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始まり

二、始まり

 

暗闇は、いつか青空へと、変わります。そんな青空を男はまぶしい目で見ていました。願わくばこんな青空がずっと続くようにと願いながら。

「あーあ、これからどうしたものかねー。」

 青で浮かぶものが海や空だとするとき、あなたは、白で何を思い浮かべるのでしょう?男は、その中でゆったりと憂鬱にふけっていました。

 彼の名前は山田 鉄男。そこらへんにありふれた名前で、やっぱり、それにならうように、そこらへんにあふれていて、いつもその席は定員オーバーになっている職業、ニートをやっていました。ダメダメですね。ちなみに年は28です。

それでもってそのニートは現在、目の保養のために看護婦さんを日々観察し、スカートをどうやっての覗こうかと熟考することで日々を送っていました。ダメダメですね。いや、ちょっとうらやましい気もしますが・・・

「こら、てめーまた変なこと考えていただろ。」

男が目を開けると、そこには求めていたナースが。ナース服を着込んでいる女性は、服部京子。ショートカットでぱっちりした目からは、活発そうな雰囲気をただよわせていますが、ナースは、男に注意してきてはがみがみがみがみがみと説教することが日常業務となっていますので、せっかくのナースを発見したというのに、男の目はあまり嬉しそうではありませんでした。


 この物語では、この男性のことを男、この女性のことをナースと呼ぶことにさせてください。こんな曖昧な呼び方で申し訳ないのですが、私としてはこの呼び方がしっくりくるのです。


「いや、どうやったら怪我が早く治せるかなと。」

「はいはい、そうかいそうかい、どうやったらけがを治せるかねぇ。」

ナースは明らかに、男の言葉を信じてはいないようでした。ジト目で男を睨んだかと思うと日課の血圧測定を行い始めます。

普段なら女性の看護師に看護してもらうなどうらやましい限りと思うシチュエーションであるはずなのですが、このナースの場合そうではないようです。まるで、猛獣を操るかの如く乱暴に男の腕をとると、優しさのかけらもうかがえない、適当な手つきで血圧を測り始めました。明らかに、男の看護を行うのをめんどくさがっている節があります。

「京子さん、もぉすこし優しく扱ってくださいよー。」

「うっせぇ。てめーじゃなかったら、優しく扱ってやるよ。」

「そんなぁ、俺が何したっていうんですか。」

はぁ、とナースは大きくため息をつきました。

「まあ、そんだけ元気なら、怪我もすぐ治るだろうよ。」

よっと声を出すと血圧を測り終えたのでしょうか。てきぱきと機材の片づけを始めます。

「腕の調子はどうだ?」

ナースは、なんとなく聞いてみたというような口ぶりで、そういいました。

「ええ、調子いいですよ。」

男は、軽く何度か、手を握ったり開いたりして見せます。そしてなんとなく手を太陽に掲げてみました。

 届きそうな太陽が顔を照らしています。掲げた指になぞられて、いびつな形の影が男の顔を覆います。太陽の光はこんなにも身近にあるのに、人間は決してその場所に手が届くことはありません。掴んでいたと思っていた夢。当然掴めると思っていたそれは、欠けた指をどれだけ伸ばしても届きはしませんでした。

「・・・・」

ナースは、その姿を無言で見ていました。

別に怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく、なんというのでしょうか、男の抱いている気持ちを共有することができないことを寂しいと思っている・・・・そんな表情でした。

二人はしばらくの間、優しくて、無邪気で、それでいて罪深い太陽を眺めていました。

 

エネルギッシュな朝が終わると時間はすぐ過ぎていきます、気が付くと日は沈みかけ、空を真っ赤に染めあげていました。この時間が来ると、なんだか、屋上に出てみたくなりませんか?そこには、理由なんてものはないんですが、なんだか夕暮れの空は答えを持っているような気がして・・・。男も、そういった理由からでしょうか、一人屋上の空を見上げて黄昏を味わっていました。

病院の空は、燃えるような赤でした。それも轟轟といったあからさまな赤ではなく、しっとりとした孤独と悲しみの混ざった、そんな赤色でした。その色をじっと見ていると不思議と、自分は一人ではないんだと感じられます。

男は、その感覚をもっと共有したくて、目を閉じました。でもどれだけその気持ちを共有したくても実際できるものではありません。

日が沈みかけている国があれば、逆に日が今まさに出ている国もあります。夕日を見て感慨にふける人も当然いるとは思いますが、そんなの、ごくわずかな人間だけ。大多数の人間は、この夕日をただの風景とさえ思うこともなく、ただただ時間を食いつぶして生きることしかできないのです。

 結局、男は一人なのです。皆一人でしかないのです。

 ♪~♪

気が付くと、自然と歌が男の口から出ていました。もしかすると、このしみじみとした空気が、自然と男からその行為を引き出したのかもしれません。

もうやめたはずの音楽。聞きたくはないと思っていたはずなのに、やっぱり身に沁みついているからでしょうか、寂しさを紛らわせるために出た歌声は、そのことに彼自身が気づいたときには、止めることができないほどに、男の人生と深く結びついていました。

この夕日が溶けてなくなるまで、孤独が溢れた今だけは、もう少しだけ歌わせてください。なぜか心の中でそんなことを思いながら、男の寂しい歌声が木霊を伴って響き続けました。

 嫌いになった音楽だけど、今だけはずっと歌を歌い続けていたい。男はそんな気分でした。誰も共有することのない歌。それをつまらないと思うかどうかは、きっと人次第・・・・。

でも、その歌声をきれいだと思う人間は、必ず存在するのだと思います。例えば、彼と同じ気持ちを共有できる人間・・・






「きれいな、歌だね。」







男ははっと、振り向きました。真っ赤な夕日をバックにして、誰かがそこに立っていました。真っ赤な夕日のせいで、男からは声の主の風貌はよく見えません。揺らめく陽炎だけが見えるだけ。なんだか、それがすごくもどかしくて男は目を細めました。だんだんと、声をかけてきた人物のシルエットが見えてきます。身長は中学生くらいでしょうか。綺麗な黒髪を腰までこしらえた少女。病院の服を羽織っているので、ここの入院患者でしょう。だんだんと分かってくるシルエット。不自然な形のシルエット。ホラーシーンの一部のような不気味さを伴って、男は、一人の女の子を視界に収めました。




