に空は、青くどこまでも伸びていく。神様がいるならきっと、俺たちを微笑んで見守ているのだろう。どこまでも永遠に続く刹那を俺たちは今も生きている。そして、それは続く。

どこまでも、

どこまでも、

夕日が出てきて、俺たちは観覧車からそれを眺めていた。

「そういえば、私たちが初めて話したのも夕暮れだったね?」

「うん?ああ・・・そうだったな。」

「あのころのおじさん、今にも死にそうな声してたんだよ?」

「え?ああ・・・・そうだったのか?でも、お前も似たようなもんだったんだぞ?」

鈴は、やっぱり笑って、

「私たちは似ているからね。」

そう答えた。

「そうだな・・・」

「おじさんは、今が楽しい?」

「まあな。」

「そう、私もだよ。」

「そうか、でもそれはこれからもずっと続いていくんだ。」

「うん。」

「そうだ、次にどこかに行くならどこがいい?」

「うーん、じゃあ、お花見。」

「お花見?今夏だぞ。」

「別に紅葉だっていいよ?」

「そうか、まあ余裕があったらな?」


―――――楽しみだな。―――――


「何だか、すごい神妙な顔だな。」

鈴の顔は、夕日を背景にとてもミステリアスに感じられた。

「そうかな。確かに不思議な気分。うれしくって、たのしくって、でも何だか切ない。」

鈴は俺の隣に腰かける。そして、俺にそっと笑いかけた。

「そして、ありがとう。」

俺は、そっと頭の上に手をのせた。

「ああ。」

青い空は、青から、オレンジ、そして、黒へと変わっていく。


帰り道、最近買った携帯が鳴った。

「もしもし?」

「ああ、テツさんですか?」

どうやらクロさんのようだ。

「どうしたんですか?」

「まずいことになったかもしれません。」

クロさんは深刻そうなふうにそう言った。

「え?」

「コンビニかどっかで雑誌を見てみてください、名前は・・・」

近くのコンビニで言われた雑誌を広げてみる。そこには、書いてあったのだ。

“今話題の歌姫、その正体は✖✖✖だった⁉⁉⁉”(その言葉を私自身記したくはないので、モザイクをかけさせていただきます。)

一瞬、何のことが書かれているのかよくわからなかった。

 雑誌には、インタビューでそんなこと聞いていたのだろうか?口から出まかせとしか思えないような記事が堂々と載せられていて、無遠慮に、誰かの心をえぐり取っていく。その書き方は、どうすれば読者を楽しませられるかということに念頭をおいているというよりも、どうすれば、今回のターゲットをいたぶれるかということばかりを考えてつづられているように思えて仕方がなかった。

 執拗に何度も、鈴の悪口と言って差し支えない言葉が並べられている。

 取材者の悪意がそのまま乗り移ったような記事は、醜く、醜く光る。

 ドラッグが人の快楽に作用して、人を堕落させるように、その記事は読み手の理性を狂わせて、下卑た心を震わせる。

たちの悪いことに、話はそれだけでは終わらなかった。そこに付随して、載せられていたもの・・・・・・、

それは、一枚の写真。

どこから持ち出してきたのだろう?

そこには、鈴の写っている写真だった。

まるで心霊写真でも撮ったかのように、鈴の目元はモザイクがかけられていて、正直言って、その写真に掲載者の悪意しか感じられなかった。

「・・・なんだよ・・・これ。」

呆然と俺はつぶやいた。でも、この悪意はこんなとこでは止まってくれない。

 人々の悪意は連鎖する。


 世間の裏側で、着実に、でも急速にその話題は広がっていった。

憶測が憶測を呼び、ネットの中でいわれのない陰口が、陰口というにはあまりにも大っぴらに囁かれていた。いや、囁かれていたというよりも・・・・大声で叫ばれていたといった方がしっくりくるだろうか?

 日の照らす場所には、当然影もできるだろうが、それにしても影ばかりが異様に目立っていた。

 本当に悪意の塊。

 匿名ならば、何でも言っていい法律でもあるのだろうか?

 面と向かうことなく吐き出される、その言葉はブレーキのない暴走列車みたいにただただ突っ走っていく。

 何もかも踏み荒らすその先に、何を求めているのだろう?

そこにあるものは、誰かを突き落としてでも得たいものだろうか?

