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苦手な方はご注意ください。

一目惚れ

作者: 空びん

唐突に映画を見たくなった。



ほのぼの系が見たい。

思い立ったが吉日で、

あたしはスマホを取り出して、

今日の上映スケジュールを素早く調べた。


姉妹の物語のやつがあった。

なんかTVとか雑誌とか、学校の友達の間で、話題になっているやつ。

ただ、今の時間だと夜のしかない。

確か、18歳以上は保護者同伴じゃないとダメだった気がする。

まあなんとかなるなる。

というか、なんでほのぼの系なのに、こんな夜遅くにするんだろう。

どうでもいいけど。


映画館は近所の大型モールの中にあって、

外側に設置された階段で二階へ上がるとすぐに映画館に通じていた。

ただ、問題は家からモールまで一体どうやって行くか、ということだ。


「……とりあえず、お風呂入って、靴を部屋に持っていって、もう寝たと見せかけて……窓から屋根づたいに行く」


あたしは一連の計画を頭の中でシミュレートする。

完璧な計画だ。

初めてやるが、完璧な計画だ。


「よし……お母さーん! お風呂入ってくるからー!」


あたしはわざとらしさが出ないように、

そう言ってお風呂場へ向かった。





お風呂から出て、髪を乾かして、


「もう寝るねー」


と言って、玄関に向かう。


「あら、早いわね」


リビングからそんな声が聞こえた。


「あー、う、うん。なんか、眠たくてさー」


音を立てないように、暗い玄関から自分の靴を掴んだ。

廊下がぎしりと音を立てる。

心臓がびくんと跳ねた。


「おやすみー」


階段に足をかけて両手に靴をしっかりと持って、あたしは眠そうな演技をした。


「おやすみなさい」


なんの疑いのない母の声が返ってきた。

あたしは心の中で、よしっ、と拳を握りしめた。

フェーズ1はオッケーなり。

部屋に戻るや否や、布団の中に抱き枕を入れて、

夜目に見るとそこであたしが寝ているようにカモフラージュする。


「行ける……行けるで」


あたしは窓を開ける。

昼間とは打って変って、

肌寒い夜風が風呂上がりの体を撫でた。


「さむっ……」


ベッドの上に転がっていた上着を羽織る。


「っしゃ」


靴を履いて、窓枠に足をかけた。

窓の縁に手をかけて下を見る。

瓦屋根にゆっくりと左足を乗せた。


「っうお!?」


瞬間、瓦ががたんと揺れる。

瓦ごと落ちてしまうかと恐怖で息が止まりそうになる。

動悸がすごい。


もう片方の足を乗せ、

瓦が滑り落ちないことを確認して、

壁づたいに歩いていく。

がちゃがちゃと瓦が鳴る。

どうか、聞こえませんように。

ネコかイヌと思ってくれますように。



屋根の端までたどり着き、

下にあるブロック塀を見下ろした。

あそこに足をかけて、庭に着地するだけだ。

距離にして、3m程。

いや、めちゃくちゃ怖い。

夜で暗がりで、星はキレイで。

足を踏み外したらどうなるだろうか。

例えば、捻挫。

例えば、お腹の横をごりっとこする。

あたしは、他の手段を考える。

きょろりと周囲を探ると、雨水を流す排水管が家の壁伝いに設置されていた。


「これだ……」


排水管をぐいぐいと手で押した。

多少動くが、取れなさそうだ。

二階から一階の途中まで行けたら、

後は勇気を振り絞って降りればいい。


足から先に降りて、排水管にしがみつく。

ゆっくりと手で管を挟む。

いける。

ぎちぎちと留め金が軋む。

壁と管との狭い隙間に指を入れて、

少しずつ足と手を下に移動させていった。

なんとか予定した高さまでたどり着き、ぱっと手を離した。

だん! と予想より大きな音が家の外に響く。


「やばっ……」


あたしは逃げるように、抜き足で駆け出した。

手がじんじんして、額と背中とふくらはぎのあたりに汗をかいていた。

走ること五分で、目的のモールの入り口に到着した。

脱獄囚ってこんな感じだろうか。

モールはライトアップがされており、

専門店街は閉まってお客もいないにも関わらず、

賑やかさの残滓が漂っていた。

時計を見る。

上映時間になっていた。


あたしは急いで階段を駆け上った。

客のいない時間に入るというのは、

少し特別な招待客のようで、

密かな高揚感があった。

タバコ臭い休憩室を通り過ぎ、

映画館の前の自動ドアをカエルのように潜り抜ける。