―――――目を包帯で覆った少女―——————————————




きっと、この時の出会いが、男の人生の中でとても貴重で、でもとても脆く儚い、そしてとても残酷な半生を生んだ瞬間だったのでしょう。今思えば、この時歌わなければ、彼自身、そして少女自身あのような結末を迎えることはなかったのだと思います。でも、もう遅い・・・・。彼らのストーリーはこの瞬間から動き始めてしまいました。そして、ずっと時を紡いでいくのです。どのように壊れようとも戻らない一瞬を積み重ねて・・・・・・・・


「お前は・・・?」

夕日が照らす、病院の屋上。男は、包帯少女に声を掛けましたが、少女は意図的なのか、その質問には答えませんでした。代わりに

「おじさん、歌、好きなんだ?」

少女は質問を投げかけます。

「え?ああ・・・まあな。好きっていうか、好きだったていうか。」

男は曖昧に答えました。

「今は、好きじゃないの?」

「・・・・どうだろうな。」

「ふーん、あんなに上手に歌えるのに。」

「いや、俺は歌担当じゃないんだけどな。」

「え?」

「あ・・・いや。」

真っ赤に染まった屋上でなぜか会話している二人。奇妙な沈黙が下りました。

少し不健康さを感じさせるような白い肌、今にも壊れてしまいそうな少女。夕闇に乗って、風が少女の髪をなびかせながら、少女は笑いました。

「おじさんは、私と同じにおいがする。」

「におい?」

男は、キョトンとしてしまいます。



「うん、孤独のにおいと、絶望のにおい。」



 やっぱり少女は笑います、寂しそうに。

「はは、お前は悟りでも開いてるのか?外見によらず大人だな?」

男は、少女がそんな寂しそうに話すのが許せなくて、わざと明るい表情でこう言いました。

「ボクが?」

「ああそうだ。それと俺はおじさんじゃない。これでも28だ。まあ、将来の希望のないニートであるから、絶望的なのは共感するがな。」

フンと、胸を張ってそう答えます。少女はクスリと笑って、

「ふふ、そんなの全然絶望することじゃないよ。そんなことで絶望するぐらいなら、おじさんは、こんな夕暮れ時に、そんなにきれいに歌えないよ?」

そんな風に言いました。男はどう返せば良いのかわからず、

「そんなものなのか?」

そう答えるしかできません。

沈黙…

「あとよく、今が夕暮れ時ってわかったな?」

男は思います。そもそも目が見えないのにどうやって屋上までこの少女は来たのだろうかと。

 その時、ぜえぜえと息を切らせながら、ナースが屋上へとやってきました。

「鈴、やっと追いついたぜ・・・ったく、一人で走ったら危ねぇだろうが・・・」

ナースは、その時男の存在に気づきました。男と少女の組み合わせがナースには意外だったようで、何とも言えない顔をナースはしていました。

「なんで、鈴とてめぇが一緒にいるんだ?」

「なんでって、言われても・・・・俺にもわかんないですよ。」

男は、正直に答えました。代わりに少女が答えます。


「歌が聞こえたんだよ。」


「歌?」

ナースは、意味が分からないといった顔をした。

「その歌のために、わざわざ屋上まで来たってのか?目も見えねぇっていうのに。」

「うん。・・・・だって・・・」

「?」

「なんだか、呼ばれている気がしたから。」

そう言って、少女は男の方へと向き直りました。(目を包帯で覆っている人物にこの表現が適切かは分かりませんが・・・)

夕日に立つ少女は、なんだか非現実的で、でもだからこそ幻想的でした。

男は、少女から目を背けました。少女を真正面からみる勇気がなかったのです。どうしてこんな感情になったのか上手に記すことができないのですが、男には、目を包帯で覆った少女と自分を同列に扱うことができなかったからだと記しておきましょう。

「はぁ・・・・。」

どこにも目の行き場がないから、夕空を見上げました。夕日は、近くもなく遠くもなく男たちを照らしています。

男は、少女と同じ気持ちにはなれません。だって、男は男でしかなかったのですから。でも、そんな資格はないと思いながらも、少しだけ孤独から解放されたような気がするのも事実でした。

だから、もう一度だけ太陽に向かって手を伸ばしてみたんです。

絶対に届かないと思われたそれは、なぜでしょう。夕日ならば、少しだけ届きそうな気がしました。

孤独だと自分を決めてしまう自分も確かに存在します。だけど・・・・

男は、手を少女の頭にのせて、いいました。

「お前の名前は?」

きっと、少女のことを自身と重ね合わせてしまっている、

「神木 鈴音だよ。おじさん。」

そんな自分も、

「だから、おじさんじゃねえっつうの。」

間違いなく彼自身。






_______________________________________________________________________________________________

夢の中で






きっとその場所は、砂浜でした。だからきっと、これは夢の中。

男は眩しそうに太陽を見上げます。その指はすべてそろっていて、ちょっと手を伸ばせば、あの眩しい太陽でさえも届いてしまうんじゃないかと、錯覚してしまいそうになります。

「いつまでも・・・・」

男は振り向きます。

視界には女性の姿がありました。白いワンピースに大きな麦わら帽子。そして、腰のあたりまで伸びた黒い髪の毛。

「え・・・?」

「あ、いや・・・・」

女性は、はにかんで笑いました。

「いつまでも、こんな時間が続いていたら、いいなって・・・。」

ワンピースの女性は、そんなことを言いました。

「ああ、そうだな。」

男も、つられて笑いました。

二人の仲を受け持つように、波が、ザザー、ザザーと打ち寄せていました。






_______________________________________________________________________________________________






 皆さんに、突然ですが質問があります。目を覚ますと、そこには看護婦のお尻があったとします。何を言い出すんだと思うかもしれませんが、まあ聞いてください。いいですか?美人のお尻ですよ?あなたなら、次にどんな行為に移りますか?