 日に日に、陰でささやかれる内緒話は、だんだんと内緒話のていをなさなくなっていった。

 そして、その悪意はだんだんと社会の裏側から表側に顔を出してくる。


 この前まで、笑顔で接してくれていた人々がだんだんとよそよそしく接するようになっていった。

「あのー、取材をさせていただきたいんですが?」

「ごめんなさい、取材の方はお断りさせているんです。」

今日も、クロさんが取材のお断りをしていた。

 クロさんと、この店の常連だけはいつものように鈴に優しく接してくれる。

 でも、それ以外の人はそうではないようで、まるで得体のしれない宇宙人でも見るかのように鈴を見ていた。

 誰かが笑う。陰でひそひそと、それにつられて、また誰かが笑う。今度は指をさして笑う。その醜い笑顔は、水にできた波紋のように派生していく。どんどん、派生していく。

 鈴もいつも通りのように話しているが、多分・・・・本当は感づいている。

悪意は、どんどん加速していく。

そんな日の夜だった。

 

俺は見つけてしまった、あの動画を。

その動画は、こう書かれていた


今話題になっているあの子に関して、替え歌作ってみました!我ながら良い出来だと思います!みんな楽しんでいってください!


『✖✖✖の歌』


そこには、俺と鈴が作った歌の替え歌が歌われていた。

何の躊躇もなく、それは作られていた。

 なんというか、反吐が出た。

所狭しと並べられる、醜い言葉のオンパレード。

心を突き刺す・・・言葉の数々。

それはナイフよりも鋭くて、

氷よりも冷たかった。

何を思って、この動画の作者はこの動画を作ったのだろうか?

この動画制作者は、この動画を作るときに心が痛まなかったのだろうか?

そんなものを作って、誰かが喜んでくれると思ったのだろうか?

でも、俺の予想に反して、コメント欄には動画制作者をねぎらう言葉と、そして鈴への悪口が当然のように書かれていた。

彼が正しい行いをしたかのように敬われてさえいた。

なあ?・・・・・お前たちが鈴の何を知っているんだよ?

何とも言えない感情が心の奥の奥のどす黒い部分から湧き出てくる。

頭の中で、何かがショートする。

でも、それは怒りとは違うのかもしれない。


なんというか・・・・諦めだ。


「ああ・・・」


なんでこんなことに気づかなかったんだろうか?


「はは・・・・・」


当たり前のことじゃないか。


「ごめんな、美香。」


俺は、そっと机の引き出しを開けた。そこにあったのは、楽譜。


『九音』と書かれた楽譜だった。


俺は、それを手に取ると、思いっきり引き裂いた。


「無理だよ。」


何度も、何度も・・・・


「こんな曲作れるわけない。」


何度も何度も何度も・・・・・


「作りたいとも思わない。」


何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も


「だって・・・」


何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も・・・・・・・・・・・・・・



復元できなくなるほどに破いていく。



だって・・・


人間は、人間でしかないのだから。


俺は、長い間の思い出が詰まったそれを、ごみ箱に捨てた。





「もう・・・・どうでもいいや。」






_______________________________________________

夢の中で









そこは、黒色にまみれていました。だから・・・・・きっとこれも夢の中。

黒色にまみれているのに、妙に現実感があって、間違いなくそれは夢でした。

気持ち悪いほどに、黒色にまみれていて、まるで人間の感情のようでした。

糞まみれみたいに黒色が溢れていて、本当に反吐が出そうでした。







_______________________________________________

山田鉄男







 気づくと、夜だった。

慌ててがばっと起きる。ご飯だって作ってない。俺は、あわてて布団から抜け出した。でもご飯はすでに用意されていた。ハンバーグと、サラダ。目の見えない鈴の作れる、鈴の得意料理だった。

そして、料理の隣には昨日ごみ箱に捨てた、楽譜が置いてあった。セロハンテープではっつけた跡がある。目が見えない人物が行ったからだろうか?上手くつなげられてない場所があった。でも、あんなにびりびりに破いたのに・・・・この状態まで修復するまでにどれだけ時間がかかったのだろうか?紙の部分は涙の跡がたくさん残っていて、これを直した人物のその時の感情を如実に表していて・・・・

