ノエルの友人(三)
私の疑問に、アレックス様が「そうだそうだ」と賛同した。
「俺も聞いてないぞ。あの日は結局はぐらかしたし、結婚式でも会ったのに何も教えてくれなかったじゃないか」
「別に、アレックスに教える必要はないでしょ? それにだよ、僕は当事者じゃない。空気を読んだだけさ」
不満気なアレックス様に、エリオット様は飄々とした仕草で肩を竦めた。そして顎でウィリアム様を示す。
「詳しいことは当事者から聞くのが一番だよ。ね、ウィリアム?」
「…… お前は時たま、当事者より事に詳しいだろ」
「さて、どうだか?」
エリオット様はにこにこと柔らかい笑顔でいるものの、どこか迫力があって気圧される。
アレックス様がちょいちょいと小さく指で手招きするので耳を彼の口許に寄せると、ぼそりと小さく呟かれた。
「俺達の中でエリオットは一番情がない奴だから、気を付けた方がいいぞ」
近くに寄っても微かにしか聞こえないような小ささなのは、エリオット様に万一でも聞かれないようにだろうか。
情がない……ように見えないが、親しい友人であるはずのアレックス様がそう言うなら、そうなのだろう。エリオット様はとても愛らしい容姿をしているから、きっとその愛らしさを利用して人を手玉に取るのだ。
私はうんうんと頷いて自分の考えに納得した。
頷く私に、エリオット様が胡散臭そうな目でアレックス様を見る。
「……ソフィアちゃんに変なこと吹き込んでないよね?」
「変なことは言ってないな」
エリオット様はなんだかアレックス様に冷たい気がするけれど、それだけ気が置けない仲なのだろう。
今まではこういう人達と一緒にいることがなかったので、とても新鮮な気分だ。
「それで、話を戻しますが、……ウィリアム様?」
さっきエリオット様が、ウィリアム様が当事者だと言っていたのでそちらを向くと、渋々といった様子で口を開かれた。
「ノエルに本当のことを言わなかったのは、ノエルの両親から、そうするよう頼まれたからだ。『いざとなったら私達が止めてあげるから、それまであの子の滑稽な姿を見ていたいわ』と、夫人が」
「それ、は……」
なんて、はた迷惑な……。
ノエルのご両親に会ったときは、そんな面倒臭いように見えなかったけれど、本当は人が困っているのを見て楽しむような……そう、サディスティックなお人だったのだろうか。
「先代伯爵は『自分で思い出せなかったらあいつのプライドとやらが傷つくから、放っておくのが一番だ』と言っていたな。ただ、婚約の件については適当に対処しておく、と。恐らく、お前との婚約破棄も妹のリリア・バセットとの婚約も、先代伯爵が書類に判子を捺さずにいたんだろう。全て、ノエルの知らないところでな」
では、何もかもお義父様とお義母様の手の内だったということだ。
どうやらお二人は、なかなか癖のある人物のようだった。何度か会っているのに気づかなかったのは、普段は普通だからか、はたまた猫を被っていたからか……。
以前からお二人を知っているはずのアレックス様も口を開けて唖然とした顔でいる。……今ちょうど、口を閉めたけれど。
流石はノエルの両親。ノエルが高性能なのは、お二人も凄い人だったからなのね。
でも、やっぱり、思うのだ。
「お二人共、本当に面倒臭い性格していたのですね……」
人を否定するのは良くない。だが、これはあんまりだ。
げんなりしてそう呟けば、ノエルの友人である三人は揃って諦めきった顔をした。
「僕もあの二人はよく分からないよ……」
「だから俺はあの時、仕事でもあの領地に行きたくなかったんだ……。行く度に呼ばれるんだから」
「……怖いから、ソフィアさんも気をつけるんだぞ。エリオット以上にな」
エリオット様に分からないと言わしめ、ウィリアム様に思い切り嫌そうな顔をさせ、アレックス様に怖いと言わせてしまうノエルの両親の本性を、私は直に知らない。
多分、いや、絶対に、直には知りたくない。こうやって人伝に聞いても面倒臭く思ってしまうのだから。
思わず溜め息を吐いてしまう。そして心を落ち着かせようと、既に冷めてしまった紅茶に口を着けた。
三人はそんな私に構わず会話を続けている。
「ノエルもあの人達に苦労してたよなぁ」
「小さい頃はよく泣いてたもんねぇ」
「俺達の中では、一番泣き虫だったか」
泣き虫な、ノエル……?