一、何も考えず、ナースの尻を触る。

二、ナースに無防備だぞと注意をしながら、さりげなくナースの尻を触る

三、見て見ぬふりをしながら、やっぱりそれでもナースの尻を触る


ここで、尻を触ると答えた皆さん。おめでとう同志よと言っておきましょう。ですから、目を覚ました男がそのような行動をとったとしてもきっと私たちは怒ることなんてできないですよね。それどころか、我らの心の先駆者として、永遠にその名が語り継がれなければならないと、私は思うのです。

 男は、目が覚めた眼をこすりながら、反射的にそっと手を伸ばします。目の前には、機材の調整で無防備なナースのお尻がありました。男の手が不気味にわさわさ動きます。戦闘態勢は万全のようです。そろーっと伸ばした手が、だんだんと、標的に迫ってまいりました。 

 その場には何とも形容のしがたい緊張が走ります。例えるならば、銃を向けられた悪人に似た緊張感といったところでしょうか。一触即発というやつです。それでも男はその手を引っ込めようとはしませんでした。ああ、勇者ですね。ここで、嫉妬を起こしてしまう同志諸君もいるかとは思いますが、私はあえてその勇気をたたえたいと思います。

 そして、ついに尻に触れようというその瞬間、つまり念願のパラダイスに到着できる瞬間。ふっと、男の腕に圧力がかかって、男の腕に激痛が走りました。男は一瞬何が起こったのか、よくわからなかったのですが、次の瞬間、ナースによって、腕が卍がためされていることを認識しました。

「いたい、痛いですよ、京子さん―――」

「てめぇ、今私の尻触ろうとしていただろうがっ」

「し、仕方がないじゃないですが、起きたらそこに、京子さんのお尻があったんですからっ」

男は理由にならない屁理屈を並べるだけで反省の概念はないようでした。ナースは、それはもう阿修羅のごとく怒り、顔を真っ赤にしながら、今必殺の卍がためで悪の象徴を断罪にかかる仕事人と相成り候・・・・・・・

「ぎやあぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 朝の病院に、男の情けない絶叫が木霊しました。きっと、男の勇志は私たちの心の中で輝き続けることでしょう。

私たちはあなたの勇士を決して忘れたりなんかしない。    

                                       完









 とまぁ、いつもの恒例行事(?)のようなものが終わると(ちなみに男の企みが成功したことは今のところありません。)、ナースはいつものようにため息をつきました。

「京子さん、ため息ばかりついていると、皺が増えちゃいますよ。」

「うっせぇ、もう一度締めなおしてやろうか?」

「すいません。」

「ったくよぉ・・・・」

もう一度だけ、ため息をつくと、ナースは男の方を向き直ってから言いました。

「実はお前に頼みたいことがあるんだ。」

いつものナースと違って、少しだけ真剣な眼差し。ナースは、ベッドの近くにあった椅子に腰かけてそう言うのです。

「京子さんが頼み事って珍しいですね。」

フンっと鼻を鳴らすと、京子さんは本題に入りました。

「昨日、女の子にあっただろう?」

ナースにしては珍しく歯切れの悪そうに、そう言いました。

「それがどうかしたんですか?」

「いや、・・・その・・・」

ナースは目をそらしました。いつものナースと違ってなかなか話を切り出さないので、男は、

「確か、・・・神木さんでしたっけ?」

「そうだ。・・・・それでだな。」

一拍の間

「たまにでいいんだが、あの子に会いに行ってやってくれねぇか?」

「俺が?京子さんが行けばいいじゃないですか?」

気まずそうに、ナースは目をそらします。

「うーん。まぁ、そうできればいいんだが、・・・・・なんというか、会話が続かねぇんだよ。」

「どういうことですか?」

ナースは、また、うーんとうなり声をあげます。どうやら、ナースにとってはなかなか話づらいことのようです。

「お前も見たと思うが、鈴は生まれつき目が見えない。それが原因かは分からないんだが、人と距離感を作っててな。もちろん受け答えはするんだが、なんというか会話のキャッチボールになんねぇんだよ。」

「はあ・・・・。」

男には、その言葉を鵜呑みすることができませんでした。昨日の印象だと、そんなに会話のできない子には見えなかったのです。

ナースは言います。

「だから、昨日のお前たちを見てビックリした。鈴でもあんなにしゃべることがあるんだなって・・・たぶん想像できないだろうけど、あんなに会話の続く鈴を見るのは初めてだったんだ。」

「そうですか。」

男はすぐに首を縦に振ろうとはしませんでした。男にとって利益になることがないからといったような打算的な理由ではないのですが、なんとなくあまり気が進まなかったのです。

「ダメか?」

ナースは、見上げるように聞いてきました。いつも強気なナースがそんな風に弱弱しい態度で接してくると、ギャップも相まって破壊力満点なのですが、男はそれでも縦に首を振ろうとはしません。

「京子さんは、その・・・神木さんとはあまり接していたくはないのですか?」

「そんなことはない。・・・・・ただな・・・・・・ちゃんと接してやれないのが、もどかしいんだと思う。私は、鈴の気持ちを分かってやることなんて、できやしないんだから。」

きっと、ナースはやるせないのでしょう。別に盲目の少女が障害のある人だからって、差別しようなんて気持ちもこれっぽっちもないのだろうと思います。ですが、理解することもできません。人の持つ痛みは、その人にしか分かりませんから、盲目の少女の持つ気持ちはナースには共有できる気持ではなかったのです。でも、だからこそ、男に頼みました。

「うーん、俺に女の子の世話なんてできるんでしょうか?」

「ああ、・・・きっとな。少なくとも、私よりかは素質がある。」

男自身にも、なぜ自分があの子と合うのをためらうのかはよく分かりませんでした。別に会うのが嫌というわけではなかったはずなのです。ただ、自分と会って、盲目の少女が幸せに笑っている未来を想像することもできませんでした。

「あー、もうじれってぇなぁ。」

ナースは、そういうと強引に男の手を取りました。

「考えてみれば、てめぇに拒否権はそもそもねぇんだよ。」

「え?それってひどくないですか?」

「うっせぇ、毎度毎度セクハラまがいのことをしてきやがって。」

「す、すいません。」

そんなセクハラ男を盲目の少女と接触させて大丈夫なのだろうかと、男は思っていたのですが、結局言い出せずじまいで、少女のいる病室へと連行されてしまうのでした。






「こんにちは、おじさん。」


挨拶のしぐさで揺れる黒髪が、艶やかに流れました。

少女の病室は、西病棟と呼ばれる、一般の病棟とは離れた棟の一番上の階にありました。その部屋は、窓が開いていて、とても開放的な印象を男に与えました。外から吹き込む風がカーテンを優しく揺らしていて、とても気持ちの良いものでした。ですが、残念なことに、男にはそれらは目に入っていなかったようです。