「ごめんなぁ・・・鈴。」

俺は、久々に泣いた。


鈴は、自分の部屋にいた。

「やあ、おじさん。」

相変わらず、俺の前では男口調のままだ。

「鈴・・・・ありがとな。」

一瞬、さっきの楽譜のことには触れないでいようかとも思ったんだけど、やっぱりちゃんと感謝の言葉を述べることにした。

鈴は、優しく笑って、俺の言葉に答えた。そして言った。

「そうだ、おじさん。元気がないなら、散歩に出かけよう?きっと元気が出るよ?」

「ん?ああ・・・そうだな」

この時、この選択をしなければ未来は変わっていたのかもしれない。散歩に出かけたことを俺は悔やむことになる。


夜風は気持ちよかった。

「ふふ、おじさん、元気になった?」

「ああ、少しは・・・」

「そう、それはよかった。」

沈黙…

「そうだ、明日の朝は、また私ががおいしいものを作ってあげる。」



鈴はそう言って、ぎゅっと手を握ってきた。暖かい手だった。



ちょうどそのとき向かい側から酔っぱらったサラリーマンたちが歩いてきた。なにやらげらげらとうるさい。



「明日、何を作ろうかなー?」



鈴は、相変わらず楽しそうに笑う。



ちょうどその、時酔っ払いたちの声が聞こえてきた。



「いや、本当にあの替え歌は上手に作ってあったよな?」



「ホントそうっすよね。俺もあんなの作ってみたいですよ。」


「あんまり蓄えはないけど、ちょっと奮発してもいいよね?」


「やっぱり、あのサビが最高だよなー?」


「ああ、●●●のとこですよね?ほんと、作った人は天才ですよ!でも俺はその前の●●●の方が、なじり方が好きですねー。」


「う~ん、久々に丼ものでも作ろうかな・・・」


「あ~あ、なんか話してると、妙に歌いたくなってきちまったな~~。」


一拍


「よし、景気づけにいっちょ歌ってやるか!」



「よし、決めた!明日のご飯は、カツど・・・・」



そして、あいつらは歌いだしたのだ。あの歌を・・・










































上機嫌な歌声がこだまする。

黒い夜空の下で、かりそめの幸福の中で誰かが傷ついていることも知らずに

そのくそまみれの歌は、陽気に歌われた。

時間は止まっていた。

歌がやむ。

乾いた屑どもの笑い声が聞こえる。俺は、そっと鈴のほうを見た。

鈴は、静かだった。まるで、死人のように。

鈴の時は、止まっていたのだろうか。ただ、

































包帯をした目から血の涙を流していた。






















気づいたら殴りかかっていた。酔っ払いたちは訳が分からないという顔をしていた。

それでも、この行為を止めることができなかった。

別に、警察に逮捕されたっていい、俺の人生が、そのあとめちゃくちゃになったっていい。

とにかく許せなかったんだ。

男たちは、わけがわからないって言いながら、殴り返してくる。

別に、こいつらに俺の心情なんてわかってほしいとも思わないし、こいつらとは永久にわかり合えるとも思えなかったから、心の衝動に任せて暴力をふるう。

何が正しくて、何が間違ってるとかじゃない。

もし、間違っているのもが本当にあるのなら、

それは、この世界そのものだ。

なくなってしまえばいいのに、

全部なくなってしまえばいいのに。

それさえ、かなわないというのなら、

いっそ、俺をこの場で殺してくれよ。

もう、この人生の続きを見せないでくれよ。

・・・・もう・・・嫌だ。

それでも、時折押し寄せてくる罪悪感が、これ以上はやめろと、囁いてくる。

とうとう、俺の腕は止まってしまった。

どれくらい喧嘩をしていたのだろう?俺も酔っ払いたちも全身あざだらけだ。

「ったく、お前誰だよ!警察呼ぶぞこら!」

何も聞きたくなんかない。

「社長、こいつやばいですよ。」

何も見たくなんかない。

「ったく、お前一人なんか、怖くも何ともねぇんだからな?」

何も感じたくなんかない・・・・・はずなのに・・・・

振り返った先に・・・・・鈴の姿は・・・なくなってた。






















なあ、神様。

どうして、こんな世界作っちゃたんだよ。

別に楽しいことなんていらない。

嬉しいことだっていらない。

こんな感情になってしまう世界なんて、

作ってほしくなかった。
















暗闇の中。

ずっと、たどり着けない迷路を一人ぐるぐると走っていた。

終わることのない歌をこだまさせて。

あいつらは、今頃温かい家庭で、ぐっすり寝ているんだろう。

明日になればすべては元通り、何もなかったことになる。

その下には、決して忘れることができない犠牲者がいるのに。

体が冷えていく、いっそこのまま自分の存在がなくなればいいのに


家にも鈴は帰ってなかった。真っ暗な道を今も一人歩き続けているのだろうか?俺は、その背中に辿りつくことができるのだろうか?