看板の前にカップルがいて、

どの映画を見ようかと迷っていた。


「……えと」


そんなことより、

さっさとチケットを購入しなければ。

早歩きで販売機をいじり、購入する。

ポップコーンとか、メロンソーダとか、

深夜にも関わらず欲しくなったけれど、

そこは我慢して半券をスタッフに渡した。


「お嬢さん、親御さんは?」


と、スタッフの人が言った。


「あ……後で来ます」


あたしは笑顔でそう言った。

上映前の10分は、確か宣伝だ。

だから、ここで多少遅くなっても大丈夫。


「本当に?」


スタッフに疑いのまなざし。

遅くなっても大丈夫。

の前に、やばい、なんか捕まった。


「は、はい」


はよ、行かせてください。

マジで。

お願いします。

半券を握りしめる。

スタッフにとにかく微笑む。


「今、トイレに行ってるので……」


と、適当な嘘を吐く。

でも、待てよ。

後で親が来ないと分かったらどうなるのか。

連れ出されるのか。

警察でも呼ばれるのか。

親に電話させられるのか。

店長さんが出てきてお説教するのか。

おーう。

あたしは、自分がバカだったことを思い出しながら、

スタッフに愛想を振りまくのを止める。


「ちょっと、話を――」


「あ、ごめん待った?」


「え……」


あたしは耳を疑った。

そして、振り返った。


「ごめんごめん……いこっか?」


スーツ姿の女性が、

優しく微笑みながら半券をスタッフに見せる。

スタッフは咳払いして、


「えっと……5番スクリーンになります」


特に悪びれもなく案内してくれた。

しかし、あたしはそのクソスタッフの対応について、

すでにどうでも良くなっていた。


「いこ」


スーツの女は長い髪を一つにくくり、

それを揺らしてあたしの前を進む。

あたしは呆然と立ち止まっていたが、

映画を見たい、という圧倒的欲望に押されて、

自然と彼女の後を追いかけるように歩き出した。


「あ、ありがとうございます」


スクリーン5番に入り、席へ着く前に彼女にお礼を伝えた。

彼女が振り返る。

背の高い人だ。

ハイヒールを履いているせいだけではない。

姿勢が凄くキレイ。


「ううん、いいよ」


姿勢だけじゃない。

美人だ。

なんか、こう、大和撫子的な。

20代後半くらいだろうか。

初めて会う人種だ。


「……」


で、ありえないけれど、何かビビッと来た。

何が来たのかとか言葉で表現できない。

でも、これは電車の中でたまたま隣にカッコイイ男の人が乗ってきた時とよく似ている。

似ているだけで、全く違うものかもしれない。

けれど、よく似ている。


「席どこなの?」


「あ……一番後ろの真ん中です」


「あ、隣の隣だね」


そういえば、チケットを買う時に、

画面上に映し出された配席図に、

黒塗りされた席があった。

この人だったのか。


「あはは……」


宣伝がちょうど終わった。


「いそご?」


彼女が少し、早歩きで上へ登っていく。

明日が平日ということもあり、

お客はあたしと彼女の二人だけだった。

一つ空きで、互いに腰かける。


「田舎の映画館って、人少ないよね」


彼女が言った。

残念そうな感じだ。

こんな夜中にわいわい見るのは勘弁して欲しい。

静かにゆっくり見たい。


「は、はあ」


と、生返事を返す。

ていうか、うん、その、誰なんだこの人。

あたしはその疑問を抱えながら映画に集中し始める。

女4人が主人公のその映画は、

すでに冒頭のBGMからプラトニックな印象をあたしに与えていた。


エッチの後の、いわゆる事後シーンが出てきて、

あたしは親とそういうのを見る時のような羞恥というか、

焦りのようなものを感じていた。

こっそり横目で彼女を見た。

うん、動じてない。

あっちが気にしていないのに、

自分が気にするなんてバカだ。


ていうか、知らない人だし。

なんで少し喋ったくらいで、

こんなに意識しなければならないのだろう。


映画。

映画見に来たの、あたしは。

それから、勝手に映画が終わるまでは彼女の方を見ない、

などという自分ルールを勝手に作って、前方のスクリーンを食い入るように見つめた。


映画が終わって、エンドロールで余韻に浸る。

良い映画だった。

あたしもあの姉妹の中に混ざりたい。

ていうか、朝ごはん美味しそうだな。

お腹空いてきた。

両手でお腹を押さえる。