目に入ったのは、一台のアコースティックギター。

どうして、ギターなんてものが、病室においてあるのかはよく分かりません。ですが、現に置いてあるんだからしょうがありません。使い込まれたギターは、開放的な病室と不思議とマッチしていて、その存在をうまく病室に溶け込ませていました。

「おじさん?」

少女は、答えを返さない男を不思議に思ったのでしょうか、再度男に呼びかけます。

「あっ、悪い悪い。昨日ぶりだな。」

「ふふっ、そうだね。」

少女は、ベッドに腰かけて。こちらに向かって微笑みかけます。なんだか、その笑みが男を試しているような気がして、男は、少しだけ居ごごち悪く感じました。

 男は、何を話せばいいのかよくわからず、困惑してしまいます。

少女は、そんな男にかまわず、男の目の前まで近寄ってきました。そして、男を見上げます。その距離は、初対面の二人にしては、あまりにも近く、まるで恋人同士のそれでした。

 男は、強制的に少女の顔を間近で見ることとなってしまいました。均整の取れた顔立ち。透き通るような白い肌。綺麗な黒髪。目を包帯で覆っていなければ、おそらくかなりの美人であったのでしょう。

 ただ、少女の目を覆っている包帯がその全てを台無しにしていました。

 そう、すべてを台無しにしていました。

「ねえ、散歩に行かないかい?」

少女は、そう尋ねてきました。


 当然ですが、少女は目が見えないので、車椅子を押す必要がありました。男は、どこに行きたいのかと尋ねると、花壇の紫陽花を見たいと言い出します。目が見えないのに、花壇の花を見て意味があるのかと聞きたくなるのですが、聞いたところでどうしようもないので、男は言われるままに少女を連れて行きました。

 車椅子を押して男と、盲目の少女が廊下を進みます。道行く人たちが不自然なほど道を開けます。それは、親切などではなく、まるで不良に絡まれたくないから嫌々開けるといった、ネガティブなニュアンスが含まれていました。誰もが少女から目を背けます。人々からは盲目の少女がどのように見えているのでしょうか。まるで少女なんていないなんて思いこもうとしてるかのように目を背け続けていました。男は、こんな状況を少女はどう思っているのだろうかと思ってしまうのですが、車椅子を押す男からは少女の表情を窺い知ることはできませんでした。

 外は、梅雨にしては珍しくひどく快晴でした。少し歩くと、目当ての紫陽花が咲いていました。紫陽花は、雨が恋しいのか、ちょっと元気がなさそうです。

少女はまるで目が見えているかのように紫陽花に触れました。

「目が見えないのに、紫陽花が分かるのか?」

「フフッ、匂いで、大体わかるよ。紫陽花はちょっと特殊で、花の蜜の匂いっていうよりも、雨の匂いがするんだ。」

雨の匂いのする花、ちょっと意外な回答ですね。

「雨の匂い?」

「そう、雨の匂い。きっと、雨になりたいんだよ、この花は。」

「雨になって、どうするんだ?」

「うーん、誰かのためになりたいんじゃないかな?ほら、水がないと、生き物は生きていけないでしょう?」

「でも、そんなことしたら、自分の存在は消えてしまうじゃないのか?」

「うん、・・・・・だからいいんだよ。誰かのために、命を使える。これ以上に幸せなことなんてあるのかな?」

男には、その考え方は受け入れがたいものでした。

「俺には、分かんねぇな。どうせ生きるなら、自分の幸せのために生きていたい。」

「ふふ・・・誰かのために生きることだって、結局自己満足だよ。自分が幸せに感じるから、誰かのために何かをする。」

「そんなもんかねぇ。」

「そんなものだよ。」

少女はそういって、紫陽花をいとしそうに撫でました。

 男には、少女のことは良く分かりません。そんなことは当たり前。ですが、少女のこの一連の会話は男にとって決して居心地の悪いものではありませんでした。そして、少女を後ろから眺めていると、その影が誰かと重なります。


 一瞬、少女が白いワンピースを着た誰かに・・・


「・・・・おじさん?」

ハッとその言葉で現実に引き戻されます。

少女が、こちらを振り返っていました。

「あ、いや、悪い。ちょっと、知り合いを思い出しちまって・・・・・。」

「そう。」

少女は、再び男のもとに近づいて、言います。

「そろそろ、帰ろうか?」

「ああ、そうだな。」

二人は、元来た道を帰りました。






_______________________________________________________________________________________________

夢の中で






きっとそこは、スタジオの中でした。だからきっと、これも夢の中。今日も白いワンピースを着た女性が、真剣に何かを書いていました。

「新しい曲か?」

「うん。でも、なんだか、今回の曲は完成できない気がする。」

手元には、曲の題名が見えました。

「九音?」

「そう、九音。九は一文字で表せる最高の数字で、仏教用語の久遠と掛け合わせてるの。つまり、・・・・・最高で永遠に続く。そんな歌。」

「はは、ずいぶんスケールがでかいな。」

「そうかもね。・・・・でも、私にはどうしても完成させてみたい曲だから。」

楽譜には、未だ、一小節もかけていませんでした。

「イメージとか湧いてんのか?」

「全然。ただ、宗教だとか、生まれた国だとかそんなしがらみを越えて、心に響く曲を作ってみたい・・・・・。」

「・・・・難しそうな曲だな。」

男は、この女性が宗教にコンプレックスを抱いているのを知っていましたので、それ以上深くは追及することはありませんでした。ただ・・・・・

真っ新で、寂しいだけの楽譜がたたずんでいました。

PCの発達によって、楽譜を手書きで作る人間がめっぽう減る中で、二人はあえて手書きにこだわっていました。別にそちらの方がよい曲ができるというわけではありません。ただ、自分たちが作った過程が残るのが嬉しかったのです。