何もかもが壊れていく。めちゃくちゃに、修復できないほどに。

苦労して積み上げた積木は、本当に・・・・・・簡単に崩れてしまった。

落ちていく、心。


なあ、もし神様がいるなら、聞いてくれよ。

どうして、こんなエンディングにするんだよ?

別に普通のエンディングでいいじゃないか?

こんな悲しい終わり方じゃあさ・・・


地面に膝をつく。それは、あきらめの合図。そして・・・

俺は、何かを願った。

何を願ったのかは覚えていない。ただ、

鈴の笑顔が思い浮かんだ。

鈴の声が思い浮かんだ。

鈴の優しさが思い浮かんだ。


そろそろ、日が昇るころだ。

通勤の人たちが、俺の横を通り過ぎていく。誰も、俺に目を向けはしない。まるで石ころであるかみたいに、俺の隣を知らない人たちが通り過ぎていく、その瞬間、


何かが、舞い降りた。


もしかすると、奇跡って呼ばれるものは、こういう時に姿を見せるのかもしれない。


















桜が、舞っていたんです。



















そこに、桜の木なんてないはずなのに・・・・



たくさんの、本当にたくさんの桜の花びらが舞っていたんです。



綺麗な綺麗な桜の花びらが、まるで雪のように舞っていたんです。



そして、その花びらの舞に合わせて、人々の心一つ一つに歌が響きました。



その歌声は、儚くて、でも、美しくて・・・



・・・とてもやさしい歌声でした。



きっとそれは、人では奏でることのできない音。



きっとそれは、五線譜では記すことのできない音。



きっとそれは、この世界では本来聞くことのできない音。



その音を奏でるには、人々は・・・私たちは・・・あまりにも・・・穢れ過ぎました。



人々は、足を止めて、その音に酔いしれていました。






聞いたことのない旋律と、優しい歌声に酔いしれていました。



仕事のストレスに押しつぶされそうになっていた人も



好きな人と別れて、泣きそうになっていた人も



今この瞬間、生きることが嫌になっていた人も



みんな立ち止まって、心の中に響く優しい音の、その響きに心をゆだねていました。



みんなもまた、優しく笑っていました。



本当にみんな無垢な子供のように・・・しがらみから解放されて、優しく笑ってたんです。



ただ・・・一人を・・・除いて。



その男だけは、この声の正体がわかっていました。



そして、一人必死にその声の主を探していました。






―――――少女は歌を歌っています―――――


俺は、ぼそっとつぶやいた。


「美香、お前の望んだ歌はあったよ。」


―――――少女は歌を歌っています―――――


でも・・・でも・・・


色鮮やかに輝くこの瞬間を、


俺だけは否定したい気持ちでいっぱいだった。


―――――少女は歌を歌っています―――――


世界は、モノクロでいいんだ。


輝いている必要なんてないんだ。


―――――少女は歌を歌っています―――――


モノクロでいいんだ。


お前さえ、


―――――少女は歌を歌っています―――――


鈴・・・・・お前さえいてくれるならば・・・


俺は、何もいらないのに・・・。










刹那に輝き、刹那に消えていく、


小さな小さな幻たち・・・


思い出しては消えていく、彼女との思い出、


桜の花は、二人の軌跡を表しているかのようで・・・





淡く輝き、淡く消えていく、


幾多の陽炎・・・


淡い輝きは、幾重にも重なって、


とても美しく、輝いていた。









曲は、終盤に近づいてきました。


美しい旋律に人々が酔いしれる中で、唯一男だけがその歌が持っている真意を見抜いていました。


少女と沢山音楽の中で会話をしていた男だけは、その歌の持つメッセージを知ることができたのです。


―――――それは別れの歌―――――


「だめだ、鈴・・・・こんなエンディング・・・いやだよ・・・。」


その時、男のポケットに入っていた携帯が揺れました。


男は、恐る恐るそれを手に取りました。


歌は残り僅か、あとは最後の伴奏を残すばかりです。