さて、帰ろう。

がたん、と隣から音が聞こえた。

あたしは驚いて視線を左へ。


「……っ」


彼女は、なぜか、泣いていた。


え、今の映画泣く所そんなにあったっけ。

自分があんまり感情移入できなかったのだろうか。

あたしは先ほどのお礼をもう一度伝えたいと思ったのだが、

その人が俯いて、顔を両手で覆って嗚咽を漏らしていたので、

先に帰ることにした。

が、よく考えたら一緒に帰らないと不審がられる。


「あ、あの……」


なぜか声をかけてしまう。

キレイな人だけど、変な人かもしれない。

どうやら聞こえてないみたいだ。

夜も遅いし、あたしもさっさと帰りたい。

あたしは立ち上がって、鞄に入っているハンカチを彼女の前に差し出した。


「良ければ、使ってください」


いや、でも社会人だし自分で持ってるんじゃ。

思い直し、


「あ、いらないですよね……」


彼女の返事を聞く前に、

腕を引っ込める。

彼女が顔を上げた。


「ありがとう……」


泣きながら笑うという技の破壊力よ。

クリティカルヒットした。

女の人なのに。

うん、自分でも気持ち悪い。

だってもしこれが逆の立場なら、

思われたら怖いと思うんだ。

それに、今日限りの出会いの人だし。

でも彼女はまだ泣いていた。

なんでそんなに泣くのか。

もう、早く泣き止んで欲しい。

自分にはどうすることもできないけど。


「なんで……泣いてるんですか」


ぽろりと言葉が零れた。


「え」


「あ……えと」


彼女は自分の鞄からハンカチを取り出して、

目元を覆った。で、あたしの方を見て、


「安心したの……。良かったなあって……私も妹いたから」


「そうなんですか……」


「あなたにちょっと似てる」


「……へえ」


あー、まさかそれでさっき助けてくれたんだろうか。

でも、これ余計な詮索ってやつだと思ったので、何も聞かずにあたしは彼女の隣に座った。

すると彼女は少し驚いて、あたしを見た。

帰らないのか、と言いたそうだ。

ううん、帰れないの。

それから、漸く、彼女も気が付いたようで、


「あ、ごめんね……一緒に帰らないとだよね」


少し抜けた台詞を呟いた。


「急がないので……」


いや、嘘だ。

けっこう焦ってる。

こっそり家から出てきたし。

だが、そんな焦りはこの人には全く関係のないこと。

それに助けてくれた手前、急かすわけにもいかない。


「ううん、いこうか」


けれど、彼女はこちらの不安をくみ取ってくれたのか、席を立った。

あたしは彼女の前を歩き、部屋を出て映画館を後にした。

階段を下りながら、 先ほどと違ってなんだか頼りがいのなくなった彼女を見る。

目が合う。


「す、すいません」


なぜか謝ってしまう。


「こっちこそ、変な所見られちゃった」


「や、変では」


変では――ない?

いやいや、変でしょ。

モールの街灯は最低限しか点灯しておらず、

階段下に広がるだだっ広い駐車場は奥の方が全く見えない。

そんな時間帯に、隣を歩く大人の女性。

あたしはもう一度彼女を見る。

少したれ目気味で、疲れ気味の顔。


「映画、よく来るんですか?」


「ううん、仕事帰りに今日はたまたまで……」


「お仕事遅いんですね……」


「そうね……あなたは、高校生くらいよね?」


「……いえ、大学生です」


なぜか、バレバレの嘘をつく。


「ほんと……?」


別に疑うって感じではなくて、

からかうように彼女は言った。

どちらでも、別にいいけどって思っているみたい。


「いえ、ごめんなさい。見た目通りです。ちんちくりんです」


誰もそこまで言ってはいない。


「あなたはこうやってよく映画を見に?」


ちんちくりんはスルーされた。


「や、初めてです。こんな夜遅くに来たの」


「だよね……」


頷きながら、彼女は突然お腹を抱えて笑い出した。


「っ……ふふっ……あははっ……」


何がおかしいのかよく分からない。

あたしは愛想笑いを返すべきか悩み立ち止まる。


「最近の子って、すごいっ……」


「すごい?」


「映画見るために……あんな風に家から脱出するなんて……すごいっ……ふふ」


「み、見てたんですか?」


まさか、あの醜態を晒しまっていたとは。


「ダイハードみたいだった……」


「家から脱出した瞬間、爆発しそうですね……」


あたしは想像して、可笑しくて笑ってしまった。

謎の組織からの逃走活劇。

謎の組織?