 手書きで作っているといっても、二人は音楽のプロでしたのでそのことに関係なく曲を作ることができました。だから、

「今回も何とかなるさ。」

男はそう言いました。

「うん。・・・・そうだね。」

ワンピースの女性は優しく笑いました。






_______________________________________________________________________________________________







 それから時々男は少女の元に通いました。いや、正確にはナースに連行されました。ですが、意外なことにだんだんと男は少女のもとに行くことを不快に思わなくなっていたのです。

「ねえ、今何してるの?」

今日も、少女の付添人をしていました。

「京子さんが、今日はどんな下着を着けてるのか想像してたんだよ。」

男はそっけなく言いました。目の前の少女が女性であることなど、まったく気にしてないようです。

「おじさんって、エロおやじなんだね。」

ですが、少女もまたそのようなデリカシーのない言葉に平然と返します。

「そうそう、よくわかってんじゃねぇか。だから、俺にかかわるのはよしときな。」

男は、わざとお道化て言います。

「ふーん、ボクは、おじさんはそんなにいかがわしい奴じゃないと思うんだけどな?」

「お前、ガキンチョのくせして、難しい言葉知ってんだな?」

「そう?」

「まあ、そうだと思うが…」

沈黙が、下りたので、男は話題を変える意味も込めて気になっていたことを聞いてみることにしました。

「お前、どうして、俺なんかに話しかけてくるんだ?」

少女は少しだけ悲しそうな顔をしました。

「おじさんは、ボクと話すのが嫌かい?」

「いや、そうじゃないけど、俺なんかと話してて楽しいか?」

「うん、楽しいよ。」

少女はとてもはかなげに笑いました。不謹慎なことだけどちょっとだけその笑顔を可憐だなと思ってしまいます。

「そうかい、悪い、悪い、変なことを聞いちまったな。」

と、その時。ふと、男はドアのそばにナースが立っているのに気づきました。ナースは不気味な笑顔をしていました。口元が時折、ぴくっぴくっと震えています。

「あのぉ、京子さん?いつからそこにいたんですか?」

「ああ、お前が私の下着を想像しているところからだが?」

ナースの目がまるで阿修羅のごとく男を睨んでいます。

「あ、そうなんですか?アハハ・・・・・」

「アハハじゃねえ、変なことばっか考えやがって、そんなんじゃ社会復帰できねえぞ?」

「はぁ、おっしゃる通りです・・・。弁解のしようもございません。」

「はぁ、お前が早くこの病室からいなくなれば、あたしも怒鳴らくてすむんだがなぁ。」

「え・・・、おじさんいなくなっちゃうの?」

黙って話を聞いていた少女が口を開きました。

「ああ、まあもうちょっとでいなくなっちゃうかもな。」

「・・・・そうなんだ・・・・・・。」

少女は、残念そうな表情をします。

「おい、ちょっと来い。鈴はそこで待ってな。」

ナースは、男の手を取って病室の外に連れ出しました。

「どうしたんですか?」

「いや、鈴とはその後どうかと思ってな。」

「別に、特に何もないですが。」

「そうか。普通に接していられるんだな。」

ほっとしたように胸をなでおろします。

「これからもできるだけ鈴の隣にいてほしんだ。それで、できれば・・・いや、・・・くれぐれも鈴をのけ者にするんじゃないぞ。」

「なんか、俺の時と対応の仕方がずいぶん違うんですね?」

「人の下着を日々想像するような変態だからな。」

「・・・すんません。」

「じゃあ、私はほかの仕事があるからな、よろしく頼むぞ。」

そういうと、ナースは去っていきました。

 病室に戻ると、少女はベッドにちょこんと座っていました。

「ねぇ、本当におじさん、退院しちゃうの?」

「まあ、病院は体の調子が悪いものがいるべきところだからな。逆に治っちまったら、もうそこにはいられねえよ。」

「・・・・・・そうだね。」

またまた沈黙

「お前、俺意外とあまり話そうとしないそうじゃないか?」

「え?・・・・・あ、うん。」

少女は改めて男の方を向きました。


「・・・・・・、ちょっとね、怖いんだ。」


「話すのが?」


「うん、話すのが怖い。自分の内側が他人に知られていくのが・・・とても怖い。」


「・・・。」

なぜでしょう、男はなんだか少しだけ共感できるような気がしました。

「でも、それなら俺にだって当てはまるだろ。」

「ふふ、それは大丈夫だよ」

「?」


「だって、おじさんとボクは同類だから。絶対に必要以上近づいたりしない。」


はあ、と男はため息をつきます。何言ってんだお前はと言ってやりたいのですが、男はその言葉を妙に受け入れてしまったのです。だから、別の方法をとるしかありませんでした。

男は少女の頭の上にそっと手を置きました。


「しゃあねえな。お前が寂しがり屋でシャイなのはよくわかったよ。だから、俺がいなくなっても寂しくないようにお前に歌をやるよ。」


男自身が不思議に思うほど、その提案はすんなりと出てきました。曲なんて本当は聞きたくもないのに・・・・

「歌?」

「そうだ。俺とお前で作るんだ。」

でも、本当にその提案はすんなりと出てきたんです。そのことが当たり前であるかのように、

「おじさんと、ボクが?」

「ああ、そうすりゃお前は一人寂しさを感じなくて済むんだ。知ってるか?宗教や民族、そんなしがらみをこえて、音楽は皆に平等なんだ。・・・昔誰かが言ってた。」

そして思いだします。少女と似た面影を持つ、あの人を。

「受け売りなんだね。」

「別になんだっていいだろ。」

少しの沈黙の後、少女はくすっと笑いました。

「うん、やってみたい。」

その笑顔は、やっぱり死んでしまった誰かに似ていて、男はそれ以上少女の顔を直視できませんでした。

「そうだな、手始めに、そうだな・・・あれだな。」

目をそらすように、ギターに向き直ります。

「え?・・・・」

「まず、お前にこいつを教えてやるよ。」

男はそういうと、壁際に立てかけてあったギターを手に取りました。雨の良く降る季節にもかかわらず、ギターの弦は全くサビておらず、よく手入れされていることが分かります。

