第三話
私が彼に出会ったのは、十歳の時だった。社交界にデビューして一年ばかりの、小さな子供。
出会ったのはとある貴族のパーティで。その日も私は妹の影になってぼんやりと佇んでいた。
誰もが妹を褒め称え、私を見ない。そんな情景に慣れてしまった頃だ。
彼は当時十八歳だった。若くして頭角を現し始めた、次期伯爵家当主。
そんな彼は自身の父親と共に妹に挨拶をしていた。それを他と同じように眺めていた私を見た彼が、急に近づいてきたのだ。
『可愛らしいお嬢さんですね』
と、心からそう思っているかのように言われ、戸惑ってしまったのを覚えている。
お世辞で言われたことは何度かある。でも、あんな風にキラキラとした笑顔で言われるのは初めてで。
だが、どうすればいいのか分からなかったのは、一瞬だけだった。
『……ありがとうございます』
ドレスの裾をちょこんと摘まんで頭を下げれば、彼はその高い身長を膝を曲げることで小さくさせて私の目線に合わせた。
『本当にそう思ってる?』
『え……』
そう思ってるも何も、社交辞令を返すのは当たり前だ。他の女性だって、褒められたら先程の私と同じようにするだろう。
キラキラした笑顔は少しも変わっていない。
けれど私は、重要な部位を見ていなかった。
――この人、目が笑っていない。
怖い。私を見ないで。見られることに慣れていないの。見るなら、私より美しい子がそこにいるじゃない。私の妹が。神に愛されて生まれてきた、聖女のような女の子が。
『……ん? あぁ、怖がらせてしまったね。申し訳ない』
『…………………いえ』
『あと、俺は君の味方だよ』
笑っていなかった目は、今は暖かな光を放っている。
さっきのは何だったのか。
そもそもこの人は誰なのかも分からない。周りの女性という女性が彼を見ているのは分かるが、そんなに人気なのか。
それより、『味方』とは? 私には味方以外――『敵』がいるのだろうか。いるわけない。『味方』がいるとも限らないけど。
『正確には、君の味方でいたい、かな。近々、行動で示すよ。待っていてくれるかい?』
『……お好きにどうぞ』
変に反論しても面倒臭いことになるのだろう。ならば抵抗しないに限る。何かあれば両親が適当に処理してくれるだろう。
そんな風に思っていたのだが、彼の行動は思ったより積極的だった。
ある日突然両親に呼び出された私は、衝撃的なことを知らされた。
それは、かの有名な伯爵家の次期当主である青年が私に婚約を申し込んだということ。
そして両親は、あの伯爵家と縁を結べる利益を見逃さなかった。彼が妹でなく私を選んだことに多少の不満があっても、婚約を受け入れることにしたのだ。
それから彼は何度も私に会いに来た。
最初の頃は、両親の差し金か、妹と一緒に会っていた。
けれどやがて彼は私だけを自身の家に招待するようになり、妹と共に彼と会うことはなくなっていった。
私と二人きりの時の彼はとても幸せそうで、いつも笑みを絶やさなかった。
一緒に過ごす時間が重なっていくうちに、彼の性格なども分かるようになった。
まず、自分が好きな人物以外には厳しいということ。真面目だが、茶目っ気もあるということ。私にはとても甘いこと。
何故私なのか分からない。一目惚れだと彼は言ったが、本当にそうなのか分からない。
彼は私を愛しているとよく言うけど、何年経っても私はそれを心から信じることはしなかった。婚約を申し込まれたのでも、それが私に好意を持っているからなのか、確信は持てなかった。
信じようと思っても、信じたくなかった。
矛盾しているけど、それが本心だ。
私自身も彼に好意を持つようになっても、それは変わらなかった。
彼が記憶を失って一年経った今なお、私は彼を目で追ってしまっている。
ああ、好きになんてならなければよかったのに。
好きにならなければ、妹を見る度に、彼の話を聞く度につらくなんかならなかった。
神様、どうして彼に私を見させたのですか?
どうして……どうして……?
一度でも、得たと思わせたのは、何故なの……?
貴方が妹を愛するだけであったなら、もっと別の手段があったのではありませんか?
誰に知られず苦しむ私に意味はない。なら、何故意味のない苦しみを与えるの……?
救いなんか要らないから、もう、終わってしまいたい――。