この場合、組織じゃなくてお母さんのことだけど。


「なんだろう、この子……空き巣かなって最初思ったんだけど、違ったね」


「玄関から出たら、ばれちゃうので」


「でもさ」


彼女はシャツの一番上のボタンを外した。

一瞬鎖骨が見える。


「帰りはどうするの?」


地に降り立ったあたしは、その質問にはっとなった。


「か、考えてなかったです」


「そうなの? やっぱり? そうなんだ……っ」


そして、また柔和な微笑みを浮かべる。


「どうしよう……」


「……ホントはね、そう思ってあなたの後をつけてたの」


「ええ……?」


趣味悪い人かもしれない。


「この子、帰りはどうするのかなって……」


ああ、帰りのことなんてすっぽり抜け落ちていた。

欲望に逆らわなかった結果がこれだ。

玄関は鍵がかかっている。

かと言って、外のポストに入ってある合鍵で開ければ外出したのがバレる。

母、起きる。怒鳴られる。喧嘩する。

裏切りだ。

大人しく寝たと見せかけて、信頼を裏切っての外出。

あたしはバカだとよく言われる。

衝動的で、無謀で。

やると言ったら、とにかく実行してしまう。


「こういう時、まず協力者が現れて、新しい展開に導いてくれるんだよね」


ダイ・ハードのことを言っているのだろうか。

それとも先ほどの映画か。


「協力者って……お姉さんのことですか?」


「そうなるのかな……」


「新しい展開って……テロリストが出てきて、銃撃戦になったり……?」


「もしくは、私と夜逃げしたり」


「で、借金取りのヤクザに後ろから刺されたり……」


「それか、カラオケで夜を明かす」


「で、お姉さんの元彼が突入してきて修羅場が起こって、心中に巻き込まれたり……」


お姉さんが目を細めた。


「ねえ、全部死んじゃいそうだよ?」


「あ、すいません……」


「想像力豊かだ」


褒めてるみたいだった。


「ネガティブな方向になんですけどね」


「そっか。でも、ポジティブにはどうするの?」


「う……コンビニで夜を明かします」


「不良だねえ。女の子一人で怖くない?」


「怖いですね……」


「怖いのに、凄いね」


あ、本気で感心してる。


「や、冗談です……やらないです」


「じゃあ、私の家に来る?」


「え」


彼女はスーツの上着を脱ぎ始める。

暑かったのだろう。折りたたんで腕にかけ、ポケットから家の鍵を出した。

スヌーピーのキーホルダーがついていた。

常夜灯に照らされた彼女の姿。

白いブラウスにうっすらとキャミソールが透けていた。


「な、何言ってるんですか。というか、ご迷惑だろうし……」


「別に一人暮らしだから、迷惑じゃないけど。それに朝になったらお家にすぐ戻るでしょ?」


「お姉さん、逆の立場だったら『はい、喜んでっ』とかって行きますか?」


「うーん、行かないね。きっと」


「ですよね」


「でも、おいでよ」


「や、だって怖いですし」


「何もしないよ」


「されるとは思ってませんけど……」


あたしは脈が速くなるのを感じていた。


「でも、一泊させてあげる代わりに……ちょっとお願いがあるんだ」


「げ、なんですか」


「うん……」


彼女は言いにくそうに、顎を引いた。






彼女の家は、あたしの家から5分くらいのマンションだった。

大型モールの近くなので、まあまあ家賃も高そうだ。