そして、この楽器を手に持つと、あの人を思い出してしまいます。今でも、ちょっと横を見ると、優しく笑うあの人がいそうで・・・

そんな感傷に浸るのが嫌で、男は問います。

「そもそも、どうしてこんなところにギターがあるんだ?」

「なんだか、昔からあるみたいだよ。」

「そうなのか・・・・・。」

病室にギター。意外な組み合わせですが、やっぱりギターはその場所になじんでいて、違和感を感じさせませんでした。

「そんじゃあ、こいつを教えてやるから、こっち来な。」

「おじさん。ギターを弾けるの?」

「まあ、ずっと音楽やってたからな。」

「へぇ、そうなんだ。」

そういうと、盲目の少女は、うれしそうに近づいてきました。本当にうれしそうに。


 その日から、彼女の病室でギター教室が始まりました。病院内でギターを弾いてもよいものなのかと疑問に思ったのですが、その病棟は精神に疾患がある患者などが入院しているらしく、防音設備などが備わっているのだそうです。

「違う違う、そうじゃないFはこうやって・・・」

そういうわけで、男が少女にギターを教えているわけなのですが、今、男は少女に寄り添う形ででギターを教えていました。少女の体が男ととても近い位置にあり、男の鼻もとに少女の黒髪があって、なんというか女の子の匂いがしました。まあ、なんというか魔法使いを目指さざるを得ない人たちに喧嘩を売るような絵面がそこに広がっていたわけです。ただ、彼はそんなドキドキするようなことではなかったようです。特にこれといったこともなく、少女にギターを教えています。悲しいことに男にとっては所詮はガキンチョはガキンチョでしかなかったのでしょう。時折来る甘いにおいも、心を惑わす類の甘いにおいにはなりえませんでした。

「はぁ、これが京子さんならナぁ・・・・。」

男は想像してみます、ナースにあれこれと手ほどきをする姿を。そうそう手を添えて、いてて、手を詰められたぞ。あれ、今度は殴られてる。待って、メスはそんなことに使うためにあるんじゃ・・・・・・

・・・・想像するのは・・・よそう・・・・・。

「もぉ、おじさん、ちゃんと教えてよ。」

男は現実世界に引き戻されると、また、このガキンチョに指導を再開します。

 肩越しに男は少女の手に自分の手を添えました。思ってた以上に少女の手は暖かくて、男にはちょっと驚きでした。

メトロノームもくそもないのですが、男が思いついた簡単なフレーズを少女と一緒に弾いてみます。

一音一音弾くたびに、少女の指が熱を持ちました。ただ、やっぱりそれも恋の熱ではありませんでした。目の見えない少女。生まれながらにできることがどうしても限られてしまう彼女にとって、音を奏でるというのはどういった気持ちを抱かせるものだったのでしょうか?

少女は、何も言葉を発しません。ですが、決して弦から指を離そうとはしませんでした。何度も、何度も、何度も、何度も面白みのかけらもないフレーズを弾き続けます。

男は、そっと少女の横顔を眺めました。

少女は、笑っていました。きっと、本心からの気持ちなのでしょう。

無邪気な笑顔で、出会った頃のあの人を思い出させました。それがなんだか切なくて、結局何時間も何時間も、男と少女は言葉を発することなく、ギターを弾き続けたのです。





 少女にギターを教え始めて、早くも一月近く経とうとしていました。少女が弾ける曲のレパートリーはすでに十曲を超えています。驚きですね。外では、セミが真夏の大合唱を行っている季節となっていました。

 目の前には、ギターに手を置いた盲目の少女がいます。その姿は、とても様になっていました。そうして、ゆっくりと指が動きます。指はまるで一つの命のようにフレットの上を踊ります。無駄のない動きが、音を紡いでいく姿は、まるで熟練のギタリストを連想させますが、この少女はまだ楽器を弾き始めて一月だというのだから驚きですね。

少女は、すでに男のサポートなしに曲を弾きこなしました。目が見えないのにそんなに上手に楽器が弾けるのかと疑問に思うかもしれませんが、実際にそうなっているのだから、仕方がありません。

盲目の少女は、本当に楽しそうにギターを奏でていました。






 楽器を弾く以外でも男と少女は一緒にいることが多くありました。いまだ盲目の少女は男意外と積極的に話をしようとしなかったため、男が看護師の真似ごとをする羽目になったのです。とはいっても、病室を離れるときに一緒に付いて行くぐらいでしたが。 

今日も、男と少女は一緒に昼の散歩を行っていました。男は盲導犬のごとく少女の目指す方むけて歩きます。途中向日葵が見えました。

「へぇ、もう向日葵が咲いているんだなぁ。」

「おじさん、向日葵ってどんな花なの?」

少女はそう尋ねてきます。当たり前のことなんですが、生まれつき盲目の彼女は当たり前のようなことを知らないことがよくあります。逆に、普段では使われないような難しい言葉を知ってたりもして、とても不思議な女の子なのでした。