「やあ、おじさん。」


「鈴か?」


「聞いてくれたかい?ボクの歌・・・」


「ああ・・・聞いたよ・・・。」


「・・・・・。」


「・・・お別れ・・・なのか?」


「・・・うん・・・お別れだ・・・。」


「・・・もう・・・どうしようも・・・ないのか?」



「・・・そうだよ。」


男は、走るのをやめました。そして、うつむきました。


「おじさん、ボクが生きていた時間・・・とても、幸せだったよ?きっとおじさん


に会わなかったら、ボクは、いつまでもこの世界の光を知ることなんてなかったと


思う。おじさんが、あの日、あの夕暮れで歌って、ボクと一緒にいてくれることを


選んでくれたから、ボクは笑うことができたんだ。おじさんが、あの日歌を作ろう


って言ってくれたからボクは音楽を奏でることの楽しさを知ることができたんだ。


そして、醜いボクを受け入れてくれたから、ボクは誰かを好きになることができた


んだ。終わり方は、悲しい終わり方だったけど・・・・・、ボクはそれでも、おじ


さんと会えたことに感謝しているよ。おじさんと笑いあうことができた日々を嬉し


く思うよ。出会った時からずっと、おじさんのことが大好きだよ。・・・だからさ


・・・、笑ってよ?最後におじさんの笑顔を見せてよ?悲しいお別れは・・・いや


なんだ。ほら、前を向いて?」


男は、ゆっくりと顔を上げました。


雑踏にまみれてそこには、白いワンピースを着た少女がいました。


包帯に覆われていない、それはそれはかわいらしい少女がいました。


優しく・・・優しく・・・笑う少女がいました。


照れたように、悲しそうに、寂しそうに・・・笑う少女がいました。


「バイバイ、おじさん。」


少女には、なんだか天使の翼のようなものが生えているように見えて・・・


「いや・・・だ・・・。」


男は、つぶやいたんです。


そして、手を伸ばした。・・・・でも、


一瞬後には、少女は消えていました


まるで、君の見ていたのは幻だったんだとでもいうように。


幻想的な桜の舞も、心を震わす音楽も鳴りやみました。


人々は茫然として、たたずんでいました。そんな中、


男は、一人静かに泣いていました。


「さよなら、鈴。」


半日後・・・


海の浜辺で、一人の少女の死体が見つかりました。









 数日後、あの現象は幻であったかのように、みんなはあの光景を忘れていた。覚えているのは、世界で俺だけ。

 少し前に、鈴の葬儀が行われて、その中には京子さんもいた。京子さんは泣いていた。対して俺は、葬儀中不思議と涙は出ず、淡々とそれは終わった。

 やはり、とういかなんというか、あの現象が起きたとき、鈴はすでに死んでいたらしくて、科学的には、鈴があそこに立っているのは不可能であるはずだったようだ。

 でもさ、あれがなんであったかなんて、多分どうでもいいことなんだと思う。鈴の、あの時の笑顔は、今でも心の中で輝いているから。

 鈴のいなくなってしまった、この世界だけど、でも、もう少しだけ生きてみたいなと思う自分がいた。

 どうして、こんな気持ちになったのか、正確には分からないけど、鈴との別れ際、あの笑顔を見たら、なぜか、そう思った。

 今でも、鈴のことを自殺に追い込んだ人たちのことを許せるかと聞かれたら、多分、きっと許せないって答えてしまうのかもしれないけど。

 でもさ、いつか、そんな人たちも優しい気持ちにさせてみたいなと思ってしまった。

 そうすればさ、きっと鈴も喜んでくれるから。


俺は、今鈴と共に過ごした部屋から空を見上げている。

かなうことなら、この青空がずっと続きますように。            


おしまい








最後に


ここまで、お読みいただいてありがとうございます。

 きっと、ここに書いた小説の内容で障害のある方にはとても不愉快な気持ちにさせてしまったところがあるかと思います。この場を借りてお詫び申し上げます。・・・ごめんなさい。

 

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