最後のウィリアム様の言葉に、私は頭の中で小さいノエルを出現させた。初めて会った時のノエルより、十くらい小さくさせたノエル。
……可愛い。
ちびノエルを脳内でこうだったのだろうか、ああだったのだろうか、と動かしてみる。試しにへにゃりと微笑んだちびノエルを想像し――。
……可愛いっ。
そしてちびノエルを妄想中の私に気づかず、更に三人は会話に盛り上がる。
「それなのに今では周辺貴族を怯えさせちゃってまぁ」
「アレックス、言い方がおばさんだから。でも同意するよその言葉」
「だから俺達以外に友達ができないんだ」
「それ言っちゃ駄目だよ、ウィリアムっ……」
「そう言って笑ってるけどエリオット、お前だって友達少ないだろ。男を嫌い過ぎだ」
「いや、ウィリアムもね! 研究馬鹿だからまったく!」
「ノエルももっと友達がいれば、ソフィアさんのこと教えてくれる人がいただろうになぁ……」
「そうだね」「そうだな」
最後、アレックス様がしみじみと言ったことにエリオット様とウィリアム様が声を合わせて同意した。
この三人は本当に、仲が良い。ノエルという単語が聞こえてくるまで会話の内容を聞いていなかったが、声の調子で仲良しだと分かる。
三人が明るく笑いながら話しているのを見ていると、私も微笑ましい気持ちになる。
自然と笑みを形作られた口許をそのままに、私はここにはいない夫を思い浮かべた。
ノエルもこの三人と一緒にいると、このようなやり取りをしているのだろうか。友人と楽しそうに笑う彼も、見てみたいものだ。
「……ねぇ、ソフィアちゃん」
エリオット様からそう静かに名を呼ばれ、私は目をしばたたかせた。
……何だろう。名前を呼ぶとき、猫撫で声だった気がする。
エリオット様をぎょっとした目で見つめるアレックス様とウィリアム様を不思議に思いながら、返事をする。
「はい、何でしょうエリオット様」
「僕ね、ソフィアちゃんみたいな綺麗で大人しい子が好みなんだ」
「そうですか。私が綺麗というのは賛同できませんが」
「ソフィアちゃんは綺麗だよ。ああ、ノエルより先に会えていたら良かったのに」
意味深そうな目線を送り怪しい言葉を囁く彼に、私は何を言えばいいのだろう。
あれだろうか、単に私のからかっているのだろうか。むしろ、それ以外にない。私は彼の友人であるノエルの妻なのだから。
適当に相手をすればからかうのにも飽きてくれるだろう。
そう思って口を開こうとすると、それより先にエリオット様がスッとこちらへやって来た。そしてソファに座る私の足元に膝をつき――
「たまにでいいから、二人で会わないかな? 勿論、ノエルには内緒でね」
――自身の膝の上に置かれていた私の右手を取り、恭しい態度で口づけた。
その時に添えられた甘い笑みと声音は、きっと多くの淑女を魅了する。
「遠慮します」
だけど私には面倒事になりそうなモノにしか見えなくて、瞬時に断ってしまった。
なのににこやかな笑みを崩さないエリオット様を不審に思い顔をしかめれば、アレックス様が声を上げた。
「エリオット、お前それはやりすぎだぞ。ノエルの嫁さんにまで手を出そうとするな」
「僕が誰を口説こうと僕の自由でしょ?」
アレックス様の厳しい声にも笑顔のまま反論するエリオット様。なるほど、少し分かった。
「貴方がやたらとあざとい表情ばかり浮かべるのは、色仕掛けもして情報を集めるからなのですね……」
「えっ」
「え……違いましたか?」
驚いた顔をしたので間違っていたかと聞けば、エリオット様はショックを受けたようにゆっくりと首を振った。
アレックス様もウィリアム様も、呆れたようにエリオット様を見ている。……さっきのようなことを、彼はいつもやっているのか?
「生憎ですが、私からは何も得られないと思います。なので離れてください。踏みますよ」
「踏むの!?」
「男性に触れられたら中央部分を手加減なしに踏みつけろと、ノエルに言われているので」
「しっかり急所を教えてるよ! 怖いなぁ……」
怖いと言いながらも手を離さないエリオット様の精神の方が怖いと思うのは、私だけだろうか。
「こうもあっさりフラれると逆に燃え上が……」
「失礼します」
「ああああ、待って、待って、足を振り上げないで、しかもピンヒールじゃないか!」
「なら離してください」
「意外とソフィアちゃんってバイオレンスだね!」
ようやく手を離してくれた。
まったく、要らぬ体力を使ってしまった。そもそも、本当に踏むわけがないのに。こんな失礼な人でもノエルの友人であり、客人でもあるのだから。それに、いざとなったらアレックス様かウィリアム様が彼を止めてくれるだろう。
「すまないな、ソフィアさん。俺とウィリアムがいるから怖がらないだろうと思ったのか、エリオットがからかって」
確かに二人がいなかったら困ったかもしれないが、ドアの前には我が屋敷の使用人が控えているのだから、そう大変なことにはならなかっただろう。
私の反応を見て楽しみたかったのだろうか、迷惑もいいところだ。これが二人きりであれば本当に踏みつけていた。
「あーあ、完全なる敗北だよ。あざといとか言われちゃうし、最初から相手にされてないし」
わざとらしく大きな溜め息を吐くエリオット様をじと目で見やると、彼は悪戯っぽい瞳でウインクした。
「しっかり君の言いつけを守ってるよ。良かったねぇ、ノエル」
「「ノエル?」」
私と声が重なったアレックス様を見ると、彼はこの客室の出入り口を見ていた。
つられて私もそちらを見る。するとそこには苦虫を噛み潰したような顔の、私の夫である人物が壁に手を置いて、軽く寄りかかりながら立っていた。