入り口はお洒落なホテルのような外観で、大理石でできた彫刻がエントランスの真ん中にあった。

赤ちゃんを抱く、女神様の像。


「こっち、エレベーターだよ」


「はい……」


結局、彼女のお願いを飲み込んで、あたしは来てしまっていた。

同情とか人情とかそういう類の感情もあったし、

純粋にこのナンパみたいな状況を楽しんでいる自分もいた。

家の近くだから、という安易な安心もあった。


「はい、着きました」


中に入ると、段ボールの箱が山積みになっていた。


「わ、すごっ」


「狭くてごめんね。引っ越し終わったばかりで」


彼女は最近異動して来たそうで、

仕事が忙しく荷物の整理ができていないとぼやいた。

お願いと言うのは、それを手伝うことだった。


「ベッドの上、とりあえず座ってね」


あたしは軽く頭を下げて、箱の海を突き進みベッドへちょこんと座った。

彼女はストッキングを脱いで、スカートを履いたままあたしの隣に腰掛け、


「疲れた……」


とそのまま仰向けに寝転がった。


「片づけたくないよお……」


あたしは彼女の扇情的な姿に一瞬見とれて、

その台詞に遅れて突っ込んだ。


「何言ってるんですか、手伝ってって言ったのお姉さんでしょ」


「美神だよ……」


「みかみ?」


「うん、名前。美しい、神と書いて」


視線だけを上に向けて、微笑んだ。


「かっこいい……」


思ったことがぽろっと口をつく。


「かっこいいけど、名前負け……」


「そんなことない。お姉さん、美人だしスタイル良いし。こんなにだらしない恰好でも、色気あるし」


「だらしないって、言っちゃてるし……」


言葉が途切れる。

力尽きたみたい。


「あの、あたしは……」


「待って、当てる」


「え、当てるんですか」


「うん、当てる」


「ど、どうぞ」


やっぱりちょっと不思議な人だった。


「心ちゃん」


すぱっと、言い切られたのであたしはなぜか一瞬頷きそうになった。


「違います……半分正解。ニュアンスは似てるかも?」


「……純ちゃん」


「うーん」


「良子ちゃん」


「あ、離れました」


「えへへ……やっぱり分からないです」


なんで当てようとしたんだろう。


「あたし、愛って言います」


「愛ちゃん……」


「ほら、心って入ってるので半分正解です」


「心ちゃん……」


「いや、愛ですって」


彼女――美神さんは睫毛を伏せて、


「愛ちゃん……」


呼び直す。


「それより片付けないんですか?」


家に帰った途端、美神さんを動かしていた動力源が切れたように、

彼女はぐでんと動かない。


「片づけるよ!」


右ぎ腕を掲げる。


「あたし、指示してくれたらやりますけど」


「そんな、悪いよ……手前の緑の段ボールに組み立て式の棚が入ってるの」


「はあ」


見ると、半分開いていた。


「組み立て方の説明書捨てちゃって……どんな棚かって言うと、ハチの巣みたいなやつなの。そこに写真おいてあるんだけど」


あたしは箱を開ける。写真は確かにハチの巣みたいな棚だった。

板とネジとパイプが入っている。

こういうのは直観だと信じている。

板を掴む。


「私、図工、技術の授業とか……すごく苦手だったの。何か組み立てたり、作ったり。芸術的なセンスがなくって……想像と破壊は表裏一体なんだねって……友達に言われたくらいで」