「そうだなぁ、うーん、とりあえずでかい。」

「大きいの?」

「ああ、太陽と同じ直径だそうだ。」

「ふふ、おじさん、馬鹿言っちゃだめだよ。そんなに大きかったら、病院に植えることなんてできないじゃないか。」

「いやいや、それができるんだなーこれが。この病院では我々の知らない特殊装置を使ってだな・・・」

少女の外見が子供のように見えるからでしょうか、ほら話を男はよく混ぜたりしました。でも、実際には少女は既に十六歳なのだそうです。

男は、さも当たり前のようにほら話を続けます。

話は、変な方向変な方向へと尾ひれを付けました。

「ええっ、じゃあ向日葵は宇宙人が連れ込んだ花だったの?」

「そう、だからこいつらはいつも故郷の太陽に向かって花開いてんだよ。きっと恋しいんだろうなぁ。」

「そう、いつか帰れるといいね。」

そういうと、少女は不敵に笑いました。

「でもおじさん、太陽って、表面温度が6千度ぐらいあるんだよ。そんな場所に生物がいるわけないんじゃないかなぁ?」

少女は、男がどんな返答を返すのか楽しみな表情をさせて、男に尋ねます。

「む、そ、それはだなぁ・・・」

男は、口ごもってしまいます。少女は追い打ちをかけて

「それに、いま地球以外で生物は確認されていないんだよ。まあ、火星は地球と環境が似ているからもしかしたらいるかもしれないけど。」

男は、ほら話を話した時とは打って変わって、どもり始めました。

「そ、そうなのか・・・・?」

「っていうことは、おじさんは、地球で初めて宇宙人を発見した人ってことになるのかなあ。」

「そ、それはだなぁ・・・・・」

男は、年端もいかない少女に言い負けるのが癪で、頭をフル回転させるのですが・・・、

「う、うう・・・・・・すまん、全部嘘だ。」

結局、言い負かされてしまいます。

「ふふふ・・・」

少女は、間違いなく男よりも物知りでした・・・・。

二人は、いつも一緒にいることが日常的になっていました。その中でついに曲作りを始めます。盲目の少女は、ギターを弾けても曲作りの知識は持ってませんでしたので、男が中心となって行いました。男が口ずさむメロディに少女がアイディアを織り交ぜていく形となりました。ですが、なかなか曲は完成が見えてきません。まあ、でもそれが普通なのでしょう。紆余曲折、三歩進んでは二歩下がりながら曲は作られていくものなのですから。きっと、そういった過程があるからこそ曲が聞き手の心をつかむことができるのだと思います。

でも、そんな亀のような進行速度で進んでいく作業も、不思議と男にとっては不快ではありませんでした。日々成長している少女を隣で見守るのはそれだけでやりがいがあったのです。






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夢の中で






きっとそこは、夜のカフェでした。だからきっと、これは夢の中。

ワンピースの女性は窓の外を見るのを止めて、突然こう言いました。

「きっと、曲を作る人はカンダタじゃないといけないんだと思う。」

男は、キョトンとした表情をして、

「カンダタって?」

そう聞き返します。

「ほら、『蜘蛛の糸』の主人公。」

男は、ますます訳が分からなくなります。

「どうして、そう思うんだ?」

「糸にすがって、周りを蹴落としてまでも、天国に行こうとしたのって、きっと、カンダタのいる場所がとてもつらい場所だったからだと思うんだ。」

「・・・はぁ。」

「決して、糸の先が幸せなところだから、あんなにムチャしたんじゃない。」

「・・・・かもな。」

「地獄があまりにもつらかったから夢見ることができたんだと思う。」

「・・・・。」

「きっと、今が不幸であればあるほど、今を頑張ることができる。不幸であればあるほど、幸せな日々を夢見てそれを歌にできる。だから・・・。」

「・・・・。」

「私たちはきっと、幸せになっちゃいけないんだ。」

「・・・・なんだか、悲しくなるな。」

「・・・・でも、・・・」

「・・・・。」

「私たちの分も、聞く人が幸せを感じてくれるなら・・・」

「・・・・。」

「私はそれでいいんだ。」






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「ドドーン、医院長の許可を取って、コンサートを開くことになったぞ!」

「「?」」

二人はきょとんとした顔でナースを見ました。

ナースは、そんなのお構いなしに、

「いやー、お前らいつまでこの部屋に引きこもってギター弾いてるつもりだよ。弾けるならみんなの前で弾け。」

(えぇ?)

男の心の嘆きを知ってか知らずかナースは親指を立ててグッドサインを決ました。(それは、まったくをもって屈託のないどや顔でした。)

別に二人は別に誰かに聞いてもらいたくて音楽をやっているわけではないので、ナースの提案は的外れなものでしたが、思いっきりどや顔をしている人には、なかなか真実を言いづらいものです。

「あのー、京子さん?実はですね」

「大丈夫。誰だって最初は怖いもんだ。でもな、やらなきゃ始まらないんだよ。」

しかも、どや顔の人は、こちらの話を聞く気はないようです。熱く自らの胸の内を語りだしました。

「はぁ・・・」

男は、少女の方を見てみたのですが、少女はナースの言ったことがいまだ理解できていないのか、頭の上にクエスチョンマークを付けたまま固まっていました。

 男は、仕方がないので懇切丁寧に二人が音楽をやっている理由をナースに説明しました。

十分後・・・・・

「はぁ?じゃあ、折角曲作っているって言いうのに、だれにも聞かせねぇっていうのかよ?」

「ええ、まあ、そうなります。」

「なんとも、つまらん奴らだなー」

「あのー、その言い方だと、鈴も詰まらん奴に含まれてしまいますよ?」

「・・・・・なんともつまらん男だなー。」

「・・・・。」

「いいか、曲ってのはなぁ、人に聞いてもらって初めて曲として完成するんだよ。ほら、あれだ。一人でいくら頑張ったって子供はできねぇだろ?それと同じさ。」

「あのぉ、さすがに下ネタは・・・・。」

ナースは、男の忠告も聞かずに、熱弁を続けました。

「うっせえなぁ。細けぇこたぁいいんだよ。でもなぁ、こんだけうまく弾けるんだったら、聞かせなきゃ損だろ?」

いつも、セクハラで男を毛嫌いしているナースでしたが、ナースも大概男と変わりないようです。盲目の少女は、ナースに褒められたのが嬉しかったのか、ちょっとうつむいてしまいました。