「そうなんですか」


板を差し込む穴を合わせて、ネジを入れて。

おお、入った入った。


「あたしがやると壊れちゃったり、どこか曲がったりするんだよね……握力そんなにないのに」


「へえ」


なるほど、パズルみたいに差し込んでいくから、ややこしい形が出来上がるのか。

下から順番に組み立てていく。

でもこれ、自分で好きな形にできるような気もするけど、

きっとハチの巣がいいのだろう。

あ、この板だと、3cmくらい足りない。

思い切って入れてしまうか。

別の板に手を伸ばす。これっぽいかも。


「最初は……妹が組み立ててくれたんだ」


「そうなんですか。あ、できましたよ」


「うん……え?」


「できました。こんな感じですか?」


彼女はそこで漸くベッドから起き上がった。

目を見開いて、感嘆の声を上げる。


「うん、そう……これ」


なんだか、ちょっと自慢気な気分。

こういうの得意だから。


「ありがとう」


で、なぜか彼女はあたしに抱き着いてベッドに押し倒して、

すすり泣きし始めた。

あたしはぐえって、色気のない叫びを上げながら、なんて感激屋なのだろうと思った。


「ありがとう……」


「そんな大したことでも……」


石けんの香りに包まれて、少しほろ酔い。大人の色香ってやつだろうか。

心臓が生命維持3、緊張7で揺れていた。

もし、あたしが男の子だったら、確実に抱きしめ返していただろうし、

下半身が大変なことになっていたと思う。

この野獣みたいな気持ちをぶつけてしまっていたと思う。

ほら、でもあたし女の子なわけで。

女の人の体に別にそんなに興味ないわけで。


ただ、美神さんの胸の柔らかさにめちゃくちゃ興奮している自分はなんなんだろうとは思う。

彼女は細い。

細いせいで、柔らかい所がホントによく分かる。


「あの、そろそろ」


どいてほしい。

あたしはシーツを無意識に握りしめていた。

汗ばむ手のひら。

けれど、彼女はまだ泣いていた。


「心ちゃん……」


さっきの、惜しい名前を呼びながら。


「いや、だから……愛です」


愛、愛、言わせないで欲しい。

自分で言うのけっこう抵抗あるんだよね。

彼女の抱きしめる力が強くなる。

あたし、さっきから自分が男の子だった時の想定ばっかりしてたけど、

仮に女の子だったらどうだろう。

いや、まずあたし性別女だけど。


急に自分の性別を自覚して、怖くなった。

見ず知らずの人間に押し倒されているという事実に。

彼女がもし、女の子ばかり狙う快楽殺人者だったとしたら。

心臓が、さっきとは別の意味で高鳴った。


「美神さん……ちょっと」


肩を手で押す。

彼女が顔を離す。

端正な顔が涙で濡れていた。


「妹……亡くなった妹に似てるの」


「あたしが?」


「うん」


そんな求めるような目で見られても。

あたし、あなたの妹じゃないし。


「だから、一目惚れして……連れてきた」


「……そういうのって、一目惚れって言わないんじゃ」


重い話題に、あたしはどう答えればいいのか考えあぐねた。


「妹のこと大好きだったから……」


「そうなんですか……」


あ、もしかして。

さっきからわざと間違えてるのかと思ったけど、


「妹さん、心ちゃんて言うんですか」


「そう……正解」


彼女は、のそりとあたしの上から離れた。

こちらに背を向け、横座りで。

白いうなじに薄い産毛が見える。

茶色と言うか、金色に近い。


「段ボールの中、けっこう妹との思い出の品が入ってて、開けると……なんでか涙が出てきちゃて……一人で……一人で片付けられないの。全然、進まなくて……」


「でも、終わらないですよ……そんなこと言ってたら」


「分かってる」


あたし、けっこう酷い人間なのかも。

でも、妹の代わりに連れて来たって、酷い話だと思う。

あたし、何か期待していたのだろうか。


「分かってるけど……」


彼女の少し骨ばった指に恐る恐る手を伸ばす。

握って、安心させてあげようか、というキザで単純な発想。

つまり、慰めて欲しい。

そういうことじゃないのかな。

誰でもいいから。

そういうことでしょ。

痴女ってこんな感じかな。


ふいに彼女がこちらを向いた。

あたしの手が止まる。


「手、握ってくれるの……?」


「あ、えっと……」


改めて聞かれると、とても恥ずかしい。


「握って……」


美神さんが体重の支えにしていた腕をあたしの目の前に差し出した。

あたしは喉を鳴らす。

彼女の視線が熱い。

あたしはなぜかわざわざ両手で、その手を包み込んだ。

何か込めた方がいいのか。

少しでも、彼女の慰めになりますように。

初めてだ。

こんな風に人と握手するの。


裸の心に触れるよう。

繊細な肌。

指に吸い付く。






そうやって、何分くらい繋いでいただろうか。

眠たくならないのは、興奮しているせいかもしれない。


「ほ、他に……して欲しいことありますか?」


手を繋ぐことに耐え切れなくなって、言った。


「え……あ、ごめん気を遣わせちゃって」


「今さらですよ、それ」


「愛ちゃん、優しいんだね……私、そういうのに……弱くて、甘えちゃうんだよ」


「……いいんじゃないですか、別に」


「いいのかなあ……」


「あたしは構いませんけど……」


「変わってるね」


「美神さんに言われたくないですけど……」


「だって、屋根から降りて映画見に行った」


「今どきの女子高生ならやります」


「うそだー……」


「少なくともあたしはできます」


「ふふん」


鼻で笑われる。


「なんですか、それ」


その笑い方が可愛くて、あたしは噴き出した。


「あ、馬鹿にした」


美神さんの唇が尖る。


「してませんし」


あたしは目を泳がせる。

でも、美神さんちょっと嬉しそう。

マゾなのかな。


「馬鹿にしたもん」


「もんって」


なぜか、そばにあったひよこの人形を投げつけられた。


「やめてくださいよ……大人気ない」


「私、まだ……」


「まだ?」


「なんでもないよ……」


はぐらかされた。


「美神さん、まだ若いですよね? あ、20歳? 20歳じゃないですか?」


顔をにやつかせながらからかうと、

今度は顔面に枕が降ってきた。

それから、彼女を慰めながらいくつかの段ボールを片づけた。

廊下にあった荷物を移動させて、

なんとか料理ができるくらいのスペースを確保できた。

生活感ない部屋だった。

夜遅くまで仕事して帰ってきて、

食事はほとんど外でとっているらしい。


「頑張らないと、お嫁に行けませんよ」


「行きたくないからいいの」


「老後に一人で寂しく死ぬんですか」


「どうして、そう、ネガティブかなあ」


「そういう性格なんです」


時計をちらりと見やる。


「そろそろ寝ないんですか?」


そうして、深夜の荷物整理は終わった。





翌朝、狭いベッドに二人詰め込みあっていたせいか、

あたしはベッドから落ちて目が覚めた。


「いった……」


「ん……なに」


「っ……」


ベッドに手をかけて、起き上がる。


「……愛ちゃん」


「なんですか……ふわあ」


目をこする。

そう言えば、あたし今日学校。

その前に、さっさと家に帰らないと。

こっそり玄関を開けて、新聞を取りにいったように見せかければ大丈夫だろう。


「目が覚めたら、いなくなってると思って」


「そんな、勝手に出ていきませんよ。でも、もう行かなくちゃ」


「もう行くの?」


「はい。お世話になりました」


寝癖を携帯の画面で直し、

あたしは寝起きの重だるさを振り払い立ち上がった。


「そう言えば、昨日の映画にもこんなシーンありましたね」


「じゃあ……私、ダメな男?」


「うーん……」


「悩んでる……」


「ダメじゃないですよ」


「あ、思ってない」


「思ってますって……」


あたしは笑いをこらえながら、玄関に向かう。

彼女が慌てて追いかけてくる。

で、腕を掴まれた。


「あの……」


美神さんがおずおずと、


「また来てくれる?」


言った。


あたしは少し考える素振りを見せる。

彼女が喜ぶ返事はすぐに見つかったが、

それを言うことでこれから彼女と何か長い付き合いが始まるような気がしてしまった。

それってどうなんだろう。

あたし、この人と友達になりたいのかな。

ノリと勢いで泊まっただけ。

その日だけの関係。

妹みたいだと言ってくれるけど、あたしはこの人の妹にはなれない。

だよね。

うん。

そんな関係が続くのは嫌だ。


「あの……愛ちゃん」


あたしは彼女の肩を掴み、壁に押し付けた。

美神さんはよろめいて、


「あっ……」


小さく悲鳴をあげた。

半開きの唇に、あたしの唇を一瞬だけ重ねた。

味も何も分からない。

美神さんは目を見開いていた。


「これでもいいなら、また来ますけど……」


真っ直ぐに彼女を見た。

彼女は口元を抑えて、壁伝いにずり落ちる。


「な、なんでキス……」


「別に、したかったから……あたし、一目惚れってあるかもなって思いますよ」


そう言って、玄関のドアノブに手をかける。

後ろは振り向かない。

驚いている彼女が何を思っているのか、

ネガティブな私は考えたくもない。


「ごめんなさい」


返事を待たず、あたしは外へ出た。

急いで。

駆け足で。

親にバレるから。

夜に出かけたのバレたら、めちゃくちゃ叱られる。

エレベーターの下に向かうボタンを押した。

すぐに、扉が開かれる。

軽くまたいで、1階のボタンを押す。

扉が閉まっていく。

足音。


「いいよっ……!」


わずかな扉の隙間から、

彼女の声が聞こえたのだった。






おわり

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[一言] 状況が想像しやすく、話の展開の持っていき方が良かったです。 後半からの美神や愛の描写が上手に書けており、読んでいて話に引き込まれました。 読み終えて、この後の二人の展開が気になりました。
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