「ほら鈴、お前だって、みんなの前で弾いてみたいとは思うだろ?」

「・・・・ボクは・・・」

少女には、よくわからないようです。瞬間、ナースの顔が、どす黒く光りました。


「ま、・・・・・断ってもやらせるんだけどな。」


「「・・・・。」」


「もう、院長に申請出しちまったし。」


「「・・・・。」」


「チラシだって作っちゃったし。」


「「・・・・。」」


ナースは、ポンっと男の肩に手を置きました。


「まっ、頑張れや。」


「「・・・・。」」


ナースは、ガハハと笑うと二人を残して出ていきました。二人は、呆然とその姿を見つめることしかできませんでした。





 雨の香りは消え、空には大きな入道雲がかかっています。向日葵の花が嬉しそうに今日も咲いていました。

 男と少女は、今日も曲を作っていました。曲はやっぱりなかなか完成が見えてこないのですが、二人にとっては曲を作る時間はあまり嫌いじゃないようです。

 変化といえば、二人の作曲に最近はナースが混ざるようになってきました。コンサートを開くといった手前、自分だけ蚊帳の外にいるわけには、いかなかったのでしょう。

「いやー、間近で見るが、よく目が見えねぇのにすらすら弾けるもんだなぁ。」

 盲目の少女は、ギターを自分の手足のように使えるようになっていました。その姿は、音楽と会話をしているようでした。

「いや~、俺もびっくりですよ。まさか、こんなに弾けるようになるとは思っていませんでした。ま、指導者が良かったんでしょうね。」

「指導者はともかく、鈴には才能があったんだなぁ。長いこと一緒にいたのに全然気づかなかったよ。」

「勿論、鈴がそれだけの能力を持っていたっていうのも大きいんでしょうね。でもそれ以上に大きなのは、それを開花させた指導者の力でしょうね。」

「指導者の力なんてこれっぽっちもありはしないのによくもまぁこんなに弾けるなぁ。」

「京子さん、俺に恨みでもあるんですか?」

「ただ、・・・ちょっと、ものたんねぇなぁ。」

「・・・・無視ですか・・・・。」

「山田。てめぇもなんか足りねぇと思わねぇか?」

「足りないものですか?うーん、まぁギターだけですからね。ある程度は仕方がないと思いますが、しいて言うなら、ヴォーカルですかね?」

「それだ!」

ナースは、男を指さして言います。

「なんか足りねぇと思ってたんだが、歌だ。歌が足りねぇんだよ。」

盲目の少女は、キョトンとした格好で二人を見て言います。

ナースは、ガバッと少女の方を向きました。

「なぁ、鈴、おめぇ歌を歌わねぇか?」

「・・・・歌?」

「そう、歌だ。うまくいくかは分かんねぇけど、私は聞いてみたい。」

「京子さんが歌ったらどうですか?」

「いや、私は無理だ。」

「どうしてですか?」

「昔合コンで歌って、参加者の半分を気絶させた経験があるからな。」

「どこのジャ〇アンだ。」

やはり、ナースはただものではなかったようです。盲目少女は、二人の話を傍目に見ていたのですが、

「いいよ。」

こういいました。

「え?」

「ボクは歌ってみたい。」

そう言って、

突然大きく息を吸うと・・・・


――――♪~~~―――


歌を歌いました。それは、一昔前にはやった曲で歌謡曲というのでしょうか?懐かしさを感じさせる曲調の曲でした。そして、その歌声は何の変哲もない、ただの女の子の声。

「おお・・・・うめぇじゃねぇか。」

ナースはびっくりした表情で、少女を見ました。

「はぁ・・・・いい声持ってんじゃねぇか。選曲はあれだが、なかなかいいじゃないか。なあ、山田・・・・山田?」

でも、男にとって、その声はただの声ではありませんでした。男は固まっていました。まるで、信じられないものを見るかのように。

「おじさん?」

男は、心ここにあらずといった感じで少女を凝視していました。




「・・・・どうして?」




男の中に蘇る、大切な、本当に大切な思い出の数々。

「おい、山田?」

蘇る、屈託のない笑顔で笑う女性。



「どうして、・・・・・・あいつとおんなじ声なんだよ。」



男の目に映っているのは、目元を包帯で覆った少女でした。ですがなぜでしょう。男の目に映っていたのは、白いワンピースを着た女性でもあったのです。



「どうして・・・・・」



男は、呆然とそうつぶやきました。






_____________________________________________________________________________________________

夢の中で






そこは、夜の帰り道でした。だから、きっとこれは夢の中。

携帯が鳴ったので、男は通話のスイッチを押しました。

「・・・美香か?」

「・・・・・・・・・・・・・・鉄くん。」

長い沈黙の後、男の耳に入ったのはそんな声。

「どうした?」

「私、分かったんだ。」

女性の声は、いつもと同じなはずなのに、なんだか違いました。

「分かったって、何が?」

長い沈黙が下ります。

「私には、あの曲は作れない。」

「あの曲・・・・・『九音』のことか?どうして?」

「・・・・・だって・・・」

男は、なんだかその話の続きを聞きたくはありませんでした。

「・・・・私は・・・・」

でも、なんだか聞かないといけないような気がして、男は電話を切れませんでした。


「あまりにも穢れすぎてしまっているから。」


そのあと、男は女性と会話を続けたのかよく覚えていません。覚えているのは耳の中でいつまでも響き続ける。ツー、ツーという音だけ。






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 あの日以来、男は少女のもとに通うことができませんでした。

「山田・・・。」

ナースは、そんな男を遠くで見ることしかできません。声をかけていいのか、もし声をかけたとして、いつものように返答を返してくれるのか、ナースには自信がありませんでした。

 男は、ただぼーっと天井を眺めていました。男の隣には、全く手が付けられていない昼食が残っています。

 頭の中には、あの日の残響が今日も響いています。そっと、外を見ました。確か、あの日も今日のように大きな入道雲が広がっていました。男は、あの雲が嫌いでした。あまりにも大きすぎて、小さな雲を隠してしまうから。

 思い出してしまう。何もかも覆い隠して、心を侵食してしまうあの愛しい笑顔を・・・

 もう、今はいない女性。男が大切に思っていたあの女性は、あるライブの最中この世から去りました。世間では、あれは事故ということで話はついていましたが、男だけは、あれが事故ではないことを知っていました。

「・・・・。」

ただ、無言で空を眺めていたのですが、男はゆっくりと起き上がると、病室に備え付けてある机の引き出しを開きました。

 男は、病院に入院する前に身辺整理を一通り済ませていたのですが、それだけは男の手元に残っていました。



『九音』と書かれた楽譜。



 年月が経ってぼろぼろの楽譜には、しかし一小節も音符が書かれていませんでした。きっと、完成することもないのでしょう。

「最高で、永遠に続く音・・・それを聞いたものは、宗教や生まれた国、そんなしがらみを超えて一つになれる・・・・そんな曲。」

心の中では、そんな音楽存在するはずないと、笑ってしまいます。でも、頭の中に出てくる白いワンピースを着た女性だけは、その存在をかたくなに信じていました。

「なぁ、そんな音なんて、本当に存在するのかなぁ?」

弱弱しくつぶやかれた疑問符は、誰に向けられて述べられたのでしょうか?

男は、その音の存在を信じることができるのでしょうか?

男は、そっと、その楽譜を心で包んで、眠りに落ちました。



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